第8話 滑り落ちる泥と開かれた扉
『ガンッ! ガンッ! ガンッ!』
「おい谷口! お前がそこに隠れてるの、スマホのマップで丸見えなんだよ! さっさと出てきなさいよっ!」
薄暗い男子トイレの一番奥の個室。
ドアの向こうから、大女のB子が扉をへし折りそうな勢いで蹴り飛ばす音が響く。
その横で「私の30万円……返してよぉッ!」と泣き叫ぶA子の声と、「警察呼びます」というC子の氷のような冷たい声が入り混じっている。
「ヒィッ……!」
俺は便座の上にしゃがみ込み、ガタガタと震えていた。
靴底を見られないために便座に登ったはいいが、土埃と泥水をたっぷり吸い込んだ『安全靴』は重石のように足にのしかかり、バランスを取るだけで足の筋肉が悲鳴を上げている。
おまけに、俺の手の中にあるスマホは、さっきから勝手にスピーカーを最大音量にして、ピコン、ピコンと女たちに俺の居場所を知らせ続けていた。
(クソッ、クソッ! なんで電源が切れねえんだよ!!)
電源ボタンを長押ししても、画面はフリーズしたまま全く反応しない。
俺の天才的な詐欺計画が、たった一つのバグったスマホのせいで音を立てて崩れていく。
その時だ。
『ポンッ』
真っ暗な画面に、再びあの不気味な通知が浮かび上がった。
【 読者が、早く次の展開を見たくて画面を連打しています。 】
【 読者のイライラが頂点に達しました。これより、ターゲットに『物理的制裁』を実行します。 】
「……は? 物理的…?制裁……?」
意味不明な文字列を読んだ瞬間。
突然、スマホのライト機能が『ビカビカビカッ!!』と目潰しのような閃光を放ちながら、けたたましいサイレン音を鳴らし始めた。
「うおっ!? まぶしッ!! やめろ、バカッ!!」
暗い個室の中で突如フラッシュを浴びた俺は、完全に目が眩み、パニックになってスマホを落としそうになった。
慌てて体勢を立て直そうとした、その時。
『ズルッ』
――最悪の音が鳴った。
ツルツルとした陶器の便座。そこに、工事現場の泥がこびりついた安全靴。
フラッシュに驚いて体重をかけた瞬間、泥が潤滑油のようになって、重い安全靴が便座の縁から豪快に滑り落ちたのだ。
「あ……」
バランスを崩した俺の体は、宙に浮いた。
そして、そのままの勢いで、1キロ近くある鉄板入りの安全靴が、個室のドアの『鍵』の部分に内側からクリーンヒットした。
『バキィィィッ!!!』
回すだけの単純な鍵が、重い安全靴の一撃で呆気なくあいてしまった。 と同時に、俺の右足は、開いたままの便器の中へ、汚水とともに『バシャァッ!!』と勢いよく突っ込んだ。
「ぎゃあああああああッ!!?」
勢いよく外側に開け放たれたドア。
そこには、怒りに肩を震わせる三人の女が立ち尽くしていた。
彼女たちの視線の先には、便器に足を突っ込み、便座の水を全身に浴びてひっくり返っている『エリートパイロット』の姿がある。
さらに最悪なことに、転倒した衝撃でスウェットのポケットから、さっきB子から巻き上げたばかりの『10万円の束が入った茶封筒』が飛び出し、水浸しのタイル床にベチャッと散らばってしまった。
「あ、あ……」
泥と便所の水にまみれ、散らばった一万円札の海で這いつくばる俺。
女たちの目から、怒りがスッと消えた。
代わりに浮かんだのは、虫ケラを見るような『絶対的な軽蔑』だった。
C子が、ゆっくりとスマホを取り出し、画面をこちらに向けた。
そこには、さっき俺のスマホが勝手に送信したらしい、【コインランドリーで他人のパンティーを握りしめてニヤつく俺の写真】が表示されていた。
「パイロットって……そういう趣味なの?」
冷たすぎるC子の声が、トイレに響いた。
俺は絶望の中で、自分のスマホを見た。
画面には、こんな文字が表示されていた。
【 読者は、今のあなたの無様な姿を見て、腹を抱えて笑っています。 】
【 ――さあ、地獄の第2ラウンドの始まりです。 】
続く




