第九十四話「混沌たるクリンゲルヴァルド」
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呉越同舟。
変容とともにミディアン・ヴァルナーが放ったクリンゲルヴァルド全域に響き渡るかのような絶叫、これを聞いたのは秋隆らだけではなかった。
「οοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοο……!」
「な、なんだっていうの、この咆哮……」
クリンゲルヴァルド修道院のすぐ南に位置する市街地、紫電将ナディア・マキアスと巌斬将エギア・ベルベティーンの二人は聞いたこともないような大声に顔を見合わせる。
「さっきの、修道院の方から聞こえてきたような気がするけど……」
「οοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοο……!」
ナディアの呟きとともに、先ほど聞こえたものに酷似した声が再び聞こえた。
しかし今回は修道院から聞こえたわけでも、一回だけだったわけでもない。
市街地、否クリンゲルヴァルドのあちこちから代わる代わる断続的に聞こえてくるのである。
まるで最初の咆哮に呼応するかのような声、そこでエギアははっとしたかのように顔を上げた。
「む! 見ろナディア!」
エギアの言葉に目を上げるナディア、彼女の視線の先には何人かの神官将がいる。
だが次の瞬間、彼女らの肉体が膨れ上がり、その身を異形の怪物へと変容させた。
まず目を引くのは鎧のごとく硬質化した黒い肌に、三、四メートルはあろうかという巨体であろう。
その身に纏うのは人間だった際に身に着けていた服装の名残である襤褸切れくらいで、膨れ上がった腹部も巨大な乳房もその大半が露わという野獣じみたものだ。
最も異形なのはその耳、蕃神族特有の尖った耳が六つも生えている。
「え? は?」
「οοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοχγγ……!」
何が起きているのかわけがわからないナディアをよそに獣、六耳彌猴は産声かのように咆哮、その黄金の瞳に獲物を映した。
「な、神官将が化け物に……?」
「神官将だけじゃないだろう。これは禁軍兵士も相当数……」
「οοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοογκυ……!」
瞬間、六耳彌猴はチームワークもなにもなく二人に向かって躍りかかった。
「っ! エギアっ!」
ナディアの警告とともにエギアは手に持っていた大剣を振り上げ、その剛腕で以て六耳彌猴を跳ね飛ばす。
強襲闘技の使い手であるエギアの手にかかれば相手がどれほどの巨体であろうとも対処に手間取ることはない。
問題となるのは対象の扱える理気、微かに痺れの残る腕を見てエギアは微かに顔をしかめた。
「こんなところで化け物の相手をする羽目になろうとはな……!」
「ιαιαιαιαιαιαιαιαιαιαιαιανις……!」
続いて来る正面からの突撃をエギアは大剣で受け止めたが、その怪力に使い手ではなく得物のほうが先に悲鳴を上げる。
「力だけは一人前か……」
微かに軋む刀身、六耳彌猴の理気は相当なものらしく、エギアくらいの実力では理気纏化を掛けて強化しても攻撃を完全に殺すことは出来ないらしい。
エギアの表情に微かに死相が滲み始めたその刹那、突如として六耳彌猴が横に吹き飛んだ。
「ιαπμυοχ!」
「え?」
直後、風を切るような音ともにエギアのすぐ前に小さな影が降り立つ。
「なんだかよくわかんないけど、えらいことになってるのだ……!」
現れたのはエギアはもちろん、平均的なエルメラ人と比べても小柄な体躯の少女。
短く切りそろえられた髪に神官将らしい簡素な姿、武器の類は携行しておらず両手に包帯を巻いているのみだ。
「彼女は確か、エメルスの……」
ナディアの言葉を引き継ぐ形でエギアは彼女の名前を口にする。
「……アミラ・エメルス」
名前を呼ばれ神官将、光拳将アミラ・エメルスはナディアとエギアの二人を代わる代わる見つめた。
「お? ええっと……」
どうやら名前を思い出すことが出来ないらしく、額に汗を滲ませる。
「οοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοοο……!」
ナディアとエギアの名前を思い出すよりも前に、凄まじい咆哮とともに六耳彌猴がアミラに襲い掛かった。
「むっ! 上から来るぞ!」
「ふん、こんなもん、なんてことないのだ!」
軽やかな動きで六耳彌猴の攻撃を躱すと、アミラは全身に理気を漲らせる。
「五光精華! なのだ!」
神速の動きで以て放たれた正拳突きは狙い過たずに対象の顔面に直撃した。
「αααααααααααααααααααααικγ……!」
断末魔の叫びとともに六耳彌猴は後方に吹き飛び、同時に全身余すところなく破壊され、粒子状に砕け散る。
五光、そして強襲闘技の予想以上の威力にナディアは目を見開いた。
「まさか、一撃で……!」
一方のエギアは一応アミラとは同門と言うこともあり、どことなく誇らしげに微笑する。
「ジドス様や椿鬼様以外ならばトップクラスの使い手、強襲闘技の熟達者ともなればこれくらいは出来るとも」
