第二十六話「求めるべき平和」
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エルメラの枢密。
秋隆たちが帰還する三日前のエルメラ神聖国中央エテメンアンキ、かの地に存在する大聖堂の会議室には六つの影があった。
いずれも女性であり、その身に纏うのは格式高い装束、一目でそれなりの地位にいる人間とわかりそうな見た目である。
会議自体はまだ始まっていないにもかかわらず、会議室を支配する空気は暗く、陰鬱そのものだ。
「……先ほど連絡があり、件の情報が真実であるという裏付けが取れました」
この臨時会議を招集した女性、神官長カークス・トルキオの言葉に会議室内がにわかに沸き立つ。
「西戎種の根絶が確認されたとのことです」
「……信じられない」
カークスの言葉に真っ先に反応したのは彼女と同じ、大神官の法衣を纏った人物。
艶やかな黒髪を短く整え、顔には眼鏡、頭には簡素な花の髪飾りをつけた小柄な女性だ。
彼女はガーラ・クリシア、南方領域クリシアの大神官であり、ルドヴィカ・ウォルキアに戦い方を教えた師匠でもある。
「そ、それでやったのは?」
そんな彼女に続いて反応するのは鼻を横切るように大きな一文字の傷を持つ大神官。
法衣の上からでもわかるような筋骨隆々とした鍛え抜かれた肉体に、二メートル近い身長もざらなエルメラ女性の中にあって頭一つ分飛びぬけた巨体を持つ人物だ。
興奮冷めやぬといった調子で身を乗り出した神官の名はジドス・エメルス、北方領域エメルスの長を務める大神官である。
「ウォルキアの神官将、久坂杏一郎」
カークスの挙げた名前に彼女のすぐ隣に座る比較的小柄な大神官が得意げに鼻を鳴らした。
シャダ・ウォルキア、西方領域ウォルキアの大神官であるが、そんなことよりも重要なのは久坂秋隆を神官将に推薦した張本人と言うこと。
彼が何らかの手柄を立てた場合彼女の威光にも関わってくるため、注目せざるを得ない。
さて、この場に集まる六人の貴人のうち、四人は東西南北の各領域を統括する大神官、本来ならばこれだけの面々が集まることはよほどがない限りありえないことである。
しかし幸運なことに神官将叙任のために集まり、その後諸々の後始末をするべく帰国していなかったためにこうして会談の実現を見ることが出来たというわけだ。
そして幸運なことはもう一つある。此度の会議は神官将久坂秋隆が西方にて三頭狼を打倒してからわずか数時間後に招集されたいうことだ。
討伐からわずか数時間ということからわかるように秋隆はまだ海の上、エテメンアンキ帰還の途上であり、正式な報告はまだされてはいない。
だが神官長カークスは独自のルートで鬼紋王が打倒されたらしいという情報を入手、裏付けを取るとともにこの会議を招集したというわけである。
つまりそれは、秋隆が帰ってきた瞬間に何らかの対応が出来るということでもあった。
「……久坂杏一郎、つい最近聞いた名前」
カークスの口にした名前を聞いて何やら考え込んでいたガーラであったが、思い当たる節があったらしく合点がいったとばかりに瞳を閉じる。
叙任式の際にルドヴィカに祝福を与えた大神官、自身の弟子の隣に跪いていた青年の姿を鮮明に思い出したのだ。
一方彼女の隣に座るジドスはさっぱり思い出せず、眉間に皺を寄せてうんうんとうなり声をあげている。
「え? いったいいつだよ?」
ジドス・エメルスという人物は昔から人の名前と顔を記憶するのが苦手としており、それは成人し大神官になってからも変わっていない。
さすがにカークスやシャダ、ガーラといった重要人物の顔と名前くらいはわかるのだが、一度見ただけの人間などはよほど印象に残らない限り、次の日になると忘れてしまうのだ。
この場で久坂秋隆の姿を思い出せていないのはジドスただ一人、そんな姿を見かねたのかガーラは彼女の耳元に顔を寄せる。
