第九十話「狂骨」
いつもお読みいただきありがとうございます。
励みになります。
五清将尸道草。
「ようやく帰ってきましたか」
改悛塔の最上階、翠明院陽華のいる座敷牢のすぐ前に設えられた臨時の司令室に帰ってきたミディアン・ヴァルナーの姿を見て、クリスティア・カラレスは微かに鼻を鳴らした。
彼女の服装は土で汚れ、全身からは滝のような汗、その表情も疲れ切ったものととても役目を果たした人間のものとは思えなかったからである。
「その顔、羽虫どもの駆除に失敗したどころか、そのまままんまと攻め込ませてしまったようですね」
クリスティアの言葉にミディアンは痛いところを突かれたとばかりに顔をしかめた。
彼女からの説明は一切なくとも、その反応だけでなんとなく察しがつくというもの、敢えて子細な事情を尋ねることはせずに、クリスティアはすぐ近くに置いてあった愛用のポールメイスを手に取り、迎撃準備を整える。
そんな彼女の様子を見てミディアンは荒い呼吸をなんとか抑えつつ、切羽詰まった様子で口を開いた。
「か、かくなる上は、脱出して再起を……」
「ここから逃げても行ける場所はありませんし、罪人をそのままにしておくことは出来ませんよ」
ミディアンを一瞥すらせずに準備を終え、最後にポールメイスの先端をチェックして問題ないことを確認すると、クリスティアは何度か頷く。
「五清将らしく、腰を据えて羽虫の駆除に当たるべきです」
五清将としてこれまで様々な特権を享受してきたのならば、役目を果たすべき、直球ど真ん中に放たれた正論にミディアンは何の反論も出来ず、悔しそうな表情で奥歯を噛み締めた。
「ぐっ! もういいっ!」
肩を怒らせて司令部を出ていく同僚の姿にクリスティアはため息をつく。
「怒らせてしまったようじゃな」
突如として後ろから声を掛けられてしまい、面倒な心境を隠そうともせず、クリスティアは声の方向に顔を向けた。
「化狐」
見れば座敷牢にある鉄格子の向こうから陽華がこちらを眺め、クスクスと笑い声をあげている。
「後ろ暗いことがある者ほど正論に苛立つもの、多少手心を加えるべきであったかもしれぬな」
「化狐、これはあなたの策略ですか?」
恐ろしく鋭い瞳で陽華を睨み据えるクリスティア。あまりの緊張感に空間に満ちる理気が呼応し、座敷牢内の気温が一気に冷え込んだ。
「はて、なんのことやら……」
しかしそのような視線に晒されているのも関わらず、陽華の態度はいつもと変わらぬ泰然自若としたもの。
何となくペースを狂わされそうになる姿だが、クリスティアはそんなことは気にならないのか、顔色一つ変えずに質問を続ける。
「あの羽虫、久坂杏一郎が郎党を引き連れてここまで来た事、というよりも……」
そこでクリスティアは一瞬だけ何かを考えるかのように唇を閉ざした。
やがて思考をまとめたのか、さきほどよりも幾分冷静な口調で言葉を紡ぐ。
「今回の一件全てです」
クリスティアの質問を受けても、陽華の態度に一切の変わりはない。
薄ら笑いを浮かべ、悠然とした姿勢でただこちらを眺めるのみ。
下手に言い訳を弄されるよりも遥かに厄介な態度、そうクリスティアが考えていると陽華は懐から扇子を取り出し、自身の掌に打ち付け始めた。
「答えなさい、翠明院陽華」
返答の督促を受けて、陽華はトントンと扇子で掌を叩きながらとぼけたように質問を返す。
「さて、今回の一件とは、どこからどこまでのことかな?」
煽るような口調の質問に一瞬だけクリスティアの理気が怒気を孕んで膨れ上がったが、そこは五清将、深呼吸して落ち着きを取り戻すと、努めて冷静に口を開いた。
「三神官の暗殺未遂から始まり貴女の拘留、さらには羽虫どもの侵入に至ること全てです」
可能な限り苛立ちを抑えつつ、クリスティアはずっと気になっていたことを口にする。
