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第9話 踏みにじられる札束と画面の向こうの『お前』

「あ……俺の、俺の金……!」


 便器の水でびしょ濡れになったタイル床。


 そこに散らばった一万円札に、俺は無様な這いつくばり姿勢のまま手を伸ばした。


 だが、俺の指先がお札に触れる直前。


『ガンッ!』と、鋭いヒールの先端が俺の右手を情け容赦なく踏みつけた。


「いっ、ぎゃあああッ!?」


「あなたの金じゃない。私が夜勤や残業で身を粉にして稼いだ、大事なお金よ」


 見上げると、175センチの大女・B子(看護師)が、氷のように冷たい目で見下ろしていた。


 普段のオドオドした態度は微塵もなく、まるで医療廃棄物を処理するような無機質な目だ。


 B子は俺の手を踏みつけたまま、床に散らばった一万円札を拾い集めていく。


「ちょ、待て! それは俺の……」


「黙りなさいよ、口が臭いんだよ。この詐欺師!!」




 ビチャッ! と、A子(公務員)が濡れたハンカチを俺の顔面に投げつけた。


「パイロットだなんて嘘ついて! 私たちと寝て、お金巻き上げて……コインランドリーで下着泥棒までしてる変態の底辺男のくせに!!」


 俺は泥水と便所の水にまみれながら、必死に後ずさった。


 だが、片足の『安全靴』が重すぎて、這いつくばったまま便器の横に追い詰められる形になった。


 老け顔のC子(教師)は、スマホのカメラを俺に向けながら、淡々と告げた。


「今から警察を呼びます。あなたの本当の職業と職場も、すべて洗いざらい話してもらうから」


「や、やめろ……警察だけは……!! 実は俺、国際的なスパイ機関に狙われてて……」




 絶体絶命の状況でも、俺の口は勝手にクソみたいな嘘を紡ぎ出そうとしていた。 だが、その言葉を最後まで言い切る前に。


『ポンッ』


 俺の胸ポケットに入ったままのスマホが、またしても不気味な通知音を鳴らした。


 画面が勝手にバキバキとノイズを立て、黒い背景に白い文字が浮かび上がる。


【 読者が、あなたの見苦しい嘘に飽き飽きしています。 】


【 これより、『社会的死の強制実行』を開始します。 】




「……は? おい、待て、何をする気だ……ッ!?」


 次の瞬間。俺のスマホが、勝手に『ライブ配信機能』を起動した。


 インカメラが、便器の横で泥水まみれになっている俺の情けない顔を捉える。




 さらに画面には、俺が出会い系アプリでやり取りしていた『D子』『E子』『F子』、そしてなぜか『道路工事現場の監督』や『アパートの大家』の連絡先がズラリと並び、そこに【ライブ配信のURL】が全自動で一斉送信されていくのが見えた。


『送信完了。現在、12人があなたを観察しています』


「うわああああああッ!! やめろ! 止めろォォ!!」


 俺は狂ったようにスマホの画面をタップし、スワイプし、電源ボタンを連打した。


 だが、システムは俺の操作を一切受け付けない。


 画面の向こうからは、配信を見ている現場監督の『おい谷口! お前仕事サボって便所で何してんだ!!』という怒りのコメントや、新規のカモだった女たちからの『え、何このおじさん……キモッ』というコメントが滝のように流れ始めた。




 すべてが終わった。


 エリートを気取っていた完璧な俺の人生が、便所の床で完全に粉砕されたのだ。


「なんで……なんでこんなことになっちまったんだ……」


 呆然と呟きながら、俺はスマホの画面をじっと見つめた。


 そこで、ようやく気づいたのだ。 このあり得ない不運の連鎖。


 タイミングが良すぎる鉢合わせ。そして、俺の意志を無視して勝手に動き続けるスマホの画面。


 俺の人生を狂わせていたのは、目の前にいる女たちじゃない。


 もっと高いところから、安全圏から俺を見下ろして、ニヤニヤしながらこの修羅場を楽しんでいる『何者か』がいる。


 俺は、画面の向こう側の『レンズ』を真っ直ぐに睨みつけた。


 泥にまみれた顔を引きつらせ、血走った目で、今この文章を読んでいる『お前』に向かって叫んだ。




「……おい。そこで見てるんだろ?」


 静まり返ったトイレの個室に、俺の低く濁った声が響く。


「お前だよ!! お前が指で画面をこするたびに、俺の人生がぶっ壊れていくんだよ!! 人の不幸を娯楽にしてんじゃねえぞ!! 今すぐその指を止めろ!! スクロールするな!!」


 俺がスマホに向かって狂ったように叫び始めたのを見て、三人の女が気味悪そうに後ずさった。


 だが、俺にはもう女たちなどどうでもよかった。


  画面の向こうの『お前』を呪い殺してやりたい。


 その怒りだけで、重い安全靴を引きずりながらスマホの画面に爪を立てた。




 だが、無情にも画面には最後の一文が浮かび上がった。


【 読者は、あなたが壊れていく姿を、まだまだ見たいようです。 】


【 次のページへ。 】




続く

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