「……つい先日新たに叙任された神官将の内の一人、初の男性」
「おおっ!」
そこでようやく誰のことか思い出したのか、ジドスは嬉しそうに両手を叩いた。
そんな妙に子供っぽい大神官の様子を横目にガーラは一人の大神官に視線を向ける。
「確か推薦したのは……」
「ふん、優秀だったでしょ?」
得意げに腕を組むと、秋隆を推薦した人物ことシャダは会議室全体を見渡した。
「優秀過ぎるというのも考え物です」
だがそんな言葉が急に聞こえたため、シャダは少しばかり険しい顔で声の主を視界にとらえる。
「アウグスタ・ルベルム」
声を上げたのは宰相アウグスタ・ルベルム、エルメラ神聖国元老院議長も兼ねる人物だ。
生粋のエルメラ人が並ぶこの会議室にあっては数少ない蕃神族、つまりは色白のエルメラ人である。
「いいじゃねえか、おかげさまでウォルキアは平和になりそうなんだろ? 次はうちに来てほしいくらいだよ」
「話はそれほど単純ではありません!」
のんきな様子のジドスの言葉を半ば無理やり切ると、キッとした表情でシャダを睨み返した。
「これまでゼデキア帝国が波状攻撃を仕掛けられる地理にも関わらずクリシアにしか攻撃をしてこなかったのは、西方が鬼紋獣の生息域だったからです」
「そんな中で久坂杏一郎が何の考えもなしに鬼紋王を倒したために現在西方は、完全な無防備状態です」
援護射撃をするような形でアウグスタの意見を補強したのはいやに派手な装いをした蕃神族の女性である。
四肢に金細工の施された青い腕輪を嵌め、簡素な胸甲と長い前掛けのみといういでたちであり、ルドヴィカにはさすがに及ばないまでも相当に露出度の高い女性だ。
戦士らしい鍛え抜かれた腹筋も惜しげなくさらされ、その中央、微かに出っ張ったヘソを小さな蝶を象ったピアスが彩っている。
ミディアン・ヴァルナー、神官将をまとめる役目を持つ総長の地位にいる女性だ。
「……つまりいつゼデキアが攻めてきてもおかしくない、と?」
静かな口調で問いかけるガーラに対してミディアンはすぐさま頷いて見せる。
「そうなります」
「神官長、この騒動の原因を作った久坂杏一郎には何らかの処罰を与えるべきです」
突如としてそのようなことを提案するアウグスタを一瞥すると、カークスはため息をついて両目を閉じた。
「……これまで神官将が手柄を立てて処罰を受けたという前例はありませんよ?」
「そのようなことを言っている場合ではありません! 今この瞬間にもゼデキアは準備をしているかもしれません!」
「そもそも下等な男を神官将にすることがそもそもの間違い、即刻称号を剥奪するべきかと!」
「……お前たち、さっきから何を言っているの?」
まくし立てようとするアウグスタとミディアンの話に割り込むシャダ。やれやれと言わんばかりのあきれた様子で口を開く。
「ゼデキアが攻めてくるって言うならそこに防備を固めれば良いだけの話じゃない」
「いや、そんな急には……」
「それに、ウォルキアにはまだ何人かの神官将がいるんだから、どのみちいきなりゼデキアが攻めてくることはないんじゃない?」
ぐうの音も出ない正論にアウグスタとミディアンは言葉を失った。確かに鬼紋獣が出なくなったというだけならばウォルキアをゼデキアが攻め易くなるというのも頷ける話である。
しかしそれはなんの戦力もウォルキアに存在しないという場合のみ、禁軍による防衛を早々に固めることが出来ずとも神官将、それこそ秋隆やルドヴィカが近くにいる現状ゼデキアが攻めてくる可能性は非常に低い。
「だ、だからと言ってこのような事態を作ったからには……」
「さっきからマイナスのことばっかり言ってるけど、なんでプラスのことを考えないの?」
「ぷ、プラス?」
未だ抗弁を続けるアウグスタを無理やり黙らせると、シャダは幼子に言い聞かせるような優し気な口調で口を開いた。
