第五十八話「幽都への招待」
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陰謀の匂い
静かに揺れる空間、十畳ほどのその部屋には簡素な洋服ダンスに本棚、清潔なシーツが使われた寝心地のよさそうなベット、さらには上質な木で組まれた大机が置かれている。
壁際に設えられた窓から見える景色は墨を塗りこんだかのように真っ暗な海に煌々と輝く満月、どうやらここは海の上らしい。
「妖魔王陛下、件の仕込み滞りなく完了いたしました」
大机に向かい、その上に置かれた通信機器に話しかけるのは青い肌に二つの尻尾を備えた魔族の女性。
秋隆らをクリシア地方、幽都に招待するように指示を受けた陽華の配下、石動双葉だ。
「うむ、よくやってくれた」
通信機から聞こえてくるのは彼女の上司である妖魔王、翠明院陽華の声、どうやら双葉はこの場にいない上役に報告をしているらしい。
「杏一郎殿ご一行は?」
「現在海の上、予定通り到着は三日後の朝、クリシアに来られるのは久坂様とルドヴィカ様、それから久坂様の郎党である入江尚吉郎様の三名となります」
秋隆の師父である凍子と内管領の役割にあるアズ、三名の旗本、そしてルドヴィカの侍従である躑躅らは今回留守番である。
しかし陽華にはもっと気になることがあるのか、そこで感心したように息を吐いた。
「入江、もう郎党を率いておるか……」
その名前が気にかかるのか、しばしの間陽華は口の中で「入江」と繰り返し呟いていたが、一度だけ咳払いをして声音を変える。
「大義であったな、双葉よ」
「いえ、それよりも御身のことです」
「妾の?」
陽華としては身に覚えのありすぎる双葉の指摘、しかしそこは海千山千の妖魔王、一切動揺することはなく双葉の言葉を促すに留めた。
「御身を脅かそうという動きが強まっています」
そんな陽華の内面を知ってか知らずか双葉はド直球に言葉を投げつける。
元々魔族と言う種族はエルメラ内部で蔑視される傾向にある人種。一応元老院には陽華を始め何人かの魔族が議席を持つなど法の下での平等は保証されているが、未だ根強く差別的な風潮があるのが実情だ。
そのため、魔族の頭目たる陽華の指令で鬼紋王が討伐されたとあっては魔族の排斥を目論む一部の勢力にとって凶報以外の何物でもないというわけである。
「じゃろうな。連中にとって鬼紋王を討伐されたのは寝耳に水の出来事、しかもそれをやったのが叙任されたばかりの新米ともなればなおのこと頭痛が酷くなろう」
カラカラと笑い声をあげる陽華。自身を取り巻く環境に関しては誰より把握しているにも関わらず、その声には恐怖はもちろんのこと焦燥感すらない。
「おまけにセント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムは最早杏一郎殿の領地、これは笑いが止まらぬのう」
「笑い事ではありません。どう考えても早急に対策を練り、身の安全を確保すべきかと……」
双葉の言葉に笑みを絶やすと、陽華はすぐさま言葉を返した。
「ふむ、では妾はどうするべきだと思う?」
「一旦身を隠されるのが賢明です。そのうえで行動を……」
「いや、それをすれば連中は大義を得たとばかりに血眼になって妾の居所を探ろうとするじゃろう」
陽華の指摘に双葉は舌を抑えつけられたかのように感じ、思わず黙り込む。
ここにきて急に姿を隠せばそれこそ連中の思うつぼ、何か後ろめたいことがあったと見なされ、より強引な手に出る可能性も高い。
「それに今回危機から逃れることが出来たとしても根本をどうにかできぬならばまた同じことを繰り返す」
「……では、妖魔王陛下は今回のことが成功した場合、不逞の輩を一網打尽に出来るとお考えなのですか?」
「うむ、すでにそのための策は用意してある。始めたのは妾ではないが……」
どうやら陽華としても全くの無策でいるというわけではないようだ。
この魔族の長老は双葉など想像もできないほどに長い年月を生きる文字通りの妖怪、そこまでいうのならばこちらから何かを言う必要はないだろう。
「……わかりました。そういうことでしたら、もう少し様子を見ることと致します」
「良きに計らえ、それから……」
「はい、例の件、あの娘のことですね?」
双葉が応じるとともに陽華の声音がわずかながら険しいものへと変わった。
「左様、何かわかったか?」
「いえ、現在総力を挙げて調査中ですが、未だエテメンアンキに来る以前のことは……」
しばしの沈黙、主君が短い時間の間にどれほど考えを巡らせているのか想像もつかず、双葉は知らず喉を鳴らす。
「……わかった。そちらに関しては引き続き調査を頼む」
「は、はい、承りました」
陽華からの通信が切れたことを確認すると、双葉は通信機器の電源を落とし微かにため息をついた。
その表情は曇り、この先に待つであろう事態に不安を感じる顔をしている。
「……何事も起きなければ良いのだけれど……」
彼女の不安を載せたまま、静かに夜は更けていくのであった。
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「もうウォルキアか……」
双葉と陽華の会話があった数時間後、彼女らと同じ船に揺られていた秋隆は自室の窓からなんとなく見覚えのある港町が近づいてくるのを眺めていた。
