第二話「西方ウォルキア」
人気の全くない路地裏、人間はおろか猫一匹見ない通路と呼ぶには狭過ぎる場所。
普段は何もないその空間を一瞬稲妻のような光が走り、続いて白い光のドームが発生した。
否、光のドームと呼ぶには語弊があるかもしれない。もし、これを覗き込む者がいれば蜃気楼のような空間の揺らぎが幾重にも重なり、白い光のように見えているのを悟るであろう。
やがて幾度かの明滅後光は失せ、変わって二人の人間がその姿を現した。
一人は羽織袴に大小二刀、さらには鉢金と言う侍の如き姿の青年であり、もう一人は褐色筋肉質な身体を惜しげもなく晒す美女。
「……ついた、のですか?」
侍装束の青年こと久坂秋隆はやや狼狽した表情で隣に立つ美女を見上げる。
「ええ、『時空捻転現象』久方ぶりでしたけど上手くいったようですわ」
涼やかな声で告げるは秋隆の師父たる瀛州寺凍子、こちらは弟子とは異なり余裕のある表情だ。
「まさか、瞬間移動まで出来るとは……」
信じられないと言った様子の秋隆を見て、凍子は薄らと瞳を細める。
「截教に不可能はありませんわ」
「……想像を絶する力のようですね。理気と言うものは……」
一度だけ身体を震わせると秋隆は凍子に倣う形で大通りの方へと進んで行った。
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蓬莱山から離れ、秋隆と凍子の二人が最初にたどり着いた場所はかの国西方部
東西南北に中央を合わせた五つの巨大な島、五大洲から成り立つエルメラ神聖国の西に存在する島である。
「……(ここがエルメラ神聖国……)」
エルメラ人の間ではウォルキアと呼ばれる西方の地域、転移した場所はどうやら令和の日本における県庁所在地のような役割を持つ街らしく大通りはたくさんの人でごった返し、非常に栄えている様子が見て取れた。
「みんな褐色の肌をしているのですね」
秋隆の指摘通り周りを歩くのは褐色の肌を備えた人間、しかもどういうわけだか男性に比べて女性の方が背丈も体格も良い。
「エルメラ人、卿の祖国たる神州が大陸からの侵略者、真剛族に滅ぼされた後現れた者たちです」
「真剛族とやらの子孫がエルメラ人たちなのですか?」
「いえ、彼らは神州に来た真剛族が全滅後、ほどなくして五大洲に移住してきた民ですわ」
全滅、と言うのは穏やかではない。内輪もめを起こして滅びたのか、あるいは何らかの自然災害で立ち行かなくなったのかわからないがいずれにせよ侵略者らしい末路と言えよう。
「あちらには魔族に蕃神族がいますわね」
「魔族に蕃神族?」
凍子の言葉に視線を向けてみれば、そこにいたのは異形を備えた女性。
ある者は猫のような耳を備え、またある者は下半身が蛇、他には巨大なカラスの翼を備えた者までいた。
共通するのは全員海のような深い青色の肌を持つと言うことと着物や袴を身につけた和装と言うこと、いずれにせよ令和の日本にはいなかった存在である。
もう片方は白い肌の少女。尖った耳にプラチナブロンドの長髪、まるで妖精のような美しい見た目だ。
「あれらもまた、神州が滅亡してから世に現れた種族ですわ」
と言うことは、エルメラ人とは異なり元からこの世界にいた存在ではないと言うことである。
しかし、神州滅亡後と言うことは移住してきたと言うエルメラ人よりは昔からこの地に住んでいるのだろうか?
