第九十七話「混沌に蠢く者」
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新章突入。
「い、以上がここに至るまでの経緯となります」
どことも知れぬ薄暗い空間、その女は巨大な青白い球体の前で報告を終えると荒い呼吸を整えながら、頭を下げる。
「ふうん、つまりあんたたちはずっと神聖王の掌の上だったってわけ?」
報告した女、エルメラ神聖国の宰相、アウグスタ・ルベルムに声をかけたのは可愛らしい少女のものだ。
しかしその声音には少なからず苛立ちが混じり、調子そのものにも酷薄な気運が宿っている。
「そ、それはその、まさかこれほどの期間を掛けて準備しているとは夢にも……」
「……愚かな」
言い訳を試みようとしたアウグスタは地の底から聞こえるかのような低い女性の声に身体を震わせた。
「千年が遥かな年月に感じるのは肉のある者のみ、我らにそれは当てはまらないだろう?」
「それともアウグスタ・ルベルムでいる時間が長くなりすぎちゃった?」
容赦のない少女の追及にアウグスタは全身から汗を吹き出しながら釈明を始める。
「ま、まさか、そのようなことはありません」
「ふん、果たしてそれはどうかな?」
心底呆れたと言わんばかりの声、ただでさえ悪い機嫌を余計悪化させてしまったようだ。
「貴様だけではない、ミディアンにナルカ、大多数の器どもは肉の感覚に慣れ過ぎて本来あるべき姿を見失っている」
何も言えずに黙り込むアウグスタを前にして、少女もまた女性の言説に追従する。
「個人個人の野心を優先して、それであんな獣に出し抜かれてるようじゃ言い訳のしようがないわね」
「四千年前、あの男に殺されて以降、まったく進歩がないのではないか?」
「ぐっ!」
痛いところを突かれたとばかりにアウグスタは頭を下げたまま顔を歪めた。
女性から投げつけられた言葉は思いだしたくもないような悪夢を想起させるもの。
悔しそうに奥歯を噛み締め、右手で心臓の位置を押さえつける。
「まあ良い」
微かに鼻を鳴らすと、女性は努めて冷静な口調で言葉を紡ぎ始めた。
「エルメラなど所詮は極東の一島国、今更放棄したところで我らにはなんの痛手もありはしない」
「器は大陸でも用意できるし、単純な人口ならあっちの方が上だものね」
どうやら少女も結論に異論はないらしい。
意見の一致を見たところで女性はアウグスタに意識を向ける。
「さて、そうなってくると次は貴様の処遇だな」
「こうなっちゃった以上、帰還した方が良いんじゃない?」
軽い調子で放たれた少女の言葉だが、アウグスタは顔を真っ青してその場で土下座を始めた。
「っ! な、なにとぞそればかりは……」
一国の高官とは思えぬあまりにも見苦しいその姿に女性は嘆息を漏らす。
「……何をそんなに慌てる?」
「そ、それはその……」
わたわたとまたしても言い訳をしようとするアウグスタの姿を前に、少女はこらえきれなくなったとばかりに哄笑した。
空間全域に響き渡るほどの笑い声、そこには明確に嘲弄の色が宿っている。
「ふふふふふふふ……。そういう反応するってとこが一番肉の感覚に慣れ過ぎたって感じがするけどね」
「お願いでございます! 必ずやあの男、儀同三司を打ち倒してごらんに入れます」
地べたに額を打ち付けるような勢いで何度も何度も頭を下げるアウグスタ。
その真意がどこにあるにしても『帰還』というものを彼女が望んでいないことは明らかだ。
「果たして貴様ごときにそのようなことが出来るのか?」
しばしの黙考の後、女性は冷ややかな声でアウグスタに言葉をぶつける。
「今やあの男は総長、四千年前と変わらぬほどの権威を手に入れたぞ?」
一介の神官将ならばいざ知らず、今の秋隆は神聖王を選出する選帝侯の資格すら持つ五清将。
ここまで地位が高くなった以上、以前試みたように刺客を送るという手段で取り除くことなどまず不可能だ。
「しかも問題になってるのはその儀同三司だけじゃないでしょ?」
「む、無論でございます。儀同三司と神聖王に加え、三名の亜相、高杉、入江、吉田もまた必ずやあの世に送ってご覧に入れます」
女性と少女の追及にアウグスタは必至になって応じる。
ここで『帰還』することは何としてでも避けなければならない、その一心がさせる所業だ。
「……もしやるとして、どうやって殺すつもりだ?」
「ひとまずは儀同三司を狙います」
アウグスタの声は酷く狼狽したものでいつ途切れてもおかしくないようなものだったが、気力を振り絞って言葉を絞り出す。
「総長になった以上、あの男は嬉々として鬼紋王の討伐に乗り出すはず、そこを狙います」
「……よかろう」
一通りの説明を聞き終えた女性は、しばしの黙考の末にそう告げた。
「貴様の言に免じて此度は特別に許すこととする」
正直なところ全く期待などしていないが、手数が多いに越したことはない。
それに仮に彼女が失敗したとしてもこちらに累が及ぶ可能性も低いだろう。
「お、おお、ありがとうございます!」
「わかったらさっさと失せろ、そこから出る方法は追って伝える」
「ははっ!」
