第五十話「護民官として」
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東から登った太陽が大地を少しずつ照らし始める早朝、
エルメラ神聖国中央地域エテメンアンキ西部、セント・ヴァルナールの官庁街に一人の青年がいた。
中肉中背の身体に、黒の衣冠装束というエルメラでも珍しい装束に身を固め、腰には鼈甲色の装飾が施された刀を帯びている。
見た目も非常に特徴的なもので、瞳は紅玉のように赤く、肌もエルメラ人よりかは色素の薄い、所謂黄色人種の肌だ。
嬰のついた冠を深くかぶっているために見ることは叶わないが、額には×印の古い傷跡がある。
彼の名は久坂杏一郎秋隆、エルメラ神聖国において災厄と呼ばれる鬼紋獣を倒す使命を帯びた神官将の一人だ。
本来女性にしか扱うことのできない理気を使いこなす男性で、史上初となる男性神官将でもある。
と言うのは真実の一部に過ぎず、その正体は四千年前に存在した神州の数少ない生き残りの一人。
四道将軍と言う立場にある彼は故郷を復興すべく、封神霊廟と呼ばれる仮想現実、すなわち令和の日本で修行を積み、見事帰還を果たしたというのがつい数か月前の出来事だ。
さて、そんな人物が何故こんな朝早くに斯様な場所にいるのかと言うと、当然諸事情あってのことである。
「よっ! 頭中将殿、待ってたぜ?」
セント・ヴァルナール市庁の前に立っていたのは秋隆同様に稀な見た目の青年。
糸のように細い目に襟先で束ねられた黒髪、その身に纏うのは紺色の上衣と袴、竜胆を図案化した家紋入り羽織、腰には打刀と脇差と言う侍のような服装だ。
彼の名は入江尚吉郎豊輝、秋隆同様に神州の生き残りであり、同じく四道将軍の一人。エルメラで再会して以降幾度かともに戦場を駆け抜けてきた盟友である。
「尚左」
豊輝に近づくとすぐさま頭を下げる秋隆。
「すまぬな、このような面倒ごとを押し付けてしまって……」
心底申し訳なさそうな態度の秋隆に対して豊輝の表情は朗らかものだ。
「いやいや、宮仕え中のそちらと違って今の俺は無位無官の暇人、こういう役目を与えて貰えるだけ有難いってもんさ」
楽しそうにカラカラ笑う豊輝の姿に少しばかり落ち着きを取り戻したのか、秋隆もまた微笑を浮かべる。
「カカンの様子はどうだ?」
豊輝の先導でまだ誰も出勤していない市庁を歩きつつ、そう問いかける秋隆。
「真面目そのものだな、市民からも最初は白い目で見られちゃあいたが、頭中将殿の名前と、後は一か月前の試合の件もあって、今はだいぶ落ち着いてるさ」
「そうか、それは何より」
波乱だらけだった第八回総長就任記念武術大会から早いもので、すでに一か月が経過していた。
市長として政務に当たるのは前年の市長カカン・キラミスだが、秋隆もまた護民官という立場でこれに携わっている。
そして豊輝はそんな護民官からの指令を受けて執行猶予中のカカンを監視する監視員と言うわけだ。
今日こうして早い時間にセント・ヴァルナールにまで来たのはその辺りの視察目的であり、豊輝が秋隆を出迎えたのもそのためである。
「頭中将殿に情けをかけて貰っといて態度を改めないようなら即刻首を切り落とそうと思ってたが、どうやらそんな心配はしなくて良いらしいねえ」
腰に帯びた脇差を叩きつつ物騒極まりないことを言いだす豊輝に秋隆は微かに肩をすくめて見せた。
「冗談に聞こえぬ冗談だな」
「ま、あったかも知れない未来の話はここらにして……」
豊輝が足を止めたのは市庁の最奥に位置する市長室、今日もカカンは朝早くからここで政務に励んでいるらしい。
毎日誰よりも早く出社し、誰よりも遅くまで仕事をするというまさにブラック企業の管理職と言うべき働きっぷり、とは言えあまりやり過ぎるようならば釘を刺しておかねばならないだろう。
そこで秋隆は豊輝が意味深な笑みを浮かべながらこちらを見ていることに気付いた。
「どうした?」
「ふふ、見て驚くんじゃあねえぞ?」
どうにも事情が理解出来ぬまま、豊輝がにやにやと笑いながら市長室の扉をノックするのを見守る。
「市長殿、護民官殿がお見えだぜ?」
「っ! すぐに中にお通し下さい」
中からの返答を受けて、豊輝が扉を開けば部屋の主たるカカン・キラミスがすぐさまその姿を現した。
「なっ!」
直後入ってきた光景にさすがの秋隆も驚愕のあまり両目を見開く。
「お久しぶりです護民官殿、お変わりないようで何よりです」
楚々とした動作でこちらに向かって頭を下げる女性の声は確かにカカン・キラミス、しかしその姿は大きく変容を遂げ、一か月前と比べることすら出来ぬほどのものとなっていた。
「そなた、本当にカカン・キラミス、か?」
「? そうですけど……」
秋隆の目の前に立つカカンはかつての肥満体系が嘘のように痩せ、別人のように健康的な体形となっている。
装束もホットパンツに清潔そうなシャツという動きやすそうなものとなっており、そこから覗く四肢もしなやかものだ。
さすがに腹回りに関しては脂肪が落ちていないようで、在りし日を思わせるふくよかなものだが、一方胸は痩せたことに比例してその大きさが強調され、シャツの上からでもボリュームがわかるほどとなっている。
まさに変容、減量中のボクサーでも一か月でここまで変化することなどあり得ない。
「ここまでスリムになっちゃさすがの頭中将殿も戸惑っちまうか」
