第四十三話「万夫不当」
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見開きで倒すの図。
いよいよ予選まであとわずかと言う時間、秋隆は闘技場の隅に立ち、軽く準備体操をしていた。
「……男」
「男がいるわよ?」
「何だか知らないけど、チャンスね」
秋隆に対して無遠慮に突き刺さる周囲の蔑視、他の選手にとって男性というものはカモ以外の何者でもないらしい。
どの選手も瞳の奥には「どうやって痛めつけてやろうか」と言う嗜虐的な欲求が見え隠れしている。
「それでは第八回総長就任記念武術大会予選を始めます!」
アナウンスに従い、秋隆が指定された区画に移動しても尚、周囲からの視線が止むことはない。
そんな冷ややかな視線を気にする素振りすら見せず、秋隆は堂々たる動作で指定された場所に立った。
左手は鼈甲霊亀の鯉口に当て、右手は柄といういつでも刀を抜ける姿勢のまま開始宣言を待つ。
「……始めっ!」
審判の合図とともにあちこちで巻き起こる理気の爆発、秋隆の周りも例外ではなく凄まじい敵意が一瞬にして空間を支配した。
「……(さて、どこから来る?)」
理気を用いて瞬時に周囲の状況を確認し、秋隆はいよいよ鯉口を切る。
直後、四方八方から複数種の属性攻撃が秋隆目掛けて押しかかってきた。
「っ!」
その数たるや一、や二では効かないであろう。それこそ二桁には確実に達しているであろう数だ。
しかし、それなりの実戦経験をこなしてきた秋隆にとって最早この程度は児戯にも等しい攻撃。
「……遅いな」
命中するその刹那、秋隆は正確に迫りくる属性攻撃の軌跡を読み、合間を縫うような形でこれを回避する。
攻撃認識から回避までに使用した時間は精々二秒、あまりの速度にすぐ近くにいた選手すら動きを見切ることが出来ないほどだ。
恐らく攻撃をした選手の中には秋隆が回避したことすら気付かない者もいたであろう。
「……終わりだ」
続いて一瞬煌めく鼈甲霊亀、秋隆が抜刀した時にはもうすべてが終わっていた。
居合の要領で刀を抜くとともに一閃、それが起きた全てである。
しかし、理気によって強化された一撃はただの剣圧であろうとも必殺たらしめる威力を発揮し、正確な動きで周囲に拡散された。
「なっ!」
気付いた時にはもう何もかも遅い。秋隆の放った一撃で、五十人はいた選手が全員四方八方に吹き飛ぶ。
「ば、馬鹿なっ!」
そのまま全身を打ち付けられ、哀れな選手たちは秋隆に傷一つつけることすら叶わずに意識を刈り取られた。
「……再生を夢見て眠れ」
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「すげぇな、本当に五秒で片付けやがった……」
鼈甲霊亀による一閃、これを見切ることが出来た者は闘技場全体を見渡してもごく僅かであったが、そのうちの一人豊輝はその手並みに心底感服したらしく思わず嘆息を漏らす。
「截教に不可能はありません。この程度杏一にかかれば容易いものですわ」
表情は変わらないものの、瞳の奥に喜色を湛える凍子。彼女も弟子の活躍が誇らしいようだ。
「う、うそ、何、今の……?」
すぐ近くから聞こえてきた声に凍子は静かに耳を傾ける。声から察するに先ほど秋隆を嘲笑していた一団のようだ。
「り、理気? でも男は使えないはず、と言うよりも何をすればあんな……」
「全然見えなかったんだけど、あいつ、何をしたの!?」
「知るわけないでしょ! こっちが訊きたいくらいよ」
ギャーギャー喚きだす女性たち。どうやら想像以上の実力を発揮した秋隆に慄いているというよりも、理解の範疇を越えた出来事に混乱しているらしい。
「てか私、あいつと一緒のブロックにいた別の選手に賭けてたんだけど!」
「わ、私も、しかも結構な額……」