空間に消えるようにしてアウグスタが消えると女性は微かに鼻を鳴らした。
「さて、そうなるとまずは奴を自由にする必要がありそうだな」
「でも、神聖王のせいで器はみんな捕まっちゃってるんじゃないの?」
アウグスタやミディアン・ヴァルナーなどこちらには相当数の協力者がいる。
しかし神聖王ハクアこと翠明院陽華の用意周到な策略により大多数の人員は捕えられ、自由に動くことが出来ない状況だ。
そのため裏から手を回してアウグスタを解放することはほぼ不可能であろう。
そうなると出来るのは正面突破のみ、人員が足りないために不利な状況なのだが、不安そうな少女に向かって女性は自信に満ちた調子で口を開いた。
「それに関してはすでに手は打ってある」
「もしかして、ゼデキアで完成したって言うあれ?」
少女の方も女性が何を企んでいるのか察したらしく、先ほどに比べて幾分か明るい声でそう呟く。
「うむ、テストがてら実戦投入してみるつもりだ。上手くいけば器よりも高い理気を得られるうえに、特異点の発生も防げるかもしれん」
「ふうん、ま、そういうことなら後のことはグーラに任せておけばOKかもね」
「新しい技術だ、ちゃんと期待通りの動きが出来るか不安ではあるがな」
女性の懸念はもっともなこと、ただでさえ不利な状況で実力未知数な新技術を使わねばならないのだ。
仮にどれほどの自信があったとしても不安になるのはごく自然なことと言っても良い。
「随分お困りのようでございますねえ」
突如として聞こえてきた異質な声に、少女は心底不快とばかりに敵意を露わにする。
「あんたは……!?」
「一体何をしに来た?」
この場に現れた招かれざる客、女性も少女同様に警戒心を隠そうともせずに侵入者の名前を口にした。
「……ナイン・アケイオス」
「つれませんねえ、お歴々」
にやっと悪魔のごとき悪意しか見えない笑みを浮かべるナイン・アケイオス。
「計画通りに事が運び、後は形を整えるだけだと思っていましたが、何か問題が?」
「問題しかない」
言葉遣いは丁寧ながら、心底人を蔑んだ様子のナインに内心苛立ちつつ、熟女は言葉を続ける。
「最近帰還した四道将軍、久坂杏一郎のことだ」
四道将軍の久坂、その名前にナインは微かに両目を見開いた。
「おや、まだ生きておられたとは驚きですね」
「え? それってどういう……」
「いえいえ、大したことではございませんよ」
右手を振って少女の追及を強引に躱し、どんよりと濁った眼を声の方向に向けるナイン。
「それで、その人物をどうにかしたいというわけですか?」
「そうだ。奴だけでなく、四道将軍が生きている限り、我らの計画成就はあり得ない」
「それはそれは、また大変そうですねえ」
ひどくもって回った言い回しに、空間内にイライラとした空気が立ち込める。
「お前がここに来たってことは、どうにかできる算段があるのでしょう?」
「おや、さすがは察しがよろしいようで……」
少女の指摘を受け、ナインの顔に隠し切れない喜色の色が浮かび上がった。
「下らん前置きはこれ以上必要ない、さっさと本題に入れ」
「……現在エルメラは先の反逆騒ぎにより乱れに乱れています」
女性にせっつかれるような形でナインは異様なほどに丁寧な口調で口を開く。
「これを利用し、各地に兵力を派遣し、どさくさに紛れて四道将軍どもを始末してしまえばよいのです」
「それって、現実的な案なの?」
話だけを聞くならば先ほどアウグスタが話した作戦とほとんど変わらぬ策。
しかしナインほどの人間がこうしてわざわざ持ってくる話と言うことは、何らかの勝算があると見て間違いない。
「ええ、兵力さえどうにかできれば十分実現可能な作戦かと思われます」
そこで得意げに胸を張り、ナインはうっすらと両目を細めた。
「お歴々がお望みならば、即座に師団クラスの兵力を七、いえ八はご用意できます」
ナインのとんでもない大風呂敷に女性も少女も一瞬言葉を失い、黙り込む。
八個師団と言うことはおおよそ50000人前後、それほどの戦力をただちに用意できるというのだ。
いきなり言われたならば一笑に付すような信憑性に欠ける話である。
しかしナインの言葉には不思議とこんな話も信用できるような、奇妙な力が宿っていた。
「……わかった。ではグーラに統率させるとしよう。それで、見返りは?」
仮に彼女の提案が実現したとして、商人であるナインがなんの利害目的もなくそのような真似をするはずがない。
女性としてもそれは良く理解しており、必ず何らかの見返りを要求してくるであろうことくらいは察しがついている。
「大したものはございません。ただこの世界をより混沌とさせていただければそれで……」
「死の商人め……」
吐き捨てるように呟く女性。どうやらナインはより世の中を混乱させることで、自分の商売、つまり武器の開発販売を手広く行いたいらしい。
「ふん、まあ良い。当面ゼデキアとの戦争は続けてやる」
「ありがとうございます。それではこれにて……」
軽く一礼してナインはその場を後にしたが、彼女が消えても空間には何とも言えない不穏な気運が漂っていた。




