第七十四話「鈴森」
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新天地にて。
月の光のみが差し込む薄暗い空間、六畳ほどの部屋には畳が敷き詰められ、文机に行燈と狭いながらも必要最低限の調度品は備えられている。
しかしよく見ればその出入り口はしっかりと施錠され、廊下に面した壁も鉄格子で構成されているなど、牢屋としての体を成した部屋だ。
「ん?」
そのような部屋の中で行燈すら灯さず、文机の前で何事かを思案していたその女性は不穏な気配に顔を上げる。
魔族風の豪華な十二単に深海のごとき青い肌、頭から伸びる三角の狐耳に幾重にも分かれたふさふさの尻尾と、人間離れした姿の女性だ。
彼女こそが翠明院陽華、本来ならば元老院議員にして魔族の王たる妖魔王という要職に就いているのだが、現在は三神官暗殺事件の首謀者という汚名を着せられ、クリンゲルヴァルドに拘留中の身である。
「……(この気配、杏一郎殿か?)」
「……神聖なクリンゲルヴァルドにうるさい羽虫どもが入り込んだようですね」
陽華の後ろから聞こえるは冷淡そのものといった声。座敷牢のすぐ外側で陽華の様子を見張っていたその人物は暗闇の中で微かにその身を起こした。
声を上げたのは、一見したところ、非常に幼い容姿の少女。小柄な体躯にシンプルなデザインの修道服を身に着け、短く切りそろえられた短髪が飾る頭には質素なベールをかぶっている。
しかしその瞳は長い年月を生きてきた者特有の諦観がにじみ出ており、人よりも年を取る速度が遅いような、そんな印象の少女だ。
「院内に化狐の類がいると、匂いにつられて羽虫が集まってくるものなのでしょうか?」
「……相変わらず容赦と言うものがないようじゃな。クリスティア・カラレス修道院長殿」
修道院長と呼ばれた少女、クリスティア・カラレスは陽華の言葉を歯牙にもかけず、微かに鼻を鳴らす。
「羽虫を羽虫と呼んで何が悪いのでしょうか? クリンゲルヴァルドの静寂を邪魔する者は誰であれ騒々しい羽虫です」
「では、駆除に行ってみてはどうじゃ?
扇で口元を隠しながら化狐らしい胡散臭い笑みを浮かべる陽華。
「現行の戦力を知りながらも乗り込んでくるような手合い、お主の言う羽虫は恐らく羽虫の中でもかなり歯ごたえのある羽虫じゃと思うぞ?」
妖魔王たる陽華の処刑となれば、彼女を慕う魔族たちが奪還に動き出すという可能性は決して低くはない。
それ故に現在クリンゲルヴァルドは過去に例を見ないほどに軍備が整えられていた。
アイオナ以外の五清将を筆頭に各地から招集された多数の神官将、さらにはクリンゲルヴァルド常駐の禁軍がそれである。
生半可な勢力ではこれを突破して処刑を阻止するなど不可能、そんな中乗り込んでくるのは勇気を蛮勇とはき違えた愚か者か、あるいはその軍備を突破できるほどの勢力かのどちらかと見て間違いない。
そのため、クリンゲルヴァルド最高戦力の一角たるクリスティアが迎撃に出るのは至極当然の話なのだが、彼女はにこりともせず微かに顎を下げ、小さく息を吐いた。
「その手には乗りません。貴女のように表裏比興な化狐のこと、監視の手が緩んだ隙に逃げ出すつもりですね?」
ちらっとクリスティアは廊下の隅でこちらを見つめる見張りの修道女を一瞥する。
彼女もまた深海のように青い肌を備えた魔族、陽華の同族に当たる修道女だ。
「この修道院内にも妖魔王たる貴女を慕う者がいる以上手は緩めません。処刑の直前までこのクリスティア・カラレスが見張ってあげます」
クリスティア個人としてはクリンゲルヴァルドにいる修道女が主命に背いて陽華を救おうとするとは思っていない。
しかし目の前にいるのは権謀術数に長けた化狐、巧みな話術で魔族修道女を篭絡し、引き込むというのは十分考えられる。
