第四十話「私利私欲」
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取らぬ狸の皮算用。
部屋のあちこちに飾られた恐ろしく高価そうな美術品の数々に、金銀の装飾が施された成金趣味丸出しの華美な調度品。
ここ市長官邸の執務室に来る者はまずその部屋全体を支配する趣味の悪さを直視する羽目になるだろう。
秋隆が武術大会のエントリーを済ませたその日の夕方、大会運営委員長を任されているエルメラ人、サインヌは名簿を片手にカカンの下を訪れていた。
「市長様、大会出席者の名簿が出そろいました」
広々とした部屋のあちこちに並ぶ趣味の悪いインテリアに辟易しつつ、執務机の向こう側に座るカカンを見詰める。
「ん、ご苦労さん」
サインヌが机の上に置いた分厚い名簿をずんぐりした手で受け取ると、カカンはその中身を精査し始めた。
ペラペラと興味なさそうにページを捲っていたカカンであったが、一枚の資料を見てその手が止まる。
「……ちょっと、記入ミスがあるわよ?」
「は?」
カカンが差し出したページは、レフト・ロイヤルガードのエントリー用紙であった。
数時間前に彼が書いたのと寸分違わぬものだが、よく見ると性別欄に赤いマーカーでチェックが引かれている。
どうやらカカンもこのマーカーが目に入ったため、異常に気付いたらしい。
「このレフト・ロイヤルガード? とかいう奴、オスと言うことになってるみたいだけど?」
「え? そんなはずは……」
カカンの指摘を受けて慌てて資料に目を落とすサインヌ。一瞬書いた人間の不備かとも思ったが、窓口担当がこの程度の不備を見逃すとも思えないし、これをそのまま運営員に回すというのもおかしな話だ。
「……あの、わざわざチェックマークがついている辺り、もしかして本当にオスなのでは?」
「はあ?」
サインヌの指摘を受け、ここまでなんともやる気のない表情だったカカンの顔に怒気のようなものが宿る。
「理気も使えないオスが大会に? そんな身の程知らずがこの街にいるわけないでしょうが!」
カカンもサインヌも、理気を扱うことが出来るのは女性のみという認識のため、理気で戦うことが前提の武術大会に男性が出るなどとは夢にも思っていない。
だがどうにもサインヌの勘が、これは単なる書類上のミスではないと告げていた。
「それは、し、しかし……」
サインヌが重ねて何かを言おうとしたその刹那、けたたましいベルの音が執務室内に響き渡る。
一つ舌打ちし、イライラを隠そうともせずにカカンは音の発生源、卓上の電話機に右手を伸ばした。
「はい? こっちは取り込んでんだから電話ならまた後に……」
『……随分ご挨拶ね。カカン・キラミス』
電話口から聞こえてきた聞き覚えのある声に、カカンの心臓が大きく跳ねる。
「っ! だ、ダラニア・エンチュラ様!」
『電話口とは言えこの私にその態度、どうなるかわかっていてやっているのかしら?』
先方、ダラニアはカカンの態度に相当立腹しているらしく、電話越しにも関わらずその怒りの気運が伝わってきそうだ。
「た、大変申し訳ございません!」
身体の震えを強引に抑えつつ、机に頭をぶつけんばかりの勢いで謝罪するカカン。
「か、必ずや埋め合わせを致しますので! どうか、どうかご容赦ください!」
不気味なまでの沈黙、ほんの数秒であろうが、カカンにとっては数十分にも感じられるほどの時間。
『……まあいいわ。私もこんなつまらないことに時間を使っている暇はないから』
「は、ははあ、ありがたき幸せ」
完全に怒りを納めたというわけではなさそうだが、幾分かは和らいだダラニアの声にカカンも胸を撫で下ろす。
『それで本題に移るけど、さっきエテメンアンキから妙なニュースが届いたのよ』
「妙なニュース、ですか?」
顔が見えないためダラニアがどんな表情をしているのかカカンにうかがい知ることは出来ないが、声音から察するに相当悪い話のようだ。
ダラニアの抱えている緊張感をカカンも感じとってしまい、知らず生唾を飲み込む。
『神聖王がカークス・トルキオに何らかの勅命を渡したって言うのよ』
意外過ぎる言葉に思わずカカンは受話器を取り落としそうになってしまった。
確かにあの万年体調不良の神聖王ハクアがわざわざ勅命を用意し、神官長に渡したというのはかなりのニュースであろう。
しかしそんな話をわざわざ今、しかも急ぎでする意味が分からず、首を傾げるカカン。
「は、はあ、それで?」
拍子抜けしたかのようなカカンの声に若干苛立ちつつも、ダラニアは丁寧に補足説明を始めた。
『それと前後してウォルキアのご令嬢、新米神官将のルドヴィカ・ウォルキアが桔梗城を訪れたわ』
またしてもよくわからない単語にいよいよカカンの表情が険しくなる。
「桔梗、城? あの、それが私とどんな関係が?」
桔梗城と言えばエテメンアンキから相当離れた場所にある古城で、ここ何十年もまともに管理されていないような廃墟同然の城。
そんな場所にルドヴィカが何故行くのかその意味がカカンには一切理解できないのだ。
無論それなりに耳が早い者ならば、桔梗城は新たな城主、久坂秋隆によってとんでもない改築が施され、在りし日の古城とは比較にならないほど立派な住まいとなっていることくらいは掴んでいる。
しかし情報収集というものとは無縁のカカンの中では未だ草木深い湖脇の古城なのだ。
『鈍いわね』
最新情報というものを一切掴んでいないカカンに心底呆れつつも、ダラニアは説明を続ける。
『ルドヴィカ・ウォルキアはあの久坂杏一郎の同期ですでに深いつながりがあると噂される関係、その娘が久坂の本拠地を勅命前後に訪れたのよ?』
