第七話「大神官の長」
エテメンアンキ神官長にして、東方トルキオ管区の大神官たるカークスのいるエテメンアンキ大聖堂は官公庁が建ち並ぶ中心街にある。
周辺には200名の貴族からなる元老院が意見を戦わせる元老院議事堂、神聖王の宮殿などが存在すると言う、まさにエルメラの心臓部、首都たる街に相応しい場所だ。
「……人の子というものは随分建物の装飾にこだわるのですね」
エテメンアンキ大聖堂に至る道を歩きながらそのようなことを呟く凍子。
「いかに住まいの装飾を派手にしたところで住まいは住まい、そこに住むものの値打ちが上がるというわけではありませんわ」
欲望らしい欲望を忌避する仙道らしく極めて厳しい意見に、秋隆は微かに肩をすくめる。
「凍子の言はもっともですが、時には住まいを整え生活に張りを持たせるのも重要です。特に芸術作品というものは心を洗う力を秘めています」
「……杏一、それはあくまで一般論です。問題は価値が分からないにもかかわらず、分かった気になって周囲を華美なもので固めることにより立派な人間になったのだと錯覚し、他者を蔑むことです」
見たところエテメンアンキの街は派手な邸宅が並ぶわけでもなければ、極めて前衛的な建物があるわけでもない。
にも関わらず凍子がそのようなことを言うのは見た目ばかり気にして、内側を磨くことをしない人間を心底嫌っているからかもしれない。
「……それではそんな凍子の目から見て、このような建物はいかがですか?」
秋隆と凍子が足を止めた場所、そこには見上げるほどに巨大な建物が建っていた。
各島に一つずつ存在するエルム教団の大聖堂同様に四つの塔に回廊、庭園を備える伝統的な造りをした聖堂らしい聖堂の様式。
しかしその規模は四島のどの大聖堂よりも壮大なものである。
数百メートルあろうかという巨大な塔に、細やかな装飾の施された壁。近くに立つとどれほど見上げても頂点を見ることは出来なさそうだ。
以前見たウォルキア大聖堂も見る者を圧倒するような大きさを備えてはいたが、エテメンアンキ大聖堂の大きさはまさに比類なきもの、まさにエルム教団の総本山と呼ぶにふさわしものである。
「……大きすぎる上に華美ですわね」
吐き捨てるように言うと凍子は胸の下で腕を組み鼻を鳴らした。
「どうやら、お眼鏡には叶わなかったようですね」
秋隆の言葉に凍子はうっすらと目を細め、大聖堂の上部を見つめた。
「それでは杏一、わたくしは卿が面接している間、エテメンアンキ含め、各地域の調査を行うこととします」
「調査は構いませんが、その恰好で調査はいささか目立つのではないですか?」
凍子の格好は下腹部から下を隠す前掛けと辛うじて胸の先端を見えなくしている二房の布だけという露出過多なものであり、これまで誰にも見とがめられずにいたのが奇跡のような姿である。
心配そうな秋隆に向かって微かに顎を上げて見せる凍子。
「わたくしはこう見えても気配を消す術にも長けていますの。何の問題はありませんわ」
どうやらそれ用の対処法があるらしい、もしかしたらこれまで何の問題も起きなかったのも彼女が何らかの措置をとっていたからなのかもしれない。
「わかりました。それではよろしくお願いします」
自分よりもはるかに強い師父をこれ以上心配するのもおかしな話だ。
とにかくまずは自分のすべきことをしようと、師父に一礼して大聖堂の方向に足を向ける。
そんな彼の袖をいきなり凍子が掴んだ。
「凍子?」
「……先ほども申し上げましたけど、現在世界は非常に不安定となっています」
何らかの要因により理気の流れが乱れ、歪みつつある世界。今のところ目に見えて大きな事件は起きていないものの、それもいつまで保つかわからない。
「こんな状況下では不測の事態も起こりかねないので、正直なところ卿のもとを一秒でも離れたくはないのですが……」
じっと液体窒素の如き冷たい瞳で秋隆の目をのぞき込む凍子。
「卿は幼くとも截教の仙道、大抵のことはどうにか出来るのかもしれませんが、本当にどうにもならなくなったときわたくしが卿を守ってあげることは出来ません」
凍子としてはある程度のことは任せ、秋隆の力では突破困難なことが起きた際に助けに入りたいわけだが、一旦離れてしまえばそれも出来ない。
「大丈夫、ですわよね?」
秋隆の裾を話すと、凍子は自分に言い聞かせるように確認をとる。
一方の弟子は心配いらないと言わんばかりに師父に笑いかけた。
「はい、凍子に教えていただきましたので」
「……生意気なことを」
口ではそのようなことを言う凍子だったが、その瞳の奥にはくっきりと喜色が浮かんでいる。
「では、可能な限り早くに戻るつもりです。終わり次第街外れで落ち合うということでよろしいですわね?」
「ええ、お互い頑張りましょう」
簡単にあいさつを交わすと凍子は軽く右手を上げて白い光のドームを発生させ、いずこかへと移動した。
「……(さて、では私は私のすべきことをせねばな)」
凍子の姿が見えなくなると秋隆はメイド少女からもらった勾玉を首から下げ、そのうえで改めてエテメンアンキ大聖堂を見上げる。
「……(見れば見るほどに大きな建物だな)」
その威容を前にすると、自分という人間がひどく矮小なものに思えてくるのだから不思議なものだ。
否、そのような認識を与えることにより常に謙虚な生活を送るように諭すのがエルム教団の狙いなのだろうか?
