第六十話「南方より来る者」
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これまでとは違う鬼紋獣。
秋隆らのいるウォルキアより遠く離れた場所。灯明のみが煌めく畳の上に座っていた人物が瞳を開いた。
「……っ! ま、まさか、これは……」
普段は涼やかな美貌を備える少女も、予想していなかった事態に動揺し、その頬を紅潮させる。
「白猿を追っていてこのような事態に遭遇するなんて……」
しかしこれは彼女にとっても歓迎すべきこと、彼の実力がいかなるものなのか試す良い機会だ。
「……もうすぐ逢えそうですね」
暗い部屋の中で爬虫類を思わせるギラついた真紅の瞳が妖しげな光を帯びる。
「此方の、兄上様……」
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「これは……!」
山頂から慌てて港町に戻ってきた秋隆が見たものは、戦場と呼ぶべき壮絶な光景であった。
炎上するいくつもの船舶に、あちこちに転がる女性の死体、そんな地獄絵図の中で活発に動き回る異形の生物がいる。
青白い炎を纏う二メートルほどの胴体はワニを思わせる四つ足、首の位置から伸びるは襟巻のようなものを備えたコブラの首。
そして額の位置には三日月を思わせる不思議な紋章が浮かび上がっていた。
総じて身に纏うは野獣のごとき凶暴な理気、この気配には覚えがある。
「鬼紋獣! しかもこの気配はコーポラル級か!?」
そう、つい先日秋隆がウォルキア近海の孤島にて散々体験した気運、鬼紋獣のものである。
「見たことがない種族だな」
「こいつはクリシアとゼデキア近海に出る南蛮種、ウォルキアに出た西戎種とはまた違う種類よ!)
秋隆のすぐ隣に立ち、腰に帯びていた双刀を引き抜き油断なく構えるルドヴィカ。
「クリシアを縄張りとする鬼紋獣ということか……」
「でも妙ね、これまで南蛮種がウォルキアにまで来たことはなかったはずだけど……」
微かに眉根を寄せて考え込むルドヴィカのすぐ前で一人の番神族が鬼紋獣に追われ転倒した
「そのようなことを言っている場合ではない」
瞬間、秋隆は鼈甲霊亀を引き抜きこれを投擲、理法念力でその軌跡を操る。
「!?!?!?!?!?!?!?!!?!?」
弾丸のごとき速度で鼈甲霊亀が空間を走り、次の瞬間鬼紋獣の首を瞬時に切り落とした。
どうやら種族が違えども強さに関してはさほど変わりないらしい。
「まずは目の前の問題から片付けるべきであろう」
ブーメランのように戻ってきた鼈甲霊亀を掴み構えなおすと、鬼紋獣たちは新たな敵が現れたとばかりに秋隆に顔を向け、敵意も新たに理気を纏う。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「……よし、始めるぞ」
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港に停泊する船舶、炎上しなかった船の内の一隻にその男はいた。
「……おうおう、よくやるねえ」
慌ただしく船員が行ったり来たりする甲板の隅でどっしりと胡坐を掻き、巨大な盃の際淵まで注がれた酒を傾けている。
その人物、入江尚吉郎豊輝は鬼紋獣から間一髪逃れ、物陰に飛び込んだ一人の少女を視界の端に捉えた。
「……(ふむふむ、なるほど、あいつを追いかけて来やがったんだな)」
「こんなところで何をしていますの?」
突如背後から声を掛けられ、豊輝は普段通りの笑みを浮かべつつ後ろに顔を向ける。
「よう師父殿、あんたさんも一杯やるかい?」
凍子がその身に纏う冷気はまさに絶対零度もかくやと言うべきもの。並みの人間ならば特に後ろめたいことがなくとも土下座して許しを請いかねない気運だが、豊輝は飄々とした笑みを崩すことをしない。
「くだらないことを言うだけの余裕はあるようですわね」
