第二十九話「左兵衛督」
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裏切りそうな顔ナンバーワン。
日も落ち、夜の闇が桔梗湖畔を支配する時間帯、秋隆は本丸御殿、中奥にある書院で一人本を読んでいた。
手元を照らすのは昔ながらの灯明、植物油の満たされた土の器からはか細い芯が伸びており、細々とした灯りが周囲を照らしている。
令和、封神霊廟の照明器具に比べれば恐ろしく心許ない光量だが秋隆に気にするような素振りはなく、不便そうでないスムーズな書見を見るにむしろこれで十分そうだ。
「……失礼致します」
静かな声とともに部屋の扉を開いたのはルドヴィカの従者東山躑躅、書院の中に立ち入ることはせず入口に座り一礼する。
「何から何まで世話になってしまい、申し訳ございません」
「いや、ルイズと私は共に死線を潜り抜けた仲、これくらいのことはさせて欲しい」
優し気な秋隆の言葉に躑躅はまたしても深々と頭を下げた。
「それにしても久坂様がこれほど多才とは思いませんでした。どこかで料理を学ばれたことが?」
あの後ルドヴィカとその一行は桔梗城に滞在し、一泊することになったわけだが、桔梗城は出来たばかりで物もなければ人もいない。
当然、客人に振舞う饗膳を調理する者もいないため、緊急事態と言うことで秋隆が自ら桔梗湖で魚を釣り、そのまま台所に立ったのである。
「……あちこちで……」
言葉に詰まりながら質問に応じた秋隆の脳内にあるのは築城時と同じく封神霊廟における五十六億七千万年分の記憶。
調理師としての記憶を思い出し、その中にある知識を活用して危機を脱したというわけだ。
「お嬢様も大変お気に召したご様子でございました」
「そうなのか? 私にはよくわからなかったのだが……」
「はい、とてもお喜びでした」
満足そうな躑躅を見て秋隆も頬を緩める。どうやら必死になって饗膳を設えただけの意味はあったらしい。
「では今日はこの辺りで失礼致します」
来た時と同じく、静かな動作で一礼すると躑躅は扉を閉めその場を後にした。
静かになったため再び書に目を落とそうとする秋隆であったが突如として背中に悪寒のようなものを感じ、弾かれたように顔を上げる。
「……む!?」
不吉な気配を感じたのは一瞬のこと、しかし彼の警戒心を引き上げるには十分だった。
すぐさま警戒のため桔梗城全域に意識を向け、不審な区域を特定する。
「……(大手門のあたりか)」
場所を特定したならば次にすべきは面倒ごとの始末、ただし今夜は客人が来ているため平時よりも速やかに対処せねばならない。
すぐさま脇に置いていた鼈甲霊亀を腰に帯びると全速力で大手門に向かった。
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「なるほど、中々良い城を建てたらしい」
硬く閉ざされ、立ち入る者が誰もいない桔梗城の大手門前。髭一本生えていないつるつるの顎を触りながらこの城を見上げたのはエルメラ神聖国ではまず間違いなく目立つであろう特異な容姿の男性であった。
男性にしては長い髪と狐を思わせる糸のように細い瞳のせいでなんとなく飄々とした、胡散臭い風体に見えるものの、その瞳には気品があり、人品卑しくはないことがわかる。
「……(もっとも、従四位下の頭中将、六十万石の四道将軍家筆頭の惣領が住むにはやや侘しい感じかな?)」
そこまで考えてその青年はすぐ近くに不穏な気配が漂っていることに気付いた。
気配を辿って振り返ってみれば、青年の立つ十メートルほど先、たくさんのススキが揺れる中に二つの影が身を潜めている。
「よっ!」
「っ!」
信じられないほどの大声、ススキの中に潜む二人は身体をビクッと震わせたが、さらに衝撃的なことにその青年は一瞬にして距離を詰め二人の前にしゃがみこんだ。
「何だか楽しそうなことをしてるねえ、良ければ私も仲間に入れてはくれないかい?」
にこやかな笑みを浮かべる青年の前にいるのは二人とも女性。
一人は赤い服、もう一人は青い服を着ているが二人とも正体を隠すかのように頭巾で目元以外を隠しており、頭巾の隙間から褐色の肌が微かに見える以外はどこも露出していないという忍者のような姿である。
姿を見られたことに一瞬二人は動揺したものの、即座に冷静さを取り戻すと青年と距離を取り、背中に背負っていた刀の柄に手をかけた。
「それは辞めといた方が良いと思うけどねえ」
そんな二人の様子を見て青年は悲しそうに目尻を下げ、自身の腰に帯びた刀の柄を叩く。
「こう見えて私、お嬢ちゃんたちの想像を絶するくらいに強いんだぜ?」
動作としてはそれだけ、しかし周囲に不可視の気配が走り、二人の少女は心臓を鷲掴みされるような感覚を覚えた。
威圧感、しかも圧倒的な力を持つ存在のみが発し得る気配に二人の背中に脂汗が滲みだす。
「な、何なのよお前! 名を名乗りなさい!」
声を上げたのは二人いる少女のうち赤い衣を着た人物。頭巾に隠されたその表情を見ることは出来ないが吊り上がった目にイライラとした口調から察するに相当気が強いのかもしれない。
