第五十一話「左近衛将監」
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将軍直参、旗本。
カカンとの対面を終えて豊輝と二人外に出ると、すでに市庁の前には多くの人々が集まってきていた。
「護民官様!」
「護民官様だ! 入江様もおられるぞ!」
まるでスターを見つけたファンのような勢いで駆け寄ってくる市民たち。
どうやら今日秋隆がセント・ヴァルナールに来るという情報がどこからか出回っていたらしい。
「元気そうで何よりだ」
周りに居並ぶ多くの市民たち、いずれも一か月前は死んだ表情でヴァルナ・ウルベリウムの危険な業務に従事していたであろう者たちである。
「何か困ったことなどはないか?」
「いえ、おかげさまで随分楽をさせていただいています」
「逃げ出した奴の代わりに来た新しい監督は体罰もしないし、俺たちにも丁寧に接してくれるんで助かってます」
「そうか、それは良かった」
満足そうな市民の様子を見ることが出来たため、内心ほっと胸を撫で下ろす秋隆。
この一か月の間に両都市は大きく方針を転換しており、その影響は生活の至るところに及んでいた。
危険な業務に従事する者には然るべき手当と補償が渡され、あちこちにある病院も軒並み三割負担、これまで蕃神族アルコーンの子女にしか門戸が開かれていなかった学校も今では誰もが通えるようになっている。
無論このためには多大な予算が必要となり、足りない分は秋隆の私財から補填されたことを市民たちは知らない。
「何か困ったことがあれば何でも話して欲しい。もしかしたら力になれるかもしれぬ」
「ありがとうございます。護民官様」
「護民官様! おかげさまで倅の病気が治りました!」
「新しい職場を紹介していただきありがとうございます!」
「学校に通えるようになったのも全て護民官様のおかげです」
「え? 護民官様が来てるって?」
「どこ? どこよ!?」
わらわらと集まり始める市民たち、とんでもない熱量だ。
「何か護民官殿に話したいことがあるなら並ぶこった。しばらくは居てくださるからさ」
豊輝の言葉に市民たちはようやく秩序立って動き始める。
とは言え恐ろしい人数、当面秋隆が解放されることはなさそうだ。
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とっかえひっかえ市民たちに囲まれ、秋隆らが解放されたのは二時間後のことであった。
「ふふふ、人気者は辛いねえ」
普段飄々としている豊輝もさすがにこたえたらしく額にびっしりと汗が浮かんでいる
「うむ、思いの外しっかり回っているようで何よりだ」
一方、どこか満足げな表情で衣冠装束についた砂埃を払う秋隆。疲れはしたがそれ以上に武術大会の時以外無気力だった市民たちがあそこまで元気になったことが嬉しかったのだ。
「結果が出始めるのはまだまだ先だろうけど、士気によっちゃもっと早く好転するかもしれないねえ」
「うむ、私も励まねば、な」
「あの、護民官様」
おずおずと言った様子で秋隆に近づく一人の少年。魔族らしい青色の肌に少女と見まごうばかりの麗しい相貌、秋隆と豊輝にとって見覚えのある人物である。
「そなたは兼太、学校は今日休みか?」
「はい、さっきまで家にいたんですが、なんとなく落ち着かなくて出て来ちゃいました」
はにかんだ笑みを見せる兼太。彼は以前ヴァルナ・ウルベリウムの発電施設で暴行を加えられそうになったところを秋隆に助けてもらった少年だ。
「そうか、しっかり励んでいるらしいな」
一ヶ月前は終日分不相応な重労働に駆り出されていたが、今は少年らしく勉学に励んでいるらしい。
「して、私に何か話したいことが?」
「は、はい、その、お願いがございます」
