第四十六話「八本足の六耳獼猴」
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個体差。
床を突き破る形で現れたのは、およそこの場に似つかわしくない異形の生命体であった。
三メートルはあろうかという巨体に血走った黄金の瞳。恐ろしく筋肉質な四肢、妊婦の思わせる肥大化した腹部と胸、その肌は金属のように硬い黒い肌をしている。
そして、頭にある六つのエルフ耳、以前エテメンアンキ郊外に現れた異形の生命体、六耳獼猴だ。
しかし、以前戦ったものとは違いその足は蜘蛛のような八つの足となっており、理気に関しても比較にならないほど強い気配を放っている。
「六耳獼猴? いや……」
秋隆の視線が向かう先は八つの足、刃物のような先端を持つそれは鈍い光を放っており、理気鋭化を行わずとも大抵のものなら易々と貫いてしまいそうだ。
「……(変異体、とでも言うべきか?)」
「υοχιατνακασυοκ,ιανιρυοπμισασιχ……」
相変わらず意思の疎通と言うものが出来なさそうな六耳彌猴の声。
しかしそこに宿る敵意は本物、言葉の意味が分からない秋隆も悪意だけは鋭敏に察知しており、表情に険しいものを滲ませる。
「αυοαττακαναυοομοαυοοτυοααταμ……!」
次の瞬間、六耳彌猴の口に理気が収束し、赤黒い閃光が吐き出された。
「……っ!」
以前の戦いでも見せた攻撃的な理気による閃光、秋隆は即座に地を蹴りこれを回避する。
「……(やはり、戦う他ないか!)」
恐ろしいまでの敵意に凶暴な理気の気運、これを放置するのはあまりにも危険だ。
それに、もしここで自分が逃げた場合セント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムに住まう無辜の民が犠牲になるのは間違いない。
逃げることも敗北することも許されない状況、秋隆の瞳に強い光が宿る。
「……参る」
覚悟を固めるとともに、六耳彌猴との距離を詰めんと走り出す秋隆。
「ιανις……!」
無論六耳彌猴側もそのまま何の対策も打たないはずもなく全身の理気を収束、火炎弾を周囲にばらまいた。
「はああああああああ……!」
しかし秋隆は大きく飛び上がってこれを回避すると、鼈甲霊亀を振り上げ上段より六耳彌猴に一撃を加える。
「ακγ……!」
寸手のところで身体を捻ったため直撃こそ免れたものの、理気を込めた斬撃を受け、鮮血とともに六耳彌猴の右腕が宙を舞った。
「οοοοοοοοοοοτνιιατονοκ,οκ……!」
しかしこの程度は致命傷にならないのか、六耳彌猴が右手に理気を込めれば、欠損部より新たな腕が姿を現す。
「ιανις……!」
そのまま返す形で至近距離から閃光を放つ六耳彌猴だったが、秋隆もこの程度は予想していたらしく、後方に退く形でこれを躱した。
「……ふむ、やはり実力に関しては以前戦ったものよりも数段上、か……」
鼈甲霊亀を構え、油断なく六耳彌猴を睨み据える秋隆。
そこで、突如として六耳彌猴が秋隆のすぐ後ろに視線を向ける。
「ιιοτνυοοιτ,ακατιατναμ……」
一瞬口元を意味深に歪めたかと思うと、六耳彌猴は蜘蛛のごとき前足を大きく振り上げた。
次の瞬間、二つの前足の先端に理気が収束、レーザーのような光を帯びる。
「むっ!」
即座に鼈甲霊亀を正眼に構える秋隆であったが、六耳彌猴の狙いは彼ではなかった。
「υοραιιατισοιζυουοχιτυοκ……!」
六耳彌猴の放った光線が向かう先は秋隆ではなく、観客席の一角。
「何っ!」
光線の一撃で崩れる観客席、濛々と煙が立ち込め、瓦礫が闘技場に降り注ぐ。
「うわ、うわっ! うわあああああああ……!」
そんな瓦礫に交じる形で一人の女性が闘技場に落ちてきた。
咄嗟に秋隆は理気を収束、彼女の落下地点に柔らかい草を幾重にも出現させる。
「痛、くない?」
「……大丈夫か?」
六耳彌猴を警戒しつつ、女性に駆け寄る秋隆。簡単に見たところ、かすり傷のような小さな傷はあれども、草がクッションとなってくれたおかげで致命的な傷は避けられたらしい。
「お、おま、お前は久坂!?」
腰が抜けてしまったのか、女性は太った身体を起こすこともせず、ずんぐりした指を秋隆に突きつける。
「私のことを?」
「杏! そいつはカカン・キラミス、セント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムの市長よ!」
頭上から聞こえる鋭い声、秋隆が顔を上げるとルドヴィカが観客席を飛び出し、闘技場に降り立つところであった。
「随分と面倒なことになっちまったようだねえ」
「これまで何かを為そうとして面倒ごとにならなかったことはございません」
ルドヴィカに続く形で観客席を飛び降りる豊輝と凍子、すでに二人ともその手にそれぞれの武器を握っている。
「杏一、あれが?」
六耳彌猴をじっと見つめる凍子の問いに秋隆はすぐさま首肯して見せた。
「六耳獼猴です。しかし以前とはあまりにも違う見た目をしています」
「見た目もそうだけど、それより問題なのは中身ね」
双刀を抜き、手の中でクルクルと回しつつ、ルドヴィカもまた秋隆に同意するように頷く。
「強力な理気、前の奴とは役者が違うわ」
つまり何もかも違う存在、以前現れた個体より遥かに協力であろうことは間違いないようだ。
