第六十四話「竜姫」
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征夷大将軍よりも怖い妹(by入江尚吉郎豊輝)
十畳ほどの空間、照明と言えば灯明皿から細々と供給される小さな明かりのみという薄暗い空間。
翠明院陽華との接見を終えたその日の夜、秋隆は自身にあてがわれた二の丸御殿の一室に引っ込み、そこでとある人物と対面していた。
「……九尾と言う者は、何千年経とうとも変わらず胡乱な種族と言うわけですわね」
秋隆と向かい合う形で上座に正座し、悩まし気にそう呟いたのは、彼の師匠でもある仙女、瀛洲寺凍子である。
今回彼女は桔梗城にて留守居務めているのだが、自身の能力を活用しこうしてこまめに秋隆の様子を見に来ているのだ。
そんな師父に秋隆が相談するのは午前中に行われた陽華との接見のことである。
「陽華殿は、何を企んでいるのでしょうか?」
その企みは依然不明ながら妖魔王が何かを目論んでいることくらいはわかるため、灯明に照らされた秋隆の表情は非常に険しいものだ。
「……材料がない現状では推察のしようもありません。しかし……」
凍子はそう前置きをすると、秋隆の双眸を正面から見据える。
「かの妖狐が言っていた言葉を額面通りに受け取るならば、卿らをこの地に呼び寄せ、しばし留まらせることが目的ということですわね?」
「そう言っていました。敢えて言うならばそれが目的だと」
秋隆の返答に凍子は何度か頷くと、頭の中で思考をまとめ再び口を開いた。
「逆に考えた場合、卿らがエテメンアンキにいては困るということでは?」
凍子の仮説を受けて、秋隆は弾かれたかのように頭を上げる。
新たに頭の中の浮かんだ考えに心臓は高鳴り、背中からは冷や汗が噴き出していた。
「何か事を起こす、いや、何かが起きることを予期して、我々を遠ざけた?」
「そう考えるのが自然ですわね。その何かがわからない以上状況は変わりませんが……」
そこで凍子は突如として言葉を切り、西側の壁に視線を向ける。
表情そのものは相変わらず冷徹なもので内面を探ることは出来ないが、その身に纏う気配は不穏なものであった。
「凍子?」
しばし無言のまま壁を睨みつけているため秋隆は彼女の声をかけ、その視線の先を追う。
彼女が見ているのは何の変哲もない壁、否もしかしたらその方向にある場所、エテメンアンキを見据えているのではないか?
「……いえ、なんでもありません」
嫌な予感に秋隆が緊張した様子で彼女を見つめていると、凍子はごく僅かな時間瞑目しすぐさま視線を正面に戻した。
「……そちらはいかがですか?」
何か気になることがあるのならば話してもらえるのではないかと思い、秋隆は何気ない様子を装い、話題を変更してみる。
「……(気にしているようですわね)」
そんな秋隆の考えに気付かぬ凍子ではない。正直なところ先ほど感じた違和感について話すべきではないかとも一瞬思ったが、即座に心の内でその考えを打ち消した。
ただでさえ己の弟子は現状数多くの重荷を背負っているのだから、違和感などと言う不確実なことを話して不安にするべきではないだろう。
「……(話すべきではありませんわね)」
そう結論付けると、凍子は秋隆が話題を変えてきたことを幸いとばかりに、桔梗城の近況を話すことにした。
「かの家令、東山躑躅が卿の内管領とやらに様々な事柄を教え込んでいるようです」
凍子の口から飛び出してきた内容に秋隆は微かに顔を綻ばせる」
「そうですか、帰ったら東山殿にお礼を言わねばなりませんね」
「それから、旗本たちの修行も進んでおり、現在は理気と並行して武芸についても訓練中です」
当たり障りのない内容の発言、言外に放たれた「何も心配することはない」という師父のメッセージを読み取り、秋隆は静かにため息を吐いた。
「心配せずとも、エテメンアンキのことはわたくしが探ってみることに致します」