何やら言いづらそうにもじもじする兼太の様子に秋隆は小さく首を傾げる。
「ふむ、何か困り事か? 必ず叶えるという約束は出来ぬが、可能であるならば……」
「あ、いえ、そうじゃないんです」
そこで意を決したのか、強い意志の宿った瞳で秋隆を見据える兼太。
「その、僕を護民官様のお側に置いてはいただけないでしょうか!」
一瞬兼太が言わんとすることが理解出来ず、困惑の表情を浮かべる秋隆であったがやがて唇を引き結び、小さく嘆息を漏らした。
「つまり、私の郎党として働きたいと言うことか?」
「はい、それでその、出来れば僕だけじゃなくて、同じ職場の元同僚二人も一緒に……」
「叶えてやりたいところだが、そなたらはまだまだ種々のことを学ぶべき段階、しかし、そうだな……」
そこで秋隆は兼太の頭の先からつま先にまで素早く目を走らせると少しばかり険しい表情で首を横に振って見せる。
「……もう十年ばかり待て」
「待てないんです!」
足元に縋り付かんばかりの兼太にさすがの秋隆も面食らったように顔を顰めた。
「そうか、待てぬか……」
「護民官様のおかげで僕たちはマシな生活が出来るようになりました」
まだ一ヶ月程度しか経っていないが、両都市の状態は以前と比べ物にならないほどに改善している。
カカンが心を入れ替え、真面目に職務に当たるようになったことが直接の原因だが、護民官に就任しそうなるように仕向けたのは秋隆のため兼太の発言は正しい。
「この御恩に報いるために、護民官様にお仕えしたいんです!」
「兼太よ、気持ちは嬉しいが、手厚くすべき所を薄くする真似は出来ない」
世話になったが故にその恩義に報いたいと言う気持ちを理解出来ないような秋隆ではないが、だからと言って封神霊廟ならば小学生をやっていそうな少年を酷使するような真似はしたくない。
そこまで考えてふと、秋隆の脳裏に一人、少女の姿が浮かび上がった。
二メートル越えの鍛え抜かれた長身に恐ろし気なメイク、戦場にあっては鬼神のごとき戦いを見せる苛烈な神官将テンプルナイト、騰蛇将ルドヴィカ・ウォルキア。
普段それなりの姿に擬態している彼女だが、その実年齢は相当に低かった気がするが……。
「……俺は、坊ちゃんの気持ちも少しは汲んでやっても良いと思うけどな」
沈思黙考の時間があまりにも長すぎたためか兼太を見詰めつつそのようなことを呟く豊輝。
確かに御恩と奉公、主家より受けた恩義を槍働きで返すというのは武士、否神州人の骨子となる思想である。
特段見返りを求めていないにも関わらず自発的に奉公したいと願い出る者が出てくるのは、神州復興と言う大望を果たすにあたって、迎合すべきことではないだろうか?
即断即決を旨とする秋隆にしては長い沈思黙考、やがて頭の中で結論をまとめると兼太を見下ろしつつ静かに首肯した。
「……わかった。そなたの願いを受け入れよう」
「護民官様……!」
「しかし、郎党として習熟したと私が判断するまでは我が下で修行し、旗本足りうる実力を養ってもらう」
感激に瞳を潤ませる兼太を前に現実へ引き戻すような厳しい条件付けが飛ぶ。
「我が旗本は文武を尊び、常に己を律し、一旦緩急あれば義勇公に奉じることを旨とせねばならない」
神州における武家の頭領たる四道将軍の直臣、旗本ともなれば他者の規範となる行動が求められるのは当然のことだ。
完璧に事を為すことなど誰にも出来はしないが、より完璧に近い言動を終生求められるのが四道将軍家の人間である。
「間違いなくヴァルナ・ウルベリウムにいるより厳しかろう、それでも来るか?」
「構いません!」
一切の迷いなく言い切る兼太の瞳は少年らしい無垢なものと、成熟した大人が持ち得る決意に満ちたものが同居する非常に不安定なものだ。
これを生かすも殺すも主君次第、とんでもない重圧に秋隆の背中を冷たいものが滴り落ちる。
