第七十三話「クリンゲルヴァルト」
いつもお読みいただきありがとうございます。
励みになります。
新章突入
桔梗湖畔における五清将アイオナ・イグナウスとの死闘を制し、秋隆は休む間もなく桔梗城本丸御殿に戻ってきた。
「やあやあ杏一郎君、随分活躍だったみたいだね」
昏倒したアイオナを御殿内にある離れに収容し、黒書院に戻った秋隆を待っていたのは上機嫌なナイン・アケイオスのにやけ面、見ているだけでげんなりしそうな顔である。
「……貴公に褒められても全く嬉しくないな」
先刻アイオナと激戦を繰り広げていたとは思えぬしっかりとした足取りで上座に至ると、秋隆は下座へと目を向けた。
現在黒書院にいるのはナインと彼女の応対をしていた内管領のアズ・オグトールや旗本らに加え、天守閣から戻ってきた凍子、ルドヴィカ、豊輝の八名である。
「それで、いつ処刑するつもりだい?」
鳴物入りで放たれたナインの質問、当初何のことかわからないと言った様子の秋隆だったが、すぐに捕えた敵将、アイオナのことだと察した。
「処刑するつもりはない、適当なところで解放する」
殺さず生かすという答えを聞いてナインは面白くなさそうに唇を尖らせる。
「甘い情け心だ、青臭い」
「何とでも言え。彼女ほどの人間を殺すのはエルメラ全体の損害、それに彼女は本来私と敵対するような立ち位置ではない」
秋隆の命を狙ったのはあくまで仕事の一環であって彼女自身の欲求によるものではない。
それ故、一度敵対こそしたものの命まで奪う必要はないと判断したのだ。
「命を狙った相手に随分と寛大なことで……」
「結局取られてはいない、そんなことよりアケイオス、先ほどの話の続きだ」
話の続きと言われ、ナインはアイオナが乱入してくる直前まで話していた内容を思い出す。
「あー、翠明院陽華のこと?」
「……彼女の処刑はいつだ?」
「今から一週間後だね」
真剣そのものと言った様子の秋隆を前に、ナインはぺろっと長い舌で唇を湿らせると静かに口を開いた。
「航路でトルキオに向かった場合一日半、そこから彼女の拘留されているクリンゲルヴァルト大修道院へ向かう。当然、路線含めて周囲は封鎖されてる上、警備も厳重、相当シビアな話になってくるね」
ここ桔梗城から最も近い港まで馬車で半日、さらにはエルメラサイドの封鎖や妨害も突破してとなると、普通ならクリンゲルヴァルト大修道院に着く頃にはもう処刑は終わっているだろう。
「一応ゼデキア産の高速飛行艇を使えば一日でクリンゲルヴァルトまで行けるけど、反逆者認定されてる今の君たちじゃ使用許可は下りないと思うよ?」
どう逆立ちしても間に合うことはないとナインは言外にそう告げているわけだが、秋隆が無言で下座に目を向けると、凍子はすぐさま頷いて見せた。
「……その辺りのことは何の問題もありませんわ」
そうあくまでクリンゲルヴァルト大修道院までそれなりにかかるというのは一般的な話である。
普通ならば何週間かかる旅も数秒に短縮できる手段がこちらには存在するのだ。
「問題は着いてからのことだ。こちらが無罪を主張しても誰も取り合ってはもらえないだろう」
秋隆の言うようにここまで強引に翠明院陽華の処刑を進めている以上、直接クリンゲルヴァルト大修道院に訴え出ても一蹴されてしまうだろう。
むしろ、反逆者の仲間として拘束されてしまうことになるのがオチだ。
「だったら強引に奪い返せばいいじゃない」
「ルイズ」
とんでもなく物騒なことを言い出したのはルドヴィカ。普段から感情の起伏が恐ろしく激しい少女であるが今日はいつにも増して不機嫌そうである。
「ルイズたちはなんにも悪いことしてないのにこんな目に遭わされてんのよ? そんくらいしないと気が収まんないわ!」
「また無茶なことを……」
どうにか窘めようとする秋隆であったが、思いもよらぬところから擁護意見が飛んだ。
「しかし現段階ではそれしかありませんわね」
意外過ぎる発言をしたのは凍子、ルドヴィカを一瞥すると上座に座る秋隆に視線を向ける。
「ここで彼女を失ってしまえば無実を証明することはおろか、杏一たちの反逆者認定を取り消すことも出来なくなりますわ」
凍子がいの一番に心配することは秋隆の立場のこと、このまま彼が反逆者として汚名を着せられたまま誅殺されることを懸念しているのだ。
「どっちみち行動した時点で正真正銘のお尋ね者、厄介なことになっちまったな」
豊輝の言葉通り、仮にもエルメラ神聖国の拠点たるクリンゲルヴァルト大修道院に攻め込んだ時点で本物の反逆者、かといって動かなくても反逆者という進退窮まった状況と言うわけである。
「それから君たち、さっきもちらっと触れたけど。どうにか処刑前にたどり着けても、クリンゲルヴァルト大修道院は反逆者に備えて、完全に守りを固めているよ?」
「戦力は?」
ナインの言葉に即座に食いつく秋隆。あまり聞きたくはないのだが、攻め込む場合の情報は頭に入れておかねばならない。
「トルキオ駐在の神官将にクリンゲルヴァルトにいる禁軍、そこにアイオナ・イグナウス以外の四人の五清将も加わるだろうね」
前者に関しては秋隆、凍子、豊輝、ルドヴィカの四人が死力を尽くして戦えばどうにかなるかもしれない。
しかし、その奥にアイオナクラスの人間が後四人も控えているとなると途端に雲行きが怪しくなる。
「……圧倒的に不利、と言うわけか」
