第七十五話「北方の防人」
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月の光に照らされた東方トルキオ辺境、クリンゲルヴァルト東方。
波の音のみが聞こえる海岸に突如として雷鳴のごとき轟音が轟き、周囲を真昼のように明るく染め上げる。
続いて砂浜に顕現するのは白い光のドームのごとき現象、時空捻転現象。
周囲を照らしていた光が何事もなかったかのように消え失せると、代わってその場に一人の少女が姿を現した。
「……っと」
その少女は月の光しか存在しない砂浜に膝を着くと、慎重な動作で周囲の様子を伺う。
「ふう、どうやら普通の空間に出てこれたみたいね」
下着も露わな装束に褐色の相貌を彩るド派手な化粧、さらにはいくつもの色を帯びた毳々しい長髪。
西方ウォルキアの大神官たるシャダ・ウォルキアの娘であり、神官将でもある少女、ルドヴィカ・ウォルキアだ。
「……杏たちの姿は、なさそうね」
周囲を見渡し、先ほどまで一緒にいた人物の姿が見えないことを確認し、ルドヴィカは微かに息を吐く。
とは言え、彼ならばどんな状況に追い込まれようとも自力で何とかするであろうことは他ならぬルドヴィカ自身が良く知っていること。
そちらの身を案じることよりも、まずは自身のことから、そう考えると彼女は空に輝く月を見上げた。
「一体何があったのかしら?」
「あーーーーーーーーーーーーー!!!!」
波の音しか聞こえないような静寂に包まれた海岸線に響く甲高い声。
「え?」
ルドヴィカが声の方向に目を向ける前にまたしても少女らしい無邪気な声が周囲に木霊する。
「侵入者を発見したのだ!」
信じられないほどに軽い動きで飛び上がり、次の瞬間ルドヴィカのすぐ前に着地したのは先ほどの声に相応しい無邪気な少女。
年のころは十三、四歳と言ったところであろうか? 幼いながらも鍛えられたしなやかな四肢に小柄な体躯、髪も短く切りそろえられた活動的なものだ。
一見したところまだまだ成長途上と言った無邪気な姿であるが、その身に纏う気運は鍛え抜かれた戦士のみが持ち得る鮮烈な気配。
今は幼くとも成長後の大成を予感させる麒麟児を思わせる少女である。
自身の前に立つそんな少女の姿を見て、ルドヴィカは微かに表情を強張らせた。
「あんたまさか、アミラ・エメルス!?」
「ん? そういうお前は確か……」
ルドヴィカに名前を呼ばれ麒麟児の少女、アミラ・エメルスは自身の中にある記憶を必死で辿り、名前と顔を思い出そうと奮闘する。
そんな姿を見てルドヴィカは小さく舌打ちすると、イライラした口調で己の名前を告げた。
「ルドヴィカよ、ルドヴィカ・ウォルキア! あんたら姉妹は二人そろって人の顔覚えらんないの!?」
「おお、そうだったのだ」
喉に突き刺さっていた小骨が取れたかのようなすっきりした表情のアミラに対してルドヴィカの顔はげんなりしたもの。
アミラ・エメルス、北方の大神官であるジドス・エメルスの妹にして『天拳将』の二つ名を持つ少女である。
ジドスにはたくさんの妹がおり、ある者は北方神殿の警備員、ある者は禁軍の兵卒として働いているわけだが、神官将の地位にいるのは末妹たるアミラのみだ。
大神官に就任する以前は神官将の地位にあったジドス同様、優れた才覚をかなり早い段階から示しており、いずれは姉と同じく五清将になるとも言われている。
その一方、他の姉たちとは異なり、他者の顔と名前を覚えられないという悪癖も抱えているため、最もジドスに近い姉妹とも称されている少女だ。
そんなアミラとルドヴィカは二人とも大神官の身内と言うこともあり、神官将になる前から交流があり、それなりに友好的な関係だったはずだが、現在天拳将たる少女はこちらを鋭い瞳で睨みつけている。
「……(無理もないか)」
真相はともかく、表に出る話としてはルドヴィカはジドス含む三神官を殺害した翠明院陽華の一派。