「今考えてみれば貴女が私に逮捕された時もそう、あそこまで歯ごたえがないのはどう考えても不自然です」
そう、陽華を逮捕しに行ったとき、クリスティアはそれなりの抵抗があって然るべきと予測していた。
しかし実際には抵抗らしき抵抗もなく任務成功、三人の神官に対する暗殺未遂を起こし、エルメラに反逆するような人間の逮捕劇とは思えないほどのあっさりした結末である。
その後桔梗城に向かったアイオナ・イグナウスは逮捕に失敗し、事の重大さに気付いた秋隆らがクリンゲルヴァルドに侵入、これらのことが全て偶然だとは思えないのだ。
「……今は己の為すべき使命を果たすことじゃ」
陽華は笑みを絶やし、扇子の先をクリスティアに突きつけると、彼女の質問に答えることはせず微かに目を細める。
「そんな迷いを抱えた状態で戦えるほど、杏一郎殿は柔ではないからのう……」
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_
「これは……!」
豊輝に後を託す形でクリンゲルヴァルド修道院中央に存在する聖堂に駆け込んだ秋隆であったが、入った先で思わず足を止めてしまった。
「ここがクリンゲルヴァルド修道院の大聖堂……」
少なからず感嘆の声を漏らす秋隆の視線の先にあるのは広大なドーム状のホール。
大理石のような白色の石で形作られた室内は天井の採光窓から差し込む光で満たされ、部屋そのものが輝いて見える。
壁には見事な技法で彫られた装飾が施され、数センチ飾るだけで何か月もかかるのではないかと言う繊細さだ。
そして奥に見えるのはいつかトルキオ大聖堂で見たのとほぼ同じデザインの宗教画。
太陽輝く空に七つの光、荒れ狂う海、波にもまれて沈みゆく大地、見ているだけで身が引き締まるような作品である。
空間内に満たされた光にこれを受けて輝く壁面、その奥に見える宗教画、どれか欠けても何かを足してもここまでのものにはならないであろう計算され尽くした建築物だ。
「素晴らしい造形だ」
思わず感嘆の言葉を漏らす秋隆を見て、凍子は微かに首を傾げる。
「杏一、残念ですけれど今は美術鑑賞をしている場合ではありませんわ」
それに追随する形で後ろから追いかけてきたルドヴィカもまた鼻を鳴らした。
「同感ね、あの化け狐の処刑時間は刻一刻と迫ってるんだから」
二人の言う通りである。今この瞬間にも制限時間は刻一刻と迫っているのだから、こんなところで油を売っているような時間はない。
「……そうだな、先を急ごう」
気を取り直してホールの奥、宗教画の脇を固めるように存在する二つの扉に目を向ける秋隆。
理気を用いた認識によればあの扉の先にある長い螺旋階段を登った先にあるのが改悛塔と調律塔。踊り場にある二つの扉の内、左が調律塔、右が改悛塔の最上階に続く階段に繋がっているらしい。
「最短ルートは把握している。行くぞ」
「……さ、させません」
秋隆らが走り出そうとしたその刹那に聞こえたか細い声は、どこかで聞いたことがあるものであった。
ふわっと壁際のバルコニーから飛び降り、秋隆らの前に立ったのは着物に袴という和装を身に着けた青い肌の少女。
長く伸びた前髪に隠された瞳に人間の骨格を思わせる両手の外甲、見覚えのある少女の登場に秋隆は思わず名前を呟く。
「そなたは、尸道草」
「あの、お久しぶりです、久坂さん」
ぺこりと頭を下げるその少女は、以前ウォルキアで出会った神官将尸道草。
シャダの命令で鬼紋獣をけしかけ、秋隆の実力を測るとともに大聖堂への移送も担当した人物だ。
「あんた尸道と、天威将と知り合いだったの?」
秋隆と草を代わる代わる見つめながらルドヴィカは意外そうに呟く。
「まあ、少しばかりな」
