第九十三話「真の反逆者」
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六耳獼猴の真実。
幻影を解除し、その本来の姿を晒した陽華の姿を見て、ミディアンは驚愕からよろよろと後退した。
「ば、馬鹿な」
絞り出すかのようにそう呟き、震える指を陽華に突きつける。
「そうか、これも幻……」
「だったら良かったのじゃがのう……」
動揺するミディアンの姿を楽し気に眺めつつ、陽華は愛用の扇子を広げ、口元を隠した。
否、現在彼女の姿は妖魔王翠明院陽華のものではなく、最も有名なエルメラ人のもの。
流れるような艶やかな髪に二つ結びの髪飾りは桜の花弁を模した品の良いもの、その身には尚武の気質を備えた王たる者の覇気を宿している。
その姿はエルム教団のトップにしてエルメラ神聖国の立憲君主、神聖王ハクアのものであった。
否、厳密に言えば見慣れたものとは言えないだろう。病に弱り、生命力を減退させた姿を晒していたこれまでとは違い、本来の力に満ちた王と呼ぶに相応しい姿だ。
「し、神聖王陛下がこんなところにいるわけがない!」
この現状認識することが出来ず、ミディアンは見苦しくもそのようなことをがなり立てる。
「お、お前たち、陛下を名乗る不届き者を排除しなさい!」
破れかぶれになったのか、そのようなことを後ろにいる神官将に命令するが、誰一人として動く気配はない。
「どうしたって言うのよ!? あいつは偽物、遠慮する必要はないわ!」
「ほう、言うに事欠いて偽物呼ばわりとはな……」
地の底から響いてくるかのような心底内腑を冷やす低い声、思わず平伏したくなるようなカリスマあふれるものだ。
「ひっ!」
背筋を伸ばし、堂々たる立ち居振る舞いでこちらを見据えるその状は、病に伏せる前の在りし日の神聖王の姿そのもの、演じようと思って演じられるようなものではない。
「し、神聖王陛下はご病気で療養中のはず、こんなこと出来るわけがないわ!」
そう、ミディアンの言うように神聖王は十五年も前より病に臥せり、最近は歩くのもやっとという有様。
それが真実であるのならば、エテメンアンキから遠く離れたクリンゲルヴァルドの地に来ることも、こうして元気な姿を見せることもできないであろう。
もしも、それが全て真実であるのならば、だ。
「くくくくくくく……」
ミディアンの言葉を聞いて楽しそうに哄笑する神聖王。
陽華とそれなりに長い付き合いがある人間ならば、この笑い声は何らかの策が成功したときに漏らすものと判断するであろう。
「それも全て妾の策略よ」
そこで笑みを絶やし、扇子を閉じると神聖王はその切っ先をミディアンに向けた。
「……随分好き勝手に動いていたようじゃな。お主も、宰相殿も」
秋隆や凍子、クリスティアといった面々には神聖王が何を言っているのか正確には理解出来てはいない。
ただ、何らかの狙いがあってこのような行動を行い、それが成功したということを察するのみである。
しかしミディアンは自身にとって最悪のことが起きたということを悟ったかのように顔を一気に青くした。
「っ! ま、まさか、全ては……」
「左様、中々の役者っぷりであったであろう?」
文字通り狐のごとき鋭い目でミディアンを見据えつつ、神聖王は言葉を続ける。
「杏一殿が功績を上げ、自分たちの立場が危うくなったタイミングで妾が弱れば、一発逆転を賭けて動き出すであろうことはわかっておった」
彼女の口が開かれるたびにミディアンの顔からは血の気が引いていき、その顔色は今や青を通り越して白に近いものとなっていた。
「結果は見ての通り、「神聖王危篤」の報にまんまと釣られて勝負に出るさまは、実に滑稽であったぞ?」
つまりすべては狂言、神聖王はその目的のために長期間病気の振りをして弱った体を演出、周囲を欺いていたというわけである。
