第五十七話「石動双葉」
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妖魔王の招待。
後刻のこと、衣冠装束に身を固めた秋隆は妖魔王翠明院陽華の使者を黒書院に通し、対面していた。
黒書院内部には上座に座る秋隆以下、客将たる豊輝、内管領のアズに加え、下座に坂江将監隆兼、浦部夕拝秋紀、榛名蔵人秋利の三旗本が縦列で並び、これと向き合う形で凍子とルドヴィカが座し、少し離れた場所には躑躅が控える。
それなりの大世帯となっている黒書院の中央で秋隆と向き合う陽華の使者はまだ幼さの残る少女であった。
海のように青い肌に三角の耳、後ろで揺れる尻尾は陽華同様狐のものだが、彼女と違いこちらは二房しかない。
「エルメラ神聖国にその人ありと謳われる神官将、霊亀将久坂杏一郎様にお目通叶いましたこと、光栄の極みです」
深々と一礼し、挨拶を述べる少女を一目見て秋隆は以前彼女を見かけたことを思い出す。
「そなたは以前、鬼紋王の討伐の際に船で陽華殿の補佐をされていた……」
「石動双葉と申します。普段は妖魔王様のお側近くで勤めをいただいています」
石動双葉、彼女の姿を初めて見たのは陽華の指令で鬼紋王の調査を行なっていたときのこと。あの時彼女も輸送船に同乗し、陽華の補佐をしていたのだ。
「桔梗城までの長旅大義、察するに妖魔王殿からの言伝であろうか?」
「はい、霊亀将様におかせられましては、ここ数ヶ月の間、尋常ではない仕事量をこなされたとのこと」
双葉の言葉に秋隆はここまでやってきたことを簡単に思い返す。
まず神官将に叙任が決まり最初にやったのは、郊外に突如現れた六耳獼猴をルドヴィカとともに倒したことだ。
しかしこれは正式な指令によるものではない上叙任以前に起きたことのため神官将としての功績に含むべきではないだろう。
次にやったのが鬼紋王の調査と討伐、これが公式における秋隆の初手柄だが、鬼紋獣の王にして母体を倒すと言うのはエルメラ全体で見ても例のない偉業だ。
そして一ヶ月前、神聖王ハクアからの勅命で行なったセント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムにおける行政改革とそれを為すために果たした武術大会の優勝、確かに密度の濃い生活だったと言えよう。
「妖魔王様はそのような重荷を背負わせておきながら、何の報酬も出せずいることを遺憾に思っておられます」
そこまで双葉が話したところで何事かを口にしようとルドヴィカが口を開いたが、秋隆はこれを目で押さえ、小さく嘆息を漏らした。
「石動殿、鬼紋獣を倒すこともエルメラのために力を尽くすことも神官将がすべき務め、妖魔王殿が気になさることは何一つない」
「噂に違わぬ謙虚ぶり、されど此度の一件におかせられましては、相当無茶をされたと伺っています」
ちらっと脇に並ぶ旗本たちに流し目を送る双葉。此度の一件とはまず間違いなくヴァルナ・ウルベリウムの発展のために私財を投げ打ったことであろう。
隆兼らヴァルナ・ウルベリウム出身者たちも秋隆が故郷のために私財を使ったことは知らずとも、相当無茶なことをやらかしたことくらいは察しているため、双葉の言葉に顔を伏せた。
「そこで、妖魔王様はみなさまをクリシアにご招待したいとのことです」
「……なるほど、そちらの話しはわかった」
一通り双葉の話しを聞き終え、秋隆は微かに口元を緩める。
「つまり、我々を労いたいと言うわけだろうか?」
「はい、鬼紋王の一件に関するお礼も兼ねての接待、妖魔王様の所領、クリシア幽都にて歓待させていただきます」
明るい声音でそう告げる双葉を見て、一瞬だけ瞑目する秋隆。普通ならば特段気にすることもない案件、これまで降りてきた指令に比べれば遥かに安全な話しだ。
場所が少しばかり遠いことは気になるが逆に言うとそこにさえ目を瞑れば翠明院陽華との今後もあることだし、此度の提案に乗ることは得こそあれど損はない。
しかしどうにも、何となくだが陽華の思惑はそれだけではないような気もする。
「……歓待、ね」
どうやらそんなことを考えていたのは秋隆だけでなくルドヴィカもそうだったらしい。
秋隆とは異なり、警戒心を隠すことすらせず詰問するような声音で口を開いた。
「なら、なんで肝心の奴、翠明院陽華がクリシアにいないときにやるのかしら?」
「っ! 何故そのことを……?」
ルドヴィカの発言に対してハッとしたように口を押さえる双葉であったがすでに遅い。
主催者であるはずの人間がクリシアにいないと言う事実に黒書院内部に緊張感が漂う。
「どう言うことだい? お嬢ちゃん」
質問を投げかけた豊輝の表情は穏やかでこそあったが声に関してはどこかピリついたもの、どうやら策謀の匂いを察知したらしい。
いよいよ部屋全体の空気が張り詰める中、ルドヴィカは不機嫌そうに言葉を続けた。
「詳しい事情はルイズも知らないけど、翠明院陽華の奴は今エテメンアンキにいるって話よ」
エテメンアンキ、ド田舎である桔梗城とはそれなりに距離があるがそれこそクリシアほどではない。
もしも陽華が本当に接待だけをしたいというのならばクリシアではなくエテメンアンキに招待するのが相手にとっても自分にとっても都合が良いだろう。
「接待するなら別にエテメンアンキでも良いんじゃないの?」
「無論妖魔王様は、あちらでの用事が終わり次第合流されます」
