第三十一話「抑止力」
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五清将アイオナ
桔梗城への襲撃があったその日の深夜、エテメンアンキの中心街に建つとある邸宅の一室には陰鬱な空気が立ち込めていた。
そこは二十畳ほどの書斎、壁にはぎっしりと書籍の詰まった本棚がいくつも並び、部屋の奥まったところにはよく磨きこまれた重厚な机が設えられている。
現在この部屋には三人の女性がいるのだが、椅子に座っているのは一人だけであった。
「……失敗したですって?」
この部屋に一つしかない椅子に腰かけ、報告を聞いていた女性はイライラを隠そうともせずに机の向かい側に立つ女性を睨みつける。
金銀の糸で飾られた豪華な装束に白磁のように白い肌、その耳は物語に登場する妖精族のように尖った異形のものだ
元老院議長にして宰相の地位にいるエルメラ神聖国の官僚アウグスタ・ルベルムその人である。
「も、申し訳ございません!」
即座に頭を下げた女性は青い装束を纏い両手には神官将の紋章を刻んだ籠手、つい先刻桔梗城を襲撃した神官将の片割れだ。
「この馬鹿!」
椅子に腰かけていた女性はその場に立ち上がると、机の上に置かれていた分厚い本を手に取り、振り上げる。
「あんな下等な男ごときに何をやってるのよお前は……!」
「ひっ!」
感情に身を任せて本で殴りつけようとしたアウグスタであったが、ギリギリのところで怒りを抑え込み、動きを止めた。
「……ちっ!」
「……仕損じたのは痛いですが、これくらいは予測の範囲内です」
冷徹な声とともに部屋の隅で様子を伺っていた女性が前に進み出る。
「グレーン」
アウグスタにグレーンと呼ばれた女性は白い肌に長い耳を備えた美女、すなわち蕃神族であった。
「あの男、久坂杏一郎が並の相手ないことは最初からわかっていましたし、相当の実力を備えた神官将でなければ相手にすらならないのは当然です。ましてや……」
グレーンはゆっくりと身体を起こすとアウグスタのいる席まで近づき、青い装束の神官将の前に立ち、蔑むように見下ろす。
「蕃神族ではない純粋なエルメラ人ではその能力の限界も知れたものでしょうね」
「ぐっ!」
真っ向から放たれた侮辱に言い返すことは叶わず、神官将は悔しそうに顔を歪めた。
「それで、久坂杏一郎はどの程度の使い手だったの?」
アウグスタの質問に青い装束の神官将はすぐさま首を振る。
「い、いえ、出てきたのは久坂杏一郎ではなく、別の男でした」
別の『男』と言う発言にアウグスタとグレーンの表情に緊張が走った。
「まさか久坂杏一郎以外にも男性の超能力者がいるというの……?」
「わ、わかりません、しかし私たちはあの男の動きすら見切れませんでした」
理気の使い手たる神官将を倒せるのは同じく理気の扱いに長けた超能力者のみ。
しかも二人を相手取って圧倒したというのならば相当の使い手と見て間違いない。
「……何者か、名前は聞いたの?」
険しい顔立ちのアウグスタから投げられた問いかけに青い装束の神官将は記憶を辿り、あの男性の堂々たる名乗りを思い出す。
「は、はい、確か入江、そう入江なんとかって名前でした」
「入江? ま、まさか……」
「あ、ありえないかと、奴はすでに……」
本当に誰のことかわかっていなさそうな青い神官将とは異なり、アウグスタとグレーンの様子はあまりにも不自然なものだ。
二人とも入江と言う名前を聞いた瞬間微かに頬は紅潮し、心拍数も上がっているのか呼吸も非常に荒い。
おまけに額にはびっしりと汗が浮かび、どう考えても動揺しているとしか思えない状態である。
「さ、宰相殿? 何か気になることでも?」
「な、何でもないわ……」
不審な姿を見てやや当惑した様子の神官将に向かって軽く手を振るアウグスタであったが、心臓は早鐘のように激しく鼓動を打ち、額からは滝のように汗が流れていた。
「……(どういうこと? 久坂に続いて入江まで現れるなんて……!)」
「と、とにかくあいつらをどうにかしたいなら少なくとも五清将クラスの力は必要と見るべきかと……!」
「わかってるわよ! だから最初からあの女を指名したのに……」
当然と言わんばかりのグレーンにアウグスタはむっとしたように表情を歪め、仕損じた神官将を睨みつける。
「こんな役立たずの代役を寄越してきて、それで五清将の代役が務まるとでも……」
またしても激しい叱責が始まり、青い装束の神官将は奥歯を嚙み締めた。
「あ、あの……」
突如として聞こえた三人目の声にアウグスタはもちろんのことこの部屋にいる全員が飛び上がりそうになる。
「すすすすすいません、ノックしても返事がなかったものですから……」
いつの間にやら入室していたのはオドオドという表現が似合いそうな態度の少女だった。
魔族らしい青い肌に外骨格に覆われた四肢、桜の花びらが染められた衣に桜色の袴、腰にはシンプルな形状の刀と一見したところは女剣士と呼ぶに相応しい姿をしている。
しかし顔の大半を隠す長い前髪に、どことなく気の弱そうな振る舞いから見る者の大半は内向的な印象抱くかもしれない。
彼女は尸道草気の弱そうな見た目とは裏腹に数多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の神官将だ。
