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霊亀将  作者: 花鏡
黎明編
2/93

第一話「久坂亀童丸の記憶」

「……え?」


 目を閉じた瞬間視界に飛び込んできた光景に亀童丸は思わず声をあげた。


 現在視界は完全に隠されており、光は遮断されている。

 しかし彼の視界は先ほどと全く変わってはおらず、目を開けていた際に見えていたものと同じ景色が映っていた。

 否、厳密に言えば全く同じというわけではないのかもしれない。

 よくよく見てみるとそれらは光の波のようなものが無数に集まることで物質の形を形成しており、まるでサーモグラフィーか何かのような雰囲気である。


「……見えていますわね?」


 すぐ近くから聞こえる凍子の声、亀童丸の視界の中では彼女もまた例外ではなく光の流れがその姿を作り出していた。


「凍子、これは一体……?」


「この光の流れはあらゆる物質、あらゆる現象の源たる力場『理気りき』、わたくしの力でより鋭敏に探知出来るようにしています」


 どうやらこの景色は凍子の仕業らしい。しかし彼女の言葉通り理気とやらがあらゆる事象の根源であれば、これまで見ていた景色の方が仮初かりそめのものであるという考えすら成り立つ。


 それに関してこれ以上の説明をするつもりは少なくとも今の凍子にはないらしい。無言を貫く師父に対して亀童丸は一度だけ頷くと目の前に流れる光の流れに意識を向けた。


「では、これが……」


「理気、いかなる場所、いかなる時間、空間にも存在する無限の力です。卿の中にも流れ、卿の肉体を形作っています」


 いまいちよくわからないが、とにかくまずは目の前のことから、亀童丸は凍子の声に耳を傾ける。


「今後のことを考え、最終試験前に触りだけでも体験していただきますわね」


 果たして凍子の目は正しいか否か、現段階では誰にもわからないが少なくとも本人は正しいと思っているらしく、その言葉は力に満ちたものだった。


「習うより慣れろ、です。まずはそこにある小石を理気で動かしてみなさい」


「……いや、急に言われても……」


 亀童丸のすぐ前に置かれた小石、急にそんな超能力じみたことを言われてもやりようがない。


「簡単なことです。手を伸ばして拾えば万事解決です」


「……手を?」


 現在両手は凍子によって拘束されている。奇妙なことを言うと思いながらも亀童丸は試しに手を伸ばしてみた。


「……なっ!」


 確かに両手は拘束されていたはずである。しかし彼が手を伸ばそうとすると右手は拘束を無視して正面に向かって伸び、やがて小石を掴んだ。


「上出来です」


 無表情ながらも、なんとなく嬉しそうにそう告げると凍子は何度か頷く。


「瞳を開きなさい」


 凍子の指示で瞳を開いてみて亀童丸は思わずひっくり返りそうになってしまった。


「え?」


 両手は相変わらず拘束されたまま、しかし小石は自分の前にふよふよと浮かんでいるからである。


「卿は右手を伸ばしたつもりかもしれませんが、実際は理気を使い小石に干渉していたのです」


 つまり手を伸ばすイメージをそのまま理気に与えたことにより、手の代わりに理気を使い物質を動かしたということらしい。

 理気を用いた念力テレキネシス、理法念力とでも呼ぶべきであろうか?