「……(では、そろそろ行こうか)」
とにかく今はそのようなことよりも自分の使命を果たすべきだろう。一度だけ生唾を飲み込むと、秋隆は門の前に立つ女兵士に話しかけた。
「忙しい中痛み入ります。私は……」
秋隆が口を開いた瞬間、女兵士は彼の姿、橘の家紋が入った羽織や腰に下げた鼈甲霊亀を確認すると友好的な笑みを見せる。
「神官将候補の久坂杏一郎殿、ですね?」
微かに目を見開く秋隆。すでに女兵士はこちらのことを知っているらしい。
否、シャダがエテメンアンキに報告をしているというのならば、彼女に話が下りてきていても不思議はないだろう。
案の定門番たる女兵士が次に発した言葉は、秋隆の推論が正しかったことを裏付ける言葉であった。
「話はすでに神官長カークス・トルキオ様から伺っています。こちらへどうぞ」
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広大なエテメンアンキ大聖堂の回廊を女兵士の先導で歩く秋隆。
「……(中も相当なものだな)」
高い天井に広々とした回廊、さらには随所にある庭園を見て秋隆は一人ごちる。
当然大聖堂に詰める神官や使用人もそれなりの人数がいるらしく、羽織袴姿の秋隆を興味深そうに眺めていた。
「き、杏一郎様?!」
「ん?」
いきなり声を掛けられてしまい、微かな既視感とともに振り返る秋隆。
「やっぱり、杏一郎様なのです!」
そこに立っていたのは先ほどエテメンアンキ市街で出会ったメイド少女。
どうやら彼女の職場はこの大聖堂だったらしい、掃除の途中だったのか右手に小さな箒を携えている。
「アズ! 帰って来て早々いきなりお客人に声をかけるなど、無礼ではないか?」
女兵士から飛ぶ厳しい指摘、「しまった」という表情を浮かべるメイド少女を見て秋隆はすぐさま口を開いた。
「このような場所で会うとは、私と君はよほど縁が深いのかな?」
「久坂様、こちらのアズ・オグトールとお知り合いなのですか?」
「ああ、まあ、つい先ほど少し……」
エテメンアンキへ至る前にウォルキアで起きた一件や先ほどの邂逅は話す必要はないだろう。
しかし女兵士は秋隆の言葉から何かを察したらしく顔を綻ばせるとメイド少女ことアズ・オグトールに新たな指令を与える。
「……なるほど、ではアズ、君は久坂様が来られたことをカークス様に報告してこい」
「え? あの……」
何が何やらわからず、困った表情で秋隆と女兵士を代わる代わる見つめるアズ。
ウォルキアから帰ってきたばかりのため状況を分かっていないようだ。
「こちらにおられる方は大神官シャダ様から推薦を得た神官将の候補だ」
「て、神官将!?」
「よろしく頼む」
神官将という言葉にアズはびっくりしたように秋隆の顔を見上げる。
しかしそこは小さくともプロの使用人、すぐに意識を切り替え、秋隆から書類を受け取ると二人に一礼、報告のために神官長の部屋へと向かった。
「では杏一、いえ久坂様はこちらの聖堂にて少しばかりお休みください」
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微かに響くノックの音。その時が来るのを今か今かと待ち構えていた神官長カークス・トルキオは唇を微かに引き結び扉に向かって声をかけた。
「どうぞ」
「し、失礼します」
おずおずといった様子で入ってきたアズの姿を見てカークスは険しかった表情を綻ばせる。
「アズ、どうかしましたか?」
「はい、久坂杏一郎様がお越しになられました」
「……そうですか、ついに現れましたか」
アズから託された書簡、シャダの用意した報告書と推薦書を手にすると、読み始めるカークス。
その顔は読み進めるにつれ、動揺からか段々と青くなっていき、最終的には微かに唇を震わせるほどにまでなっていた。
もし本当に彼がこの報告通りの人間であるならば、神官将にしない理由はない。
しかしそこに書いてあったことはにわかに信じられないような、それこそ普段のカークスならば一笑に付すような内容である。
シャダのことは信用していないというわけではないのだが不穏な噂も聞くような相手、用心するに越したことはないということだ。
「あの、カークス様」
上目遣いにこちらを見つめてくるアズの姿にカークスは少なからず狼狽する。
彼女がこんな顔をするときは決まって何か要望をする時だからだ。
「久坂杏一郎様は、間違いなく神官将に相応しいです」
「ふむ、その理由は?」
カークスの知る限りアズと秋隆に接点はない、何故彼女がそんなことを言うのかわからず、神官長たる女性は首をかしげる。
「あの人がナルカ・ヴァルナーを倒して、アズを助けてくれた人だからです」
「……それは初耳です。詳しい話を聞かせてもらいましょうか」
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「……(ふむ、どうやら少しばかりバタバタとしているらしいな)」
退屈を持て余し、控室に指定された礼拝所の中をうろうろする秋隆。何やら外が急に騒がしくなったため、固く閉ざされた出入り口に視線を向け、ついで礼拝堂の奥に視線を向ける。
「ん?」
そこで秋隆は部屋の奥に設えられた美しい芸術作品に目を留め、その前に立った。
「……(ステンドグラスか)」
全長3メートルほどのそれには七つの光の玉と荒れ狂う海、そして洪水に見舞われる大地の上で逃げ惑う民の姿が描かれている。
何故かはわからない、しかしそれは秋隆にとってひどく『見覚えのある光景』、そして脳裏に焼きついて忘れられない光景でもあった。
「失礼いたします」
礼拝施設の扉が開き、誰かが入ってきたことを察し、秋隆はすぐさま振り返る。
「杏一郎様、お待たせして大変申し訳ありません」
そこにいたのはアズ、申し訳なさそうに頭を下げ、秋隆の顔を見上げた。
「いや、このくらいの時間待った内には入らぬよ」
「カークス様の準備が整ったとのことです。こちらにお願いします」




