第八十八話「鬼神」
いつもお読みいただきありがとうございます。
励みになります。
闘鬼将との対峙。
クリンゲルヴァルド修道院の正門前、固く閉ざされた門を見上げ、豊輝は秋隆に問いかける。
「で、どうやって入るつもりだ?」
修道院を守る正門、天高く聳え立つその扉は厳重そのものであり、簡単には突破出来なさそうだ。
「……そんなの簡単なことじゃないの」
軽く鼻を鳴らして前に進み出ると、ルドヴィカは両手に理気を収束、霧を発生させる。
「はあっ!」
掛け声とともに扉は爆発炎上、後にはひしゃげた鉄くずと焦げ付いた門扉の残骸のみが残った。
「うわ、嬢ちゃん派手にやるねえ」
扉を塞ぐ残骸を理法念力を用いて横に避け、豊輝は楽しそうにそう呟く。
「ふん、押すのも引くのも出来ないなら破壊するのが合理的ってもんよ」
ルドヴィカの滅茶苦茶な理論にげんなりしつつも秋隆は奇襲を警戒しながらクリンゲルヴァルド修道院内部に足を踏み入れた。
門をくぐって最初に一行を出迎えてくれたのは広葉樹が生い茂る並木道。
所狭しと周囲に建ち並ぶ関連施設の合間を縫うようにして設えられたその道は長く先に伸びており、二つの塔を擁する大聖堂に続いている。
「ようこそ、クリンゲルヴァルド修道院へ」
「っ!」
軽い口調とともにすぐ近くにあった建物の屋上から、何者かが飛び出してきた。
その人物は壁を蹴って反動をつけると、見事な動作で地面に着地する。
鍛え抜かれた強力な理気の気配に秋隆の表情に険しいものが浮かんだ。
「この気配、五清将か!」
「ご明察、さすがだな色男」
牙を剝くかのような壮絶な笑みを浮かべつつ、秋隆らの前に立ったのは青い肌の女性。鬼のような一対の角、筋骨隆々たる鍛え抜かれた長身に覆うのは恐ろしく重そうな東洋風の鎧に毛皮を用いた陣羽織のようなマントを羽織っている。
特徴的なのは背中に背負ったあまりにも巨大な二振りの大斧。正面からでもわかるほどに分厚い刀身、並の人間ならば即座に潰されてしまいそうな大きさだ。
それだけでも相当な重さになるであろうが、恐ろしいことにこの人物はこれほどの重装備を着込みながらも先ほどのような軽やかな動きを見せたのである。
その筋力たるや人知を越えたとんでもないものと見て間違いない。
「よっ! お前さんが久坂杏一郎だな?」
親しみを感じさせる声で秋隆に声をかけると鬼女は巨大な右手で自身の胸を叩いた。
「オレ様は椿鬼、五清将の一人、闘鬼将の二つ名をもらってる」
友好的な態度に軽い口調、この椿鬼という人物、根は素直な人間なのであろう。
しかしその身に纏う理気は極めて攻撃的なものであり、この先に進ませるつもりがないのは明白だ。
「闘鬼将椿鬼、トウア・スカイルの師匠だったか……」
以前総長就任記念大会で戦ったエルメラ人トウア・スカイル。彼女が椿鬼に言及していたことを思い出す。
「へえ、あいつのことを覚えてくれてたとは嬉しいねえ」
ニヤッと椿鬼は笑みを浮かべて見せた。ヴァルナー領における顛末については彼女も聞いているらしい。
「まだまだ粗が目立つけど才能はピカイチ、お前さんに負けたことも発条にしてもっと強くなるだろうさ」
「あれほどの戦士を鍛えた闘鬼将椿鬼、五清将という時点で並の相手ではなさそうだが……」
神妙そのものと言うべき秋隆の言葉を受け、ルドヴィカは険しい表情で口を開く。
「大神官ジドスの一番弟子で、彼女を除けば五光を含む強襲闘技の第一人者よ」
トウアを始め、エギアやアミラといったエメルス界隈の者たちが使用する強襲闘技、彼女もまたこれを自在に扱えるらしい。
「強襲闘技の達人はそれなりの数がいるけれど、ジドスが手放しで認めるほどの使い手は彼女くらいかもね」
