第三十九話「澱みの中にある街」
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黒書院での会議から数時間後の昼前、秋隆と豊輝の二人はヴァルナ・ウルベリウム中心地に位置する庁舎を訪れていた。
「……どうやらあっちで受付をしてるらしいぜ」
たくさんのエルメラ人や魔族でごった返すロビーに入ると、豊輝は窓口の一つを指さす。
秋隆もそちらを見れば、かなり大きな文字で『第八回総長就任記念武術大会参加受付中』と書かれている。
「ついに来てしまったか」
やれやれと言わんばかりにため息を吐き、窓口へと向かう秋隆。
ヴァルナー領にいる者達が一堂に介してその武技を競う武術大会、秋隆がここに来たのはそれに参加するためだ。
もちろん何の理由もない参加ではなく、これも神聖王から与えられた勅命を果たす布石の一つである。
「頭中将ともあろう者が臆したかい?」
いまいち気が乗らない様子の秋隆の隣を歩きながら豊輝はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。
一方の秋隆は相変わらず沈んだ表情をしており、この状態を歓迎していないことがわかる。
「いや、注目されるのが苦手なのと、それから……」
「正体がバレるのは間違いない上、出たら出たで面倒なことになりそうだから、だろ?」
秋隆の言葉を先回りする形で口に出す豊輝。彼の指摘は正しかったようで、秋隆は小さく頷いて見せた。
「そんなところだ」
数時間前、ルドヴィカからもたらされた情報は、明日ヴァルナー領一とも言うべきかなり大規模な武術大会が開かれるというもの。
それだけならばさして興味を惹かれるような話ではないのだが、どうもこの大会優勝者は神官将への推薦と一年間セント・ヴァルナール、ヴァルナ・ウルベリウム市長の座が与えられるという。
故にこの大会で優勝すれば一夜にして秋隆がこの街のトップになれるというわけだ。
「よう姉さん、第八回総長就任記念武術大会の受付はここで良いのかな?」
窓口にたどり着くと秋隆が何か言うよりも先に豊輝が軽い口調で口を開く。
そんな彼の姿に窓口に座るエルメラ人女性は訝しげな表情を浮かべた。
「そうだけど、もしかしてお前が?」
当たり前のことだが、武術大会ともなれば理気を使用しての戦いが前提となる。
それ故一応門戸自体は誰にでも開かれていても、必然的に参加者は理気を扱える者、すなわち女性ばかりになるのだ。
そのため、男性が参加するなど自殺行為以外の何者でもない。そう考えればこの発言も自然と言えよう。
さて、そんな対応をされても豊輝は特段気分を害することはなく、笑顔のまま秋隆の肩を叩いた。
「違う違う、参加するのはこっちさ」
「びっくりさせやがって、理気使えない男が出てもでかい標的にしか……」
秋隆の姿を視界に納めた瞬間、またしても担当の表情が凍り付く。
そして一秒後には驚愕から目を見開いた。
「いや、結局男なのかよ!」
思わずと言った様子の大声に、豊輝も楽しそうに含み笑いを漏らす。
「お、姉さんなかなか切れのあるツッコミをするねえ」
「出られない、と言うことはないはずですが……」
極めて冷静沈着な秋隆の言葉にある程度落ち着きを取り戻したのか、担当は一度だけ唇を舐め正面に顔を向けた。
「……そりゃそうだけど相手は超能力者だぞ? 悪いことは言わないからやめとけ」
声を潜めてそのようなことを言う担当。ぶっきらぼうではあるもののその言葉には相手を慮るような感情が見え隠れしており、本心から心配していることがわかる。
「どうしても出なければならないんです」
「どうしてもって、そりゃ仕事である以上やるって言うなら手続き自体はするけどさ……」
まだ迷う担当を見て、再び豊輝が秋隆の前に進み出た。
「姉さん久坂杏一郎って奴のこと知ってるか?」
「尚……!」
思わず声を挙げそうになった秋隆に首を振り、豊輝は糸のように細い目の奥から担当を見詰める。
「……知ってるも何も今話題の男神官将だろ?」
どうやらまだ叙任されて日が経っていないにも関わらず、名前くらいはヴァルナ・ウルベリウムにも届いているらしい。
ならば好都合とばかりに豊輝は言葉を続けた。
「そ、女しか使えないはずの理気を使いこなして神官将にまで上り詰めた今世紀最大の注目株だ」
言外に男でも理気を使えるという豊輝だったが納得できないのか担当の表情がさらに険しくなる。
「けどああいうのは例外中の例外、同じ人間じゃなくて、突然変異とかの類だろ?」
本人が目の前にいるとは思わずに滅茶苦茶なことを言い始める担当。これにはさすがの秋隆も吹き出しそうになった。
「(酷い言われようだねえ)」
「(そりゃどうも)」
にやにやしながら耳打ちしてくる豊輝に首を振り、秋隆は担当をじっと見つめる。
担当としても出場する意思のある人間相手に断り続けることも出来ないため、彼の視線を前にして深いため息を吐いた。
「それで? 結局本気でエントリーするのか?」
「します。ここまで来た以上逃げも隠れもしません」
しばしの間品定めするかのように秋隆を眺める担当だったが、やがて小さく首を振って見せる。
「……忠告はしたからな」
最後に一度だけそう言うと、彼女は机の下から一枚の紙を取り出し秋隆に差し出した。
「……さて、名前か」
名前欄と性別欄があるのみであとは真っ白と言うシンプル過ぎるエントリー用紙を前にペンを握る。
