第三十二話「群星諸神火府星」
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三霊聖母の一角。
高い天井に板張りの床、六つ並んだ灯篭の明かりしかない薄暗くも広大な空間、秋隆は気付くとそんな奇妙な場所に立っていた。
彼のすぐ前、ちょうど部屋の中心部にあたる場所には床を貫通するような形で曲がりくねった六つの松が生えており、天井まで伸びるその幹には注連縄が巻かれ、根元には地蔵菩薩を祀る小さな祠が安置されている。
「……ここは」
「幼き截教門徒よ、ここは卿の意識の底、夢と呼ぶべき領域だ」
屋内と言うことは辛うじてわかる空間、そんな場所で突然声を掛けられ、慌てて振り返ると、そこには秋隆とほぼ同じくらいの背丈をした一人の女性が立っていた。
ゆったりとした法衣の上から外套を纏い、艶やかな真紅の長い髪、目つきは鋭くも威厳に満ち溢れたものであり、一目で厳格な性格だとわかるような顔つきだ。
特徴的なのはその装束も髪も全て鮮やかな赤色に統一されていること、まるで炎が人間の姿を模して現れたかのような印象を受ける女性である。
「このような形で会うのは初めてだな。久坂杏一郎」
どうやらこの女性は秋隆のことを知っているらしく、厳しい顔つきの中にどことなく友好的な雰囲気を纏っていた。
「貴女は……?」
「卿の師、瀛洲寺凍子から何も聞いてはいないか? 私は彼女の姉弟子にあたるのだが……」
凍子の姉弟子と言うキーワードに秋隆の頭の中に一つの名前が思い浮かぶ。
「まさか岱與山赫梨殿?」
不安そうに秋隆が口にした名称に赤い装束の女性、岱與山赫梨は満足そうにうなずいた。
「截教の仙女としての名は火霊聖母、まあ本名にせよ仙道としての名にせよ私を知る者は随分少なくなってしまったがな」
自嘲するかのようにうっすらとした笑みを浮かべる赫梨の姿はどこか哀愁漂うもの、彼女も失われた過去を思い返してるのだろうか?
「師より貴女はすでに亡くなったと聞かされています」
秋隆の言葉に赫梨の顔が一瞬曇り、その唇は貝のように固く引き結ばれる。
「それがどうして鬼紋王となり、今こうして私と話すことが出来るのですか?」
死者がこの世界にとどまっているというのも、まったく違う姿になって本能のままに暴れまわるということも本来ならば考えられないような話だ。
しかも悠久の年月を生き、広い見識を備えるに至った凍子ですら赫梨が復活し、鬼紋王の姿になったことについて原因を解明出来なかったことからも事態の異常さが伺える。
しばらく赫梨は秋隆の目を見据えていたが、頭の中で考えをまとめると重々しい口調で口を開いた。
「……話は『闡截の大乱』にまでさかのぼる」
闡截の大乱、以前凍子から聞いたことがある。仙人の世界を真っ二つにして行われた大戦のことだ。
「今から七千年ほど昔、截教の敵対勢力、あの忌々しき闡教の仙人によって私の肉体は一度滅びた」
その時のことを思い出したのか、悔しそうに表情を歪めると後頭部を軽くなぞる。
「その後私の魂魄は神界にて群星諸神火府星に封じられ、そこで新たな役割を担っていた」
赫梨の語ったところによると闡截の大乱の本義は二つの勢力による戦争ではなく、地上にいる強力な理気使い、人ならざる人、仙ならざる仙の中から世界を維持する新生神、つまるところ高次元生命体を封じるためのものであったらしい。
そして新生神として新たな存在となるためには一度肉体を失い死なねばならず、そのための戦乱、闡截の大乱だったというわけだ。
「あの戦いから三千年ほど後、何者かが得体のしれない儀式を行い、私ともう一人、坎宮斗母正神に封じられた我が姉弟子はともに地上に召喚された」
本来この世界とは異なる空間に属する新生神を呼び出すことなど不可能である。
しかし、いかなる手段を用いたのか赫梨ともう一人の仙女は現世に呼び出され新たな肉体、鬼紋王としての姿を得ることになった。
「そして新生神に封じられる際に洗い流されたはずの闡教を憎む心を増幅され、卿の言う鬼紋王として世界に混沌をもたらす存在へと変容させられたのだ」
そこまで話を聞いて秋隆の背中を冷や水のような冷たいものが通り抜ける。
本来ならば不可能である新生神の召喚を行い鬼紋王に変異させるというプロセスに嫌な予感を覚えたからだ。
「では六体いる鬼紋王は全て……」
「他の四体が誰なのかは知らぬが、恐らく私と同じく性質の変容した元知的生命体と考えて相違ないだろう」
赫梨からもたらされた答えは秋隆の予感を肯定する内容。つまり鬼紋王は全員人間離れした姿と能力を備えていたとしてもその正体は魂魄と肉体を変容させれた元人間。
要するに今後秋隆が戦っていかねばならない者たちは何者かに利用される哀れな犠牲者たちということである。
「……迷った状態で戦場に立てば、死ぬのは卿だぞ?」
心の内に生じた迷いを看破したのか赫梨は恐ろしく鋭い瞳で秋隆を睨みつけた。
「相手が何であれ、戦う必要があると心を定めたのならば、迷ってはならない」
言葉は厳しいものだったが、そこに宿る声音は秋隆の身を案じるものである。
闡截の大乱で、多くの同胞や弟子が散るのを見てきたが故に出てきた言葉なのかもしれない。
「大義を果たす前に死ぬわけにはいかない、ただそれだけです」
まずはそこから、記憶を取り戻し、祖国を復興するためにはどうしても鬼紋王と戦いこれを下す必要があるのだ。
