第16話 偽りの炎と皮ぐつのジョッキ
「いやあ、消防士って常に危険と隣り合わせだからさ。君みたいな落ち着いた大人の女性といると、本当に心が休まるよ」
俺は、薄暗い個室の居酒屋で、目の前の女に甘い声で語りかけた。
ターゲットはマッチングアプリで引っ掛けた38歳の事務員、C子だ。
少し疲れた顔をしているが、俺が「消防士」だと名乗ると、目を輝かせて話を聞いている。チョロいもんだ。
今日の俺の服装は完璧だ。
肩のヒラヒラをハサミで切り落とし、赤いマジックで強引にラインを引いた『自作の消防士ルック』。
暗い照明のおかげで、ボロはまったくバレていない。
そして足元には、リサイクルショップで980円で買ってきた『見栄えだけはいい皮ぐつ』だ。
前の持ち主の強烈な足の臭いが染み付いているが、我慢すればエリートに見える。
(へへっ、俺ってやっぱり天才だ。今日こそはお持ち帰りして、俺のATMになってもらうぜ)
俺がグラスのビールを飲み干し、C子の手を握ろうとした、その時だった。
『ブルルルッ!』
ポケットに入れたスマホが、あの嫌な震え方をした。 画面を見ると、あの『黒い目玉』のマークが浮かび上がっていた。
【 読者に『選択肢』が提示されました。 】
【 ターゲットの次の行動を、多数決で決定します。 】
[A]:自分が本当は『無職のクズ』だと、大泣きしながら自白する
[B]:自慢の『リサイクル皮ぐつ』にビールを注いで、笑顔で一気飲みする
「なっ……!?」 俺は息を呑んだ。
ふざけるな! どっちを選んでも一発でゲームオーバーじゃないか!
画面の下では、読者の投票メーターが圧倒的なスピードで『B』へと偏っていく。
「やめろ……! Bはやめろ!! その靴は中古なんだぞ! どこの誰が履いてたかもわからねえ、水虫菌だらけかもしれない皮ぐつだぞ!!」
俺は小声でスマホに向かって叫んだが、もちろんシステム(読者)に慈悲などない。 決定のブザーが鳴り響く。
【 読者の99%が『B』を選択しました。 】
【 これより、強制アクションを実行します。 】
「あっ、やめ……」 俺の体が、再び意志を無視して動き出す。
俺はC子の目の前で、突然テーブルの下に手を伸ばし、履いていた右足の皮ぐつをスポッと脱いだ。ツンとした酸っぱい悪臭が個室に広がる。
「え? 谷口さん……?」
C子が戸惑う中、俺はニッコリと爽やかな消防士のスマイルを浮かべたまま、その汚い皮ぐつをテーブルの上にドンッと置いた。
そして、ピッチャーに入っていたビールを、皮ぐつの中にドボドボと注ぎ込み始めた。
「た、谷口さん!? なにやってるの!?」
「ハハハ、消防士の宴会では、こうやって炎のような気合いを見せるんだよ!」
口が勝手に、でまかせの言い訳をしゃべる。
そして俺の両手は、ビールでなみなみと満たされた『中古の皮ぐつ』をジョッキのように高く持ち上げ……そのまま口元へと運んだ。
「いただきまーす!」
「やめっ……!! むぐっ、ゴクッ、ゴクッ!!」
心の中では号泣しながら、俺は皮ぐつの中のビールを飲み干していく。
革の苦味、前の持ち主の足の汗の塩っぱさ、そして強烈なカビの臭いが喉の奥を通過していく。最悪だ。
泥を舐めた時よりも吐き気がする。
「ひぃぃぃッ!! き、気持ち悪いっ!!」
C子は顔面を蒼白にして悲鳴を上げ、バッグを掴んで個室から飛び出していった。
俺は皮ぐつを口にくわえたまま、涙とビールの泡でぐちゃぐちゃになった顔で、テーブルの上のスマホを睨みつけた。
【 読者は、あなたの『皮ぐつジョッキ』の飲みっぷりに大満足しています。 】
俺の完璧な作戦は、またしても読者のゲスな指先ひとつで、臭くて惨めな地獄へと叩き落とされたのだ。
続く