アミラがルドヴィカを姉の仇として憎悪するのは致し方ないことだ。
「最近お前の話を聞いたのだ」
言葉の端々に黒い感情を滲ませながら、アミラは口を開く。
「……最年少の神官将だって話なのだ」
「……はあ?」
予想していた恨み節とは全く違う言葉にしばしの間呆けるルドヴィカ。
「何が最年少なのだ! お前よりもこのアタイのほうがずっと年下なのだ!」
「んなわけないでしょうが! って言うか前に会ったときも、あんたより二つ三つ年下だって言ったじゃないの!」
ルドヴィカの言葉にアミラはびっくり仰天と言わんばかりに大きく目を見開いた。
「そうなのだ? でもお前とんでもなくでっかいのだ」
納得のいかなそうな視線を向けるアミラ。どうやら彼女はルドヴィカの姿のみで彼女の年齢を判断していたらしい。
「……で、誰が侵入者なのよ?」
どうにも話が進みそうにないため、ルドヴィカがそう訊ねるとアミラは思い出したかのように両手を叩く。
「あ! そうだったのだ!」
そのまま両拳を構えて戦闘態勢を取り、アミラは微かに眉を吊り上げた。
「ここから先、クリンゲルヴァルト大修道院に進もうとする奴は誰であろうと排除するように言われてるのだ!」
アミラの口にした意外過ぎる単語にルドヴィカは目を見開く。
「はあ? ちょっと待ちなさい! ここって、クリンゲルヴァルトなの?!」
「その通りなのだ、ここで会ったが百年目なのだ!」
理気を滾らせ臨戦態勢を整えるアミラに対して、ルドヴィカは混乱の真っ最中、こんな状態で戦うわけにはいかない。
「ち、ちょっと待ちなさいアミラ! あんた、今回のことはなんて聞いてるの?」
とにかく今すべきは少しでも情報を得てこの危機を乗り切る力とすること、やや不意打ち気味に問うルドヴィカに、アミラはほぼ条件反射的に返答した。
「お? 確かなんとか院とか言う奴がものすごーーーーーーく悪いことしたから、助けに来る奴は排除しろって言われてるのだ」
そこまで話して、ちらっとルドヴィカの顔を伺うアミラ。
「でもまさかお前が来るとは思ってなかったのだ」
「……ルイズもあんたがいるとは思わなかったわよ」
どうやらアミラには自身の姉を含む三神官の暗殺騒動によりクリンゲルヴァルトに陽華が拘留されていると知らされていないらしい。
となれば真相を話し、言葉を重ねれば彼女を仲間に引き込むことも不可能ではないかもしれない。
「あのねアミラ、実は……」
ルドヴィカが説得しようと口を開いたその刹那、アミラの身に纏っていた理気が膨れ上がる。
「問答無用なのだ!」
瞬間、アミラは大地を蹴り、恐ろしい速度でルドヴィカに肉薄した。
「桐鳳凰!」
「……っの!」
続けざまに右腕を振り上げ、神速のスピードで手刀を放つ。
「松鶴!」
即座にルドヴィカも双刀を引き抜いて交差、これを阻んだ。
「相変わらずの馬鹿力ね……!」
理気を纏った上にアミラ天性の剛腕から放たれた手刀、あまりの力にルドヴィカの両手に痺れるかのような衝撃が走る。
「むきー! 馬鹿って言う方が馬鹿なのだ!」
ルドヴィカの言葉を挑発と見たのか、アミラは顔を真っ赤にしつつその場に飛び上がった。
「桜幕!」
そのまま空中で回転するような形で放たれる踵落とし、アミラの体重は大したことないが、それでも理気によって強化された一撃は下手な格闘家の攻撃よりも重い。
「ちっ! 腕前のほうはなまじ出来る分。話が通じないのは厄介過ぎんのよ!」
どうにかこれも塞いだルドヴィカが毒づきながらも刀を横薙ぎに振れば、アミラはくるくると空中を一回転しつつ後方に退く。
「どんどん行くのだ! 桐鳳凰!」
「っ!」
「……からの、雨!」
またしても高速でルドヴィカとの距離を詰めるとともに正拳突きを放つアミラ。
「ちっ!」
瞬時に双刀を返してこれを防御するルドヴィカ、これに対してアミラはにやりと楽し気な笑みを浮かべた。
