第八話「盲亀浮木」
控室の代わりとなっていた小聖堂を出るとそこはたくさんの草花が生い茂る庭園。そんな庭の真ん中を穿つようにしてつくられた回廊を二人は進んでいく。
「あのステンドグラスのことだが……」
回廊を歩く傍ら、先を歩くアズに話しかける秋隆。
「はい、あれはエルメラ神聖国の建国神話に登場する大洪水なのです」
ちらっと庭園を一瞥するとアズは微かに微笑みを浮かべた。
「元々この国はもっと広かったらしいですけど、神様が怒って七人の天使に命令して、大部分を沈めちゃったらしいのです」
常に神を恐れることは、己の無力さを認識し、謙虚に生きることに繋がる。
あのステンドグラスもそれを示したものなのかもしれない。
「……神の怒り、か」
「はい、神様を蔑ろにした結果と言われてるのです」
「……それはそうだろうな」
「え?」
一瞬秋隆の顔に暗いものが宿ったが、アズが振り向いた時には元の穏やかなものに戻っていた。
「なんでもない、私も精々神の怒りに触れて滅びぬように精一杯生きねばな」
軽く肩をすくめ、秋隆はたくさんの花が咲く庭園に視線を向ける。
「杏一郎様は『神官将』となるためにエテメンアンキに来られたのですよね?」
前を歩くメイド少女の言葉に微かに頷いて見せる秋隆。最終目的はその先、鬼紋獣と戦い、失われた記憶を少しでも取り戻すことにあるのだが、そんなことを関係ない人間に言う必要はない。
「選帝侯たる大神官シャダ様の推薦なのです。まず間違いはないと思うのです」
両手を胸元で握りしめるアズ。何とも言えない無邪気な様子に秋隆も思わず顔を綻ばせた。
「神官将に大神官と来て選帝侯か、令和の日本では全く縁のない単語だな」
苦笑交じりに放った秋隆の言葉にアズは困ったように首をかしげる。
「レイワ、とはなんなのですか……?」
「何でもない、可能であるならば今言った言葉は忘れてくれ」
唇を一文字に引き結ぶと太陽の光が差し込む庭園から目をそらし、回廊の先へと視線を向けつつ、ここまでで得たエルメラについての情報を脳内で纏める。
エルメラ神聖国は緑豊かな五つの島を国土ととし、清らかな水源、豊富な資源を持つ祭政一致の大国。
祭政の頂点、すなわち王にして太陽神を崇める国教、エルム教の長でもある神聖王を筆頭に、200人前後の貴族と神官からなる元老院が政治を支える国だ。
祭政一致の国家である以上国教の宗教施設は当然単なる祈りの場、礼拝所以上の意味を持つのは考えるまでもなく明白なことであろう。
さてそんな宗教施設の一角、アズに導かれる形で秋隆が向かっているのはこの場所の長たる者の部屋。
「失礼いたします」
微かに背筋を伸ばして秋隆が立ち入った部屋は、二十畳ほどの広々とした空間であった。
「お待ちしていました」
アラビア風の不思議な文様が刺繍された絨毯に深い色合いの大机、その前で秋隆を待ち構えていたのは30直前と思しき女性。
秋隆の隣に立つアズと同じく褐色の肌に長い髪、ゆったりとした法衣に隠されてこそいるがその肉体もしなやかな四肢も、しっかりと鍛えられた健康的なものだ。
神聖さすら感じる彼女の姿を見て、すぐさま秋隆は頭を下げる。
「神官長カークス・トルキオ様、お会いできて光栄です」
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大机のすぐ前に設えられた長テーブルの両端に主と客がつくと、先程出て行ったアズが琥珀色の茶を持って戻ってきた。
「もう自己紹介の必要はないでしょうが、改めて」
自身の豊かな胸元に右手を置き、カークスはにこやかな笑みを秋隆に向ける。
「私はカークス・トルキオ、東方トルキオ管区の長にして四人いる大神官の筆頭である神官長、そしてここエテメンアンキ管区の長もさせていただいています」
そこでカークスはアズが持ってきた茶を一口飲み、口を湿らせると秋隆の瞳を正面から見据えた。
「まずはお礼を言わせて下さい。西方にて我が従者アズ・オグトールの生命を救っていただき、ありがとうございます」
先程秋隆を案内したメイドが出て行った扉をちらっと一瞥し、頭を下げるカークス。
「……さて、本題はここから、貴方のことは西方、ウォルキア管区の長である大神官シャダ・ウォルキアからの報告と推薦により、ある程度のことは把握しています」
びっしりと文字の記された書類に目を落とし、そこに書かれている情報を確認するかのように口を開く。
「まずお名前から、久坂杏一郎秋隆、まるで魔族のようなお名前ですが、どこからどこまでが名前で、なんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「苗字は久坂、諱は秋隆ですが、呼ぶ際には杏一郎と呼んでいただければ幸いです」
キビキビした口調で簡単に説明する秋隆。その言葉を受けてカークスは一瞬だけ目を伏せた。
「それでは当面の呼称は久坂杏一郎ということででよろしいでしょうか?」
「はい、それでお願いいたします」