「要は感覚の慣れ、まずは六つ目の感覚が開けたことを喜ぶといたしましょう」


「信じられない、私にこんな力が……」


 唖然とする亀童丸を見て凍子はうっすらと目を細めると、浮かんでいた小石を手に取った。


「封神霊廟にて修行したのならば、これくらい出来て当然です」


「封神霊廟?」


 亀童丸の言葉に軽く頷くと凍子は右手を上げ、彼の額の上にバツ印を描く。


 瞬間、頭の中に流れ込んでくるのは凄まじい量の記憶。

 それはつい先ほどまでの現代日本で住み暮らしていた記憶に留まらず、ボロ切れのように痩せ衰えた状態で生命の枯れ果てた荒地を彷徨い歩く記憶。


 ある時は腐乱した屍肉を貪り食う記憶、または筋骨隆々とした戦士の姿で敵と争う記憶、さらには豪華な装束を身につけた王侯貴族としての記憶。


 それらを含む凄まじい量の記憶が亀童丸の頭の中に流れこんできた。


「う、うおおおおおおおおおおおおおおお……!」


 頭が変調をきたしかねないような情報量に亀童丸は知らず絶叫し、全身の血管がドクドクと波打つ。

 そして最後に見えてきたのは白い紙衣を身につけ、脇差を帯びた青年の姿。

 まず間違いなく亀童丸自身の姿であろうが、その見た目は十代後半の青年のものであり、神秘的な赤い瞳を備えていた。


 令和の世界を過ごしていた際の自分とは、似ても似つかぬ姿である。


「っ! はあはあ……」


 発狂寸前の状態で現実に立ち返った亀童丸は目を開くと込み上げてくる吐き気を堪えきれず、床に吐瀉物を吐き散らした。


 心臓は早鐘を打ち、絶えず殴られ続けているような頭痛に亀童丸は息を荒げながらも耐え忍ぶ。


 やがてそれらが収まる頃、冷静さとは程遠い内面ながらも、ようやくある程度の情報が飲み込めるようになっていた。


「今、のは……?」


 数多の世界、数多の生涯、生まれて死んで、死んで生まれてを繰り返す記憶、ただの夢とは思えないような夥しい数の人生。


「え?」


 そんな亀童丸の反応に、凍子は微かに目を見開く。無表情ながら、少なからず動揺、あるいは当惑しているようなそんな雰囲気だ。


「亀童丸、神州しんしゅう、あるいは真剛まごうと言う言葉に聞き覚えは?」


「神州……?」


 どこかで聞いたことのあるような、極めて重要な意味を持つ単語だった気もするが、結局細部までは思い出せず亀童丸は頭を振る。


「まさか、そんな……」


「凍子、今の記憶は一体……?」


「こちらの世界では四千年ほど、封神霊廟の中では五十六億七千万年、でしたわね」


 そこから凍子が話した内容はにわかに信じられない内容であった。


 封神霊廟、先ほどまで亀童丸が現実と認識していた令和の日本はそのような名前で呼ばれる理気の修行をするための仮想現実。

 かの空間に閉じ込められた修行者は秘奥、あるいは奥義を会得するために輪廻転生を繰り返す。


 現在過去未来を縦横無尽に行き来し、生まれて死んで、死んで生まれてを繰り返しながら経験と徳を積み、妙覚、すなわち悟りを開いて現実に帰還することを目指すのだ。


 数多の知的生命体の意識が参加する夢、令和の日本におけるMMORPG、否この場合は精神ごと参加するSF的なVRバーチャルリアルMMORPGに近いと考えるべきであろうか?


 無論楽しむことを目的として開発された本家本元のMMORPGとは違い、過酷な試練ばかりが降り注ぐ修行の場であるのだが……。


 そして目の前にいる女性は瀛洲寺凍子、截教せつきょうと言う勢力に身を置いて修行し悠久を生きる術を身につけた仙道。

 さらに言えば亀童丸の師匠であり、彼を封神霊廟に送り込んだ人物、とのことである。


 そのあたりの記憶は一切残っていないため、真偽を判別することは出来ないが……。


「……我が師より聞いた話によると、封神霊廟を踏破するのにどれだけ時間がかかっても、現実の記憶を失うことはないはずですが……」


 悩ましげに腕を組む凍子、本来ならば霊廟内で得た経験よりも久坂亀童丸としての記憶の方が強く残るらしい。

 しかし現在亀童丸は何らかの不具合でも起きたのか現実における記憶を失い、自分が誰なのか、何のために封神霊廟を踏破したのかすらわからない状態に陥っているのだ。


「前例がない、と言うことですか?」


「と言うよりも封神霊廟を踏破して理気を極め、超越者を目指すと言う人間自体極少数ですわ」


 とにかく一度目覚めた以上話しを前に進めねばならない。未だ少なからず当惑の感情が残る中、凍子は静かに口を開く。


けいは封神霊廟にて精神、否理気を鍛えつつ、現実では四千年間蓬莱山で理気に浸って身体を鍛えていたため、今や死すべき爬虫類ではなく、高次元生命体たる霊亀れいきとなっていますわ」


 霊亀、確か長い年月を生きた亀が天地の精気を吸い巨大化した霊獣だ。

 本来人間であるはずの亀童丸では霊亀になれないはずだが、どう言うことだろうか?