じっと凍子は液体窒素のごとき冷たい瞳で秋隆を見据える。
相変わらずその目は感情の読み取り辛い冷たいものであったが、うっすらと弟子の身を案じるような暖かな感情が見え隠れしていた。
こちらに何の話もしてくれないのは少しばかり残念ではあるもののこの師父を秋隆は肉親のように信頼している。
ならば今回に関しては何も言わずに彼女に任せた方が確実なのかもしれない。
「よろしくお願いします」
秋隆の言葉に微かに頭を下げると、凍子は時空捻転現象を発現させ、エテメンアンキに戻っていった。
「……ふう」
師父の気配がこの空間から消えたことを確認し、秋隆は僅かに姿勢を崩し身体を伸ばす。
「……ん?」
そこで秋隆は何者かの視線を感じ、部屋の東側に設えられた障子に視線を向けた。
すぐさま鼈甲霊亀を手に立ち上がると、慎重な動作で障子を開き、その向こう側に足を踏み入れる。
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障子の向こう側にあるのは、入念な手入れのされた美しい庭園。
二の丸御殿という施設が他所から来た来賓を迎えるための建物のため、当然そこに付随する庭園も見事なものだ。
波の模様が引かれた白洲に自然に形成されたと思しき形状の苔むした庭石、すこし離れた場所には煌々たる月の光を反射する大きな池が見える。
そんな池の中心部、彼岸と此岸を差し渡す石造りの橋の上に刀を手にした一人の少女が佇んでいた。
その身に纏うのは白衣に緋袴という一般的に日本の巫女と言うと大多数の人間が想像するであろう装束。
艶やかな長い髪は一つに束ねられ、紅葉を思わせる髪飾りは微かに月の光を帯びており、その凛とした美貌も相まって何とも言えない神秘的な雰囲気を醸し出している。
しかし彼女もまた翠明院陽華や石動双葉同様人間ではないらしく、身体に異形を備えていた。
頭からは鹿の如き枝分かれした角が一対伸び、両手もワニかあるいは恐竜のように硬質化したものである。
そしてその肌もまた人間離れした異色のもの、魔族らしい青肌だが陽華らと比べて黒の配色が濃い、どちらかと言うと黒紺色に近い色だ。
「……そなたは?」
総じて魔族の中でも稀に見るほど人間離れした異形の姿と言える。
しかし秋隆は彼女を見ても一切違和感を抱くことはなく、むしろ安心感のようなものすら感じた。
「……今宵のように月の美しい夜は思いがけぬ出会いをするというもの」
少女はまるでホバー移動するかのようにスムーズな動きで庭を横断、秋隆のすぐ前に至り、そのまま膝を着く。
「お会いしとうございました。兄上様」
藪から棒に放たれたあまりにも意外過ぎる言葉を消化しきれず、さしもの秋隆もしばしの間呆然と立ち尽くした。
「兄、上?」
少なからず動揺する秋隆であったが、いつまでも呆けてはいられない。
頭を振って半ば無理やり冷静さを取り戻すと、すぐさま目の前で膝を着く少女に声をかける。
「……すまない、私は記憶を失っていて過去のことはほとんど覚えてはいないのだが……」
秋隆の言葉に少女は一瞬だけキョトンとした表情を見せたが、すぐさま神妙な顔つきで頷いた。
「左様にございましたか、では改めまして……」
隙のない動作で少女はその場に立つと、胸元に右手を添え熱のこもった瞳で秋隆を見つめる。
「此方は綾音、久坂綾音と申します。以後お見知りおきを……」
「久、坂? では、そなたは私の……」
「妹、と言うことになります」
自称妹、久坂綾音、その話が真実であることを証明する術を今の秋隆は持たない。
それに彼女の見た目は異色の肌に竜の腕、頭からは角とあまりにも人間離れし過ぎた姿だ。
普通に考えれば妹、どころか身内と言われても信じることは出来ないだろう。
しかしそんなことを言いだせば、今の秋隆もまた人間ではなく四千年生きた霊亀であり仙人、もしも今両親に霊亀としての姿を晒した場合息子と言っても信じてはもらえないかもしれない。
