第四十九話「窮鼠」
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新章突入、四千年前の怨念。
どことも知れぬ暗闇、微かな青白い光のみが照らすその空間に一人の女性がいた。
見た目はまだ少女と言っても良い程度の年齢であろうか?
青を基調とした派手な意匠の鎧は必要最低限の箇所のみを守る露出過多なものであり、しなやかな四肢も蝶のピアスに彩られた腹部もその大半が露わとなっている。
蕃神族らしく肌の色は透き通るような白、耳も普通の人間よりも長い所謂エルフ耳だ。
彼女の名はミディアン・ヴァルナー、エルメラ神聖国の神官将を束ねる総長の地位にいる人物。
そんな高い地位にいる彼女だが、どういうわけだか現在暗闇の中で平伏し、ガタガタ震えるというまるで罪人のような様相を呈している。
「ミディアン・ヴァルナー、貴様が呼び出された理由、理解していような?」
暗闇の中から聞こえてきた恐ろしく尊大な女性の声にミディアンの全身が大きく跳ねた。
「は、はい、セント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムの一件でしょうか?」
おずおずと言った口調で出てきたのは、彼女の保有する領地内でも有数の二つの大都市の名前である。
つい一か月前、この二つの都市では市長の座を賭けた大会が行われ、一人の人間が優勝した。
その優勝者がとんでもない人物だったために、ミディアンの所属する派閥が荒れに荒れたというのは記憶に新しい。
「あ、あるいは、久坂、いえ儀同三司によってダラニア・エンチュラやヨライ・クリスリーを始め、複数肉体を失ったことでしょうか?」
「惜しいわね。起きた出来事よりも起こした奴のことを話したいのよ」
暗闇の向こうから聞こえてきた二つ目の声は少女のもの、無垢無邪気であるが故に底知れぬ残忍さを感じさせる。
「久坂杏一郎」
最初に聞こえた尊大な声にミディアンが慄いていると、再び少女の声が聞こえ始めた。
「神官将になってまださほど日が経っていないにも関わらず、すでに鬼紋王を倒して、そっちの領内で行われた武術大会でも優勝したらしいじゃない」
悔しそうに奥歯を噛むミディアン。そう、何故ミディアンの派閥が荒れたのかと言うと、大会で優勝し市長の資格を得たのが、彼女らにとって望ましい人物ではなかったからである。
「とは言え、さっきも言ったが直近の活動、大会に優勝したことも、市長だか護民官だかになったことも我らにとってはそれほど重要な話ではない」
「問題になってるのは蕃神族どころか、剛霊王すらぼろ負けしたことと、それをやらかしたのが他でもないあの久坂杏一郎だってことなのよ」
久坂杏一郎、その名前はミディアンどころかこの場にいる全員にとって因縁のあるものだ。
「久坂杏一郎、四千年前我らに楯突いた忌まわしきあの愚か者のことを忘れたわけではあるまいな?」
「も、もちろんでございます」
暗闇の向こうから聞こえる尊大な声に、慌てた様子で何度も頷くミディアン。
「四道将軍筆頭にして久坂家当主、さらには神州皇の最も信頼する臣下にして身内」
ミディアンの頭の中に本来彼女が持ちえない記憶、生まれるより以前に起きた出来事の情景が浮かび上がる。
「そそ、あいつと三人の四道将軍、それから二人の公家が出しゃばったせいで起きなくてもいい戦争が起きて、その結果が……」
「殺せ!」
少女の声を引き裂くような形で聞こえてきた第三の声。
二人と比べて野太い声に、どこかしゃがれた調子は長い年月を生きた老婆を彷彿とさせるものだ。
しかし年を経て落ち着きを持つようになったものではなく、むしろ長い期間好き放題生きて来たかのような、自分勝手な老害のごとき物騒な声音をしている。
「四道将軍などという愚か者も、それに協力する偽剛どもも何もかも殺せ! 殲滅しろ!」
明確な殺意を内包する言葉、こんな暴言を躊躇なく口にする者がまともな感性を持っているはずがない。大多数の人間が出来れば終生関わり合いたくないであろう類の人種だ。
そんな老婆の声に空気が震撼し、この空間を満たす暗闇すらも揺らぐような感覚にミディアンの顔が恐怖に染まる。
「ひっ!」
「奴らは死んでこそ意味がある! 殺せ! 一人残らず根絶やしにしろ!」
空間全体に広がるとんでもない殺気に満ちた言葉、数分後ようやく静かになると仕切り直しとばかりに最初の声が聞こえ始めた。
「言い方はともかく、神州人はいかなる手を使ってでも滅ぼさなければならないというのは我等の共通する結論だ」
「あれから随分時間をかけて準備してきたのに、よりにもよって四千年前私たちを邪魔したあの男、久坂杏一郎にもう一回やられるっていうのは癪なのよね」
二人の声を受けてか微かに震動する空間に、ピリピリとミディアンの全身を刺すような強い理気。どうやら老婆ほど感情を露わにすることがないというだけで、二人とも久坂杏一郎に対し殺しても足りぬほどの強い憎しみを抱いているらしい。
「わかっていようがすでに大陸は我らのものも同然だ」
尊大な女性の言葉に微かに頷くミディアン。この世界は極東五大洲、すなわちエルメラ神聖国を除けば西方の大陸もそこに含まれる西方アルビオンに北方ルセアなどの地域も全てゼデキア帝国の所領。