「ほ、本拠地!? 桔梗城が久坂の……!?」
久坂と言う名前を聞いて俄かにカカンの表情が気色ばんだ。
エルメラ始まって以来初となる男の神官将のことくらいはカカンも知っている。つい先日も彼に対して後ろ暗い欲望を抱いたばかりだ。
「で、ではその勅命はルドヴィカ・ウォルキアを通じて、久坂杏一郎に託された、と言うことでしょうか?」
『その可能性は高いわ』
このタイミングで秋隆の城をルドヴィカが訪れたのは完全な偶然なのだが、ダラニアの中では断片的な情報と独りよがりな推論が結びつき、微妙に間違ってはいるものの全くの見当違いとは言えないようなストーリーを構築したらしい。
そして一方のカカンも、ここまで話をされてさすがになんとなく嫌な予感を感じ始めたのか、その額に脂汗を滲ませ始める。
『それからこれもさる情報なんだけど、今日の昼頃、久坂そっくりの男が大会にエントリーしたそうよ?』
「は、え?」
ダラニアの信じがたい報告に、カカンは先ほどまでに見ていた資料を慌てて手に取った。
「レフト・ロイヤルガード……」
手続き上のミスかとも思ったが、これを書いたのが男性の神官将、久坂秋隆であった場合全てのことに辻褄が合ってしまう。
『もしこれらが全て事実なら、神聖王からの勅命はお前やヴァルナー領に関わること、すでにそのために暗躍していると見て間違いないわ』
すでに何度も元老院で問題視されているセント・ヴァルナールとヴァルナ・ウルベリウムの在り方。アウグスタ派閥として疑惑の手が伸びないよう妨害工作をしていた分、ダラニアの心中も穏やかではない。
「ご忠告痛み入ります。直ちに久坂杏一郎を捕縛し、ダラニア様の憂いの源を断つことと致します」
『奴が何のために大会にエントリーしたのかはわからないけどまず間違いなく考えあっての行動、何かしでかす前に必ずあいつを会場内で捕獲しなさい』
「全てダラニア様のおっしゃる通りに致します」
会話はそこまで、ダラニアからの電話が切れると、カカンはその太った身体を背もたれに沈みこませた。
「……どうやらこのヴァルナー領に歓迎されないネズミが入り込んだみたいね」
「侵入者、ですか?」
ダラニアとの会話を黙って聞いていたサインヌは神妙な面持ちでカカンに問いかける。
外部の人間がこの街に入り込むことは街の実態が外部に漏れることとに繋がるため、絶対に避けねばならない。
その危険性を良く知っているためか、サインヌの表情は非常に険しいものだ。
「ええ、それもとびっきり極上の、ね」
しかし一方のカカンは、ダラニアから連絡を受けた直後とは異なり、どういう心変わりによるものか顔を綻ばせている。
「それでは直ちにセント・ヴァルナール、ヴァルナ・ウルベリウム双方の警邏を増やし、侵入者の捜索を行います」
ともあれ、こういうトラブルは取り返しがつかなくなる前に対処すべき、即座に動き出そうとするサインヌであったが、カカンは両手を挙げてこれを制した。
「まあまあ待ちなさい」
とても余裕のある状況ではないにも関わらず笑顔すら浮かべるカカンを訝しく思いつつも、サインヌは上司の指示に耳を傾ける。
「警邏はこれまで通りで良いし、別に何か改めて新しいことをする必要はないわ」
「……は?」
事実上放置しておけと言う指示を受け、サインヌの表情に困惑の色が滲んだ。
「し、しかし侵入者を放置しておけばどのような結果になるか……」
「ええ、でも侵入者は必ず明日の大会に現れるわ」
「つまり、そこを押さえるというわけでしょうか?」
どのような意図にせよこうして大会にエントリーした以上、明日秋隆が会場に現れるのは間違いない。
敢えて泳がせておいて逃げ道がない状態に追い込んでから捕らえるということであろう。そのようなことを考えていたサインヌだったが、カカンは微かに鼻を鳴らすと、静かに首を振って見せた。
「いいえ、押さえるのは奴が負けてからよ」
一応会場で捕らえるというのは変わらないものの拘束するのは試合の後、わざわざそのようなことをする理由が理解できず、いよいよもってサインヌの表情が険しくなる。
「あの、それはどうして、でしょうか……?」
「お前が知る必要はないわ。私が考えてお前が実行する。それだけよ」
話は終わりとばかりに右手を振るカカン。まるでうるさいコバエを追い払うかのような動作だ。
「は、はい、それではその通りに……」
納得できないことだらけだが、これ以上カカンに逆らっても良いことは一つもない。
それならば何も考えず彼女の指示を遂行していた方が気持ち的にも楽であろう。
「で、では失礼いたします」
短い逡巡の後、サインヌは軽く頭を下げ、その場を後にした。
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「……(飛んで火にいる夏の虫、とはこのことね)」
サインヌが去り、一人になるとカカンは己を落ち着けるかのように唇を舐めた。
その両目は欲望に濁り切っており、本人は気付いていないだろうが、口元からも涎が零れ落ちている。
「……(久坂杏一郎、いやレフト・ロイヤルガード、この私の愛玩動物になれること、光栄に思うことね)」
とんでもなく希少な男の神官将、これを自分のものとした未来を想像し、カカンは興奮に身体中の肉をぶるりと揺らした。
「……(ふふふ、恨むなら、不用意に私の街に入った自分を恨むことね)」
頭に浮かぶのは鮮明な勝利の幻影、胸に去来するのは身を焦がす肉欲、明日の今頃にはこれらの欲望を満たせるはず。
そう考えていた。少なくともこの瞬間においては……。