特段詳しく説明する必要もないため適当にはぐらかすと、秋隆は前髪に隠れた草の瞳を正面から見据えた。
「そなたも五清将だったのか」
「は、はい、魔族出身、狂骨部族の五清将尸道草、天威将の名前を頂戴してます」
草の説明に驚きはしたものの、なんとなく納得したように頷く秋隆。
よくよく考えてみれば、草の受けた任務は捕えた鬼紋獣を内地に護送し、能力も何もかも未知数の相手にけしかけること。
不測の事態が起きることも考えられるし、そもそも天災扱いの鬼紋獣を生け捕るというのだから、並みの神官将では務まらない難易度である。
そんな任務を完遂するほどの実力、五清将であるのがむしろ自然と言えるかもしれない。
「その、久坂さんの力は、よく知ってます」
前髪の向こう側から見えるこちらに向けられた草の瞳は微かに潤んだ涙目、心底人間同士で戦うことを嫌う優しげなものだ。
しかし同時に彼女はクリンゲルヴァル防衛を命じられた五清将、どういう能力によるものか、口を開くたびに空間に満ちる理気が重苦しものに変わる。
「このまま引き返して、くれませんか?」
この要求を草が口にした瞬間、秋隆は条件反射的に頷きたくなるような衝動にかられた。
「……杏一、この少女」
そうやら凍子もまた同じような感覚を味わっているらしく、微かに顔をしかめつつ、何も考えずに首肯して回れ右したくなる衝動に抗っている。
「ええ、この感覚は現象術によるものだそうです」
ウォルキアで秋隆が初めて草と会話した際にも感じた妙な圧力としか言えないような感覚。
あの時以上に強力なものであるあたり、今回草は意図的に能力を発動していると見て間違いない。
「この能力、好きではないのですが、久坂さんが退かないって言うのなら……」
次の瞬間、草の身体が宙を舞い、数メートル上のドーム天井に叩きつけられた。
直後、理気の流れが一気に回復し、秋隆の内面に訴えかけていた圧力も消えてなくなる。
「がはっ!」
口から空気を吐き、大理石の床に叩きつけられる結果となった草だったが、直前で理気を纏ったらしく、その身に一切の傷は負っていない。
「いい加減になさい尸道草!」
怒髪天を突くといった様子で前に進み出るルドヴィカ、どうやら不意を突く形で草に理法念力を仕掛け、投げ飛ばしたのは彼女らしい。
「る、ルドヴィカさん?」
上目づかいでこちらを見上げる草に対して、ルドヴィカは微かに顎を上げ彼女を見下ろすような姿勢をとった。
「あんたも五清将だって言うんだったら、こんな舐めた真似をせず、正面からルイズたちを打倒してみなさいっての!」
「く、久坂さんたちは反逆者とは言え、命まで取る必要はないと思ってます。だったら……」
「それが舐めた真似だって言ってんのよ!」
瞬間、ルドヴィカは双刀を引き抜くとともに草目掛けて炎の斬撃を放つ。
しかしそこは草も五清将の一角、刀を抜くとともに一閃、これを霧散させた。
「杏、あんたとこいつがどんな関係かは知んないけど、こいつの相手はこのルイズが務めるわ」
油断なく草を睨みながら、ルドヴィカは秋隆に声をかける。
「あんたらは先に進んでこの先に待ってる五清将を倒して、あの化け狐を助けてやりなさい」
「……ルイズ」
「言っとくけどルイズは死ぬつもりはないからね」
余裕を示すかのように不遜な笑みを見せると、ルドヴィカは双刀を構えなおした。
「あんたとも決着を着けなきゃだし、色々やらないといけないこともあるしね」
「……わかった、ここはルイズに任せよう」
秋隆がルドヴィカの提案に応じるとともに、室内にも関わらず急に空間内に霧が満ち始める。
「こ、これはルドヴィカさんの……!」
「急いで!」
ルドヴィカに向かって軽く頭を下げると、秋隆と凍子は霧に紛れる形で宗教画脇の扉を抜け、改悛塔に向かう螺旋階段を駆け上っていった。