「へえ、さすがはウォルキア家のご令嬢、オレ様のデータはばっちりってわけかい」
褒められて悪い気はしないらしく、椿鬼は空間を振動させるほどの大声で笑い声をあげた。
だが、その直後彼女の纏う理気が一気に変遷し、恐ろしく冷たいものとなる。
「っ!」
「そんなわけだから師匠を殺されたとあっちゃあ、温厚なオレ様もキレちまうってもんだぜ?」
師匠、すなわちエメルスの大神官ジドス・エメルス。翠明院陽華がクリンゲルヴァルドに拘留されることになった表向きの要因は彼女を含む三神官の暗殺によるもの。
すなわち陽華を救いに来た秋隆たちは、師匠を殺された椿鬼にとって不俱戴天の敵と言うわけだ。
しかし他者を威圧するような理気を放っていたのは一瞬のこと、すぐさまこれをひっこめ、またしても笑みを浮かべる。
「ま、本当に死んでるって言うならな」
「? それはどういう……」
「おっとっと、これは言っちゃいけない話だったか?」
聞き捨てならない言葉を追求しようとする秋隆をごまかすかのように首を振ると、椿鬼は背中に背負った一対の大斧に手を掛けた。
「つーわけで、この先に進みたいってんならこのオレ様を倒すしかねえが、どうする?」
「……答えは一つしかない」
明確な敵対の言葉、秋隆がここまで来たのは翠明院陽華を救い出すため、そのために戦わねばならないというのならば、足踏みしてはいられない。
「だろうな、ここまで来た以上訊くまでもないことだったな」
戦えることがよほど嬉しいのか、椿鬼は豪放に笑いながら大斧を引き抜き、これを正面に構える。
見ているだけでも圧迫感のある巨大な斧、まともに喰らった場合のことは考えたくもない。
「んで、誰からにする?」
「……ここは私に任せてもらおうか」
秋隆とルドヴィカの間を割るようにして前に進み出るのは豊輝。
「尚左」
普段は胡乱そのものといった雰囲気の豊輝も今回に限っては真面目に対処するつもりにようで、真剣そのものといった表情だ。
「私はここに来るまでに一度も戦ってないが、頭中将殿はそうでもないだろ?」
そこでただでさえ細い瞳をさらに細め、豊輝は秋隆に笑いかける。
「次の相手に当たる前に可能な限り理気を回復しとけ、神官将ならいざ知らず、五清将を相手にする以上、用心し過ぎることはないってもんだ」
豊輝の言うように五清将は一般の神官将とは一線を画す実力者、疲弊した状態で戦えるような戦力ではない。
それに椿鬼を除いても五清将は残り三人、可能な限り理気は温存するべきだ。
「……わかった。ここは任せる」
「よっしゃ、あの鬼娘は私が抑えとくから、お前たちは先に進みな」
腰に下げていた刀を引き抜き、豊輝が一歩前に出ると、椿鬼は意外そうに目を見開く
「へえ、噂の色男、久坂杏一郎じゃなくてお前がオレ様の相手か」
「悪いな、今日のとこは私で我慢してくれ」
なんの構えも取らず、ある種リラックスした姿勢の豊輝。五清将を前にして何の恐怖も抱いていないかのような態度に、椿鬼はただならぬ予感を覚えた。
そうなれば気になるのはこの人物がどこまで戦えるのかと言うこと、そして……。
「当然理気は使えるんだろうな?」
女性しか使えないはずの理気を扱えるのかどうかということ。
果たして椿鬼の問いに豊輝は静かに笑みを浮かべると自信満々と言わんばかりに首肯して見せる。
「そりゃそうさ、理気を使える男は頭中将の周りにゃゴロゴロいるぜ?」
「そうかい、じゃあ遠慮なく行かせてもらうとするぜ」
実際のところ使えるか使えないかなど椿鬼には大した問題ではない。
男性でありながら、まず間違いなく神官将とは肩を並べるであろう豊輝の実力を試してみたいのだ。
「まずは、あいさつ代わりだ」
瞬間、椿鬼は地面を蹴るとともに大斧を振り上げ、豊輝に肉薄する。