悪戯成功とばかりに含み笑いを漏らす豊輝と彼の隣で困ったように小首をかしげるカカン。
「日々務めに励んでいるうちに体重が減り、今はこんな姿になりました」
「う、む、そうか、変われば変わるもの、だな」
あまりの変容っぷりに秋隆もそれ以上言及することが出来ず、豊輝に勧められる形で応接用の椅子に腰かけた。
恐らくこの変化は仕事を真面目にこなすようになったことだけが原因ではないだろう。
手慣れた様子で椅子を引き、眼鏡をかけて秋隆のすぐ前に座るカカンからは酒の匂いも不摂生する者特有の肌の荒れも見えない。
もっと言えば服装面にもしっかり気を回しているのか、身に着けるシャツもパンツもパリッと糊のきいた清潔なものだ。
誠意修身、身を慎み、生活面も改善したことにより、自ずと肥満化の原因が取り除かれることになったのであろう。
「都市部の状況ですが、現在急ピッチで新体制への移行を行なっています」
席に着くや否や、見た目通りのきびきびした口調で口を開くカカン。
「当初は混乱も予想されましたが、現在は落ち着きを取り戻し、各区域無理なく稼働を行っています」
「そうか、それは何よりだ」
秋隆の言葉は本心からのものだ。カカンと言う人物はこれまでのこともあって市民からの評判は最低レベルである。
そのため彼女が何かしても反発を招き、結果話が前に進まなくなることも危惧していたのだ。
この辺り豊輝の話を信じるのであるならば、秋隆が護民官に就任したことで信頼を担保された末と言えるかもしれない。
「人口については? 減ったという報告を受けているが……」
「セント・ヴァルナールで減少が確認されていますが、全体の人口に比べると大した数値ではありません」
「大多数が蕃神族で、他は逃げ出した政治家の関係者連中さ」
カカンの説明を補足するような形で彼女の後ろに控えていた豊輝が口を挟む。
「甘い汁が吸えなくなると知って逃げ出したってわけさ」
「……逃亡した者もそのほとんどが実体のない民間団体を運営し、助成金をせしめ、さらには特別に免税措置も受けていた者たちです」
なるほど、つまり逃亡したところで両都市にとって損とならないばかりか、むしろ益になりそうというわけだ。
「この私が見る以上、最早抜け道は存在しません」
微かに眼鏡を光らせつつ確固とした口調でそう呟くカカン。かつて「そちら側」であったが故に怪しい動きをする者たちの手口は全て熟知しているのであろう。
そう考えるとこの件に関してはある意味最も頼りになる人物かもしれない。
「わかった。引き続きよろしく頼む」
大体の状況は分かったため席を立とうとする秋隆であったが、そこでカカンが右手を挙げた。
「あの、護民官殿」
「どうした?」
「ヴァルナ・ウルベリウムの補償のために護民官殿が少なくない額投資されたと聞きました」
カカンの指摘に、彼女ばかりか豊輝も微かに目を伏せる。
これまでの体制を改めるのならば当然その分の予算が必要となるのは当然のこと。ある程度はどうにかなったものの、それだけでは足りなさそうだったため、その分秋隆個人の財、神官将の年俸から補填したのだ。
そしてこのことを知るのは秋隆周りの関係者のみであり、外部の人間は元より実際に恩恵を受ける両都市の市民にすら知らされていない。
「別に気にすることはない、十分な額を集められなかった故に私財から補填したと言うだけだ」
「ですが、その事実を公表しないというのはさすがに……」
「私は別に己のために補償したわけではない」
食い下がろうとするカカンの言葉を半ば強引に打ち切り、しばし瞑目する秋隆。
「民が安寧に暮らせることがまず第一、為政者の幸せはその前提あってのものというだけのことだ」
「護民官殿……」
「それに、民が富めばその分為政者もお零れに預かれるかもしれぬ。王という者は民第一の家臣故、な」
にやっと笑って見せれば、カカンは感心したように何度も頷く。
「護民官殿は、私よりもお若いのにどうしてそこまで無私の心で務めをこなせるのですか?」
「私は見た目こそ若いかもしれないが、そなたよりもずっと歳上だ」
どうやら自分よりも年下と見積もっていたらしく秋隆の言葉にカカンの表情が凍り付いた。
「え? じ、じゃあ、一体おいくつなのですか?!」
「少なくともそなたの祖父母よりは歳上だな」
実際は祖父母どころか曾祖父母や高祖父母よりも遥かに年上なのだが、そんなことを言っても信じてもらえまい。
案の定と言うべきか、秋隆の発言にカカンはやや引きつった笑みを見せる。
「またまたご冗談を……」
「いずれにせよ、長く生きていると自分よりも他者、とりわけ力無き同胞のために働きたくなるものだ」
そこまで一息で話して、微かに自嘲めいた笑みを浮かべる秋隆。
「それもまた個人的な欲求、無私とは言えぬよ」
秋隆の話を聞いてしばし何事かを考えていたカカンだが、やがて小さく嘆息を漏らした。
「……自分のことを後に回してる時点で十分無私のような……」
「何か言ったか?」
「い、いえ、何でもありません!」
「……そうか? まあそなたも後二十年ほど生きれば私の言うことも理解できるようになってくるだろう」
話は以上、この後は少しばかり街の様子を視察してから桔梗城に戻るとしよう。
そう一人ごちると秋隆はカカンと挨拶を交わし、市長室を後にした。
※カカンの大幅な減量は理気的ななんじゃかんじゃが絡んだ結果なので、決して真似しないで下さい。