進むも地獄、留まるも地獄と言う窮地に、秋隆の表情に死相が滲んだ。
「言っとくがな頭中将殿、お前さんが行かないって言っても私は一人でトルキオに行くぜ?」
「え?」
豊輝の言葉に弾かれたように彼を見てみれば、普段の飄々とした雰囲気は鳴りを潜め、四道将軍と呼ぶに相応しい精悍な表情をしている。
「どうしてそこまで?」
これまでのところ豊輝と陽華は幽都で一度接見したと言う程度であり、命をかけるほどの接点はない。しかし彼はとんでもない危険が目の前にあることが分かっているにも関わらず、一人でも飛び込もうというのだ。
秋隆でなくともどうしてそこまでして陽華を助けに行くのか気になるのは無理のないことだろう。
「ま、私にも色々あんのさ」
顎を撫でながらどこか遠くを見る豊輝。ここでは詳しく語るつもりもないようだが、彼には彼なりの戦う理由があるらしい。
「ルイズもこのまま誰かのおもちゃにされたままなんて真っ平だし、それに……」
そこで一旦言葉を切るとルドヴィカは烈火を思わせるような激しい意志の宿る瞳でナインを睨みつけた。
「あんなのでも母親、これが陰謀って言うなら、ルイズが真犯人を暴いて仇を取らなきゃでしょ?」
「……どうやら皆思いのほか乗り気のようですわね」
凍子の言葉に秋隆は微かに頷く。五清将や神官将といった精鋭が守るクリンゲルヴァルト大修道院に乗り込むなど本来ならば死にに行くような行為だ。
当然陽華を救出することがどれほど困難なことなのかも、この場にいる全員が理解している。
しかしそれでも、十中八九死ぬということが分かっていても尚トルキオに行くというのだ。
敵勢力の実力が分かっていればいるほどに生半可な覚悟で口にできるようなことではないだろう。
「そうだな、このような無法を放っておくわけにはいかぬか」
これほどの覚悟を持って事に当たろうという者たちを放っておくなど武士の名折れ、四道将軍家の惣領たる者の資格はない。
覚悟を決めると秋隆は状況を黙って見守っていたナインに顔を向けた。
「そう言うことだアケイオス、我々は今から陽華を助けに行く。例えその先にどれほどの困難が待っていようとな」
それに進むことを選んでも、留まることを選んでも、その先に広がるの同じ地獄、ならば自分の意思で進んだ方が幾分かはマシと言えよう。
「貴公が何を思ってここに来たかは知らないが情報提供感謝する」
「……ま、君の思う通りにすればいいさ」
秋隆を含むこの場にいる全員の顔を眺めると、ナインは口元を歪め、悪意の見え隠れするぞっとする笑みを浮かべた。
まるで悪魔を思わせるような邪悪な笑み、エルメラとゼデキア双方に武器を供給するというとんでもない真似をする死の商人らしい顔である。
「それじゃ、僕はこの辺りで失礼させてもらうとするよ」
最後に一度だけ秋隆に向かって一礼すると、ナインは足早に黒書院を去っていった。
「……貴公に言われなくともそのつもりだ」
ナインが黒書院から退室すると、秋隆は部屋の隅で縮こまっているアズに視線を向ける。
「アズ、私が留守の間はそなたが城代、内管領として城内や旗本たちのこと、しかと頼むぞ?」
「はいなのです。でもあの人はどうするのです?」
あの人、アズが誰のことを気にしているのか秋隆は即座に察した。
アイオナ・イグナウス、五清将であり現在昏睡状態にある少女のことであろう。
「起きたら食事を与えて体力回復次第解放、後は好きにさせると良い」
「わ、わかったのです」
秋隆の指示にアズはすぐさま頷いた。しかし敵将、しかも信じられないほどの力を備える五清将を城内に抱えることに不安があるらしく、その瞳は微かに揺れている。
「心配するな。あの娘はそなたに危害を加えることはしないだろうし、おそらく今回はその前に戻ってこれるだろう」
戦ってみてわかったがアイオナという少女はどれほど自分が不利になろうとも標的以外の人間を襲うようなことはしない。
当人は面倒くさいためと語っていたがあれは恐らく彼女本来の、優しい気質によるものなのだろう。
「わかりました。無事の帰還をお待ちしているのです!」
胸の前で両手をぐっと握りしめるアズを見て微笑みを浮かべると秋隆は凍子に向かって頷いて見せた。
「では凍子、そろそろ……」
クリンゲルヴァルト大修道院に捕らわれ処刑を待つ身である陽華には最早一秒たりとも余分な時間はない。
秋隆の意思を察し、凍子もまた軽く首肯すると右手を上げて理気を収束、時空捻転現象を引き起こす。
「っ!」
異変が起きたのはその直後、部屋の中に小規模な光のドームが形成された瞬間、空間全体に電流のようなものが流れたのだ。
「なんだ、この気配は……!」
時空捻転現象の向こう側に感じるのは凄まじく濃い悪意。
混沌としていて、同時に底が知れない、純然たる悪意としか掲揚できないような、そんな気配である。
「ご主人様!」
「うおおおおおおおおおおおおお……!」
刹那、空間が震動、同時に発生した衝撃波にアズは吹き飛ばされ襖に背中を打ち付けた。
「がっ!」
あまりに痛みに涙目になるアズ。だがそんなことよりも心に湧き上がるのは今目の前で起きている異常事態への恐怖。
どうすることも出来ず呆然とする中、凄まじい閃光が走り、思わずアズは目を閉じる。
その後、時空捻転現象が収まり、恐る恐る目を開いてみると、その場にはもう誰も残っていなかった。