「最早お主らに逃げられる場所はどこにもないと知れ」
「お、おのれ、おのれえええええええええええ……!」
煽るように神聖王がそう結ぶとともに、激昂したミディアンは後先考えずに牛刀を振りかぶり彼女に襲い掛かった。
しかしその刀身が対象を切り裂く前に秋隆は鼈甲霊亀を引き抜き、ミディアンと切り結ぶ。
「そのような真似、やらせるわけがないだろう?」
秋隆の言葉にミディアンは憤怒からその目を大きく見開き、憎しみに染まった禍々しい瞳を彼に向けた。
「く、久坂杏一郎! お前さえいなければ……!」
「ん?」
至近距離からミディアンの目を見た瞬間、秋隆の中で奇妙な感覚が首をもたげる。
こことは違うどこか、今ではない遠い過去、ミディアンと全く同じ目をどこかで見たことがあるような気がしたのだ。
『それでは元人間のこの亀、まずは10000000からスタートです』
「っ!」
直後、突如として秋隆の纏う理気が大きく膨れ上がり攻撃的な気運が鼈甲霊亀から放たれる。
「ひっ!」
あまりの殺気にミディアンがたじろいだその一瞬、鼈甲霊亀が高速回転して彼女の握っていた牛刀ごと両手首を切り落とした。
「ひ、ひぎゃあああああああああああ……」
すさまじい絶叫とともに、夥しい量の鮮血が処刑場の床を濡らす。
急所を斬られても出血多量になり得るほどの血を流さずに済んだのはミディアンがとっさに理気で傷口を抑えたためだが、そんなことをしたところでこれ以上戦うことなど出来ないのは誰の目にも明らかだ。
「っ! う、腕が、私の腕があああああああああ……!」
喚き散らしながらのたうち回るミディアンにトドメを刺さんと、秋隆は得物を振り上げる。
「そこまでです」
空間を割く冷たい声に秋隆はギリギリのところで斬撃を止めた。
「……凍子」
制止の声を出したのは凍子、意外なことに無感情なその瞳には弟子の身を案じるかのような意思が宿っている。
「もう勝負はついていますわ」
凍子の言葉を受け、神聖王は一度だけ嘆息すると扇子の先端を息も絶え絶えな様子のミディアンに向けた。
「……捕えよ」
神聖王の下知を受け、即座に動いたのはクリスティア。理気によるものか空間より長いロープを取り出し、理法念力を用いてミディアンを縛り上げる。
「は、放せ! 薄汚い愚民どもが、下等な偽剛どもが……!」
「暴れれば余計きつく締まるだけのこと、大人しくしていてください」
雁字搦めと呼ぶに相応しい状態になったミディアンを見て、神聖王は微かに頷いて見せた。
「うむ、逆賊の捕縛大義」
悔しそうにこちらを睨みつける逆賊から目を逸らすことはせずに、神聖王は静かに口を開く。
「さて、お主らの黒幕は誰かわかっておらぬが……」
そこでちらっと処刑場にいる神官将に目を向ける神聖王。クリンゲルヴァルド修道院つきの修道士とは違い、彼女らはミディアン麾下の者のためか蕃神族の比率が多い。
「……それは近々明らかになること、今急いでことを進める必要はない」
羞恥と憤激に表情を歪めるミディアンから目を逸らし、神聖王は秋隆に顔を向けた。
「お主も、大義であったな」
「翠明院陽華殿、否神聖王陛下」
秋隆の言葉に神聖王は一瞬キョトンとした顔をしたが、即座にこらえきれないとばかりに哄笑を始める。
「ふ、ははははははははははははは……」
ひとしきり笑うと神聖王は再び現象を発現、その姿を見慣れたものへと変えた。
「以前言ったであろう? 妾とお主は同胞そのような態度は不要、とな」
その姿は秋隆にとって神聖王よりかは親しみが持てる翠明院陽華のもの、ともあれ本人がそう言うならば必要以上に敬う必要はないのかもしれない。
「全て、話してもらえるのだろうな?」
十五年もの間病人を騙ったこと、翠明院陽華という別の顔を用意して暗躍したこと、そして此度の処刑騒ぎ。
