第五話「神官将への道」
カチカチという時計の音のみが響き渡る静寂に支配された空間。
大机に山と積まれた書類を確認し、右から左に流しているのは小柄な体躯の若い女性だ。
エルメラ人らしく褐色の肌を備えているものの、体格はどちらかと言えば華奢なものであり、衣服からの覗く四肢は妖精じみたほっそりとしたものである。
しかしその目は非常に鋭く、まるでタカ科の猛禽類を思わせるような鋭い瞳、それなりの修羅場を潜り抜けてきた猛者のみが持ち得る力のこもったものだ。
そして今、その女性はエルム教団の高位聖職者、しかもこの世に四人しかいない大神官の法衣をまとい、気の強そうな鋭い目を書類に向けている。
ウォルキア管区の長である大神官シャダ。ここ西方ウォルキアの地にあってその全権を任されている辺境領主のような役割にある人物は突然のノックに書類と格闘していた手を止め顔を上げた。
「……何?」
「し、失礼いたします。件の彼、久坂杏一郎様をお連れしました」
「入って」
秋隆を伴って部屋に入ってきたのは魔族出身の神官将である尸道草、部屋の中央あたりで直立不動の姿勢をとると敬礼してから口を開く。
「こ、こちらが件の御方、久坂杏一郎秋隆様です」
草の連れてきた来訪者こと久坂杏一郎秋隆、彼の姿を見てシャダは微かに眉をひそめた。
「……お前、その肌一体どうしたと言うの?」
「これですか? 私は生まれつきこう言う色の肌なのです」
日本人、否、神州人らしい見た目をしている秋隆の姿は褐色の肌を持つエルメラ人の間では珍しいもの、しかしシャダの反応はどうにも、珍獣を見つけた人間のものではない。
「……(蕃神族? それにしては肌の色が濃いし、名前も見た目の雰囲気も蕃神族というよりかは魔族っぽいわね)」
魔族ともエルメラ人とも違う見た目、最も秋隆の見た目に近い種族は比較的最近になって出現した新種族、蕃神族、しかしあれは女性しかいないため、いよいよもってシャダの脳内は混乱し始める。
「久坂杏一郎秋隆、大神官シャダ様に拝謁叶いましたこと、恐悦至極に存じます」
そんな彼女の内面を察するということはせずに流麗な動作で頭を下げる秋隆。
正直何のために呼び出されたのか分からないがゆえに丁寧に動こうと思ってのことだが、その動きは極めて無駄のない、見事なものだった。
そんな秋隆の動作を見て、予想外と言わんばかりの表情でシャダは微かに顎を下げる。
流れるような動きに、隙のない身のこなし、武士を思わせる礼儀正しい動作に心底感心したのだ。
ところでいざ言葉を返す段になると、なにやら困ったように唇を尖らせる。
「……魔族風の名前、特に男の名前は複雑なうえ長くていけないわ」
秋隆の名前を構成するのは苗字たる久坂と父から受け継いだ呼び名杏一郎、そして成人としての名前たる諱秋隆。
氏姓を省略し、階位や官職がない分まだ短いと言えるが、どうやらシャダとしては長すぎる、煩雑すぎると考えているらしい。
「どうせ使うのは苗字と呼び名なんでしょ? エルメラにいるならそっちだけで十分よ」
「……そうですか? では久坂杏一郎、苗字は久坂、名は杏一郎です」
久坂杏一郎、最初に比べればはるかに短い名前を聞いて、ようやくシャダは笑みを浮かべて見せた。
「……シャダ・ウォルキアよ。ウォルキア管区を統括する大神官で神聖王を選ぶ選帝侯でもあるわ」
大神官にして選帝侯、秋隆はエルメラ神聖国という国がどのような国家体制をとる国なのか知らないが、目の間にいる女性が相当高位な地位にいる人間だということくらいはわかる。
そんな秋隆の様子を察したのか、シャダはあきれ果てたかのように肩をすくめると口を開いた。
「五大洲の各教区を治める貴族や神官を束ねるのが大神官、教区をまとめたのが管区、つまりこのウォルキアの長がこの私ってこと」
ちらっとシャダが秋隆の隣にいる草に視線を向けると、空気を読んだらしい彼女はひそひそと耳打ちを始める。
五大洲というのはエルメラを構成する五つの主だったる島のことでエテメンアンキ、クリシア、エメルス、トルキオ、ウォルキアの五つ。