「私かい? 従四位下左兵衛督、源朝臣入江尚吉郎豊輝」
「じゅ……さひょう?」
「あそ? いり……とよ?」
飄々とした様子で名前を名乗る狐目の青年こと入江豊輝。彼としてはさほど早口で名乗ったつもりはなかったのだが、エルメラ人には聞きなじみのないような長い名前、どうやら二人とも聞き取れなかったようだ。
「人からは左兵衛殿とか尚左とか呼ばれてるかな?」
尚吉郎左兵衛督、略して尚左豊輝本人としてもこの呼び名はお気に入りである。
「んで、お嬢ちゃんたちは? あ、待った当ててあげよう……」
こちらを睨みつける二人の少女を前にあくまでも友好的な態度を崩すことをせずに、豊輝は微かに口角を上げて自身の推論を口にした。
「お嬢ちゃんたち、神官将だろ?」
「っ!」
いきなり正体を言い当てられてしまい二人の少女は少なからず動揺する。これまで神官将と見抜かれるような材料を与えてはいなかったにも関わらず、豊輝はその正体を的確に見抜いてきたのだ。
「で、この城に住んでる人に会いに来たわけだ。でも……」
そこで一旦言葉を切ると豊輝は神官将の二人に糸のように細い目を向ける。
「……こんな暗い時間じゃ迷惑だと思うから、またにした方が良いんじゃないかい?」
瞬間、張り詰めたものが空間全体に広がる。それは凄まじい威圧感、少しでも気を抜けばそのまま意識を持っていかれそうな気配。
考えなくともわかること、豊輝は二人が何をするためにここまで来たのか粗方のことは察しており、諦めるように圧力をかけているのだ。
「っ! お、男ごときが、生意気なっ!」
この威圧感の中で刀を抜くというのはそれだけで大したものと見ても良い。
実際豊輝も赤い装束の神官将が背中の刀に手を伸ばす姿を見て感心したように唇を尖らせている。
しかし神官将らしい隙のない動きで距離を詰め、豊輝を斬ったところで赤い少女は目を見開いた。
「え?」
「だーから辞めた方が良いって言ったでしょ?」
刀は確かに相手を斬ったはず、しかしその手にはなんの感覚も残らず、肝心の豊輝も無傷の状態で少しばかり離れた場所に立っている。
「も、戻ってっ!」
「くっ!」
青い少女の言葉に先ほど立っていた場所に戻ると、思わず赤い少女は豊輝に疑問をぶつけた。
「お、お前もあいつと、久坂杏一郎と同じ超能力者なの?」
「超能力者? ああ、エルメラじゃ理気使いのことそう呼ぶんだっけ? なら私も超能力者ってことになるかな?」
本来ならば女性しかいない超能力者、無論二人とも久坂秋隆のことは知っていたし、彼が理気、しかも現象攻撃まで使いこなすことも聞いている。
だが、それはあくまでも特異な例、まさか二人目がこの世に存在するとは思わなかったのだ。
「どうする? まだやる? 多分お嬢ちゃんたちじゃ二人がかりでも私には届かないと思うんだけど?」
動揺する二人の少女を見てカラカラと笑うと、豊輝は無害さをアピールするかのように両手を広げて見せる。
「こう見えて話がわかる男だからお嬢ちゃんたちがこの城に住んでる人に今後手を出さないって約束してくれるなら、見逃すぜ?」
「ふ、ふざけんなあああああああ……!」
豊輝の言葉に赤い少女は激昂すると大地を蹴り、凄まじい勢いで彼に肉薄した。
今度は刀と衣服に理気纏化を掛けて攻防に気を配り、同時に豊輝の姿をしっかりと視認することも忘れない。
もしも彼が理気による何らかの防御を仕掛けていても強引に切り裂けるし、攻撃してきても打ち消すことが出来る。
それに今の豊輝は両手を広げた無防備状態で刀を抜いていないどころか理気を集中させる気配すらない、一旦接近してしまえば勝負は決まると考えていた。
「あーららら、君はそっちを選んじゃうわけだ」
残念そうな豊輝の声がしたかと思うと、その輪郭がブレ、次の瞬間には視界から消え失せる。
「え? あ、れ……?」
周りをきょろきょろと見渡してみると後方数メートル先、ちょうど青い神官将との間に挟まるようにしてこちらを見ている豊輝の姿あった。
うまくかわされたと思い、赤い神官将が二太刀目を仕掛けようと腰を落としたその刹那、彼女の周りに真紅の血しぶきが飛び散る。
次いで、その四肢が地面に転がり最終的に首が落ちるころ、赤い神官将の心臓は停止した。
「斬られたことにすら気づかないんじゃ、世話ないねえ……」
圧倒的な剣速による高速の斬撃、刀に理気を込めて最低限の威力を得たならばあとは動きを見切り、斬り捨てるのみである。
「君はどうする?」
「っ!」
振り向いた豊輝の優し気な声に青い神官将は死の恐怖を感じ、思わず後ろに下がった。
斬撃はおろか、刀を抜く動きすら見切れないような相手に挑むのは完全な自殺行為である。
判断してからの動きは一瞬、すぐさま距離を取ると青い神官将は豊輝に背を向け逃げ出した。
「うんうん、賢い選択だ」
そこで大手門の脇、小さな戸口から見知った気配が出てきたのを感じ、豊輝は右手を上げる。
「よっ! 頭中将殿、久しぶり」




