第九十二話「phantom mirage」
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妖魔王との対面
尸道草をルドヴィカに託し、クリンゲルヴァルド修道院を進む秋隆と凍子。
休むことなく長く続く螺旋階段を走り、改悛塔最上階にまでたどり着くと、二人は勢いよく部屋の中に駆け込んだ。
「……ここか」
塔最上階は広々とした円形の広間とそれを囲むかのように鉄格子が備え付けられた無数の小部屋で構成された空間。
広間は臨時の司令部とされていたのか、いくつもの机に無線機、計器類が置かれている。
そうなると罪人の座敷牢として使用されているのは周りの小部屋なのだろうが、鉄格子越に見た部屋はいずれも無人であり、人の姿は一切ない。
「もぬけの殻、みたいですわね」
空間内に理気を走らせ、簡単に人の気配を探ると、凍子はそう結論付けた。
「遅かったということですか?」
「……いえ、そうとは限りません」
しばし瞑目して理気を集中、改悛塔全域に意識を向けて内部を探る。
やがて瞳を開くと凍子は人差し指を立て、天井を指し示した。
「どうやら陽華殿はこの上にいるようです」
改悛塔の屋上にあるのは処刑用の空間のみ、予想以上に時間が残されていないと考えて良いだろう。
秋隆が険しい表情で走り出そうとしたその刹那、凍子は微かに首を傾けた。
「……同時に、複数の強力な理気も感じます」
「なるほど、護衛兼死刑執行人と言うわけですか」
弟子の言葉を聞いて、凍子はいつもと変わらぬ冷たい無表情のまま頷き、微かに息を吐く。
「五清将と見て間違いないでしょうね」
「どの道一戦は避けることが出来ぬのです」
ちらっと屋上に続く長い階段を一瞥すると、秋隆は鼈甲霊亀の柄を軽く撫でた。
「行きましょう。もうあまり時間は残されていません」
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「……かくして太陽神の威光、大いなる御業は七つの光と言う形をとって、罪深き者共の都に振り下ろされた」
改悛塔の屋上は四十畳ほどのただっ広い空間に簡素な屋根と鉄の柵があるのみという非常に殺風景な場所である。
そんな空間の真ん中には巨大な牛刀のような大刀を手にしたミディアン・ヴァルナーとクリスティア・カラレス、さらには随員となる神官将や修道女が翠明院陽華を囲むような形で集まっていた。
「悪徳に染まりし者どもは姿なき者に変えられ、罪を犯すことを喜んだ者どもは永久に休まることはない。次に神は……」
「ち、ちょっと待ちなさい」
朗々たる調子で聖典を朗読していたクリスティアを止め、ミディアンは苛立たし気に舌打ちする。
「この土壇場で、まだそれ続けるの?」
「続けます」
一旦朗読を辞め、何を今更といった顔でミディアンを見上げるクリスティア。
「罪人であってもエルメラ人、その最後の願いを叶えるのは私の使命です」
そう、改悛塔に収監される罪人が処刑される前に最後の希望を叶えるというのはこの修道院の長たるクリスティアの役目の一つだ。
無論、かなえられないような願いは受け付けられないのだが、今回に関しては果たすことが出来ると踏んでおり、それ故にこうして執行を中断しているのである。
「だからって『創世詩編』全編朗読っていうのはさすがに時間がかかりすぎるでしょうが!」
さっさと処刑を済ませてしまいたいのかミディアンの声音は焦りに満ちており、冷静さとは対極にありそうなものだ。
「今日処刑することは決まっていますが、時間までは決まっていません。つまり最大でも23時59分59秒までは朗読を続けるつもりです」
要は務めが果たせなくギリギリまで罪人の願いを果たすために動くということ。