ならば逃げることは許されない、そしてすでに赫梨を倒しているのならばなおのこと無様な戦いをすることは出来ないだろう。
「ふむ、まだ青い部分もあるが、なかなか良い目をしている。凍子は良き弟子を持ったらしいな」
満点のいく答えとは言えないまでもある程度は秋隆の覚悟を認めたらしい、赫梨は恐ろしげだった目つきを緩めると僅かばかり口元を綻ばせ、続きを話し始めた。
「あとは知っての通り、暴走する私は卿によって見事討伐されたというわけだな」
鬼紋王の結界に入り、霊亀へと変容し赫梨を圧倒、これを打ち破った際のことである。
あの時の戦いを思い出し、赫梨はニヤリとどことなく挑発的な笑みを浮かべた。
「あれはなかなか良き戦であったぞ?」
「いやいや、私などまだまだ……」
ストレートに褒められてしまい、秋隆は慌てて両手を振る。
実際のところ彼はあの時何が何やらわからないまま霊亀の姿に変容し、ほぼ力任せに赫梨を討伐してしまった。
勝ちは勝ちのため本来ならば喜んでいいところなのかもしれないが、秋隆としては課題が残る決着である。
「謙遜する必要はない、截教の先達として卿のような強壮な仙道が育っていること、誇りに思う」
満足そうに笑う赫梨の姿に思わず秋隆も頬を綻ばせた。どうやら彼女にとって自分の勝ち負けよりも截教の後輩がどこまで成長しているかのほうが重要らしい。
「あの戦の結果私の持っていた仮初の肉体も消滅したわけだが、どうやら私の魂魄はあの肉体の中心核にあった紋章に宿っていたらしい」
紋章、鬼紋王となった赫梨を倒したときに残っていた不思議な球のことであろう。
全力を込めて放った秋隆の一撃でも破壊されずにその場に残っていた正体のつかめない物質、赫梨の言葉が真実であるならばあれが鬼紋王の本体と見て間違いない。
「もしや、紋章と一緒に私の中に取り込まれたのですか?」
「察しが良いな。故にこうして卿の夢の中で話が出来るというわけだ」
赫梨の説明を最後まで聞き、ようやく秋隆は何故彼女がこの場所に、自分の意識の中にいるのかを理解した。
「なんだか、妙な感覚ですね」
「ふふ、そう言ってくれるな。今は卿の中にいる状態だが、ある程度力がたまればこちらから出ていくつもりだ」
現在は取り込まれてからあまり期間が開いていないためこうして秋隆に語り掛けること以上のことは出来ないらしい。
しかしある程度時間が経ち、理気が回復すれば秋隆から分離して元の次元に帰還することも可能となるのだろう。
「……それにしても別次元からの召喚ですか、一体誰が何のためにそのようなことを……?」
召喚した目的は赫梨を鬼紋王にするためと考えて間違いないのかもしれないが、それ以上に気にかかるのはこのような得体のしれない儀式を行った存在のことだ。
「私にもわからん、我らを呼び出した儀式にしてもそうだが、別次元にいる存在を呼び出すという本来不可能なことをやってのけた以上、ただ者とは思えぬ」
そこまで話すと赫梨は眉間に皺を寄せて、何事かを考えるように腕を組む。
「加えて気になることとして、何故私と姉弟子の二人が呼び出されたのか、そこもわからぬところだ」
言葉の意味が理解できず難しい顔をする秋隆を前に、赫梨は自身の考えていることを述べんと口を開いた。
「卿の師父たる凍子と我が姉弟子、そしてこの私は生前、金鰲島三霊聖母と呼ばれていたわけだが、それでも神界に封じられた新生神には私よりも遥かに力ある者たちが数多いる」
つまり自分よりもはるかに強い者がいるにもかかわらずそちらではなく三霊聖母のうちの二人が呼ばれた理由がわからないと言うわけである。
もしも弱い仙道を求めていたならば赫梨が候補に挙がることすらない、彼女は新生神に封じられた仙人の中でも上澄み、それは実際に戦闘を行った秋隆自身が一番よく知っていることだ。
「まるで三霊聖母全員を地上に集めようとするかのような作為的なものすら感じる……」
「作為的、その呼び出した何者かは、最初から岱與山殿を狙っていたということでしょうか?」
「可能性の話だ。呼び出す儀式に何らかの制約があるといった事情がない場合、そうでも考えねばこの人選はおかしい」
深いため息をつくと、赫梨は召喚された時のことを思い出そうと記憶をたどる。
「……それにおかしいのは闡截の大乱もなのだがな……」
考える合間に何やら呟く赫梨。これは秋隆に話すというよりかは、思考をまとめる中で思わず口に出た言葉のようだ。
「とにかくしかと用心を重ねよ。もしもこれが偶然ではなく必然であるならば鬼紋王、否この世界を裏から操る者がいることになる」
記憶を遡った結果、新たな発見はなかったのか、閉じていた両目を開くと赫梨は正面から秋隆を見据える。
「そして卿も鬼紋王と関わるということは、望む望まない関係なくその者の用意した舞台に上がるということだ」
鬼紋王を用意した者が存在する以上、そこには必ず思惑と言うものが存在する。
それが何なのかはわからないが今後秋隆も無関係ではいられなくなることだけは明白だ。
「ご忠告、しかと心に刻みます」
秋隆の言葉に満足そうに頷くと、赫梨は軽く伸びをしてその場にふわりと浮かび上がる。
「では今日はここまでとしておこう、卿と話せて嬉しかったぞ」
赫梨が指を鳴らすとともにその身体は空気中に霧散し、秋隆もまた夢から現実世界に引き戻されていった。