この女性の言葉をそのまま鵜呑みにするのであるならば、ゼデキア帝国はすでに彼女らの手の中と言うことになる。
「要するに世界の支配はほぼ完了して、残ってるのは因縁の場所、五大洲だけってこと」
せせら笑うように尊大な女性の言葉を輔弼する少女の声はまさにそのこと、エルメラ以外の地は征服済みであることを明言するものだ。
「お前やアウグスタを要職につけるために様々な工作したのもそのためであること、わかっていような?」
「も、もちろん心得ています」
突如として飛んできた質問に、すぐさま平伏しつつ応じるミディアン。
いくつか手段はあるが、彼女らが行う工作自体は四千年前より基本構造は変わってはいない。
使い古された正義や、陳腐な感情論を盾として、長い時間をかけて対象とした国の中枢に自陣営の息がかかった者たちを送り込む。
それらは埋伏の毒として浸透し、時間が経てば経つほどに中枢部から末端部を汚染、結果合法的な征服を可能とすると言うわけだ。
もっとも、それはあくまでも四千年前に行われていた基本となるやり方であり、今となってはより発展した効率的な方法が用いられているわけだが……。
「けど、このままあいつ、久坂杏一郎が台頭してきたらそれも全部潰されちゃうのよ」
「潰されるだけで済めばまだ良い、奴がこのタイミングで現れた意味を考えてみよ」
このタイミングと言う言葉にミディアンの額を脂汗が滴り落ちる。すなわちエルメラにも埋伏の毒が浸透し、いよいよ全世界の支配も現実味を帯びてきた今になってと言うことだ。
「四千年前果たせなかったこと、私たちを滅ぼすことを目論んでるかもってこと」
微かに震える少女の声を受けて、ミディアンの脳裏に存在しないはずの記憶が浮かび上がる。
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炎上するいくつものビル群に、その合間を縫う形で逃げ惑う褐色肌の民たち。
恐ろしい悲鳴とともに大地を割き、植物の根のような柱が幾重にも出現し、またいくつものビルとともに市民が犠牲となった。
ミディアンもまた迫り来る死の運命から逃れようと怒声と混乱、炎が支配する街の通りをひたすら走り続ける。
爆発に次ぐ炎上、最早耳がどうにかなっているのではないかと言う時、ついにその男が姿を現した。
「……ほう、まだ生き残りがいたか」
このような戦場に似つかわしくない黒の衣冠装束に恩情というものがまるで感じられない群青色の、血液とワインの区別が不要な者特有の冷徹極まりない瞳。
その手に握られた刀は銀や白を通り越して青白い光を宿しており、恐ろしくも美しいある種芸術的とすら言える気配を放っている。
「だが私の前に出てしまった以上そなたらの運命は変わらぬ」
すぐさま踵を返して逃げようとするミディアンだったが、どれだけ足に力を込めようと動くことはなかった。
「なっ!」
一体いつの間にやられたのか、足首の辺りに鉱物のような植物が幾重にも絡みつき、地面に縫い留められている。
「あ、悪魔……」
静かに近づいて来る死の気配にかすれた声で言い放つミディアンだったが、男の方はキョトンとしたように首を傾げるのみ。
「悪魔? いや違う……」
次の瞬間、ミディアンの胸部から夥しい量の血が溢れ、周囲を鮮血に染めた。
「悪魔は、そなたらだ」
まさに瞬きの一瞬、刀で胸部に一突き加え、直後これを引き抜く。この一連の動作に二秒もかかってはいまい。
「……再生を夢見て眠れ」
最後に憐れむような視線を向けると、そのまま男はミディアンに背を向けいずこかへと去っていった。
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「うっ!」
一瞬の回想、古い記憶にも関わらずミディアンの脳裏に浮かんだ光景は鮮明であった。
あの日感じた恐怖、苦痛、屈辱、それらがより明確な感情、憎悪となって胸の内に湧き上がる。
「殺せ! 殺られる前に殺る! これは生きる上での鉄則だ!」
「そういうわけだ。これ以上奴を野放しにしておくわけにはいかない」
老婆の言葉を肯定する女性の声、彼女らもミディアン同様過去のことを思い出したのかどこか感情的な声音だ。
「それに、鬼紋獣たちの動きも活発になってるわ。久坂の奴が帰還したことを認識してるのよ」
「わ、わかっております。すでに久坂杏一郎とその一派、さらにはこれを庇護する大神官どもを纏めて消すための策は進めております」
ミディアンの言葉に、空間内に立ち込めていた気運が僅かながら弛緩する。
「ふむ、期待して良いのだろうな?」
「は、はい! 必ずや奴を滅ぼし、今度こそ神州人をこの世界から絶滅させてご覧にいれます」
久坂杏一郎を野放しにしておくことは自分たちの身を危険に晒す行為。ここまで来た以上相手を殺すか、それともこちらが滅ぼされるかの結末しかない。
「ま、とりあえず今はその言葉を信じることにするわ」
「五大洲を押さえ、エルメラ神聖国を我が物とすることが出来れば、煩わしい異民族どもは滅びて我等高貴なる民が支配する美しい世界となる」
自分たち以外の全てを排除して世界を支配すること、これこそが四千年前から続く彼女らの大望だ。
「そのためにも、邪魔する奴らは容赦なく排除せよ!」
「ははっ!」