「わたくしもずっと俗世を見ていたわけではないので、そのあたりの事情は疎いのですけど……」
「問題ありません、記憶が戻ればそのあたりのこともすぐ思い出せるでしょう」
こうしてすぐ近くに助けてくれる人間がいるのならば記憶がないというのはさほど問題にはならない。
無論本来ならば自分という存在が分からないためアイデンティティを失い、底知れぬ不安に苛まれるものだが、それは今の秋隆には当てはまらないらしい。
というのも秋隆は完全に記憶をなくしているわけではなく、封神霊廟にて過ごした経験を持ちこしている状態。
現実世界での自分はともかく、少なくとも仮想現実における自分のことはよくわかっており、不安でこそあるが完全な記憶喪失に比べると遥かにマシと言うわけだ。
「ん?」
そんな秋隆の内側で、何かが警告を発する。虫の知らせとでも言うべきか、より具体的に言うならば、ここに立っていると碌な目に遭わないというような、そんな直感めいた感覚だ。
いつの間にやら凍子も少しばかり離れた場所におり、通り沿いに建てられた一軒の食堂らしき店の扉を見つめている。
チリチリとする嫌な感覚に突き動かされるように秋隆がその場を数歩移動した次の瞬間。
「きゃあっ!」
すぐ目の前にあった食堂の扉が内側から破壊され、一人の少女が大通りに転がってきた。
小さな体躯に、使用人が着るようなメイド服を着た幼い少女。相当な勢いで吹き飛ばされたのか、通りの反対側にある小さな街灯に衝突して、ようやくその動きを止める。
「お前、生意気なのよ!」
怒声とともに蹴り破られた扉から出てきたのは蕃神族の女性。
太ももや柔らかな脂肪に覆われた腹部も露わなやけに露出の多い真紅の鎧に、腰には金銀の装飾が施された派手な刀、幼さの残る顔立ちと微かに紅潮した頬から察するに少女と呼んでも良いような年頃かもしれない。
無邪気さと艶やかさを兼ね備えた美貌、しかし少女の顔を見た瞬間、秋隆は思わず顔をしかめた。
直視することをためらうほどに彼女の容姿が醜かったわけではない、なんとなく嫌な感覚を覚えたためである。
そして次の瞬間、その直感は正しいことが証明されてしまった。
「ちょっと世の中の上下関係って奴を教えてあげないとね」
両手を鳴らしながら大通りで膝をつく少女に近づくと、いきなりその胸倉を掴んで持ち上げたのである。
「も、申し訳ないのです! でもこれはカークス様の……」
「うっさい!」
瞬間、メイド少女の腹に鉄拳がめり込みその表情が苦痛に歪んだ。
続いてその小さな身体が地面にたたきつけられたかと思えば、赤い少女は腰から刀を取り外し、メイド少女の背中に鞘の鐺をグリグリと押し付ける。
「……(何故、誰も止めない?)」
周りの人間はこれだけの狼藉が行われているにもかかわらず誰一人として関わろうとはしない。ただ嫌なものでも見たかのように顔を逸らすか、素知らぬ顔で通り過ぎるのみだ。
「杏一?」
凍子が何か言う前に秋隆は修羅場に向かって足を進める。
「……その辺にしたらどうだ?」
「あん?」
まるでそこらにいるチンピラのような態度で秋隆を睨みつける少女。
敵意を通り越して殺意に片足を突っ込んでいるような気運が全身に突き刺さるが、そんなものに臆する秋隆ではない。
「どんな事情があるか知らぬが、そのような幼い少女を一方的に嬲るなど、人間として恥ずかしいと思わないのか?」
秋隆の至極真っ当な言葉を受け、少女は刀で肩を叩きつつ苛立たしげな様子で路上に唾を吐いた。
「へえ、下等な男風情がこの神官将に、ナルカ・ヴァルナーに説教しようっていうの?」
「神官将?」
「……イラつくわね」
直後、神官将のナルカ・ヴァルナーとやらは足元にうずくまっていたメイド少女を横に蹴とばし、右手に不可視の力を収束させる。
「むっ!」
直感が命じるままに秋隆が身体を捻るのと、ナルカが右手から炎を放ったのはほぼ同時の出来事であった。
「はっは! そら踊れ!」
間一髪のタイミングで炎を躱すと、秋隆はこちらに嘲笑を浴びせるナルカを見据える。
「……(これも理気によるもの、なのか?)」
秋隆の知る常識の中に人間が炎を操るなどと言うものはない。つまりあれは蓬莱山で見たのと同じ、理気を用いた攻撃と見て間違いないはずだ。
「そらそら、この私をイラつかせたんだから、せいぜい楽しませな!」
大盤振る舞いとばかりに秋隆に向けて次々と炎を浴びせかけるナルカ。
無論秋隆としてはこれを一発も喰らうつもりはない。次々と飛来する炎を軽い調子で躱しつつ、高笑いしながら傍若無人にふるまうナルカの隙を伺う。
そんな様子を見ていたメイド少女はとうとうこらえ切れなくなったのか周囲に向かって声を上げた。
「だ、誰かあの人を助けてあげるのです!」
自分をかばったがためにあのような目に遭わされているのだ、彼女の内心は穏やかではない。
しかしそんな少女をあざ笑うかのように周りのエルメラ人はこの修羅場に関わることはなくただ遠巻きに眺めるのみである。
「そ、そんな……」
絶望から肩を落とすメイド少女、しかし慰めるかのように、彼女の肩を優しく触れる者がいた。
「心配はいりませんわ」
「え?」