「この無礼……」
「待ちなさいグレーン!」
叱責しようとするグレーンを無理やり制止するとアウグスタは草に視線を向ける。
「それで、連れてきてくれたのかしら?」
「は、はい、ちょっと強引な手を使っちゃいましたけど……」
「……はあ、全く何なのよ」
草に手を引かれ、無理やり部屋の中に引きずり込まれた人物はこの場に似つかわしくはない、妙な風貌をした若い女性であった。
可愛らしい髪留めの結ばれた長髪にエルメラ人らしい褐色の肌、その瞳は眠そうに蕩けており、もしこの場に誰もいなければ適当なところで居眠りでも始めそうな風体である。
おまけに身に着けた装束は黒を基調としてリボンやフリルをあしらったゴスロリドレス、そのほっそりとした四肢に眠そうな表情も相まって絵本の中から出てきた眠り姫のような印象の少女だ。
いつも通りと言わざるを得ない姿にある種の安心感を抱きつつ、アウグスタは微かに顎を引く。
「久しぶりね。アイオナ・イグナウス」
アイオナと呼ばれたゴスロリ少女はアウグスタを見て僅かながら口角を上げた。
「アウグスタ・ルベルム? 相変わらずみたいね」
続いて彼女の向かい合う形で椅子に座るグレーンに視線を向けたアイオナであったが、アウグスタと話した時とは違いその表情はいささか硬い。
「それでそっちは、ええっと……」
どうやら名前を忘れてしまったらしい。不機嫌な顔で腕を組むアウグスタの様子を見かねて、草はそっとアイオナの耳に唇を寄せる。
「グレーン・マグラマ、元老院議長の秘書ですよ」
「あー、そうだったそうだった、長く会ってないと人の顔って忘れちゃうのよ」
心底興味のなさそうなアイオナの様子にグレーンは眉を吊り上げ、アウグスタに至ってはすぐ近くにあった分厚い本を手に取り、机にたたきつけた。
「アイオナ・イグナウス、お前の寄越した代役は仕事を仕損じたわよ!」
アウグスタの怒声もどこ吹く風と言った様子でアイオナは自身のすぐ近くに立つ青い装束の神官将に視線を向ける。
「そうなの? 大変だったわね」
「い、いえ、その……」
何かを言いたげな神官将の様子と一人しかいない現状にアイオナは何かを察したらしく、神妙な面持ちで眉根を寄せた。
「あー、もしかしてだけど、一人殺された?」
青い装束の神官将が無言で頷くのを見て、アイオナは何度か首肯すると彼女の方に右手を載せる。
「貴女も相方も本当によくやってくれたわね。保険金はこっちで用意するから、後は代理人を通じて……」
「イグナウス!」
名前を呼ばれ、心底面倒と言った面持ちでアウグスタに向き直るアイオナ。
「はあ、何?」
「そんなことよりこっちのこと、あの男のことよ!」
人の生き死にを『そんなこと』呼ばわりされてしまい先程までトロンとしていたアイオナの目に激情らしきものが宿ったが、それも一瞬のこと、すぐさまいつもの気怠げなものに戻った。
「ええっと、誰だっけ?」
「久坂杏一郎、翠明院陽華やルドヴィカ・ウォルキア同様、早急な対処が必要と言う話が出てるあの男よ!」
アイオナの態度に怒り心頭と言った様子で冷静に話が出来なさそうなアウグスタに代わり、すぐさまグレーンは補足説明を行う。
「……話によると相当な使い手で、よほどの人間でなければ対処が出来ないとのことです」
「ふうん、そんな強い男がいるなんて、世界と言うものは広いわね」
どこか他人事でそう呟くとアイオナは自身の長い髪を触りつつ、次なる言葉を待った。
しかし誰も何も口を開こうとしないため、小首を傾げつつその先を促す。
「……ん? まだ何か?」
「だから、お前がその男を倒しに行くのよ!」
そこまで言われてようやくアイオナは何のためにここに呼び出されたのかを思い出したらしく、露骨に顔を歪めて見せた。
「はあ、面倒ね、どうして私がそんなこと……」
「お、お前は五清将! 反逆者を成敗するための神官将でしょうが!」
とうとう立ち上がりこちらに向かって人差し指を突きつけるアウグスタを見て、アイオナはめんどくさそうに頭を掻く。
「はあ、普段仕事しなくていいって言うから受けたのに……」
しばらくきょろきょろと書斎を見渡していたアイオナであったがすぐ隣にいる草と目が合うや否や媚びるような笑みを浮かべた。
「草、代わってくれない? それなりの謝礼はするけど……」
「ほえ? わ、私は……」
「彼女には彼女の仕事があります」
半ば強引に二人の間に割り込むと、グレーンはうっすらと目を細めてアイオナを睨み据える。
「宰相様のご意思は元老院の意思、うだうだ言ってないでいい加減腹をくくってはいかがですか?」
「はあ、わかったわよ」
事ここに至ってようやく仕事するしかないと理解したのかアイオナは降参とばかりに諸手を上げた。
「では、エルメラ神聖国に楯突く愚か者、久坂杏一郎についてはこのアイオナ・イグナウスにお任せ下さい」
どうやら適当な態度ではあったものの話はしっかり聞いていたらしい。
先ほどと同じ人物とは思えないようなしっかりとした反応にアウグスタは毒気を抜かれたかのようにしばし呆ける。
そのままアイオナは呆気にとられた様子のアウグスタに無言で一礼し、書斎を後にした。