「ほほう、なかなかやるのだ」
「っ!」
「なら両手を使うだけなのだ」
直後アミラの左手がブレ、先ほどとは比較にならないほど強烈な理気を纏う。
「五月雨!」
瞬間、ルドヴィカに襲い掛かる高速拳の嵐、連続で放たれる雨は一発一発が必殺足り得る非常に重いもの。
「っ! いい加減にしなさいっ!」
どうにか双刀でこれを弾いていたルドヴィカであったが、いよいよ苛立ちが抑えきれなくなってきたらしく、全身から理気を放ちアミラを後方に跳ね飛ばした。
「わわっ!」
「とった!」
間髪入れずに対象へと接近するルドヴィカ、しかし完全に無防備と思われたアミラは空中を蹴り、受け身を取る。
「舞桜!」
「なっ! 空中で……!」
驚愕するルドヴィカをよそにアミラは横薙ぎに手刀を放った。
「飛拳松鶴!」
理気を纏い高速で放たれた手刀は、衝撃波となってルドヴィカに襲い掛かる。
どうにか双刀を交差させてこれを防御したものの、衝撃までは殺しきれず後ろに吹き飛ばされた。
「……やってくれんじゃない!」
悔しそうに表情を歪めると、ルドヴィカは全身に理気を漲らせる。
「こうなりゃ、本気でやるしかなさそうね」
直後、理気の流れが急速に早まり、周囲に霧が立ち込めた。
「うわわわわわわわ……!」
嫌な予感を覚えたのか、アミラはすぐさま地面を蹴って霧から距離を取る。
「なんか知らないけどあの霧はどう考えてもやっばいのだ!」
「中々良い勘してんじゃない」
深い霧の向こう側からルドヴィカはクスクスと笑い声を漏らした。
「指一本でも触れたらその時点でジ・エンドだから」
「むむむむむむむむむ……!」
しばしの間霧から逃れるばかりであったアミラだが、すぐに対処法を思いついたのか両拳を構える。
「飛拳五月雨!」
広範囲に立ち込める霧目掛け、拳圧による衝撃波を連射するアミラ。
「おらおらおらおらおらおらおらなのだ!」
砲弾を思わせる攻撃、これにより発生した衝撃波は理気も込められているのか、ルドヴィカの霧を難なく吹き飛ばした。
「やったのだ!」
霧が晴れ、視界が広がるとアミラは嬉しそうに顔を綻ばせる。
しかし肝心のルドヴィカがどこにもいないことに気付くと、慌てた様子で周囲を見渡した。
「はれ? ど、どこいったのだ!?」
「ここよ」
すぐ足元から聞こえてきた声にアミラが視界を下げようとしたその刹那、彼女の足に冷たいものがまとわりつく。
「わわわわわわわ、な、なんなのだこれは!?」
それは霧で出来た足かせ、白い靄のようなそれがアミラの脛の辺りに巻き付き、地面と縫い付けているのだ。
「動けなくしちゃえば、あんた自慢の格闘術も活かせないでしょ?」
霧に紛れて距離を詰めていたらしいルドヴィカはその場にゆっくり立ちながら得意げな笑みを浮かべる。
彼女の用意した足かせは霧であると同時に物質、それ相応の理気を使わねば破壊できないような代物だ。
「ひ、卑怯者! ちゃんと正面から勝負するのだ!」
「ルイズとしてもそうしたいとこなんだけど、こっちにも事情ってもんがあるのよ」
「むぐぐぐぐ、こんなもの……」
アミラが力を込めるとともに空間が微かに震え、足かせにも亀裂が入る。
「ちょ、それはシャレにならないっての!」
さすがにこのまま看過するわけにはいかない、ルドヴィカは刀を納めアミラに当て身を放った。
「ぎゃふ!」
短い悲鳴とともに昏倒するアミラ、そのまま柔らかい砂の上に後ろのめりに倒れる。
「悪く思わないでよ?」
微かに息を吐くとルドヴィカは理気を集中、クリンゲルヴァルト修道院への道を探った。
「……(大修道院は西)」
相変わらず秋隆の姿は影も形もないがすべき目的は同じ、ならばクリンゲルヴァルトに来ているならばいずれ再会できるだろう。
気を引き締めるとルドヴィカは周囲に霧を放ち、その中へと消えていった。