分厚い聖典はまだ始まったばかりであり、すべて読むのに何時間もかかりそうである。
「あ、あんた状況わかってんの? すぐ下にまであいつらが来てんのよ?!」
「そのための五清将です」
軽く肩をすくめるとクリスティアは聖典に視線を戻す。
「役目が果たせない場合、朗詠は彼女らに変われば良いだけのことですし、何も気にすることはありません」
そこでクリスティアは顔を上げると、途中まで開いていた聖典を後ろに控える修道女に渡した。
「……来ましたね」
彼女の表情はさほど変わっていないが、その目は異様な光を湛えており、改悛塔内部に繋がる階段を見詰めている。
「は?」
「では、後のことは頼みます」
後ろにいる修道女にそれだけ告げ、クリスティアはポールメイスを手に立ち上がった。
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「陽華殿!」
秋隆と凍子が屋上にたどり着くと、その場にいた全員が二人に目を向けた。
「おお、杏一郎殿か」
それは死刑囚である陽華も例外ではなく、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「さすがに肝が冷えたぞ?」
「……ようやくのお出ましですか、羽虫」
そんな陽華の前に立ち、秋隆を遮るような立ち位置に陣取るのがクリスティア。
彼女はポールメイスを手に、値踏みするかのような鋭い視線を秋隆に向けた。
「私はクリンゲルヴァルド修道院の院長にして五清将の一人、幽炎将クリスティア・カラレス」
簡単な自己紹介を終えると、修道院の長たる少女は微かに顎を上げ興味深そうに鼻を鳴らす。
「なるほど、こうして直接会ってみて初めてわかることもあるのですね」
「何の話だ?」
「……いえ、こちらのことです」
秋隆の疑念に答えるつもりはないのかすげなく言葉を斬り捨て、彼女はポールメイスの先端を下に向けた。
「わかっていると思いますが、私とミディアン・ヴァルナーの二人を倒さない限りこの場から化狐、翠明院陽華を救出することまかりなりません」
威圧するかのようにポールメイスで地面を叩けば、それだけで理気が震え、空間内にプレッシャーが走る。
それなりに修羅場を経験してきた秋隆ですらも怖気を感じえない威圧感、まさに最強の神官将たる五清将の名前に恥じない姿だ。
「なまじ出来てもお前らは反逆者、全エルメラ人がお前らを追うぞ!」
これに調子づいたのか、先ほどまでクリスティアの後ろに隠れるままであったミディアンが嘲笑しながら前に進み出る。
「お前らが喧嘩を売った相手がどれほど強大な存在か思い知れ!」
いやな笑みを浮かべるミディアンであったが、秋隆の方を見てその表情が凍り付いた。
彼の隣にいる人物が、視線だけで殺せそうなほどに鋭い目でこちらを睨みつけていたからだ。
「ひっ!」
その人物、凍子の視線に情けない悲鳴を上げ、ミディアンはすごすごと先ほどの位置まで下がる。
「……勝手なことを言いよるわい」
呆れの感情を一切隠そうともせずにそのような言葉を漏らした陽華にミディアンは先ほどまでの恐怖も忘れて怒りからか顔を赤く染めた。
「反逆者は黙ってろっ!」
そのまま牛刀を振り上げ、陽華の首を斬り落とそうとしたがそこで面白いことを思いついたとばかりに口元を歪める。
「久坂杏一郎、こいつの命が惜しければ自害しろ!」
ミディアンの言葉に驚いたのは秋隆だけでなくすぐ近くにいた人物も同じこと。
基本的に表情を変えるということをしないクリスティアもこれにはさすがに眉を吊り上げた。
「ミディアン・ヴァルナー、血迷いましたか?」
「ふん、こうなった以上規則なんて紙切れも同じ、臨機応変な現場対応よ」
せせら笑うかのように鼻を鳴らすと、ミディアンは憎悪の対象である仇敵に視線を向ける。