「……(四千年も生きるなら、多少は異形にもなるか)」
「その、そうまじまじと見られると、さすがに照れてしまうのですが……」
どうやら頭の中で考えをまとめている間無意識的に綾音を凝視していたようだ。
恥ずかしそうに翼で身体を隠す綾音を見て、秋隆はすぐさま頭を下げる。
「っ! す、すまないっ! つい……」
「い、いえ、兄上様にならばどれだけ見られても構いません」
何とも気まずい沈黙、これを打破すべく秋隆は話題を変えることにした。
「そ、それで、何か用事があって私に会いに来たのではないか?」
これまで行方不明だった妹の来訪、何か用事があったからこそ会いに来たのではないかと秋隆は考えたのだが、綾音は微かに首を傾げる。
「用事と申しますか、見知った気配を感じて辿ってきたところ、兄上様とお会いすることが出来たという次第でございます」
どうやら綾音は秋隆に会えるとは考えていなかったらしい。
見知った気配を辿ってみると、それが秋隆のものだったというだけで、これは偶然の出会いのようだ。
「そうか、それは大義、今後は私の下にいるつもりか?」
「はい、ただ兄上様とお会いできるとは思っていませんでしたので、何の準備もしておらず、それが終わり次第の合流となります。なので申し訳ございませんがお待ちいただくことになると……」
それは仕方のないこと、ともあれこうして身内と会うことが出来たのは秋隆にとっても幸運な出来事と言えるだろう。
「いや、合流してくれるだけでも僥倖、よろしく頼む」
「お任せを、ところで兄上様……」
そこで綾音はちらっと秋隆の部屋を見て、微かに笑みを浮かべた。
「先ほどまでお会いになっていたご婦人は、どなたですか?」
一見したところは嫋やかな大和撫子らしい笑み、しかしその実瞳の奥から光が消えており、何とも危うさを秘めた剣呑な表情である。
「ご婦人? ああ、凍子のことか」
そんな綾音の様子に気付きながらも秋隆は恐れる素振りすら見せず淡々とした様子で口を開いた。
「彼女は私の師匠、瀛洲寺凍子、ここに至るまで色々と世話になった仙女だ」
「師匠、左様にございましたか……」
師匠と言う言葉を聞いて綾音の纏っていた不穏な気運が消滅し、瞳の奥に再び光が宿る。
「何か気になることがあるのか?」
「いえ、彼女と言うよりは兄上様の周りにいるご婦人、でしょうか?」
今のところ綾音の気配は先ほどのものに比べれば危ういところはない。
しかし、どうにも言葉の端々に不穏なものを感じてしまい、秋隆は微かに首を傾げた。
「? よくわからんが、いずれ他の者たちも紹介することになるだろう」
「ええ、その時はよろしくお願いいたします」
発言だけ見るならば当たり障りのない、ごく自然な言葉を返すと綾音は顎に手を添え、何事かを考え込む。
「……兄上様は、他にも女性の知り合いは多そうですわね?」
綾音の言葉を受け、即座に思いつくのは何だかんだで行動を共にすることの多いルドヴィカ。内管領として桔梗城の留守居をしているアズ。
他、陽華や双葉、カカン、シャダ、躑躅、カークスなど、エルメラに来て知り合った人間は女性ばかりだ。
「うむ、エルメラでは理気を使うのも高い立場につくのも女性、こちらで動いていると必然的にそういった知り合いが多くなる」
「……なるほど、いずれ彼女たちも紹介いただけますのよね?」
「無論そのつもりだが……」
秋隆の言葉に綾音は満足そうに頷く。どうやら彼女の中でなんらかの結論が得られたらしい。
「兄上様が此方の知る兄上様のままで助かります。それで今宵なのですがこれから……」
綾音が何かを言おうとしたその刹那、突如として空間全体に震動が走った。
「なんだ!?」
同時に周囲に漂い始める濃密な敵意、即座に秋隆は鼈甲霊亀を引き抜き臨戦態勢をとる。
「っ! 兄上様、上です!」
綾音の警告とともに、新たな脅威が秋隆のすぐ前に降り立った。