すでに水平線の彼方からは太陽が昇り、波打つ海原を眩しい光が照らしている。
桔梗城からエテメンアンキの港に赴いた秋隆らを待ち構えていたのは信じられないほどの豪華客船。
そのまま双葉に案内されるがままに乗り込んだは良いものの、あまりに豪華すぎるために良く寝つけず、こうしてウォルキアに寄港するまで起きている羽目になったのだ。
そこで部屋の扉が何者かに叩かれたため、秋隆は窓から目を逸らし、そちらに顔を向ける。
「誰……」
「杏? もう起きてる? 起きてるわよね、入るわよ?」
秋隆が声をかけるよりも前に扉を開いて入ってきたのはルドヴィカ・ウォルキア。
部屋の主が椅子に腰かけこちらを見ていることに気付くと、嬉しそうに口角を上げた。
朝も相当早い時間だというのにルドヴィカは服装も化粧もしっかり整えられている。
「おはよう杏、良い朝ね」
「……おはようルイズ、随分と慌ただしいな」
秋隆が挨拶を返せば、こうしている時間も惜しいとばかりにルドヴィカはつかつかと大股で部屋を横断し、彼の前に立った。
「今日一日、この船はウォルキアに停泊するそうよ?」
藪から棒に飛び出た言葉に秋隆は一瞬だけ面食らったものの、直後ルドヴィカの言葉にピンときたらしくすぐさま口を開く。
「そうか、ウォルキアはそなたの故郷であったな……」
「まあね、あんまり良い思い出があるわけじゃないけど……杏がいるなら話は別よ」
最後の言葉はあまりにも小さすぎて聞き取ることが出来なかったのだが秋隆が聞き直す前に、ルドヴィカは人差し指を彼の鼻先に突きつけた。
「このルイズが田舎者のあんたを案内してあげるから、さっさと準備なさい」
「……子供と言うものは朝から元気なことでうらやましい限りですわね」
突如として部屋の中に響き渡る三番目の声にルドヴィカは面白くなさそうに顔をしかめる。
「……出たわね」
船室の奥に設えられた洋服ダンスの陰にもたれかかっていたのは本来ならばここにいないはずの人物。
アズや躑躅同様に桔梗城の留守番をしていたはずの秋隆の師父、瀛洲寺凍子であった。
「凍子、一体いつの間に……」
予想だにしない人物の登場に当然秋隆は驚愕の声を上げたが、一方の凍子は余裕綽々と言うべき表情である。
「わたくしは卿と会いたいと思えばいつでも会うことが出来ます。この程度軽いものです」
考えなくともわかること、時空捻転現象で桔梗城からここまで瞬間移動してきたと見て間違いない。
どうやら凍子は桔梗城の留守居もしつつ、こうして時折秋隆の様子を見に来るつもりのようだ。
「んなことどうだって良いのよ」
そこでルドヴィカはこらえきれなくなったとばかりに凍子に食って掛かる。
秋隆との会話を予期せぬ形で邪魔されたためかその表情は仁王像もかくやと言うべき恐ろし気なものだ。
一方の凍子は相変わらず普段と変わらぬ涼やかな表情であり、薄ら笑いすら浮かべている。
「ああ、別にご心配なく」
ちらっと秋隆の顔を一瞥すると、凍子は頭から湯気を立てんばかりに激昂するルドヴィカに視線を戻す。
「卿が杏一と逢引きしたいというのならばわたくしに邪魔立てするつもりはございません」
「あいっ!?」
凍子の発した『逢引き』と言う言葉は思いの外鋭くルドヴィカに突き刺さったらしい。
彼女はよろよろと後退すると、そのまま力なくベッドに腰かけた。
「かかかかかか、勘違いしないでよね! ルイズは世間知らずの杏にウォルキアを案内してあげようと思っただけなんだから!」
慌てた様子でそのような言い訳を試みるルドヴィカ。最早それだけで全てを白状しているようなものなのだが、そこに触れることはせずに秋隆は開いたままになっていた扉に顔を向ける。
「待て、また誰か来たらしい」
「おお、これはまたうらやましいことになってんじゃないか」
微かな足音ともに船室に入ってきたのは入江尚吉郎豊輝。ルドヴィカとは違い部屋の中に入ると扉を閉め、何やら揉める二人の女性を代わる代わる眺めた。
「尚左、そなたも来たのか……」
「部屋で一人座ってても退屈なだけだからな」
かみ殺していた笑みを最早隠そうともせずに豊輝は微かに喉の奥を鳴らす。
「くくく、この景色を見ることが出来ただけでここまで来た意味はあったと言えるな……」
「お生憎様、今から杏はルイズと出かけることになってるから」
なんとか落ち着きを取り戻したらしいルドヴィカは勢いよくベッドから立ち上がると、そのまま秋隆に近づき彼の右手を握った。
「ふうん……」
微かに震えるルドヴィカの手を見て何かを察したのか、豊輝は満面の笑みを浮かべる。
「……そうだな、ウォルキアはお前さんにとっても特別な場所、嬢ちゃんに案内してもらうのもいいかもな」
「何の話だ……?」
豊輝の言っている言葉の意味が理解できず、首を傾げる秋隆。
どうにも彼は煙に巻くような言動が多いもののその芯にあるものは四道将軍らしくしっかりしたもの。恐らくこの発言も何らかの意味があると見て間違いないのだろうが、記憶の大半を失っている秋隆にはその真意を掴むことが出来ないのだ。
「ふん、わかってんじゃない」
努めて強気な声音でそう告げ、ルドヴィカは秋隆を椅子から無理やり立たせる。
豊輝の真意がわかっていないのは彼女も同じなのだが、どうやら彼の言葉を利用して秋隆を連れ出すつもりらしい。
「そんじゃ杏、さっさと支度して! 外に繰り出すわよ!」