そして神聖王というのはエルメラの王にして国教たるエルム教団の長たる人物、これを選ぶのが九人いる選帝侯らしい。
さて、簡単な説明が終わると、極めて自然な動作で髪を掻き上げ、シャダは秋隆を一瞥、そのすぐ近くに立つ草に視線を向けた。
「ご苦労だったわね草、もう下がっていいわ」
「え? あ、あの……」
隣にいる秋隆を見て、次いでシャダに向けられた草の目は心配そうなものである。
どうやらこの場に神官将を打倒する能力を持つ不審人物とシャダを二人きりにしておきたくはないらしい。
そんな草の内面を見抜いたのか、やれやれと言わんばかりの表情で肩をすくめるシャダ。
「あんな能力を制御しきれてないお前がいるとさすがの私もくつろげないのよ、早く失せなさい!」
「は、はい、申し訳ありません!」
シャダの一喝を受け、慌てた様子で草が去り二人きりになると、秋隆は机の上に置いたままになっていた書類に目を向けた。
「私のために仕事を中断したのですか?」
「ふん、お前のような人間に会うためならこの程度なんてことないわ」
面白くなさそうに一枚書類を手に取り、シャダはそこに書いてある内容を確認するとまた束の上に戻す。
「お前もわかっていると思うけど、忙しい人間は時間が短いの、だから単刀直入に言うわよ」
イライラした様子で髪を掻きながら呼吸を整えると、シャダは秋隆をここまで呼んだ理由を口にした。
「お前、神官将にならない?」
「は、え?」
予想外の言葉に秋隆は一瞬面食らう。何を言い出すのかについては様々な予想を立てていたがシャダの発言はさすがに予想外だったからだ。
「私は先日神官将、ナルカ・ヴァルナーとやらに暴行を加えた謂わば犯罪者、犯罪者が神官将になるのですか?」
そう、秋隆は成り行き上とはいえ、ナルカ・ヴァルナーと市街地にて私闘を演じたのである。
はた目から見れば秋隆はウォルキア市街で暴れた無法者、そんな人間が体制側の役職について問題ないのだろうか?
釈然としない様子の秋隆に対してシャダは自信満々と言わんばかりの表情だ。
「そんなもの、どうとでもなるわ」
どうとでも、ということはウォルキア大神官である自身の権力を最大限に生かしてもみ消すつもりなのか、あるいは一度神官将になれば恩赦があたえられるという意味なのか、いずれにしても現段階で秋隆が神官将になることに問題はないらしい。
「そんなことより、お前の力よ」
秋隆の身に纏う静謐な理気の気配に、相当な修行を積んだと思しき隙のない立ち居振る舞い、それらを前にシャダは口元を微かに引き締める。
「どうやってか弱い男の身で理気を?」
「……截教に不可能はありません」
「截教、ってなに?」
首を傾げるシャダ。祭政一致の国家にあって、エルメラ神聖国とエルム教団双方に強い権限を持ち、同時に理気についても人並み以上の知識を備える大神官でも截教という名前は聞いたことがないらしい。
とは言え、秋隆も凍子が所属する勢力ということ以外はよく知らないため、最低限の説明のみにとどめることにした。
「……私の師の流儀なのですが、私も詳しいことはわかりません」
「ふうん、その截教とやらには男も理気を使えるように出来る秘儀があるわけね」
しかし俄然興味を持ったらしいシャダは、身を乗り出すようにして秋隆の話に食いつく。
彼女の関心はそこだ。本来ならば女性しか使えない理気を男性たる秋隆が使用できるとあらば、なんらかの特殊な技術が背景にあるはず。
彼の所属する勢力ならばそれが何か知っているのではないかと、そう考えたのである。
ふと、シャダと話していて、秋隆は自分が違和感を感じていることに気づいた。
「……(妙な話だな)」
理気というものはこの世界のあらゆる存在に宿っている。無論人間もこの世界にいる以上その肉体は理気で構成され、その身に理気を備えているのは間違いない。
それを考えると女性だけが理気を扱い、男性が使えないというのはいささか不自然だ。
事実封神霊廟にこもるという手段をとったとはいえ男性たる秋隆が使用できるというならば、エルメラ人の男性も理気を扱えるのではないか?