「……やれやれじゃな」
呆れたように肩をすくめると、陽華は鉄格子付きの窓から月が輝く夜空を見上げた。
「……(クリスティアよ、すぐに杏一郎殿への対処をしなかったこと、いずれ後悔することになるぞ?)」
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陽華が見上げているのと同じ月が照らす平原。
脹脛辺りまで伸びた草の間に倒れていた秋隆は、固く閉ざされていた両目を開き、夜の闇の中でその身を起こした。
「……星? それに、ここは?」
「どうやら、気が付いたようですわね」
すぐ近くで聞こえ声に振り向いてみれば、そこにいたのは彼の師父たる仙女、凍子。
小さな切り株に腰かけ、液体窒素のような冷たい瞳に安堵を滲ませつつこちらを見つめている。
「凍子……?」
「杏一、前後の記憶は定かですか?」
凍子の言葉に、秋隆は急速に覚醒する頭の中でここに至るまでの出来事を思い起こした。
「……時空捻転現象が暴発したところまでは覚えています」
そう、クリンゲルヴァルドに向かうため、凍子が時空捻転現象を引き起こしたまでは良かった。
しかしどういうわけだかそれは彼女の手を離れて暴走、結果その場にいた四人をいずこかへと吹き飛ばしてしまったのである。
「何者かの干渉により、時空捻転現象が歪められ、わたくしの意思とは関係なく、この場所に跳ばされました」
「干渉、それでここはどこなのですか?」
周囲に見えるものは煌々と輝く月を除けば、草の生い茂る平原とそれを取り巻く鬱蒼とした森のみ、これだけではここがどこなのか推察することは困難を極めるであろう。
「それはわたくしも調べようとしていたところですわ」
困ったように肩をすくめ星空を見上げる凍子。どうやら彼女もここがどこなのかわかっていないらしい。
「桔梗城で見た星の輝きとは異なりますわね。どうやらエテメンアンキではなさそうですが……」
「っ! そう、桔梗城です!」
弾かれたように顔を上げ凍子を見上げる秋隆。普段冷静な彼にしては珍しく焦燥感溢れる姿だ。
「一応一通り備えはしてありますが、それはあくまでも我ら有りき、もし攻撃を受けた場合ある程度は凌げても長期間は……」
今や彼らは翠明院陽華に与する反逆者一味、桔梗城はもとよりセント・ヴァルナールやヴァルナ・ウルベリウムのような秋隆に近い都市すらエルメラの攻撃対象となり得るのだ。
此度の陽華救出も、以前ヴァルナー領でやったように任務の合間を縫って時空捻転現象を用い桔梗城に帰城しつつ進めるつもりだったため、城の備えも完璧とは言えない。
そんな秋隆に対して、凍子は落ち着いた表情で首を振って見せる。
「杏一、卿の気持ちも理解出来ますが、まずは己のことからです」
このような得体の知れない場所に跳ばされ、何が起きるかわからない現状、凍子の言う通り自分の身の安全を確保するほうが先だ。
「それに、留守中家臣のことを信じるのも主君たる者の務めですわよ?」
そこまで言われて秋隆も若干ながら落ち着きを取り戻したらしく、微かに口角を上げる。
「……そうですね。アズには凍子が鍛えた旗本たちが付いているのでしたね」
「ええ、そして我が生徒たちには卿が見込んだ内管領がついていますわ」
とにかくまずは手近な場所にある使命をはたすところから。ここがどこかわかるまでは自分の命を優先し、慎重に行動した方が良い。
そこまで考えて秋隆はこちらに近づいてくる気配を察知し、腰に帯びた刀、鼈甲霊亀の柄に手をかけた。
凍子もまた秋隆同様、剣呑な気運を察したらしく切株から腰を上げ、鬱蒼とした木々に阻まれた森の境界線に目を向ける
果たしてその人物は落ち葉を踏みしめる音ともに森の中から現れた。
