第七十九話「山紫水明」
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純水について。
「例の一味はまだ倒せてないの?」
クリンゲルヴァルト修道院中枢、改悛塔に設えられた臨時の指令部にて総長にして五清将の蕃神族、ミディアン・ヴァルナーは苛立たしげに床を蹴とばす。
『報告によれば久坂杏一郎とその師匠は市街地で交戦中、ルドヴィカ・ウォルキアは海岸線の封鎖網を突破して東側から修道院に向かっているらしい』
机の上に置かれた通信機から聞こえてくる声は五清将の椿鬼、彼女は他の面々と同様陣頭指揮を執るために修道院を離れているのだ。
状況はどう考えてもエルメラ側にとって不利、ミディアンは一度だけ舌打ちすると言葉を続ける。
「もう一人の男、入江尚吉郎とかいう奴は?」
『今のところ報告に上がってきてはいないが、杏一郎らがいる以上どこかに潜んでいると見るのが自然であろうな』
「急いで探して! それから神官将の数を増やして侵入者の迎撃に当てなさい」
『それは構わないが、下手に人数を増やせば修道院の警備が手薄になるぞ?』
椿鬼の核心を突く言葉にミディアンは一瞬だけ口ごもった。
現在市街地を始めクリンゲルヴァルト各地に神官将を送り込み警戒に当てているわけだが、使える人員は限られている。
すでに相当な人数を対秋隆要員に当てている中、これ以上人員を割けば椿鬼の言う通り修道院の防衛、もっと言うならば陽華の警備が手薄になるのだ。
そうなると、万一陽華を取り返そうとする者が警備を突破して改悛塔にまで来てしまった場合、誰も警備する者がいないということになる。
「良いからさっさとやりなさい! 連中をどうにかするのが最優先よ!」
しかしミディアンは椿鬼にそのような指摘を受けたことが癇に障ったのか、警戒の人員を増やすことと修道院の警備を減らすことのリスクを秤にかけることをせず、反射的に即決した。
『……わかった』
一瞬だけ不満そうに沈黙する椿鬼であったが、名目上責任者であるミディアンにこれ以上の具申をすることはしない。
このようなところで口論しているくらいならば任務の遂行に全力を尽くした方が良いことを理解しているからである。
『では、全て総長殿の言う通りにするとしよう』
最後に若干悪意のある言葉を言い放ち、椿鬼は通信を終了した。
椿鬼との会話が終わるとミディアンは苛立ちを隠そうともせず、机に握り拳を叩きつける。
「……ったく、どいつもこいつも使えないったらありゃしないわ!」
「ふふふ、随分イライラされている様子」
すぐ後ろから聞こえてきた声、少しばかりぎょっとしたように顔を引きつらせるミディアン。
「それほどまでに杏一郎殿たちは手強いか?」
「翠明院陽華……!」
憎々し気にミディアンが呟いた名前はこの改悛塔に幽閉されている反逆者のものであった。
現在ミディアンがいる司令部は反逆者の監視という役目も兼ねているため、その場所は改悛塔の最上階、陽華のいる座敷牢のすぐ向かいにある小部屋に設えられている。
それゆえに見ようと思えば陽華の方からも司令部の様子が見えてしまうのだ。
「杏一郎殿は今まで無名だったのが信じられぬほどの豪傑、そしてルイズ殿はこの妾とガーラ殿が鍛えただけあって幼いながらも、万夫不当の猛者、並みの神官将では太刀打ちできぬじゃろうな」
「黙りなさい、この女狐!」
ミディアンは机の上に置いてあったインク瓶を掴み、牢屋に向かって放り投げた。
インク瓶はそのまま鉄格子にぶつかって割れ、周囲にインクが飛び散る。
「おお、怖や怖や」
言葉とは裏腹に全く怖がる様子のない陽華の姿を見て、ついにミディアンの中で何かが千切れた。
「か、下等な魔族ごときが……! この蕃神族たるこの私に……!」
あまりの怒りからその場に立ち上がり、腰に下げていた剣を引き抜くミディアン、しかしそんな姿を見ても陽華は変わらず薄ら笑いを浮かべている。
「くくくくくくくく……」
「な、何がおかしいのよ」
「いやなに、誰が妾を救出に来るかを考えておった」
「は、はあ?」
言葉を発せず呆然と立ち尽くすミディアンを歯牙にもかけず、陽華は床に広がるインクの染みに目を向けた。
「安牌な所では杏一郎殿かルイズ殿じゃが、大穴としては杏一郎殿の郎党の内の誰かと言ったところか」
「ふ、ふざけんな!」
そこでようやく正気に戻ったのか、ミディアンは陽華に向かってがなり立てる。
「こ、ここまで来るわけないでしょうが!? あ、あいつらはみんな修道院にたどり着くことすら出来ずに死ぬのよ!」
「くくく、そうなるならばまだ楽で良い、エルメラが全軍を上げればいつでも鬼紋獣の王を倒せるということじゃからな」
口元を歪め、陽華はミディアンに嘲笑の笑みを浴びせかけた。
「お主も身の振り方を考えておいた方が良いぞ? このまま行けばほぼ確実に責任を取らされて、五清将はもちろんのこと、神官将も罷免させられるじゃろうからな」
「ぐ、ううううううう……」
悔しそうに表情を歪ませるミディアン。彼女が総長の地位を笠に責任者の役目を買って出たのは秋隆の迎撃と言う危険な上、大変な任務を嫌ったが故のこと。
