第四十八話「tribunus plebis」
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「……報告は、以上となります」
話を終えると秋隆は静かに息を吐き、呼吸を整える。
二十畳ほどの空間で椅子に腰かけ、大机越しに秋隆の話に耳を傾けていた女性、神官長カークスは微かに頷いて見せた。
「困難な指令、よくぞ成し遂げてくださいました」
その表情は晴れやかなもので、心から秋隆の行動を賞賛していることがわかる。
ヴァルナー領での戦いから一週間、都市における必要最低限の後始末を終え、秋隆はカークスに状況の報告をすべくエテメンアンキ大聖堂を訪れていた。
その身に纏うのは普段の簡素な物ではなく黒を基調とした衣冠装束、従四位下頭中将の名に相応しいものである。
「完璧にご期待に添える結果とは申せませんが、セント・ヴァルナール、ヴァルナ・ウルベリウム、ともに下地は整ったと言えます」
「気にすることはございません。そこまでのことが果たせたのならば、十分な成果と言えるでしょう」
そこまで話してカークスは笑みを絶やし、鋭い目で秋隆を見据えた。
「しかし、六耳彌猴でしたか、俄かには信じられない話ですね」
闘技場に突如として現れた正体不明の怪物六耳彌猴、カークスとしてはそちらの話が気になるらしい。
「正体については一切わかりませんが、危険な存在であることだけは確かです」
「どこにでも出現するという点では鬼紋獣よりも厄介と言えるかもしれませんね」
「正体含め、何らかの対策はしていただけるのでしょうか?」
秋隆の問いにカークスはしばし顔を伏せ、沈思黙する。
六耳彌猴などと言う危険な存在を野放しにしておくことなど出来ないが、対策をするとなれば元老院で審議を行わねばならない。
普通ならば全会一致で承認されるような議題だが、長く政治の世界にいるカークスにはそう簡単には行かないであろうことが目に見えていた。
「そのつもりです。しかし、市民への影響も考えて、当面このことは伏せねばならないでしょう」
結局当たり障りのない返事を返すことが出来ず、一瞬顔を顰めるカークス。危険を冒して此度の指令を果たしてくれた青年に報いることが出来ない己の不甲斐なさに、内心苛立っているのである。
「……(私も、危険を冒さねばならない時期に来ているのかもしれませんね)」
一人頭の中で己のすべきことを迅速にまとめると、カークスはにこやかな笑みを浮かべる。
「とにかく可能な限り迅速に手を打つつもりです」
「よろしくお願いいたします」
深々と一礼する秋隆であったが、彼もカークスの一存で六耳彌猴の対策が進むなどとは思っていない。
とりあえず今は国政を担う人間に話を通すことが出来ただけで良しとして後は己のできる範囲で行動するつもりだ。
「それで、セント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムのことに話を戻しますが……」
一度だけ喉を鳴らして声の調子を整えると、カークスはより詳細な、突っ込んだ部分に言及する。
「元々いた官吏たち、総長や宰相寄りの者たちはどうなりました?」
「こちらが何かする前に、皆一斉に辞任、蜘蛛の子を散らすかのようにセント・ヴァルナールから退散しました」
秋隆が思い出すのは一週間前、総長就任記念武術大会で優勝し、己の正体を明かした時のこと。
これで一年間二つの都市の市長となる資格を得たのだが、その際元々いた市議や行政関係者、果ては常駐していた白薔薇旅団までも姿を晦ませてしまったのだ。
逃げ出した人間の大半は蕃神族で一部エルメラ人、彼女らにも汚職の疑いが掛けられているため秋隆としてもこのまま逃がすつもりはない。すでに神官将としての権限を使い、あちこちに捜索の手を伸ばしている。
しかし一人だけ、逃亡することなくセント・ヴァルナールに残った者がいた。
「ただ一名を除いて」
「一名除いて、ですか……」
秋隆の言葉にカークスも誰のことなのかを察したらしく、深いため息を吐く。
「……彼女は本当に信頼できるのですか?」
「はい、彼女、カカン・キラミスは全ての罪を私に告白した上で身柄を委ねてきました」
カカン・キラミス、前任の市長であり七期に渡り市長の座に居座っていた人物。
闘技場での戦いの後、彼女はこれまで自分のしてきた悪事を全て秋隆に暴露した。
己が利権のために恣意的に公共事業を動かしたことに始まり、セント・ヴァルナールへの利益のために蕃神族以外の種族、事に男性を手酷く扱ったこと。
他には自身の権力維持のために武術大会のトーナメントを書き換えたり、自分の息がかかった者が優位に立ち回れる組み合わせにしたり、市長を辞退するよう優勝者や優勝候補に甘言を弄すなど多岐に渡る。
彼女の犯した所業の大半はグレー、すなわち法律では裁けないものばかりであり、まさに奸臣と言っても良い振る舞いだ。
本来ならば何らかの罰に処すところなのだが、思うところがあるらしく秋隆は神妙な顔で口を開く。
「……無罪放免とはいかないことはわかっていますし、監視も必要でしょうが、今の彼女は信頼に足ると思います」
自ら罪を告白したことだけではなく、必要に迫られたとはいえ闘技場で秋隆らと共闘したこと、そして現在自らセント・ヴァルナールの留置場で謹慎し、他ならぬ彼女自身が厳罰を望んでいること。
これらを総合して考えた場合、カカンは己の行いを反省し、罪を償うことを望んでいると見て間違いない。
あるいは情状酌量を狙ったポーズと言う穿った見方も出来るが、真摯な態度に人が変わったかのような誠実な言動はとてもそうは思えないものだ。
「……恐らく貴方の見解は正しいでしょう」
話を聞き終え、険しい表情のまま頷くとカークスは最終的な裁定を口にする。