「どうすんのよ! 私借金までしてんのに!」
遅れてより現実的な問題、大金を溶かしてしまったことに気付いたのか全員顔色を悪くする。
「……(杏一を侮った報いですわね。この程度で済んで、むしろ幸運と思いなさい)」
内心ほくそ笑みつつ凍子が闘技場に視線を戻せば、秋隆を前に何やら審判たちが協議しているのが見えた。
「なんか審判たち困ってるみたいだけど……」
困り顔で話し合いをする審判たちを見て、ルドヴィカは不安そうに呟く。
「ありゃ八百長疑われてるな」
ここまで審判たちの声は聞こえてこないが、ある程度状況を把握したらしい豊輝。
「あんな戦い方見せりゃあ当然だけどねえ」
「そんなもん疑われても痛くも痒くもないでしょ? 杏の奴は反則なんて何もしてないんだから」
不安を隠すかのように強気のルドヴィカに対して、豊輝は困り顔で顎を撫でた。
「まあ、それはそうなんだけど、権力者って奴は基本的にいつの時代も汚いもんだからねえ……」
「……どうやら、今回に関しては心配無用のようですわよ?」
凍子の言う通りしばらくして協議が解散すると、一人の審判が勝利者としてレフト・ロイヤルガードの名前を口にする。
「お? どうやら頭中将殿の勝利ってことで幕が閉じそうだ」
カラカラと豊輝が満足そうに笑えば、ルドヴィカもまた当然と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「……何か悪いことしてるならともかく、何もしてないんだから当たり前の結果よ!」
「……ま、自分たちが認識出来ないような事態を目の当たりにして、可能な限り触らないようにしたいのかもだけどね」
要は完全な腫物扱い。下手に突っ込むよりも、とりあえずそれらしい対応をした方が円滑な大会運営が出来ると踏んだのであろう。
「何にせよ勝ちは勝ち、これで杏一の目標が一つ近づいたと言うことですわね」
凍子の見下ろす先、闘技場では未だに乱戦が続いており、あちこちで悲鳴と怒号が交互に飛び交う戦場の様相を呈していた。
「……当たり前だけど、他七つはまだまだ時間が掛かりそうね」
つまらなさそうなルドヴィカの言葉に豊輝がすぐさま首肯する。
「そりゃそうさ、頭中将殿が最強ってだけで他は一般的なもん、決着が着くまでもうちょい掛かるだろうよ」
いずれの区画も決して低レベルの戦いと言うわけではないながら、秋隆のような圧倒的な選手はいない。
一般人とは頭一つ抜き出た実力を持つはずの蕃神族でさえも乱戦はやりづらいのか、苦戦する有様だ。
そんな戦いをしばらく見ていた凍子だったが、不意に顔を背けると席から立ち昇降口へと向かう。
「師父殿?」
豊輝の言葉に足を止めると、歓声が支配する観客席にあって不思議と通る声で言葉を発した。
「……杏一の出番が終わったならしばらく見る必要はありません。参加者の基準も決して高いとは言えぬようですからね」
そのまま歩き出そうとする凍子に今度はルドヴィカが待ったを掛ける。
「あんた、一体どこに行くつもり?」
「下衆の考えることは凡そ察しがつくと言うもの、杏一が動きやすいように少しばかり細工をしておきます」
それだけ告げると凍子は振り返ることすらせずに昇降口へと姿を消した。
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「な、何て強さ……!」
一段高いところに設えられた特別観覧席。秋隆が無様に倒されるのを今か今かと待ちわびていたカカンであったが、想定外の出来事に思わず前のめりになる。
その瞬間、ここまでどうにか耐えていた椅子のジョイント部分がはじけ飛び、彼女は無様に床を転がった。
「痛っ!」
石造りの床に顔を打ち付けてしまい、熱を帯びた額を擦りながらどうにかその場に立ち上がる。
「……どうやら、不様を晒すことはなさそうね」