「全く記憶がないのですが、現実の私は人間ではなく、四千年以上生きた老亀と言うことですか?」


「亀童丸、けいの前にいるのは五万年生きた老亀ですわよ?」


 混乱の極みにありながら放った亀童丸の言葉に軽口を返す凍子。自分より遥かに年下の存在が老人を自称したためか表情には出ないながらも僅かに機嫌を悪くした節がある。


けいが人か亀か、何故亀となったのかは別の機会に話すとして、今はより直近に迫る話しを致しましょうか」


 亀童丸の疑問に答えることはせず、微かに喉を鳴らすと凍子は解説を続けた。


「地上は現在二つに分かれています。滅びた最古の国、けいの祖国たるかつての神州の地に勃興した東方エルメラ神聖国、そして大陸全土を平定した西方ゼデキア帝国、ここに災厄たる鬼紋きもんの獣や蕃神とつくにのかみが加わり世界は更なる混迷具合を見せています」


 詳しいことはよくわからないが、つまるところ現在世界は大きな混乱に苛まれていると言うこと。


『こっちは随分盛り上がってるよ?』


「?」


 聞き慣れぬ何者かの声を聞いたような気がして亀童丸は顔を上げる。

 しかしそこには怪しい存在は誰一人としておらず、凍子のクール極まりない無表情な顔があるのみだった。


けいが望むなら、このままこの地に留まってもらっても一向に構いませんが?」


 つまり凍子の保護下に置かれると言うこと、正直なところ見知らぬ世界に足を踏み出すよりも少なくとも記憶が戻るまでは、この安全な場所にいた方が良いだろう。


 だがそこまで考えて、亀童丸は胸の奥が張り裂けそうになるような痛みを感じ、思わず顔を顰めた。

 何か成すべきこと、それも速やかに果たさねばならないことがあるような、そんな気がしてならない。


『神州の未来はそなたらにかかっている』


 突如として脳裏に響く声、それが何者の声なのかはわからないが、この命に代えても必ず果たさねばならないような気がする。


「……滅びたと言うならば、祖国を復興します」


 正直亀童丸自身何故そのような言葉が口から出てきたのかわからなかった。

 現在はエルメラ神聖国と言う国になっていると言う彼の祖国、神州をどうすれば復興出来るのか、まず何から始めれば良いのかすらわかっていない。


 しかし亀童丸の中にある失われた記憶が、他ならぬ自分自身が、必ず祖国を復興しなければならないと叫んでいる。

 だとすれば、何故これを無視することが出来ようか?


「……わかりました。卿の思う通りになさい」


 どうやら過去の亀童丸を良く知る凍子から見ても今の発言は違和感のあるものではなかったらしい。渋々と言った塩梅で頷くと深いため息をついた。


 とは言え、納得はしたもののまだ何か言いたいことがあるのか、豊かな胸の下で腕を組むと亀童丸の姿を上から下まで眺める。


「ただし、下山するならば名前を改めなさい。超越者に至った截教せつきょうの仙道が幼名のままであるのはあまりにも軽すぎますわ」


 なるほど、亀童丸は曲がりなりにも封神霊廟を踏破した超越者、そんな人間がいつまでも半人前の名前である幼名を名乗るのはさすがに不適切が過ぎるかもしれない。

 そんな真似を続けていては亀童丸はおろか、師父たる凍子、さらには久坂の家名も侮られるのは明白だ。


「左様ですか、それでは……」


 正直なところどんな名前にすればよいのかさっぱりわからない、ならばここは古人に倣うべきかもしれない。


「凍子、私の両親の名は、かつての私から聞いていますか?」


「父は久坂匠隆くさかなるたか、正式には従二位じゅにい内大臣ないだいじん橘朝臣たちばなのあそん久坂杏一郎匠隆くさかきょういちろうなるたか、通称は内府だいふ殿、儀同三司ぎどうさんし殿、あるいは杏一郎きょういちろう