全て理由があるのだろうが、その全貌を知るのはこの地球上では陽華ただ一人、ここまで振り回された身としてはその目的を知る権利はあるだろう。
「無論じゃとも、場所を変える必要はあるがの」
言葉遣いを改めた秋隆の姿を見て嬉しそうに破顔すると陽華は静かに首肯した。
「そういえば、お主の城には言ったことがなかった、案内してはくれぬか?」
「……わかった。クリスティア殿……」
秋隆が視線を向けると、クリスティアは微かに顎を上げる。
「なんでしょうか、羽虫」
「……神聖王陛下を我が桔梗城にお連れしても構わないだろうか?」
「好きにしなさい。しかしその前に、お前の逆賊認定を取り消す必要があります」
ちらっと陽華を見るクリスティア、逆賊認定もそれの停止も、本来は神聖王の職分。
逆賊認定の際は神聖王に代わって元老院が行ったが、もうその必要もないため直接神聖王に意向を訊ねることにしたのだ。
そんなクリスティアの内心を察し、陽華もすぐさま頷いて見せる。
「うむ、後のことは頼めるか?」
「承りました。神聖王陛下」
跪き、頭を下げるどこか神経質なクリスティアの姿を見て、陽華は微かに笑みを漏らした。
「言っておくが妾は先ほどまでのこと、一切気にしてはおらぬ」
陽華の言葉に思わず顔を上げるクリスティア。逆賊翠明院陽華として神聖王を遇したことである。
正体を知らぬとは言え職務を果たすために神聖王たる身に刃を向け、数々の非礼を働いたことを気にしているのだ。
「むしろ職務に忠実で感心したほど、今後も変わらず励むが良い」
優しく告げられた陽華の言葉にクリスティアは感激から頭を下げる。
「身に余る光栄です。神聖王陛下」
もう一度だけ一礼すると、クリスティアはその場を立ち、秋隆の前に出た。
「神聖王陛下の勅令も得られましたので、その辺りの手続きは遅滞なく進めます」
「では、これでクリンゲルヴァルドにおける用事は終わったと言えるかな?」
秋隆の確認に対して、クリスティアは即座に頷く。
「……身の潔白が証明された以上処刑は中止、貴方たちに対する名誉もすぐ回復されるはずです」
「それは助かる、では一旦エテメンアンキに……っ!」
そこまで話して秋隆は自身の背中に冷たいものが走るのを感じた。
「なんだ……?」
「杏一、あれを……」
凍子が指差す先、そこでは雁字搦めにされたミディアンが立ち上がり、形容しがたい不気味な理気を纏っている。
「ふざけるなよ……!」
凄まじい敵意、否殺気にクリスティアはポールメイスを手に陽華の前に立った。
「神聖王陛下、お下がりを……」
「ここに来るまでにどれほどの時間をかけたと、それを……」
瞬間、目玉が眼窩から飛び出すのではないかと言うほどにミディアンの両目が見開かれ、叫び声を上げる。
「う、うぼあああああああああああ……! んおおおおおおおおおおおお……!」
空間に轟く絶叫とともに周囲に満ちていた理気を取り込むミディアン、その影響は瞬時に肉体に現れた。
まず秋隆の切り落とした両手が再生、次に白磁のようだった肌が一瞬にして変色するとともに四肢が大きく膨張、内側から身体を縛っていた拘束を引きちぎる。
ドクドクと肌の下で流れる血管に沿う形で筋肉が波打ちながら全身が巨大化、身につけていた青い鎧が肉体の膨張に耐えきれず破損、禍々しい裸体を晒した。
「まさか、これは……!」
パンパンに張り詰めた乳房に妊婦の如きボテ腹、さらには黒に近い異色肌や巨体と見覚えのある姿に呆然と立ち尽くす秋隆。やがてミディアンの変容は最終段階にまで至り、耳と頭蓋の付け根から第三第四、第五第六の耳が姿を現す。
「六耳彌猴……!」
愕然とした様子で秋隆がその名を口にするとともに、変容の完了を知らせるかのようにミディアンは凄まじい咆哮を上げた。