「(おいおい頭中将よ、まさか本名を書くつもりか?)」
そこで突如として口を挟む豊輝。彼が何を言いたいのか全く理解できず秋隆は首を傾げた。
「(どうせ遅かれ早かれ名前を名乗るのだから本名でも良いだろう?)」
「(わかってないねえ、こういうのは偽名を使った方が盛り上がるもんだよ)」
クスクスと笑う豊輝だったがその目は真剣そのものである。どうやら本気で偽名を名乗って欲しいようだ。
「(……わかった。では、そうだな……)」
少しばかり考えてから秋隆はペンを滑らせていく。
数秒後、紙の上に書かれた名前はレフト・ロイヤルガードの文字、これが本大会における秋隆の名前だ。
「(『左近衛』って、あまりに安直じゃねえかい?)」
「(他にどんな名前が?)」
「(そりゃたとえば穀蔵院忽之斎とか、画狂老人卍とか、他には……)」
次々と奇をてらう名前を挙げる豊輝にげんなりしつつ、エントリー用紙を眺める秋隆。
「(あまり凝った名前は好きではない)」
記入する箇所は二つしかないが、念のため書類に不備がないことを確認し、窓口に差し出す。
「……レフト・ロイヤルガードさんね。集合時間は明日の朝十時だけど……」
そこで担当は少しばかり前かがみになって秋隆に顔を寄せると周りを気にしつつ口を開いた。
「……仮に逃げたとしても誰も責めないと思うから」
どうやらこの担当はよほど秋隆のことが心配らしい。
恐らくは優勝候補や屈強な参加者も見てきたが故に猶更心配になるのであろう。
「……ご忠告痛み入ります」
静かに担当に向かって頭を下げると、秋隆は豊輝とともにその場を後にした。
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「第一関門突破、だな」
庁舎を出て両手を伸ばしつつ、ニヤッと笑みを浮かべる豊輝。
「そんな大げさなものではない」
ちらっと先ほどまでいた庁舎を一瞥すると、秋隆は小さな嘆息を漏らした。
「大変なのはここからだ」
秋隆の言う通り今日やったことは書類を記入し大会にエントリーしたことのみ、本番は明日の武術大会である。
「そんじゃ、一旦師父殿と合流して桔梗城に戻るかい?」
「そうだな、私もいい加減この冷たい視線が嫌になってきたところだ」
そう呟くと、秋隆はその場で足を止め、振り返ることすらせずに後ろに声をかけた。
「……何か言いたいことがあるのならば話を聞くが?」
さほど大きな声ではなかったが秋隆の発した言葉は不思議と空間に浸透し、数メートル先に潜んでいた人物に、圧迫感を与える。
数秒の沈黙、やがて庁舎の影から一人の少女がその姿を現した。
透き通るような白い肌に細長い耳、腰には繊細な装飾が施されたレイピアを帯び、服装もショートパンツにタンクトップと非常に動きやすそうなものである。
「蕃神族か」
ようやく後ろを振り返り秋隆がそう呟くと、少女は我慢できないとばかりに激昂した。
「……何で、こんなところにいんだ?!」
「はて、何の話かな?」
薄ら笑いすらも浮かべ、少女の激しい怒りを涼風のように受け流す。
そんな秋隆の態度が気に入らなかったのか、少女のこめかみにいくつもの青筋が現れた。
「惚けんな! お前久坂だろ?」
その内バレるとは思っていたがいきなり正体を言い当てられてしまい、秋隆は微かに鼻を鳴らす。
「そういうそちらは? 人に名乗らせたいのならば、まず自分から名乗るべきでは?」
秋隆の正論に少女は苛立ちつつも己の名前を名乗るべく口を開いた。
「ちっ! ヨライ・クリスリー、今期の大会で優勝する女子だ」
「ほう、大きく出たな。優勝か……」
若人らしい大口、本来ならばそれだけの話だが秋隆はその言葉の裏になにやら確信めいた、既定路線を話しているかのような印象を受け豊輝に目配せする。
どうやら彼も似たものを感じ取ったらしく、何とも言えない難しい表情だ。
「では、私と当たることになるかもしれぬな。互いに全力を尽くそう」
強引に話を打ち切ってその場を去ろうとする秋隆だったが、ヨライは小走りでこちらに近づくと正面から睨みつける。
「んなの誰も求めてねえんだよ!」
瞬間レイピアの柄に手を掛けるヨライ。そのまま怒り任せに得物を引き抜こうとするが、恐ろしい速度で横から伸びてきた手に掴まれそれは阻止された。
「……そこらにしといたほうが賢明だと思うがねえ」
万力のような力でヨライの右手を握りつつ、彼女を睨みつけるのは先ほどまで無言を貫いていた豊輝。
普段糸のように細い目は限界まで開かれており、紅玉のような真紅の瞳が露わとなっている。
「ひっ!」
その瞳に宿る恐ろしいまでの殺気をまともに受け、ヨライはその場にへなへなとへたり込んだ。
「頭、いやレフト・ロイヤルガードの前だ。一度くらいなら無礼も見逃すけど、これ以上狼藉を働くようならまずおじさんの相手をしてもらうことになるねえ」
意識を失いかねない圧迫感に、格の違いと言うものを思い知らされたヨライは震えながらも立ち上がり、豊輝の手を強引に振り払う。
「お、おおおおおお覚えてろよ久坂! か、必ずお前を八つ裂きにしてやるからな!」
わかりやすい捨て台詞を残し、そのままいずこかへと立ち去っていった。
「えらい恨まれてるけど、思い当たる節は?」
「……恐らくない。だが確かなことは……」
普段通りのものとなった豊輝の糸目を一瞥し、秋隆は青い空を見上げる。
「凍子たちと共有する話がまた一つ増えてしまったということだな」