容赦のないルドヴィカのツッコミに対して冷や汗を流しながら応じる双葉。ここまで交渉が拗れることを想定していなかったようだ。
「妖魔王様も大変お忙しい方であらせられますので……」
場当たり的な双葉の説明を聞いてただでさえ恐ろしいルドヴィカの顔がより剣呑なものへと変わる。
「……どうもきな臭いわね。あの化狐のこと、今度は一体何を企んでいるのよ?」
「さ、先程申し上げたとおりです。妖魔王様は霊亀将様方の接待を望んでおられます」
「だからわざわざクリシアでやる意味がわかんないのよ。それとも……」
そこで一度だけ口を噤むルドヴィカ。この先を続けてもいいかと確認するかのようにその目が一瞬上座に向いた。
これに対する秋隆の答えは首肯、すなわち好きなようにしろとお墨付きを与える意思表示。
許可ももらえたということでルドヴィカは勢いそのままに追及を続ける。
「……それとも、杏をエテメンアンキから引き離したい理由でもあるのかしら?」
「っ!」
ルドヴィカの放った言葉に双葉の顔が一気に青くなった。間違いない、接待と言うのは口実で陽華本来の目的は秋隆をクリシアに逗留させることか、あるいはエテメンアンキから引き離すこと、もしくはその両方と見て良い。
「……十分だルイズ、その辺りで良い」
まだまだ訊きたいことがありそうなルドヴィカだったが秋隆の制止に渋々ながらも従う。
先程とは打って変わり静寂に支配される黒書院、しかし張りつめた空気に関してはそのままだ。
「……で? どうすんだ頭中将殿よ」
永遠とも思われるほどの一瞬、あまりにも無言の時間が続いたためか豊輝が口を開く。
「行くにせよ行かないにせよ、よくよく考えるべき話しだとは思うがねえ」
豊輝の進言を受け、秋隆は無言で頷くと、双葉の瞳を正面から見据えた。
「……っ!」
あまりにも鋭い視線に心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚える双葉。恐らく少しでも意思が足りていなかった場合、その場で卒倒していたであろう。
「石動殿、陽華殿の好意を無碍にはしたくないが、生憎こちらも人手が足りておらず、長期間城を空けることは出来ぬ」
旗本三名が加わったとはいえ、彼らはまだまだ発展途中、人手が足りていないという秋隆の言葉は偽らざる真実だ。
しかし同時に此度の誘いに接待以外の何らかの意図を感じるのもまた事実、そしてこれを放置しておくことは危険と彼の第六感、鍛え抜かれた理気が警告を発している。
「……ただし、どうしても私がクリシアへ行かねばならない理由があると言うならば、都合をつけるつもりだ」
微かにルドヴィカが息を呑むような音が聞こえたが、これに構うことはせずただ双葉を見据える秋隆。
後ろ暗いことがあれば即座に土下座して謝罪しかねないような鋭い瞳だ。
「……理由は、ございます」
全身から汗を流しながらやっとそれだけ口にする双葉だったが、そんなもので納得するような秋隆ではない。
「何かな?」
「それは、申し訳ございませんがお話出来ません」
「あんたさすがにそれは……!」
息も絶え絶えと言った様子の双葉にすぐさまルドヴィカが口を開いたが、秋隆が両手を上げこれを制する。
「理由を話すことはできないが私にクリシアまで来て欲しい、と?」
「無礼は承知の上です。しかしこれは、妖魔王様のご意志なのです」
あまりの圧迫感に過呼吸に陥りそうにながらもそう告げる双葉を前に、秋隆は深いため息を吐いた。
「……わかった。その話お受けしよう」
「杏!」
堪らず身を乗り出すルドヴィカに向かって、秋隆は首を振って見せる。
「陽華殿は信用しきれない部分こそあれど元老院議員、無碍には出来ぬ。それにどうにもクリシアには心惹かれるものがある」
それはあくまでも何の根拠もないただの直感。しかしこの一件が大きな動きに繋がるような気がしてならないのだ。
「……わかったわよ。でも杏だけじゃ不安過ぎるからルイズもついていくわ」
ちらっと下座に座る躑躅を一瞥するとルドヴィカは胸の下で腕を組む。
「躑躅、色々大変そうだから留守の間あんたたちは桔梗城でアズの手助けしてあげて」
思いがけないルドヴィカの下知に秋隆が下座に目をやれば彼女も主君の意を察したとばかりに頭を伏せた。
「お嬢様のご命令である以上こちらには何の問題もございません。もちろん久坂様が必要ないと判断されるならご遠慮させていただきますが……」
「……いや、助かる。そう言うことなら後ほどアズと打ち合わせてくれ」
ただでさえ人手が足りない中で留守にするのだから躑躅らのように気心の知れた者たちが城に留まってくれるのは助かる。
「心得ました」
「こっちに関してもどうにかなるはずさ」
躑躅の話が終われば次に口を開くのは豊輝。彼に関しては一時的に桔梗城にいるだけで本来の任務はカカンの監視役。
長く彼女の下を離れるべきではないが、今のカカンはかつての面影がない程にまともな思考をするようになった。そこまで厳格な監視は必要ないのかもしれない。
「ま、一言釘を刺しとくくらいは必要だろうけど、今のカカン嬢ちゃんならそうそう変なことはしないはずさ」
いざとなったら時空捻転現象を使用してセント・ヴァルナールに戻れば良いし、彼女の周りには秋隆の息がかかった市議が多々ついているため勝手な真似も出来ないだろう。
「では、出発は二日後、エテメンアンキ南港にてお待ちしております」
やっと終わったとばかりにホッと息を吐く双葉を見詰めつつ、秋隆は陽華の思惑を探るべく思考を巡らせるのであった。