「よし、では名を名乗れ。旗本となるにも関わらず、素性が不明瞭のままと言うのは今後に差し支える故な」
名前と聞いてキョトンとした様子で秋隆を見上げる兼太。
「兼太、じゃダメですか?」
「いや、苗字と諱いみなは最低限教えて欲しいのだが……」
兼太と言うのは恐らく通称としての名前、秋隆としては家門を現す苗字と、本名たる諱を知りたかったのだが、目の前の少年は困ったように首を傾げるばかりだ。
「頭中将、もしかして他に名前がないんじゃ……」
豊輝の指摘に秋隆も納得したように頷く。翠明院陽華や東山躑躅など、これまで会ってきた魔族は皆苗字と名前を備えていたが彼女らはいずれも素性の明らかな者たち。
ヴァルナ・ウルベリウムでずっと苦役を押し付けられてきた少年に呼び名以外の名前がなくとも不思議はない。
「では、新たに名前を与えることにしよう。我が家名、久坂はどうだ?」
思いもよらなかった秋隆の提案に兼太の顔が一気に青ざめる。
「そ、それはさすがに恐れ多いというか、もったいなさすぎるといいますか……」
目を白黒させる兼太を見て、豊輝が楽しそうに笑い声をあげた。
「主君の名前をそのままってのはさすがに恐れ多いだろうねえ」
「あの、お許していただけるなら、僕に考えさせて貰えませんか?」
「そうだな、そなたの名前なのだから自分で考えた方が良いだろう」
秋隆の許しが出ると、兼太は二人の四道将軍の顔を交互に眺める。
「じゃあ、久坂様の坂と入江様の江で坂江さかえと……」
「じゃあ兼太、ついでだから名前も変えたらどうだ? 頭中将殿から一字貰ってさ」
段々テンションが上がってきたのか、そのようなことを言いだす豊輝。
「面白がってないか?」
「そりゃ久方ぶりに四道将軍家に郎党が増えるんだから多少はねえ」
酒も入っていないにも関わらず異様なほどに上機嫌な豊輝を一瞥し、秋隆は兼太に視線を戻した。
「……いささか性急すぎる気もするが、それくらいしても良いかもしれぬな」
「そ、それじゃ、隆兼たかかねで……」
兼太の兼と秋隆の隆で隆兼、神州人らしい質実剛健さを感じられる名前に秋隆も満足そうに頷く。
「通称はどうすんだ?」
陽気な口調で訊ねる豊輝の手に握られているのは、懐紙と携帯用の筆。紙は懐、筆は腰元の矢立から取り出したらしい。
名前を書き留める気満々の豊輝に対して、兼太はまたしても困ったように瞳を潤ませた。
「要は諱である隆兼の代わりに普段呼ぶ用の名前さ」
どういう名前かわかっていない兼太にウィンクしながら解説する豊輝。彼に続いて秋隆も助け舟を出そうと口を開く。
「左近衛権中将さこのえごんのちゅうじょうの郎党ならば、左近衛将監さこのえしょうげんかあるいは左近衛将曹さこのえしょうそう、左近衛少将さこのえしょうしょうは、些か若いか?」
「じゃ、将監で行け、どうせ百官名なんだし、でっかく行こうぜ?」
「で、ではそれで……」
消極的ながらも兼太が承認の意思を示すと、主君たる四道将軍、秋隆は鷹揚に頷いた。
「決まりだな。今日よりそなたは、坂江将監隆兼さかえしょうげんたかかねだ」
豊輝も懐紙に墨跡鮮やかな見事な字で「坂江将監隆兼さかえしょうげんたかかね」の六文字を書き、秋隆の宣言とともにこれを兼太に見せる。
「坂江将監隆兼さかえしょうげんたかかね……」
その名前に込められた意味の重さに兼太も微かに喉を鳴らした。
「じゃ、後のことは俺に任せてもらおうか」
文字の書かれた懐紙を兼太の懐にしまい込むと、豊輝はにんまりと笑みを浮かべる。
「将監坊ちゃんとその仲間たちは準備が出来次第送り出してやるから、頭中将は桔梗城で待ってな」
「わかった。何から何まですまないが、よろしく頼む」
豊輝と兼太改め将監隆兼が一礼して去っていくのを見送ると、秋隆もまたその場を後にした。




