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「坂巻さん、ちょっといい?」
檜山くんに呼び止められて、迷惑だった事なんてなかった。私は勢いよく頷いた。
屋上へと上る階段。
放課後、屋上って来たら、それってまさか…!いや、あり得ない。檜山くんが私を好きなんてあり得ない。でも…!!
「金子先輩って好きな人いるのかな」
…ハイ?!目の前が真っ白になった。金子先輩?一体なぜその名前がここで?
檜山くんは真っ赤な顔をして、フェンスにもたれかかった。泣きぼくろがよく見えた。
「気がついていたかもしれないけど、ずっと前の昼休み、金子先輩のところに行ったじゃん。実はあれ、坂巻さんなら先輩のところに行こうって言い出すと思ったからなんだよね。
あれから廊下で時々話すようになって、やっぱりいいなって思ってさ」
「檜山くんは先輩の事ずっと好きだったの?」
うわ、声がうわずってる。もっとからかうような調子で言わないと、私の気持ちがばれてしまう。彼が私をなんとも思ってないのは明らかだ。漫画や小説なら、主人公の気持ちを確かめたくて他に好きな子がいるフリをし、それを相談するっていうのは割と王道だけど、この場合は絶対に当てはまらない。…当てはまればいいのに。
「入学式が終わってさ、金子先輩、坂巻さんを呼び止めたじゃん。その時からかな」
何だよ、最初の最初からじゃん。何、まさかの一目ぼれ?!
「勇気ある人だなぁって思って。坂巻さんの話って、入学前から話題でさ、誰が一番に話しかけてみるんだろうって、密かにウワサされてたんだ。坂巻さん、全然気にしてないみたいだったけど。
アレ、本当に気にしてなかったんだね。最近話すようになって初めて分かった」
「ウワサ?って私の?」
「だって、うちの芸術科から推薦きたんだろ?あれって、一応毎年枠があるんだけど、本当の意味での高校から指名された推薦って坂巻さんが始めてらしくって、ものすごく話題になってたんだよ。普通は生徒の希望を受け付けてから推薦が選ばれるんだ。知らなかったでしょ?」
私は大きく頷いた。何だよ、あの時説明に中学と家にまで来たハゲ達。断ったって気にしないでいいって言ったくせに。完全な個人情報だから、他の生徒には絶対に知られないって言ったくせに。
「じゃ、もしかしたら、私がいなかったら、檜山くん、金子先輩に気がつかなかったかもねぇ」
涙をこらえて私がおどけると、檜山くんは真っ赤な顔で頷いた。
「うん。気がつかなかったかもしれない」
その瞬間、私が出来ればやりたかった事はその場から走って逃げ出す事だったけど、サッカー部の脚力から逃げ切れるとはとても思えなかった。だから、そのままそこにいた。次にやりたかったのは大声で泣く事だったけど、明日から突然クラスが変わるわけでも、檜山くんの記憶から私だけが抜け落ちるわけでもないから、私は泣かずにそこにいた。
ウソ。本当は、そんな話題にも関わらず、私は檜山くんの傍にいたかった。彼のことが好きで好きでしょうがなかった。だからもったいなくて動けなかった。今すぐここから飛び降りたら、檜山くんの好きな人が私になるなら飛び降りてやるのに。地面が呼んでるような気がする。絶対に飛ばないけど。だって檜山くんはそんな事じゃ私を好きになってはくれない。彼の好きなのは金子先輩だ。
「話、聞いてくれてサンキュー」
「ううん。いつでも言ってよ」
嘘つき!檜山くんがいなくなった屋上。念願の一人きりになれたのに、私はやっぱり泣かなかった。校舎内で泣いていたら、誰かに見られるかもしれないからだ。檜山くんは私が有名人だと教えてくれたじゃないか。
…何で。どうして檜山くんの好きな人は私じゃないんだろう。私がゲージツに熱血じゃないから?
…単に好みの問題なんだろうな。ちっさくて細っこい金子先輩は、美人でもアイドル系でもないけど、それなりだし。
金子先輩を探そう。彼女が何が好きなのか。私は出来るだけ檜山くんに教えてあげないといけない。檜山くんの役に立ちたい。私は彼女が好きなのは「ゲージツ」ぐらいしか今のところ知らない。
先輩は被服室の窓辺に座り、中庭を描いてるところだった。
「あら、坂巻さん。ね、この構図どう思う?イメージは妖精の国、なんだけど。今月の部の課題、ファンタジーなの」
画用紙を覗き込む。悪くない。でも…
「悪くない。でも、当てるなら光はこっちからの方がいいと思う。これじゃまんま上の方から見た世界でしょ。もう少し近い目線の方がよくない?」
「…なるほど。そうね。…ところでどうしたの?珍しいね、坂巻さんが私を探してるのって。何か相談?」
「…ヒマだったから」
私の大ウソの失礼な理由でも金子先輩はむっとしたりしなかった。こういう所なのかな、檜山くんが好きになったのって。私が金子先輩みたいな人間だったら好きになってくれたのかな。だとしたら今後も檜山くんが私を好きになる可能性がゼロだ。鬱すぎる。
「先輩は好きな人が出来たらどうする?」
多分私は今までの人生の中でも最高に変な顔をしていたと思う。でも、一度出した言葉はひっこめられない。私は自分のバカさを呪った。こんなの魔女以前の問題だ。こんな事人に聞いてどうするっていうんだ。しかも、先輩なんかに!でも、先輩は私を笑わなかった。真剣に話を聞いてくれた。
私はこの世の終わりになっても誰かに恋の相談なんかしない人間のはずだったのに。それもゲージツのことばっか言ってる先輩みたいな人に。
「私なら…直接はっきりと相手に好きって言うかな。待ってるだけじゃ手に入らないものって多いんだもん。でも、そう思えるのも坂巻さんのおかげかな」
「私の?!」
「私、何回ふられてると思う?ってこんな言い方したら気味悪いか。
でもさ、正直、私はただ一緒に絵が描きたいだけなの。そりゃ、坂巻さんの気持ちも分からなくはない。普通こんなにしつこくされたら嫌だよね。でもさ、あなたってあんな魔法みたいな絵を描くんだもん。惹かれないわけないじゃない」
パチンと何かが私の中ではじけた。先輩の話が続いているのが分かる。でも、声が聞こえない。沈黙。心の中が真っ白。これは…何?
ヒルースが直接私の心に文字を書いた。
『どう?』
確信はなかった。相変わらず疑問は渦巻いていた。でも、分かった。答えが一つ出た。
魔法みたいな絵。魔法。
魔法?…魔法。そうだったのか。
私はヴィオリータの器なんだ。「私」はずっと魔女だった。気がつかなかったのは私が「入れ物」でしかなかったから。生涯自分が魔女である事に気がつかないっていうのはこういう事か。
坂巻すみれの様に自分の中に魔女を抱えている、そういう魔女がいるんだ。入れ物でしかなくても私は私。でも、他の人たちと同じでもない。
自らが魔女である魔女。魔女ですらない人。私はそのどちらでもない。魔女であって、人。ううん、そんなんじゃない。どこかの本で出てきたはんぱ者だ。いつから私はヴィオリータから離れてしまったんだろうか。そんなの酷い。私は魔女になるために、魔女である事を失ったのかもしれない。これは変えようのない事実?それとも、変化出きる事?
一つの発覚。一つの終局。…胸が震えた。