そこに立っていたのは凍子、何の感情も感じられないクールな表情でナルカの炎を躱し続ける秋隆の姿を眺める。
「この程度どうにかできない杏一ではありません。いえ……」
ふっと微かに息を吐くと、凍子はうっすら口角を上げ、極めて酷薄な笑みを浮かべた。
「……むしろ良い練習台になってくれるものかと」
「ほら、どうしたのよ!」
凍子の視線の先、ナルカは高笑いしながら炎を放ち続けていたが、さすがに長時間攻撃を続けていたためか、その表情には少なからず疲労の色が見え隠れしている。
「そんじゃそろそろお開きにでも……」
そこでナルカは秋隆の纏う衣に一切焼け焦げがついていないことに気付いた。
つまり彼は単純に炎を躱していただけではなく、飛んでくる火の粉の一つ一つにすら気を配り身体を動かしていたということである。
「ちっ! 舐めたことしてんじゃねえよ!」
激昂とともにこれまでとは比較にならない速度で炎を放つナルカ。その速度たるやこれまでの比ではなく、動きを見てからでは到底回避できないような速さだ。
「あはははははははははははは! 死んだかしら?」
勝利を確信し、高笑いするナルカの眼前、秋隆は彼女と同じように右手を上げて、理気を収束させる。
「……は?」
「おかげさまでやり方がよく分かった」
続いて秋隆の右手から放たれた理気が炎となり、ナルカの放った業火を空中で相殺させた。否、そればかりか秋隆の炎はナルカの炎を押し返し、彼女の頬をかすめる形となる。
「な、んで……?」
動揺を隠しきれず、戦慄から青い顔をするナルカを前に秋隆は穏やかな笑みを浮かべた。
「同じ土俵に立てるならば負けることはない」
「っ! ふ、ふざけんな!」
今度は指先から高圧水流を放つナルカ。しかしこれも見切ると、秋隆は彼女の動きを真似する形で指先に理気を収束、同じ攻撃を放つ。
「こうか?」
二つの高圧水流はまたしても空中でぶつかり霧散、そんな状況にナルカはよろよろと後ずさりを始めた。
「っ! ば、馬鹿な、下等な男が、どうやって……!」
「そちらが出来ることを私が出来ないという理由はない」
すでに秋隆は蓬莱島で理気を感知しこれを利用するという術を学んでいる。
そのためナルカがどうやって理気を自然属性に変換し、攻撃に転用しているのか、そのメカニズムさえつかんでしまえば容易に再現可能というわけだ。
「カスが!」
今度は刀を引き抜きその刀身に理気を纏い、斬りかかるナルカ。反射的に秋隆も腰に下げていた刀、鼈甲霊亀を抜いてこれに応じる。
「……ほう、こんなことも出来るのか」
理気により強化された刀は異常な鋭さと硬度を獲得しており、いかに鼈甲霊亀といえども長時間は耐えることは出来ない。
実際鼈甲霊亀の刀身は微かに軋むような音をたてており、幾度か干戈を交えれば破壊されてしまいそうだ。
「では、次は私の手番か」
とは言え、今回もそのメカニズムはすでに見切っている。感覚を試しつつ秋隆は鼈甲霊亀の刀身に理気を込め始めた。
「は? え? うそ……」
ナルカの方も異常事態に気付いたのか、慌てて後ろに後退しようとする。
しかしその前に一瞬だけ鼈甲霊亀がぶれ、ナルカの身体を後ろへ跳ね飛ばした。
「ぎゃああああああああああああああああああああ……」
「おっとすまん、力を込めすぎたらしい」
カラカラ笑いながら鼈甲霊亀を振る秋隆。肩で息をするナルカに比べて余裕綽々と言った様子で両手を広げて見せる。
「て、てめえら、何見てんのよ!」
このままでは勝てないと悟ったか、ナルカは周りにいる野次馬に顔を向けた。
「この私が、女が暴行を受けて、見てるだけかよ!」
ナルカの言葉に何人かのエルメラ男性が表情を変えたが次の瞬間、鋭い声が空間を割く。
「……動くこと、このわたくしが許しません」
冷静でありながら力の込められた鋭い声、その主は秋隆の師父凍子であった。
「これは正当防衛から始まった決闘、何人たりともこれを邪魔すること、罷りなりません!」
その言葉に不審な動きを見せていた野次馬たちは何もすることが出来ず、中にはいそいそとその場を去る者すらいる。
「さて、次は何を見せてくれるのかな?」
苛立たし気に顔を歪めるナルカを見ながら、楽し気な笑みを浮かべる秋隆。
「瞬間移動か? それとも時間停止か? その都度私は学ばせてもらうつもりだが……」
「ば、馬鹿にするなあ!」
次の瞬間ナルカは手の中で理気を土に変換すると、不意を突く形で秋隆の顔目掛けて投げつけた。
「む!」
「どう? この目つぶしは!」
彼が両目を閉じた瞬間ナルカは凄まじい勢いで大地を蹴り、秋隆に斬りかかった。
「これで、死ねええええええええええええ……!」
「破壊は必然……」
だが目を閉じ、何も見えていないはずの秋隆は正確な動きで鼈甲霊亀の鞘を抜き、そのまま正面を突く。
「がっ!」
鳩尾のあたりに鐺による刺突を喰らい、ナルカはたまらず口から吐瀉物を吐き出した。
「な、んで……目が見えない……はず……」
「別に目が使えずとも、よく見える」
両目を開くと緩やかな動作で崩れ落ちるナルカを、可哀そうなものでも見るかのような目で見つめる。
「……そちらのどす黒い悪意は、な」
その言葉を最後にナルカの意識は闇の中へと沈んでいった。
「再生を夢見て眠れ」