「彼女についての沙汰は今後の働きを見た上で決定するものと致します」
「寛大な裁定、心より感謝致します」
つまり事実上の執行猶予、だが罪を償うことを望んでいる彼女にとって下手に罰を与えられるよりも厳罰となるかもしれない。
都合よく過去の清算をさせるつもりはないというのがカークスの意向のようだ。
「それで貴方は? 市長として二つの街を統治するつもりですか?」
「いえ、すでに市長は辞退する旨を伝えてあります」
優勝者が市長就任を辞退した場合、次の市長は前任が引き継ぐことになる。つまり来期の市長はカカンというわけだ。
普通ならば役目の放棄を咎めるところだが、秋隆の目的を察したらしいカークスは微かに口元を緩める。
「……なるほど、彼女を傀儡とし黒幕となるつもりですね?」
「黒幕ではありません。私がなるのはあくまでも相談役です」
つまり表向きカカンに市長をやらせ、相談役として秋隆が参与するというものだ。
実際セント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムでは早くも秋隆の活躍が広まっており、市民たちからは絶大な人気を得ている。
そんな人間が政治に関与し、正常化に努めることを表明すれば、これまで好き勝手やってきたカカンの悪名っぷりも多少は緩和されるというもの。
後はこれまで犯したグレー行為に対する償いとして、馬車馬のごとく働いてもらえば良い。
「……彼女を更生させようとするその心意気は買いますが、報酬を得ないままでは貴方の負担が増すだけですよ?」
言外に何らかの手当を受け取るように勧めるカークスに対して、うっすらと笑みを浮かべる秋隆。
「さすがにタダ働きは致しません」
責任ある立場に立つからにはそれなりの給金はどうしても受け取らねばならない。
これで無給などと言うことになれば下で働く人間に様々な悪影響を及ぼしかねないからだ。
もっとも、得た給金をどのように使うかについては秋隆に一任されるわけだが……。
「表向きの役職としては護民官というものを新たに作るつもりです」
この名称も市民対策の一環。単なる相談役では何のための役職かわからないが、これで民のための者であることをアピールするという企てである。
「護民官ですか、明らかに名義を貸すだけでは済まなさそうですね」
「それだけで済むようになればもう私も不要です。むしろ早いところそうなって欲しいくらいです」
秋隆の軽口に思わず吹き出すカークスだったが、二秒後にはいつもの澄ました表情に戻った。
「セント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムについては貴方に任せるつもりです。しかし……」
そこで一旦言葉を切ると、カークスは一瞬だけ目を伏せる。
「……出る杭は打たれるもの、どうか身の回りには細心の注意を払うようにしてください」
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カークスとの接見を終え、秋隆が廊下に出ると反対側から何者かが歩いてくるところであった。
蕃神族らしい白い肌に身体のあちこちをアクセサリーで飾り立てている。宰相アウグスタ・ルベルムとその取り巻き達だ。
軽く一礼してすれ違う秋隆であったが、奇妙な違和感に足を止め、思わず振り返る。
相変わらず引き連れる取り巻きの数は多いが、以前ルドヴィカに教えてもらった宰相の側近、所謂三羽烏が一人減っていた。
名前も顔も、秋隆は良く覚えていないのだが、辛うじてダラニア某がいないことを察知し、微かに首を傾げる。
しかし物思いに耽るのも一瞬のこと、何があったのかは知らないがそこまで考えることもないだろうと思い、アウグスタたちに背を向けると時空捻転現象を発生させ、廊下から姿を消した。
この程度のことは自分に関係ないだろう。少なくともこのときはまだそう考えていた。
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夕暮れ時の桔梗城本丸。本丸御殿内の庭園に時空捻転現象が発生し、一瞬の後に秋隆が姿を現す。
「杏一」
突如として掛けられた呼び声に顔を上げると、庭園に面する廊下に凍子が立っていた。
「随分と厳しい役目を引き受けたようですわね」
無表情ながらもやや険しいものが滲む表情、どうやら秋隆の護民官就任を心配しているらしい。
「……為政者たる者、まず自分が規範を示さねば誰も後にはついて来ないでしょう」
金で人は集まるし、命令で行動を促すこともできるだろう。だが上に立つ者が率先して規範を示すことをしなければ誰も後に従うことはない。
うわべだけの言葉を尽くすのではなく、まず自分が手本を示すことにより、周囲の人間の襟を正すのだ。
「……それが恐らく、卿という人間なのでしょう」
「凍子……」
凍子は静かに秋隆へ近づくと、その大きな手で冷え切った彼の手を包み込む。
「無理はしてはなりませんわよ? 命なくば卿が為せたこと、為そうとしていたこと、全て画餅に終わることとなりますわ」
「ご心配痛み入ります」
普段の言動と見た目からは及びもつかないほどの温もりを秘めた凍子の手を握り返しつつ、微かに頭を下げる秋隆。
「私も志半ばで死ぬつもりはございません」
時間としては数分程度、やがて最後に力強く秋隆の手を握ると凍子は手を離した。
「……その言葉、しかと己の胸に刻みなさい」
「はい」
一礼の後に秋隆が本丸御殿に入っていくのを確認すると、先ほどの余韻を楽しむかのように空を見上げる。
「師匠としても、姉としても、伴侶としても、卿のこと誇りに思いますわよ。杏一」
夕暮れのおかげで、一切目立つことはなかったが、沈みゆく太陽を一人眺める凍子の頬は微かに赤く染まっていた。
次回から新章に入らせていただきます。