彼女としては力試し程度の一撃だが、その速度たるや常人には見切ることすら出来ないようなものだ。
「むっ」
しかし豊輝は理気の先読みを活かして瞬時にこれを見抜き、無駄のない動きで以て防御の構えをとる。
直後、理気纏化を掛けた武器同士がぶつかり合い、周囲に稲妻のような力が拡散した。
「走れ! 頭中将殿!」
空間が震え、大気が悲鳴を上げる中、一瞬たりとも椿鬼から目を逸らさずに後ろに向かって声をかける豊輝。
「すまない尚左」
合図を受け、二人の脇をすり抜け、そのまま並木道の先へ進もうとする秋隆らであったが、そのような行動を許す椿鬼ではない。
「おおっと、そいつは見過ごせないな」
なんと豊輝の刀を大斧で抑え込む傍ら、理法念力でもう一振りの大斧を背中から引き抜き、これを投擲したのである。
弾丸のごとき速度で秋隆に迫る大斧であったが、途中で急に軌道を変え、椿鬼に襲い掛かってきた。
「何っ!」
即座に豊輝と距離を開け、無理やり大斧を回収する椿鬼であったが、相当ギリギリの対応だったらしく、その額には微かに汗が浮かんでいる。
「お前さんの相手はこの私だよ」
軽い調子で刀を振り、椿鬼の一挙手一投足に目を向ける豊輝。どうやら投擲された大斧に理法念力を使って干渉、逆に椿鬼を脅かす一手と変えたようだ。
「ふうん、単なる見掛け倒しってわけじゃなさそうだな」
すでに秋隆らは並木道を抜けて陽華の幽閉されている大聖堂に入ってしまっており、豊輝を無視してこれを追うことは難しい。
だが突入を許したと言っても大聖堂内部には残りの五清将が控えており、改悛塔に行きつくまでにそれぞれの担当エリアで侵入者を待ち構えている。
ならば無理に秋隆を追うよりもここで豊輝と戦い、様子見をした方が良いかもしれない。
「せっかくだから名前を名乗りな」
両手で二振りの大斧を握り、片方を豊輝に向け、もう片方で肩を叩きながら椿鬼は肉食獣を思わせる凶暴な笑みを浮かべた。
「オレ様の記憶の片隅にお前の名前を刻んでやるからよ」
「入江尚吉郎豊輝、より正確に名を名乗るなら……」
そこまで言ってから豊輝はもう長いこと名乗ることをしてこなかった本来の名前を口に出す。
「従四位下左兵衛督源朝臣入江尚吉郎豊輝」
早口言葉のごとき長い名前を一口で言ってのけると、彼は小さくため息をついた。
「長い名前だろ? もう一回名乗ってやろうか?」
「一度聞けば十分さ、従四位下左兵衛督で源朝臣、入江尚吉郎豊輝殿」
興味深そうにその名を復唱し、微かに首を傾げる椿鬼を見て豊輝は感心したらしく、小さく頷いて見せる。
「……なるほど、こんくらい魔族ならお手の物ってわけかい」
「まあな、でもお前さんもあの色男も魔族ってわけじゃないんだろ?」
ちらっと秋隆の走っていった方向を一瞥し、短い嘆息を漏らす椿鬼。
「なんで魔族風の名前を名乗ってんだ?」
久坂杏一郎秋隆、入江尚吉郎豊輝、苗字と通称、諱を備える神州人の名前は全てエルメラの魔族に近しい名前だ。
どう見ても魔族ではない秋隆や豊輝がそのような名前をしていることが椿鬼には不思議でならないのだ。
「そいつは順序が逆ってもんだぜ?」
左手の人差し指を立てると、豊輝は幼い子供に言い聞かせるかのような穏やかな調子で言葉を紡ぐ。
「私たちが魔族風の名前を持ってるんじゃなくて、魔族が俺たちみたいな名前をしてんだよ」
「それは、どういう意味だ?」
「さあな、ま、世の中色々あるってことだよ」
どうやらこれ以上のことを豊輝は話すつもりはないらしい。
「そうかい、そんじゃ今日のメインイベントをおっぱじめるとしようか!」
椿鬼の言葉とともに二人は全身から凄まじい理気を放ち、激闘を始めた。




