第7話 腹痛の逃走劇と、鳴り響く安全靴
「……あなた、谷口、さん……! 写真と全然違うし……それに、その隣の女の人は……誰なの?」
老け顔のC子(教師)が、信じられないものを見る目で俺とB子を交互に睨みつける。
背後からは、息を切らして汗だくのA子(公務員)が「谷口さんっ! パリに行ってたんじゃ……!」と涙声で迫ってくる。
隣では、俺に10万円の束を渡したばかりのB子(看護師)が「え……? 谷口さん……この人たち、誰よ……?」と、低く震える声で呟いた。
女三人の視線が、俺の泥だらけの安全靴と、スウェット姿に突き刺さる。
(やばい、やばいやばいやばい!!)
俺の優秀な詐欺師としての脳髄は完全にショートしていた。
「実は双子の弟で」なんていう苦しい言い訳すら、この極限状態では喉から出てこない。
女たちの目に『戸惑い』から『疑念』、そして『殺意』へと変わる光が宿った、その瞬間だった。
「いっ……!! いってええええ!!」
俺は突然、大げさに下っ腹を両手で押さえ込み、その場にうずくまった。
「えっ……!?」
「や、やばい、腹が……急に猛烈な腹痛が……!!」
脂汗を流す(フリをした)俺に、女たちが一瞬怯む。 俺はその隙を見逃さなかった。
「ちょっと待ってくれ! トイレ行ってくるから! 話はそれからだ!!」
言い捨てるが早いか、俺は立ち上がり、駅ビルの中へと向かって猛ダッシュした。
スマートなエリートの面影など微塵もない。
泥だらけの鉄板入り安全靴が、カフェのオシャレなウッドデッキを「ガコンッ! ガコンッ! ドタドタドタッ!」とけたたましい爆音で打ち鳴らす。
靴が重すぎて足が全然前に出ない。
後ろから「ま、待ちなさいよ!!」という女たちの金切り声が聞こえたが、俺は振り返らずにコンコースを必死に駆け抜けた。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」
俺が逃げ込んだのは、駅ビルの端にある薄暗い男子トイレの、一番奥の個室だった。
ガチャリと鍵をかけ、蓋のない便座の上に泥だらけの安全靴のまま乗って息を潜める。
下から足を見られないための、底辺の知恵だ。
「……あぶねぇ。マジで殺されるかと思ったぜ」
冷たい汗を拭いながら、俺は暗い個室の中でニヤリと笑った。
金はしっかりポケットの中にある。このまましばらくやり過ごして、女たちが諦めて帰った頃にコソコソ抜け出せばいい。
俺の口座にはすでに80万、さらに今もらった10万もあるんだ。あんなバカな女ども、もう用済みだ。
「ハッ、ざまぁみろ。エリートパイロットの足の速さについてこれるわけねえだろ」
安全靴のせいで足がつりそうになっているのも忘れ、俺は便座の上で勝利の笑みを浮かべた。
そして、ポケットからヒビの入ったスマホを取り出した、その時だ。
『ポンッ』
真っ暗な個室の中で、スマホの画面が不気味に白く発光した。
【 読者がページをスクロールしました。 】
【 ターゲットの逃走を確認。これより、『追跡支援システム(鬼ごっこモード)』を起動します。】
「……は? 鬼ごっこ、モード……?」
嫌な予感がして画面を見つめていると、突然、スマホのスピーカーから『ピンポーン!』という甲高い電子音が最大音量で鳴り響いた。
『お知らせします! 谷口様は現在、男子トイレの一番奥の個室に潜伏中です! 繰り返します!』
「うおっー!? お、おいバカ、やめろ!!」
俺は慌てて音量ボタンを連打したが、全く反応しない。
それどころか、スマホの画面にはA子、B子、C子が入っているグループLINE(俺が知らないうちに勝手に作られていた)に、俺の現在位置を示す
『トイレの個室のGPSマップ』がリアルタイムで共有されていくのが見えた。
『ドスッ! ドスッ! ドスッ!!』
数秒後。トイレの入り口から、複数の女の荒々しい足音が踏み込んでくる音が聞こえた。
「谷口ィ……!! お前、一番奥にいるんだろ……!! 出てきなさいよ!!」
B子の、地鳴りのような低い怒声がトイレ内に響き渡った。
続く