「詳しくはわかりませんが、五十六億七千万年ほどあればそれくらいは……」
「五十、何?」
「いえ、可能であれば忘れてください」
世界を形成する力たる理気、秋隆は封神霊廟を踏破し、解脱を果たしたことによりこの力を自在に操ることが出来るようになっている。
理気を使えない人間全員が封神霊廟にこもれば秋隆と同程度の実力となれるかもしれないが、現実における四千年というのは非常に長い。
「……(妙覚を得て超越者となることに拘らないならば、もう少し手短に会得できる方法もありそうなものだが……)」
どうやら沈黙が長かったらしい、一人秋隆があれこれ考えているとシャダは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「まあ、お前がどうやって理気を使えるようになったのかは今はまだ明かす必要はないわ。それより……」
一度だけ言葉を区切るとシャダは話題をもとの流れ、つまりは秋隆の勧誘に話を戻す。
「お前ほどの力を持つものは神官将のなかでも希少、だったら私が何を言いたいのか、わかるわね?」
「……この力をエルメラのために使えと?」
直感的に秋隆が放った言葉にシャダは満足そうにうなずいて見せると、ここからが本題とばかりに唇を舐めた。
「簡単に言うとそんなとこ、鬼紋獣が跋扈するこの現状、強い力は一つでもあったほうがいいものね」
鬼紋獣、確か秋隆の能力を図るために草が連れてきた魔獣。ここに来るまでに彼女が話してくれた内容によるとかの魔獣は世界各地に出現し、無差別破壊をもたらす故に第一級の災害として扱われているとのこと。
「……最下級である第三階級のベレク級といえ、鬼紋獣を圧倒的な力で倒したのでしょう? なら実力は十分と言えるわ」
なるほど、シャダの言葉から察するに、どうやら先ほど秋隆が戦ったのはそんな鬼紋獣のなかでも比較的弱い部類に入る魔獣らしい。
「……(しかし、鬼紋獣か)」
先ほど鬼紋獣と戦った際に感じたまるで頭の深い部分をかき乱されるかのような感覚。かの魔獣と戦い続けていけば、いずれこの違和感の謎も明らかになるのだろうか?
「……神官将になれば、鬼紋獣と戦えるのですか?」
悩んだ末に秋隆がこぼした言葉にシャダは一瞬キョトンとしたものの、すぐさま嬉しそうに笑みを浮かべ、何度もうなずいて見せる。
「そればかりか、いくつもの特権、エルメラ内での功名、相応の富、何もかもお前の思うままね」
「……わかりました、大神官様に従います」
この先に何があるのかはわからないが、鬼紋獣と戦った先にこの失われた記憶を取り戻す鍵があるのならば、神官将として活動するのは都合が良いのかもしれない。
「助かるわ。それじゃ、エテメンアンキに渡す用の書類を作るから少し待って」
手慣れた様子で引き出しから何枚かの書類を取り出し、目にも止まらぬ動きでペンを走らせ文章を書き始めるシャダ。
最後に署名と捺印して、文章の出来を簡単に確認、やがて満足そうにうなずくと丁寧な手つきで梱包、これを秋隆に渡した。
シャダの仕上げた書類は二枚、秋隆のことを神官将に推すための推薦状とその実力についてを記した報告書。
後者に関しては箔をつけるためにあることないことが書き連ねてあるのだが、そのようなこと秋隆は知る由もない。
「これで書類は全部、エテメンアンキまで連絡はしておいてやるからお前はこれを持ってのんびり来れば良いわ」