豊輝のすぐ隣に立つと、凍子は眼下で刀を振るい鬼紋獣と戦う秋隆の姿を見て微かに目を細めた。
「いつこちらに牙を剥くかも知れない存在を肴に酒とは、とてもまともな人間のやることとは思えませんわよ?」
「あー、まあ普通に考えればそうだよな」
機嫌良さそうに口角を上げると、豊輝は並々と酒の入った盃を微かに揺らす。
「安心して良いぜ? 少なくともあの鬼紋獣は私に攻撃してくることはない」
「何を根拠に……」
「ついでに言っとくと師父殿や頭中将殿、ルドヴィカの嬢ちゃんにも仕掛けちゃ来ないだろうな」
「こちらから仕掛けた以上もう戦いは避けられないが」と続け、豊輝は盃を傾けその中身の大半を飲み干した。
「でも、桔梗城で見かけたあの娘、内管領の娘は危ないかもな」
「……卿は何を知っていますの?」
そこで凍子は液体窒素を思わせる冷たい瞳を豊輝に向ける。
「何を、とは?」
「鬼紋獣のこと、何か確信があってそのようなことを話しているのでは?」
「んー」
凍子の言葉に豊輝は薄ら笑いを浮かべたまま彼女の顔を見上げた。
一見したところ人懐っこい笑み、しかしその目は一切笑っていない。
しばしの間豊輝は無言で何事かを考えていたようだが、やがて凍子から目を逸らすと盃の酒を全て飲み干す。
「まだそん時じゃないな、そいつを話すのは頭中将殿の準備がもうちょい出来てからだ」
空になった盃を自分のすぐ前に置き、豊輝は眼下で繰り広げられている戦いの趨勢を見守った。
「お、もうそろそろ終わりそうか?」
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「ーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
凄まじい咆哮とともに風の理気を纏った属性閃光を放つ鬼紋獣。
西戎種は炎属性による攻撃を仕掛けてきたものだが、南蛮種は風属性を得意とするらしい。
「杏!」
「問題ない、対処する」
使ってくる属性が変われども、その対策方法までは変わらない。秋隆は鼈甲霊亀に理気を込めるとともに一閃、属性閃光を打ち消した。
「!?!?!?!?!?!?!?!!?!?」
「では、今度はこちらの番だな」
微かに笑みを浮かべ、秋隆は周囲に満ちる理気を収束させ、鼈甲霊亀の刀身に纏う。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
身の危険を感じたのか鬼紋獣は咆哮とともに属性閃光を放ったが、そのようなもので秋隆を阻むことなど出来はしない。
「遅いっ!」
神速の速度でもって、瞬時に距離を詰めるや否や、真っ向唐竹割、鬼紋獣はそのまま頭から真っ二つに切り裂かれ消滅した。
「……これで全部か?」
とりあえず目の届く範囲内にいた鬼紋獣を全て消滅させると、秋隆は鼈甲霊亀を握りしめたまま、ルドヴィカに声をかける。
「ん、周辺に鬼紋獣の気配もなし、片付いたみたいね」
どうやら港に現れた鬼紋獣は先ほど一刀両断した獣で最後だったらしい。ルドヴィカの言葉に頷くと秋隆は静かな動作で鼈甲霊亀を鞘に納めた。
「いやいやいやいや、ご苦労様ですぅ」
納刀した直後、すぐ近くから聞こえてきたのは人に媚びるような、妙に甘ったるい声。
振り向けば一人の少女が豊かな双丘を揺らしながらこちらに近づいてくるところであったが、その不自然に幼い声に秋隆は思わず顔をしかめる。
白い肌に長く伸びた耳、整った容姿に輝く金色の瞳と一般的な蕃神族らしい容姿だ。
それなりに高い地位にいる人間なのか、ゆったりとした白い服は金糸に飾られた豪奢なものであり、ほっそりとした四肢にも宝石を散りばめた金輪が嵌められている。
しかしその顔は不自然なほどに青白く、何らかの病を患っているのではないかと心配になるほどだ。
反面、身体つきに関してはギリギリ「だらしなくはない」と言える程度に豊満なものであり、その顔色とのギャップが不自然すぎる雰囲気を醸し出している。