 恐らく名前を聞いたのは亀童丸が封神霊廟に旅立つ前、四千年前だったであろうにも関わらず、凍子はスラスラと名前を挙げる。


「母は秋子、そう聞いていますわ」


 父母の名前を聞いた秋隆は少しばかり沈思黙考すると、微かな笑みを浮かべながら口を開いた。


「では、我が父、久坂匠隆くさかなるたかと我が母、秋子あきこより一字ずつ賜りいみな秋隆あきたか、呼び名は父のものを踏襲し、杏一郎きょういちろうと致します」


 いつの間にやら目の前に用意されていた墨と筆を使い半紙にさらさらと名前を連ねて行く凍子。

 『橘朝臣たちばなのあそん久坂杏一郎秋隆』、弟子の新たな名前を見て凍子は満足そうに頷く。


「久坂杏一郎秋隆、では、このような感じで……」


 凍子が素早く右手を振るうと、亀童丸こと秋隆の着ていた服が大きく変容した。

 着ていた紙衣に加え、黒に近い紺色の羽織に袴、鉢巻は鉢金に変わり、日本人、否神州人らしい秋隆の見た目もあって、いにしえの武士を思わせる出立ちとなる。


「こんなことが……」


「理気とはこの世界を構成する力そのもの、力を借りることが出来るのならばこの程度容易いことですわ」


 相変わらずにこりともしない凍子。その口調も淡々としたものだ。


けいの国における礼装、戦地に行くならばこれくらいは着て行きなさい」


 いつ死ぬのかわからないのだから、いくさに出る以上それなりの装束を用意するものである。

 言外にそう告げる凍子であったが何か釈然としないものを感じているらしく、微かに首を傾げた。


「ああ、一つ大切なことを忘れていましたわね」


 ニコリともせず、凍子が右手を振るう。すると脊髄の位置に橘を図案化したシンプルな紋章、久坂家の家紋が現れた。


「これで良し、今後、けいの行いはけいの氏族の総意、けいの決定は当主の裁定、その背中には家門の全てがのしかかっていることを知りなさい」


 常に家紋を入れた装束を身につけることにより家門、そして主家を背負っていると言う自覚を持つ。


「……そして」


 最後に凍子は秋隆の前に一振りの刀を召喚した。一見したところそれは普通の刀のように見える。

 しかし繊維状にした鼈甲で編まれたような煌びやかな柄に、久坂の家紋が施された鞘、霊亀をかたどった目貫とまさに伝家の宝刀と呼ぶに相応しい拵えの名刀だ。


 そんな刀を引き抜くと凍子は秋隆の眼前に切先を突きつける。


「……これは鼈甲霊亀べっこうれいきけいの甲羅の鱗から作った退魔刀、必ずやけいの力となるでしょう」


 その刀身の静謐なる威圧感に秋隆は知らず喉を鳴らした。

 鼈甲色に輝く刀身には亀甲模様のようなものがうっすらと浮かび、刀全体からは不可視の冷気のようなものが立ち昇っている。


「……けいがその身に宿る力を弁え、截教と家名に恥じぬ戦いをすることを期待しますわ」


「……この身に宿った力、決して傍若無人に振るうことは致しません」


 しばし凍子は刀を突きつけたまま動きを止めていたが、一度だけ頷くと鞘に納め秋隆に差し出した。


「……慎重に、お使いなさい」


 両手で捧げ持つようにして凍子から刀を受け取る秋隆。その表情は微かに強張り、両の掌もじっとりと濡れている。

 強すぎる力を持つ者が、その使い方を間違えることはそのまま我が身、どころか周囲の滅びに直結すると言っても過言ではない。

 力に使われるのではない、力を使いこなすことが求められるのだ。


「封神霊廟の修行を終えた後はけいを一人で送り出すつもりでしたけど、今の状態ではあまりにも心配です」


「つまり……」


「わたくしも同行いたします」



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 とりあえず出発は明日と言うことになり、その日は早々に休むこととなった。


 秋隆が眠りにつき、凍子以外には誰もいない蓬莱山の洞府、訪れる者は誰もいないはずである。

 しかし一瞬だけ空間が揺らぎ、かの場所に、彼女以外の人影が現れた。


「ついにけいの弟子、最も幼き截教せつきょう門下が目を覚ましたか」


「っ! あ、貴女は……!?」


 突然の来訪者に心底驚いたのか、普段クールな凍子にしては珍しく微かに身体を震わせる。


「不具合が起きたらしいな?」


「はい、されど亀童丸、否杏一ならば己のすべきことを思い出し、必ずや使命を果たすことでしょう」


「……その未来に、恐らくけいはおられぬぞ?」


「……わたくしの願いは、弟子たる杏一の幸福、ただそれだけですわ」


「ふむ、まあ、とりあえずはそう言うことにしておくとしよう」


 カラカラと笑う来訪者に対して、凍子はうっすらと目を細めた。


「師よ、金鰲島きんごうとう碧游宮へきゆうぐうから危険を犯し、出てこられたのは、そのような話をするためですの?」


「……良かろう、時間もない故に手短に話そう」


 凍子の言葉に笑みを絶やすと、来訪者は厳しい表情で口を開く。


「この世界に、危険が迫っておる」

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