後ろから聞こえてきた声に反射的に振り向けば、そこに立っていたのはダラニア・エンチュラ。
口元に隠し切れないほどの嘲笑が浮かんでいる辺り、先ほどの痴態もしっかり見られていたらしい。
「神速の抜刀に正確な身体操作による体運び、とんでもない男のようね。レフト・ロイヤルガード、いえ久坂杏一郎というのは……」
どこか他人事のように冷淡なダラニアとは異なり、カカンはこのまま行けば起こり得ることを想像したのか、わなわなと震え始めた。
「だ、ダラニア様っ! このまま行けば奴は……」
「優勝するでしょうね。しかもそれだけでなく、お前の地位も奪われることになるわ」
「っ!」
慌てふためくカカンを見て、せせら笑うダラニア。この八年間カカンが市長の座に居座ることが出来たのは、大会優勝者が神官将はともかく市長就任の方は辞退していたがため。
無論ここまで辞退が続いたのは偶然でも何でもなく、権力を握ったままでいたいカカンと動かしやすい市長を求めたミディアン・ヴァルナーが裏から手を回した結果である。
しかしここに来て現れた秋隆、否レフト・ロイヤルガードと言う男は見るからに裏工作の通用しなさそうな人物。このまま行けば数時間後にはカカンもただの神官将になることが確定してしまうのだ。
もちろん神官将の地位もエルメラ内では相当高いが、直接都市を動かせるほどの権力はない。
翻って市長、しかもセント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムの二つの都市の長を兼ねるとなればその職掌は非常に広いものとなる。
しかも本来ならば管区の長である神官長の監査があるところを総長と宰相が妨害しているのだ。最早事実上市長の独裁政治と言っても過言ではない。
故にカカンは権力維持のためにあの手この手で市長の地位に居座っていたのだが、脅かされているのが今と言うわけである。
「だから早い段階で捕縛しておかねばならなかったのよ。今となっては何もかも遅いけどね」
「お、遅くなどありません! すでに会場には相当数の兵士を潜ませてあります!」
「……あの強さを見てまだその程度でどうにか出来ると考えてるなら随分と能天気なものね」
ダラニアの指摘にカカンは苦しそうに言葉を詰まらせた。
相手は予選選手五十人を一瞬にして打ち倒すような猛者、どれほど兵力を集めても勝てる気がしない。
「それとも、久しぶりに初代優勝者の実力を見せていただけるのかしら?」
「む、ぐっ! そ、それは……」
「とにかく、今のうちに身の振り方くらいは考えておいた方が良いと思うわよ。まあ、もっとも……」
微かに顎を上げ、カカンを見下ろすとともに彼女を嘲笑するダラニア。
「……私がお前の立場だったら、自殺することも視野に入れるけど」
真っ青な顔でその場にへたり込むカカンに踵を返すと、ダラニアは席に戻ることはせずにまっすぐ外へと向かう。
特別席から出た先は他の観客席にもつながる通路、現在は試合中のためかほとんど人通りがない。
「……(明らかに以前より強くなっている。だとすれば非常に不味いな)」
通路を抜け、誰も使用していないであろう地下倉庫に入るとダラニアは衣服に手を掛け、乱雑な動きでこれを脱ぎ捨てた。
一糸纏わぬ姿、白磁のように透き通った肌にバランスの取れた妖精じみた体型。胸の下、鳩尾の辺りには網目模様を図案化したような不可思議な紋章が刻まれている。
「……どうやら、ここから生かして帰すわけにはいかねえらしいな」
普段の高慢な言動からは予想出来ない粗暴な物言い、その表情も憎悪と憤怒に彩られた醜悪極まりない表情だ。
彼女が熱を帯びた吐息を漏らすと同時に骨が軋むかのような不吉極まりない音が周囲に響き渡る。
採光用の窓から差し込む光に照らされたダラニアの影は、八本足を備えた異形のものであった。