五清将に神官将がこれだけいれば特に大した仕事もなく任務完遂が見込めるだろうと考えていたが、その見通しは非常に甘かったと言わざるを得ないだろう。
そして陽華の救出が成功してしまえば警備の責任者たるミディアンにその責任を問う声が殺到するのは自明の理。
「……(冗談じゃないわよ! そんなことさせるわけにはいかないわ!)」
特権階級たる神官将の地位を失うわけにはいかない。
そう考えたミディアンは普段使わない頭をフル回転、秋隆に対抗する術を練るのであった。
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「……え?」
雷による理力剣、完璧に決まったと思っていたナディアであったが、予想外の結果に目を白黒させる。
「……ふむ」
一方、鼈甲霊亀を構えなおし正面を見据える秋隆の表情はナディアと違い予想通りと言わんばかりの悠然としたもの、こうなることを予期していたようだ。
「な、なんで……?」
「はあっ!」
唖然とした表情で立ち尽くすナディアの不意を突く形で秋隆は鼈甲霊亀を振り上げ、彼女に肉薄する。
「っ!」
しかしそこはナディアもひとかどの神官将、瞬時にブロードソードを振るい、秋隆の斬撃を止めた。
「完全に不意を突いたつもりだったが、そう簡単にはいかないらしい」
「き、杏一郎!? どうやって私の雷を……?」
水と言うものは雷を非常によく通す物質のはず、それ故にナディアの扱う属性は秋隆の弱点を突けると考えていたが、結果はむしろ逆。
そうなってしまえばナディアが混乱するのも無理のないことであろう。
「……知りたいか?」
地面を蹴って一度距離を開けると、秋隆はナディアの疑問に答えるかのように右手に水を発生させた。
「純水だ」
「純……は?」
「水は様々な不純物を取り込みやすく、基本的に自然界に存在する水と言うものは何らかの混ぜ物が多分に含まれていると思っておいた方が良い」
呆然自失と言った様子で話を聞くナディアの前で、秋隆は自身の呼び出した水に干渉、その中から不純物を排除、純水を精製して見せる。
「ざっくばらんに言えば電気を通すのはこれら不純物であり、元来の水、100%のH2Oに限りなく近い純水は絶縁体となる」
「そ、それじゃあ……」
「私が純水を操る限り、属性の上ではこれを突破することは出来ないということだ」
そこまで聞いてようやく現状を理解したらしく、ナディアは悔しそうに奥歯を噛み締めた。
「……ふ」
しかしそれも一瞬のこと、次の瞬間には少女らしい無邪気で、同時に攻撃的な笑みを浮かべる。
「やってくれんじゃん!」
心底戦うことが楽しくて仕方ないと言わんばかりの表情、否厳密に言うならば秋隆と戦うことが楽しいのかもしれない。
「属性の上では突破できないって言うなら……」
素早く理気を収束して雷を顕現させると、一直線にこれを放つナディア。
「むっ!」
直後秋隆の第六感が警告を発した。純水による防御壁だけでは防ぎきれないというある種の予知、すぐさま秋隆は鼈甲霊亀に理気を纏い、これに応じる。
次の瞬間、二つの理気がぶつかり合い、空間全体が揺れ大地を震動が走り抜けた。
「これは、雷に理気を纏ったのか……」
びりびりと右手に伝わる痺れるような痛みは雷由来のものではなく、強力な理気による一撃を防御した際に感じるもの。
ナディアは雷そのものに理気を纏い、その威力を増加させたらしい。
「属性上不利でも、理気で突破すりゃいいって事っしょ!」
「……なるほど、五清将クラスとはいかないまでも、ナルカ・ヴァルナーなど及びもつかないレベルだ」
物質に理気を纏うのと、非物質に理気を纏うのではその難易度に雲泥の差がある。
これを自在に扱えるとなればその実力は神官将のなかでも上位クラスと言っていいはずだ。
「しかしそれでも、私には届かないだろう」
「え!?」
少しばかり残念そうに首を振ると、秋隆はその身に理気を収束させる。
「使わぬつもりでいたが、ここまでの死闘をさせてくれたことに敬意を表し、我が力の一端をお見せしよう」
刹那、秋隆のすぐ後ろに巨大な桜の木が出現し、その身を大きく変容させた。
「こ、これは……!?」
慄きながら秋隆の背後を見つめるナディア。そこに現れたのは100メートルはあろうかという巨大な木の巨人、鎧甲冑を身に纏いその手に木刀を携えた神将の木像である。
「耐えて見せよ……」
秋隆が大きく飛び上がり、その額に立つとともに、神将像は桜の花びらを周囲にまき散らしながら木刀を振り上げた。
「負・け・るかあああああああああああああああああああああああ……!」
凄まじい気合とともにブロードソードを構え、神将像に突撃を仕掛けるナディア。
「理力剣・桜花!」
直後、神将像は木刀を振り下ろし、理気による斬撃を放つ。
「がはっ!」
斬撃に巻きこまれ、少女の肉体が桜花乱れる空間を舞い、後方に吹き飛ばされた。
「こ、これが霊亀将久坂杏一郎の力……」
後ろのめりに大地に倒れると、意識を失うその瞬間までナディアは神将像の額に立つ秋隆から一度も目を逸らさず、視認し続ける。
「ヤッバい、癖になる、かも……」
「桜の木の下で眠れ」