赤を基調とした衣に、腰には金銀細工が施された派手な刀、総じて身なりは良いと言えるがその一挙手一投足は乱雑なもので、上品さとは縁遠い姿である。
「お、お前は……!?」
このようなところで秋隆たちと出会うことになるとは思っていなかったのか、二人の姿を見た瞬間、その人物は驚愕からか両目を見開いた。
「ふん、面倒な斥候だと思っていたけれど、反逆者を見つけるなんてね」
「そなたは確か、神官将の……」
最後まで言う前に彼女の周囲の理気が変容、巨大な炎の球となって秋隆に襲い掛かる。
「っ!」
瞬時に攻撃を見切り、秋隆は身をひるがえしてこれを回避、下手人と距離を取ると微笑を浮かべた。
「……いきなり攻撃を仕掛けてくるとはご挨拶だな。ナルカ・ヴァルナー」
「ちっ! 化け物が……!」
先制攻撃に失敗し、悔しそうに表情を歪めるのは神官将、ナルカ・ヴァルナー。以前ウォルキアで秋隆と一戦交えた人物である。
「久坂杏一郎、お前とその郎党には元老院の名前で討伐命令が出ているわ」
腰に下げていた刀を引き抜き、ナルカは秋隆に向かって醜い嘲笑を浴びせかけた。
「そんな中でクリンゲルヴァルドに来るとは、まさに飛んで火にいる夏の虫とはお前のことね」
「クリンゲルヴァルド、だと?」
予想外の言葉に思わず秋隆は声を上げたが、ナルカは彼の様子を気にすることなく言葉を続ける。
「ふん、目的は翠明院陽華の奪還でしょうけどおあいにく様、すでにこの地には五清将と各地域から招集された神官将百人が集まっているわ」
自分が仕事をしたわけでもないのに得意げに胸を張って見せるナルカ。
「翠明院陽華を奪還しようとすることはエルメラ神聖国そのものに敵対するようなもの、お前に出来るのはクソオスらしく無様に死ぬことくらいよ」
圧倒的優位に立った優越感ゆえかナルカは醜い笑みのまま哄笑した。
「さあ、それはどうかな?」
一方の秋隆はそのような情報を聞かされても尚全く動じることはなく、先ほどと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべるのみである。
「窮鼠猫を嚙むという言葉があるくらいだ、人間追い込まれると意外な力を発揮するものだぞ?」
恐懼と言う感情がまるで感じられない秋隆の言葉にナルカは苛立たし気に表情を歪めた。
「下等なクソオスの分際で生意気な……!」
次の瞬間、ナルカは刀に炎の理気を纏い、大きく振りかぶる。
「これで死ね! 理力剣!」
放たれたのは空気を焦がすほどの威力を秘めた極めて攻撃的な理気の斬撃。
直撃でもしようものならば瞬時に肌は焼き尽くされ、骨も残らずに消滅する結果になるのは、文字通り火を見るよりも明らかだ。
「あははははは……! セント・ヴァルナールじゃ好き勝手やってたみたいだけど所詮この程度、反逆者らしく無様に死になさいっ!」
哄笑するナルカ、しかし秋隆は一切躱す素振りを見せず、自身の足元に理気を集中させる。
「桜花絢爛」
直後彼の足元から伸びるのは樹木の幹、刹那ビデオの早送りのようにそれは急速に成長しやがて巨大な桜の木へと変貌した。
「なっ! ま、まさか現象攻撃を……!」
慄くナルカの前で彼女の放った理力剣は桜に吸収、理気を養分として美しい花を咲かせる。
「こ、これは一体……!?」
「……行くぞ」
桜の花びらがまるで雪のように舞い散る中、木の幹が真っ二つに割れ、その中から秋隆が飛び出してきた。
その速度たるやまさに神速、ナルカに見切れるようなものではない。
「早っ……!」
肉薄するとともに理気を纏った秋隆の鉄拳がナルカの顎に命中、脳を揺さぶられながら彼女は後方に吹き飛ばされる。
「ば、かな、クソオスに、二度も……」
桜舞い散る地面に倒れる頃には、ナルカの意識は完全に闇の中に沈んでいた。
「桜の木の下で眠れ」