「久坂が鬼紋王を倒してウォルキアは平和、これは前例のない偉業、神官将の名前に相応しい働きぶりじゃない」
それは確かにそのとおりと言える。鬼紋獣はエルメラ建国時から存在する厄災、どの時代の神聖王、神官ともにその対処に苦慮してきたものだ。
そんな中で初めて鬼紋王を倒し、その減少に一役買ったというならば歴史的な快挙と言っても良い。
「私の名前だけでなく、叙任した神聖王陛下の威光も上がるってものよ」
「いや、ですからその結果ゼデキアが出てくるならば……」
「まだ交渉の余地があるゼデキアと意思疎通すら出来ない鬼紋獣ならどっちが危険か、考えなくてもわかるでしょ?」
「むぐっ!」
ミディアンの悪あがきを一喝して黙らせるとシャダは何やら無言で考え込んでいたカークスに視線を向ける。
「で、神官長としてはどうお考えなのかしら?」
シャダだけではなく会議室にいる人間全員の視線を受けるカークス。一分かあるいは三十分か、わずかな時間も永劫の時に感じるほど緊迫した空気の中、ようやくカークスは口を開いた。
「現段階ではゼデキアが仕掛けてくる可能性は極めて低いと判断します」
カークスの出した結論はシャダを支持するもの、すなわちアウグスタとミディアンの提案は退けられた形となる。
「ま、それが普通よね」
軽く鼻を鳴らすとシャダは議論もここまでと言わんばかりに帰り支度を始めた。他の大神官たちも担当管区を空けている都合上時間がないのかこれに倣う形で荷物をまとめ、手早く席を立つ。
「お、お待ちください神官長! このまま行けば久坂はこの先も鬼紋王を討伐し続け、最終的には鬼紋獣そのものを根絶させてしまいます!」
「おいおいアウグスタよう、それの何が問題だっつーんだよ?」
もう結果が出たにも関わらず、尚も食い下がろうとするアウグスタの姿に大神官たちが内心呆れる中、唯一詳細を聞こうとするジドス。
彼女としてはプラスにしか働かないことを懸念する意味がわからないがための行動だったのだが、何を勘違いしたのかアウグスタは胸を張りながら説明を始めた。
「問題しかありません、そんなことになれば神官将の存在意義すら問われることに……」
「つまり宰相殿は神官将存続のために国民たちにはずっと鬼紋獣におびえていてほしいってわけ?」
シャダの鋭い言葉にアウグスタは思わず身体を震わせる。生息域から遠いエテメンアンキとトルキオ以外の地域、特にエメルス、ウォルキア、クリシアの三州では鬼紋獣によって例年相当の被害が出ているのは周知の事実だ。
「……根絶は問題ではない」
アウグスタの言葉によって氷点下並みの冷たさとなった空気を破り口を開くのはガーラ。
「……仮に鬼紋獣が滅びてもゼデキアの半機械旅団は強敵、すぐに役目がなくなることはない」
「う、ぐ……!」
対ゼデキアの最前線にいるクリシア管区の長、ガーラの言葉に大神官たちは重々しく頷く。
彼女の言う通り仮に鬼紋獣が根絶されたとしてもすぐにゼデキアとの戦いが終わるわけではないし、下手に神官将の数を減らせばそれこそ戦局に関わってくるほどだ。
事ここに至ってすべての逃げ道を塞がれたアウグスタは悔しそうに唇を震わせつつ、口を閉じる。
そんな彼女の様子を見て、シャダは満面の笑みでカークスに話しかけた。
「何なら久坂の奴に全鬼紋獣根絶の勅命でも与えてみる?」
冗談めかしたシャダの言葉にカークスは軽い調子で首を振って見せる。
「それはさすがに時期尚早というもの、出すならば最近話題のクリシアの調査任務か、あるいは各地の鬼紋獣の討伐任務のどちらかでしょうね。他には件の……」
一度だけ意味ありげにミディアンへ流し目を送るカークスだったが、結局何も言うことはしない。そのまま大神官たちが会議室を後にする中、アウグスタとミディアンは悔しそうに彼女らの背中を睨みつけていた。




