第20話 天才のリスクヘッジと、底辺の保険
「よし、車庫入れ完璧だな。それじゃあ俺は、これから消防署の夜勤(当直)に戻るよ」
C子の住む高級タワーマンションの地下駐車場。
買わせたばかりの真っ黒なSUVのエンジンを切り、俺は助手席の彼女に爽やかな笑顔を向けた。
「えっ、もう行っちゃうの? これから一緒にゆっくり、お酒飲もうと思っていたのに……」
「ごめんよ。でも、街の平和を守るのが俺の仕事だからね。君のことも、俺がずっと守るさ」
「谷口さん……かっこいい……!」
甘い言葉でC子を完全に丸め込み、俺はマンションのエントランスを抜けて最寄りの駅へと向かった。
だが、電車に乗って向かった先は、消防署……ではなく、足立区のいつものボロアパートだ。
駅から歩き、泥水たまりを15万のイタリア製革靴で避けながら、周囲を警戒して自分の部屋に逃げ込む。
「ふぅ……今日も完璧なエリート消防士だったぜ」
万年床の上にドカッと座り込み、俺はスーパーで安売りしていた缶チューハイを開けた。
C子という最強のATMを手に入れ、高級車も買わせた俺だが、まだこのボロアパートは解約していない。
それどころか、週に数回入っている『深夜の警備員』のバイトも辞めていなかった。
理由は簡単だ。俺は過去の最悪な経験から学んだのだ。
(あのクソみたいなアプリのせいで、いつまた全てを失うか分からねえ。万が一C子にバレて逃げられた時のために、最低ラインの『身分』と『住処』は絶対に確保しておく。これが真の天才のリスクヘッジってやつだ)
高級なオーダースーツを脱ぎ捨て、クローゼットの奥から汗の染み込んだペラペラの警備員の制服を引っ張り出す。
昼間は高級車を乗り回す、爽やかなエリート消防士。
夜は工事現場で赤い誘導棒を振る、しがない底辺警備員。
この完璧な二重生活。最悪の事態まで想定して保険をかけている俺は、もう誰にも、あの謎のシステムにすら出し抜かれることはない。
間違いなく無敵だ。
「へへっ……俺って本当に頭良すぎだろ。これなら絶対に隙はねえわ」
警備員の制服に着替え、安物の安全靴(新品)の紐を結びながら、俺は自分の賢さに完全に酔いしれていた。
だが、俺は気づいていなかった。
脱ぎ捨てた高級スーツのポケットの中で、スマホの画面が静かに点灯していることに。
そこには、あの『黒い目玉』のアイコンと共に、こんな文字が浮かんでいた。
【 読者に報告:ターゲットは過去の経験から学習し、セコい『保険』をかけています。 】
【 読者の皆様。ここから先は一気に落とすのではなく、『弱火』でじっくりと、彼を逃げ場のない絶望へと煮込んでいきましょう。 】
システムと読者の悪意は、俺のその「みみっちい保険」すらも、極上のスパイスとして利用しようとしていた。
続く