とは言え、討伐数は一体、未だ周囲は神官将や禁軍兵士が変容した六耳彌猴だらけだ。
「υουουουουουουουουοχ……」
「また、ぞろぞろ来たのだ」
市街地の外側から騒ぎを聞きつけてきたのか、地響きのような足音ともに六耳彌猴の集団が現れる。
その数新手だけでも数十体、元からいた人員も含めると数えたくもないような兵力だ。
いよいよ追い込まれてきた現状にナディアは渋い表情でため息をつく。
「一体一体はともかく、これだけいるってなると……」
「αααααααααααααααααααααικγ……!」
臨戦態勢をとっていた六耳彌猴たちだったが、動き出そうとる前にいきなり内側から吹き飛んだ。
「……これは、現象攻撃か!?」
「け、けがはないですか?」
エギアの言葉に応じるようにして修道院の方向から現れたのは和装に青い肌、両手に骸骨を思わせる外甲を備えた異形の少女。
この場にいる三人の内、二人は即座に名前が出てくるような有名人である。
「まさか、尸道草か!?」
「五清将、天下の天威将サマ直々のお出ましってことは相当の事態ってわけね」
「ち、近くで戦っていましたが、こちらでも異変が起きたようですので寄させていただきました」
天威将こと尸道草、大物過ぎる人物の登場にエギアとナディアの二人が沸き立つ中、アミラは名前が思い出せないらしく首を傾げた。
「ええっと、誰なのだ?」
「……はあ、相変わらずみたいね」
呆れた声とともに草の背後から姿を見せたのは濃い褐色の肌に毳々しい髪色、地肌の面積の方が少ないド派手な化粧の人物である。
「あんたは、ルドヴィカ・ウォルキア!」
五清将とともに現れた意外過ぎる人物、反逆者たるルドヴィカの登場にナディアは微かに眉を吊り上げた。
「ええっと、お前は確か……」
アミラはルドヴィカの顔を見て一瞬だけ難しい顔をしたが、すぐさま人差し指を彼女に突きつける。
「そう、さっきアタイをボコボコにしてくれたルドヴィカなのだ!」
「ふうん、さすがに数時間前に会った人のことは覚えてるってわけね」
煽るようなルドヴィカの言葉にアミラは頭から湯気を出さんばかりに激昂した。
「むきー! 馬鹿にするなよ!」
「そんなことよりも、天威将殿」
いまにもつかみかかりそうな勢いのアミラはスルーして、エギアは草、次いでルドヴィカに視線を向ける。
「何故、反逆者とともにいるのですか?」
そう、本来草はルドヴィカのような反逆者を取り締まる五清将、仲良しこよしとはいかないまでもこうして一緒にいることがエギアには妙に映ったのだ。
「こ、こんな状況で、神官将同士で争ってる場合ではありません」
それに、と草は一旦言葉を区切ると改悛塔のあるクリンゲルヴァルド修道院の方向を一瞥する。
「……恐らく久坂さんたちの反逆者認定は、そう遠くない未来消されると思います」
「それって、どういう……」
「と、とにかく、ここは私に免じて彼女のことは目をつぶっていてください」
草の嘆願にエギアは困ったように頷いた。
「他ならぬ五清将殿がおっしゃるのなら、それは構わないのですが……」
そこでエギアは鼻息荒く、今にも攻撃を仕掛けて来そうな六耳彌猴の一団を見据えた。
「あの怪物は何なのですか?」
「もしかしてあれも半機械兵士みたいなゼデキアから鹵獲された生体兵器かなにか、ですか?」
ナディアの質問に対して草は即座に首を振って見せた。
「い、いえ、こちらも認識していない完全にイレギュラーな怪物です」
そんな草の対応をよそに唯一、六耳彌猴と交戦経験のあるルドヴィカは微かに鼻を鳴らす。
「……ルイズたちは六耳彌猴って呼んでるわね」
「六耳彌猴? あんたはあれがなんなのか知っているの?」
対峙する六耳彌猴を警戒しつつナディアはルドヴィカにそう問いかけた。
「いいえ、何度か戦ったことがあるというだけでそれ以上のことは何も知らないわ」
双刀を抜いていつでも仕掛けられるように準備するとルドヴィカは目を細め六耳彌猴の出方を伺う。
「……いきなりエルメラ人が変容したのは確認したから、これまで倒してきたのも誰かのなれの果てだったのかもね」
ルドヴィカの言葉を受けてナディアは六耳彌猴の正体を思い出したのか、周囲に目を向けた。
見たところ自身も含めてこの場にいる人間が変容するような兆しはない。
「今のところ私たちは変容しないみたいだけど……」
「か、完全に無作為に変容が行われた、というわけではないのでしょうか?」
少しばかり安堵した様子の草、少なくともいきなりあのような怪物に変わることはないらしい。
「αααααααααααααααααααααικγ……!」
すさまじい咆哮とともにこちらに向かって突撃を試みる六耳彌猴。
「はあっ!」
しかしそこは歴戦の強者である草、瞬時に空気を圧縮するとともにこちらに突撃を仕掛けてきた巨獣の体内に打ち込む。
「っ!」
次の瞬間、六耳彌猴の体内で莫大な量の空気が解放されその肉体を内側から粉々に吹き飛ばした。
「と、とりあえずまずはこいつらを何とかすることが必要です」
未だ市街地の合間に蠢く怪物集団から目を逸らすことはせずに草は刀を構える。
かくして反逆者とその迎撃のために集められた神官将たちは外敵への対処と言う本来の目的を果たすべく、それぞれの得物を振り上げるのであった。