カークスとしてもこのようなことに時間を割きたくはないらしく、秋隆の名前にそれ以上の突っ込みを入れるような真似はしない。
そんなことよりもずっと大切なことを確認しておかねばならないからである。
「では、まず『神官将』になるための条件は理解されていますか?」
神官将、それはエルメラ神聖国にて特別な地位にある者たち。
エルメラ神聖国の王、神聖王直属の将として数々の任務に当たる謂わば特務部隊員だ。
秋隆もその職掌に関しては完璧に把握出来ていないが、本来元老院議員にすら許されていない正規軍の長たる禁軍元帥への具申始め、神聖王との謁見等、数々の特権を与えられることくらいは知っている。
「『常人以上の『理気』を制御し、神官将足り得る実力を擁すること』」
要綱に書かれている内容をそっくりそのまま諳んじる秋隆。
それを聞きカークスは微かにため息をついた。神官将の務めは第一級の災害として知られる『鬼紋獣』の討伐を始め、いずれも極めて過酷な上に重要なもの。
そんな役目が揃う以上、任務の完遂が見込まれる実力を備えた人間でなければ神官将の門戸が開かれることはない。
「そして理気と言うものは女性から女性、すなわち母から娘に受け継がれます。つまり……」
「男性たる私には使えないと、そうおっしゃりたいのですね?」
先んじて結論を述べた秋隆にカークスはうなずいて見せる。その表情には少なからず当惑の色が浮かんでいた。
この世界に住まう人間は所謂超能力の類である理気という力を扱い、これを行使することにより並外れた力を発揮する。
千年以上敵対している不俱戴天の敵対勢力たる隣国、ゼデキア帝国は島国であるエルメラとは異なり、大陸全土を領土とする大国だ。
彼の国がエルメラよりもはるかに広大な領域を支配しているにも関わらず、いまだに戦線を崩せない理由は様々あるが、その一つに理気を扱える者の人数がこちらに比べて少ないと言うことが挙げられる。
しかし秋隆が指摘したように理気は女性のみが扱えるものであり、男性が使えたという記録はある一時期を除けばまったく存在しない。
おまけに女性ならば必ずしも使いこなせるというわけでもない非常に難儀な能力なのだ。
すなわち神官将とは『理気のスペシャリストである女性』ということと同義である。
「シャダ殿の報告では使えるばかりか、並の神官将では足元にも及ばないと書かれていますし、こうして推薦文まであるのはわかっていますが、信じられないというのが本音です」
男性には使うことのできない能力を使えると主張する男性、疑ってかかるのは至極当然のことだ。
そして条件を満たしていなければ参加を許可されないというのもまた、きわめて正当な結論である。
ましてや秋隆がなろうとしているのは精鋭たる神官将、カークスの目も厳しくなるのも当たり前のことだ。
しかし同胞である大神官シャダ・ウォルキアからの推薦がある以上話も聞かずに追い返すと言うことも出来ない。
「……(彼の言っていることが本当だとすれば最年少の神官将たるあの娘、ルドヴィカよりも稀なる人材と言うことになりますが、さすがにそれは……)」
「では、どうすれば信用していただけますか?」
沈黙を破る形で放たれた秋隆の質問を受けて、カークスは険しい表情のまま口を開く。
「……論より証拠です。貴方が理気の使い手、超能力者と言うならば、その証明をして見せてください」
瞬間、執務机の上に載っていた複数本の鉛筆が宙に浮かび上がった。
続いて秋隆が何か言う前に弾丸のような凄まじい速度でこちらに襲い掛かる。
カークスが行った理法念力による物質の遠隔操作は理気の基本となる技術だ。
初歩的な技ではあるが、普通の人間ならば高速で飛来する物質の軌跡すら見切れず、そのまま身体中に攻撃を受けることになるだろう。
実際のところカークスもそうなるだろうと踏んでいたが、その予測は瞬時に破られることになった。
「……なるほど、神官将になるための試験というわけですね」
軽い言葉とともに秋隆はこめかみのあたりからプラズマのような電撃を放って半数の鉛筆を打ち落とし、残る半数を理法念力による防御で弾き落してしまったのだ。
「っ!」
「まだ続けますか?」
さすがのカークスもこの事態には唖然とする他ない。秋隆は椅子に腰かけたまま一歩も動いてはおらず、何らかの不正を働いた痕跡もない。つまり今のは間違いなく理気によるものと見て間違いなかろう。
しばしの間驚愕から目を見開き固まっていたカークスであったが、すぐに冷静さを取り戻すと眉間にしわを寄せ何事かを考え始めた。
「……いえ、もう十分です。貴方の実力はよくわかりました」
数分間の沈思黙考、その果てにカークスはそうつぶやくや否や胸元から落款を取り出し、いくつかの書類に署名と押印を行う。
「久坂杏一郎殿、ウォルキア大神官シャダの推薦を受け入れ、貴方に神官将の地位を与えます」
「……拝受いたします」
どうやら試験に合格することが出来たらしい。カークスに一礼すると秋隆は天を見上げ、ここに至るまでの出来事に想いを馳せた。