「……そなたは? どこかで見たことがあるような気がするが……」
「キエス・グラムアと申しますぅ、危ないところを助けていただき感謝しますぅ」
名前を聞いてようやく秋隆は彼女をどこで見かけたのか思い出した。
「……キエス、そうか、アウグスタ・ルベルム殿のところの……」
先日行われた秋隆とルドヴィカの叙任パーティの際に宰相アウグスタの近くにいた人物。
直接話をすることはなかったが、すぐ近くにいたルドヴィカに紹介されたため、印象に残っていたのである。
「……なんか用? 言っとくけどルイズはあんたと話すことはないけど」
キエスを見て何か気に食わないことがあるのか、ルドヴィカは微かに眉を吊り上げ、語気を荒げた。
そんな彼女の様子を見てキエスは瞳を潤ませながら秋隆に両手を伸ばす。
「久坂卿、ルドヴィカ卿がいじめて来ますぅ」
甘ったるい声とともにごく自然な動作で彼の右手を取ろうとするキエスだったが、秋隆は一瞬顔をしかめ、彼女の抱擁を回避する。
そんな姿を見ていよいよ我慢しきれなくなったのか、ルドヴィカは口角泡を飛ばす勢いで怒りを爆発させた。
「はあ? 先に無礼を働いたのはそっちでしょ?」
無礼と言う言葉と秋隆の難しそうな表情からキエスは何故ルドヴィカがここまで激怒しているのかを察し、数歩後ずさる。
「いくら宰相お付きの官僚だからって死地から帰還した神官将にあんな対応、論外ってもんでしょうが!」
ルドヴィカが言っているのはつい先日、鬼紋王を討伐した秋隆らが宰相の官邸を訪れた際のことだ。
急ぎ報告する必要があったために接見を求めたのだが、対応した宰相の秘書グレーンは碌に話を聞こうともせずに冷ややかな対応をし、挙句秋隆を嘲笑したのである。
「そ、それは、宰相様も悪かったと思ってるのですぅ」
わたわたと往生際悪く言い訳を試みるキエスに対し、ルドヴィカは怒声を上げた。
「ならとっとと謝罪なりなんなりしに来なさいよ! 杏がいる場所は知ってんでしょ!」
「ひいぃ!」
「止せルイズ、もう十分だ」
静かに両手を上げると秋隆は怒り心頭と言った様子のルドヴィカを制する。
「杏……」
「私の役目は鬼紋獣を倒すこと、此度はそれをしたに過ぎない」
「さすが久坂卿は良くわかってるのですぅ」
秋隆がルドヴィカを止めたことで何か勘違いしたのか、キエスは上目遣いに彼を見上げた。
「じゃあキエスのお願いを聞いて……」
「久坂卿!」
直後頭上から聞こえる声、見上げれば秋隆らの乗ってきた豪華客船の甲板に双葉が立っている。
「双葉か?」
「すぐに船内にお戻りください、御身の安全を考え、予定を前倒しに致します!」
「わかった。すぐに行く」
大声に対して大声でもって応じると、すぐさま秋隆はキエスにお暇の一礼をした。
「ではグラムア殿、いずれまた」
「あ、ちょっと久坂卿……」
神官将らしく無駄のない動作で走り去る秋隆を止めることは叶わず、キエスはその場に取り残される形となる。
「ふふん、残念だったわね」
そんなキエスの前に立ち、にやにやと人の悪そうな笑みを浴びせるルドヴィカ。
「あんたごときがルイズの杏を篭絡しようなんて、十億万光年早いのよ」
「ぬぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ……!」
下を向き、心底悔しそうにうめき声を漏らすキエスをその場に放置してルドヴィカもまた豪華客船に戻っていった。
「おのれ、おのれえええええええええええ……!」
苛立ちを隠そうともせずに何度も地面を踏みつけつつ、キエスは乗組員を乗せ、動き始めた豪華客船を睨みつける。
「……神州人が! 劣った人種が! 覚えてやがれよ……!」
その表情は憎しみに歪み、とてもさきほどまで秋隆と話をしていた人畜無害そうな少女と同一人物とは思えない醜悪な顔であった。




