第27話 最強のATMの逆襲と沈黙のスマホ
生ゴミの悪臭が漂う路地裏で、俺はガタガタと震えていた。
夏の夜とはいえ、汗と泥で濡れた薄手のシャツ一枚では、体温が容赦なく奪われていく。
喉がカラカラに渇いているが、自動販売機で水一本買う小銭すらない。
(どうする……これからどうすればいい……っ!)
警察に出頭すれば、間違いなく逮捕だ。
だが、このまま逃げ続けても、行く当てなんてどこにもない。
ふと、遠くの繁華街の方から、大型ビジョンの音声が微かに聞こえてきた。
『――続いてのニュースです。本日午後、都内のホテル前で、男が現金2000万円を路上にばら撒き逃走する騒ぎがありました。男は現場に身分証明証の入った財布を落としており、警察は谷口幹夫容疑者の行方を追っています――』
「あ、ああ……終わった……」
実名報道。俺の『エリート消防士・谷口』という完璧な仮面は、全国ネットのニュースによって完全に引き剥がされた。
もう二度と、あのタワマンのパンフレットを眺めるような優雅な生活には戻れない。
その時、残り充電が10%を切ったスマホの画面が、不気味に発光した。
LINEの通知だ。送り主は、C子。
『ニュース、見たわよ。幹夫くん』
俺はビクッと肩を震わせた。本名で呼ばれたのは初めてだ。 メッセージは、さらに続く。
『2000万円をばら撒いて逃げたんですってね。お父様に言ったら、すごく怒ってたわ。でも安心して。警察より先に、うちの会社の警備部門と、お父様お抱えの探偵さんたちが、全力で幹夫くんを探してくれているから』
『都内のタクシー会社やホテルにも、全部手を回してくれたの。だから、安心して捕まってね。さようなら♡』
「ヒィッ……!」
声にならない悲鳴が出た。
あの世間知らずでチョロいと思っていた金持ちの令嬢が、その圧倒的な『財力』と『権力』を使って、俺を確実にすり潰しに来ている。
東京という巨大な街全体が、C子という巨大な蜘蛛の巣に変わった瞬間だった。
スマホの画面が再び切り替わり、あの『黒い目玉』がニチャアッと笑う。
【 読者に報告:ターゲットは現在、警察と大富豪の私兵の『ダブル指名手配』を受けています。 】
【 読者アンケート:バッテリー残り3%。ターゲットの現在地GPSを、C子様に送信してから電源を落としますか? 】
『YES』のゲージが、一瞬で100%に振り切れた。
【 送信完了。それではターゲット、良い夜を。 】
プツン。 その無慈悲なシステムメッセージを最後に、スマホの画面は完全にブラックアウトした。 バッテリー切れだ。
唯一の光源だったスマホが死に、路地裏は完全な暗闇に包まれた。
「あ、あぁぁ……くるな、くるな……!」
遠くから、複数の男たちの荒々しい足音と、「この辺りの路地を探せ! GPSはここで途切れてる!」という怒鳴り声が近づいてくる。
俺は泥だらけの片足を引きずりながら、四つん這いになってさらに深く、臭いゴミ袋の山の中へと身を隠した。
エリートどころか、ただの惨めなドブネズミ。
俺の泥臭く、果てしない逃亡劇の幕が上がった。
続く