「……正気か?」
微かに目を見開き、何故かミディアンと彼女の数メートル前を交互に見ながら秋隆はそう訊き返した。
「当然よ!」
何やら首を傾げる秋隆と薄気味悪い酷薄な笑みを見せる凍子の姿に若干イライラしつつ、ミディアンは怒声を上げる。
「ただ自害するだけじゃ面白くないわね。全裸でやってもらおうかしら?」
人質をとられ追い込まれているにも関わらず全く動じる様子のない秋隆。
彼の姿にミディアンは舌打ちすると、突きつけていた牛刀を微かに震わせた。
「さあさあ、早くしないとこいつの胴体と頭が離れるわよ?」
そこで秋隆はミディアンに憐憫の眼差しを向けると、静かに嘆息を漏らす。
「……やってみるが良い」
「はあ?」
予想だにしなかった秋隆の反応に、思わずミディアンは呆けたように口を開いた。
一方の秋隆はまるで挑発するかのように悠然とした表情で頷くと、静かに前へ足を進める。
「なっ! こ、こいつを殺されても良いっての!?」
「だからやってみろと言っている。出来るものならな」
「……き、貴様……」
一歩ずつ確実にこちらに近づいてくる秋隆の威圧感に、ミディアンはかみ砕かんばかりの力で奥歯を噛み締めた。
知らず牛刀を握る手がぐっしょりと濡れ、その背中にも冷や汗が浮かんでいる。
すべきことは牛刀を振り上げて首を切り落とすだけのこと、しかしそれを果たしたその瞬間に自分は完全な無防備となり、秋隆によって瞬時に命を奪われることになるのは間違いない。
「どうした? 口先だけか?」
すでに彼我の距離は数メートル、あと数秒も経てば鼈甲霊亀の射程圏内だ。
「……(ど、どのみち危険ならば)」
覚悟を決めるや否や、ミディアンは牛刀を振りかぶる。
「こ、後悔するなよ……!?」
秋隆がこちらに仕掛けてくるような様子はない。直後彼女は牛刀を振り下ろし、陽華の首を一刀のもとに切り落とした。
「あ、あははははははははは……! ど、どう? 貴様のこれまでの苦労はこれで全て水の泡よ!」
半ば自棄になりながら哄笑するミディアン。夥しい血しぶきとともに切り落とされた首が宙を舞う。
直後、血を吹き出す首も、頭を失った陽華の胴体も両方が空気に溶けるかのように消滅した。
「は?」
「……三文芝居はこれまでのようですわね」
冷たく呟くとともに凍子は自身のすぐ隣に視線を向ける。
すると空気の中から現れるかのように陽華がその姿を現した。
「ば、馬鹿な、お前は確かに……」
「ふふふふふふ……。お主ほど単純だと、騙す側としても気持ちが良いものじゃな」
人を馬鹿にしたかのような声、間違いなく本物の陽華と見て間違いない。
しばしミディアンは何が何やらわかってはいなかったが、すぐにこの現象の正体に気付いたのか呆然とした表情で言葉を紡ぐ。
「ま、さか、幻影……?」
現象術による幻惑、魔族、特に陽華はこの手の術に長けているとは有名な話だ。
しかし、虚像を本物と誤認するかのような現象すら可能とするなど聞いていない。
「そういうことらしい、まったくこれでは我々が馬鹿みたいではないか」
呆れたように凍子の隣に立つ陽華に声をかける秋隆。このようなことが出来るならば座敷牢を抜け出すことなど容易であっただろう。
そんな秋隆に向かって陽華は扇子を広げ、人の悪そうな笑みを浮かべた。
「お主にも感謝しておるとも、おかげでこちらの狙いはほぼ全て完遂された」
「ど、どういう意味よ!」
「こういうことじゃよ」
ミディアンの言葉に扇子を振り、その姿を大きく変容させる陽華。
魔族らしい青い肌は褐色へと変わり、彼女のアイデンティティとも言うべき九つの尻尾も姿を消す。
「ま、まさか、あ、貴女は……!」
呆然とするミディアン。陽華の現した本性はこの場にいる誰も予想できないようなものであった。
「神聖王、ハクア!」