「ακγγυοκγυοοισυοοτνισ,οιοτυοστακιαιριγγοκγανιατναρυοκαμακ……!」
しばしの間、憎々しげな表情で秋隆、そして豊輝を睨みつける六耳彌猴だったが、その口元が微かに緩む。
「υοκατνατιιατιασασιαοροσοαμοκγιαταπμαραν……」
直後、闘技場のあちこちで異質な理気が生じ、一瞬にして闘技場全体の気運を不穏なものへと変えた。
「杏一、警戒を……」
誅仙剣を上段に構え、油断なく周囲に意識を向ける凍子。
「恐らく、歓迎すべきでないことが起こりますわ」
「ーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
続いて闘技場のあちこちから聞こえてくる野獣のごとき野太い雄たけび、この声には聞き覚えがある。
「まさか、これは……!?」
凶兆に秋隆が眉根を寄せたその刹那、大地を震撼させつつ四体の六耳彌猴がその姿を現した。
「ひ、ひいいいいいい……!」
あまりの恐怖に恐慌状態になるカカンを尻目に、面白くなってきたとばかりに笑みを見せる豊輝。
「これまた、骨が折れそうだねえ」
「骨が折れる。だけで済むならむしろ幸運と言うべきかもしれませんわよ?」
こちらに殺気を向ける五体の六耳彌猴を見て一つため息をつく凍子だったが、負けるつもりはないらしく全身に理気を漲らせている。
「問題ないわ。一人一匹倒せば良いだけよ」
「一人一匹……?」
ルドヴィカの言葉に秋隆の視線が五体の六耳彌猴に向かい、続いてこちら側にいる人員に移動した。
こちらの戦力と言えるのは凍子、ルドヴィカ、豊輝に秋隆を加えて四人、これでは一人足りないことになってしまうが……。
訝し気な秋隆の様子にルドヴィカは鼻を鳴らし、腰を抜かしたまま動けずにいるカカンを見下ろす。
「ふん、当然そこの豚も頭数に入ってるわ」
「む、むむむむむ無理を言わないでよ!」
はあはあと荒い呼吸を繰り返しながらも、どうにか抗議の声を上げるカカン。
「鬼紋獣とすら一度も戦ったことないのに、あんな怪物相手にできるわけないわ!」
わなわなと震える彼女の様子は、口から唾を飛ばし、額からは滝のような脂汗を流すというあまりにも見苦しいものだ。
普段飄々とした態度を崩さない豊輝もこれにはさすがに呆れたのか、微かに肩をすくめる。
「……神官将とやらが聞いて呆れるねえ」
「戦えぬと言うならば死ぬだけですわね」
ちらっとカカンを一瞥した凍子の瞳もまた、普段見るものより遥かに冷たいものだ。
「それが戦場における掟です」
「い、幾らでも積むから、助けて……」
「……哀れなものだな」
あまりにも無様なその姿に、呆れを通り越して憐れみすら覚えたのか悲しそうに顔を歪める秋隆。
「そなたも己が実力と情熱のみを頼りに世界を変えようとした時期があったろうに……」
「っ!」
悔しそうに顔を歪めるカカンに構わず、尚も言葉を続ける。
「権力に酔い、支配欲に狂い、万能感に陶酔する」
秋隆が言葉を重ねるたびにカカンの顔は羞恥の色が濃くなっていくが、結局何も言い返すことは出来ずただ唇を震わせるだけだ。
「まこと恐ろしいものだな。時間、ことに何もせずに流れる時間は……」
「杏、こんな豚に何を言っても無駄ってもんよ」
ここまで言われても尚、何の行動も起こさないカカンを、ルドヴィカはただ冷淡に見下ろす。
「この土壇場で剣を取れないって言うなら、同じ豚でも意味のある生を送ってる養豚場の豚の方が遥かにマシよ」
「違いないねえ」
ルドヴィカの言葉に同意すると、豊輝は深いため息をついてから、まるで幼い子供を諭すような調子で口を開いた。
「お嬢ちゃん、金でなんでも買えるとか思ってんなら、思い上がりも甚だしいってもんだぜ?」
「お、お前たち青臭い小僧どもに、私の気持ちがわかってたまるか!」
勢いよく立ち上がり口角泡飛ばす勢いで、一番近くにいた秋隆に詰め寄るカカン。しかし彼は表情一つ変えずに首を振って見せる。
「わかるわけがない。そなた自身が窓口を閉めているのだから」
驚愕の表情を浮かべるカカンの横を抜ける形で前に進み出ると、秋隆は三人の同胞に瞳を向けた。
「凍子、ルイズ、尚左、すまぬが……」
「わたくしたちで、三匹押さえれば良いのですわね?」
秋隆が何か言う前に、彼の考えていることを察したのか凍子が口を開く。
「この程度、わたくしにかかればどうとでもなりますわ」
「代わりに後の二匹はあんたが受け持つってことで良いのね?」
呆然とした表情で立ち尽くすカカンと秋隆を眺め、次いで八本足の六耳彌猴に目を向けるルドヴィカ。
どう考えても不利な戦い、「やれるのか?」と言外に問われ、秋隆の表情にわずかながら険しいものが滲んだ。
「構わない。我が理気で以って正面からこれを討滅する」
わずかな逡巡の果て、力強い口調でルドヴィカに応じると、秋隆は鼈甲霊亀を上段に構え、六耳彌猴を正面から見据える。
「……そう、なら今回もきっちり生き残ることね」
これ以上の言葉は二人に必要ない。秋隆がやると言った以上確実にやり遂げるであろうことをルドヴィカはよく知っているからだ。
にこりともせずに秋隆から視線を外すと、六耳彌猴を正面から見据える。
「……行くぞ」
秋隆の言葉とともに張りつめていた空気が一気に切れ、同時に凄まじい激闘の幕が上がった。




