第二十一話「鬼紋王の結界」
寺院の山門を抜けた先に広がっていたのは、先ほどまでいた島など及びもつかないほどに広大な大地。
一応空に太陽らしきものはあるがその色は暗く、大きさもまた二回りほど小さい。
そのためか空間全体も現実世界における暖かな太陽光ではなく、どんよりとした赤い光で照らされている。
そんな空間に空中へ投げ出される形で足を踏み入れた秋隆と凍子の二人は現実世界と何ら変わらぬ重力に身をゆだね、下へ下へと落下していた。
とは言え二人ともただの人間ではなく仙道、この程度の高度から落ちても墜落死することはない。
もっと言うならば肉体的にも頑強なため、どれほど高い場所に行っても高山病にすらかからないだろう。
しかし下には単に墜落死するよりも、遥かに恐ろしい運命が待ち構えていた。
「これは……」
「やはり仙郷、それに……」
眼下に広がるのは秋隆や凍子すらも戦慄すようなとんでもない光景。
「……先ほどまでの戦いがおままごとに見えるような大軍、ですわね」
高いところから下を見た場合、なにやら霧のようなものが赤い大地を蠢いているように見えるだろう。
だがそれは霧などではない、おびただしい数の鬼紋獣が空から落ちてくる哀れな犠牲者たちを今か今かと待ち構える図式だ。
「っ!」
大地から対空射撃のような形で放たれるは炎の属性閃光。しかも一つ二つではなく100は下らないであろう数。
これが飛んでくるということは、最低でもそれだけの数のコーポラル級、オーロラ級がいるということでもある。
「地面に下りることすら難儀するとは……!」
即座に鼈甲霊亀を引き抜くと、刀を振って下から次々と来る閃光を弾く秋隆。
無作為に撃っているというわけではなく、秋隆と凍子の理気を察知して放っているのか、鬼紋獣たちの射撃は信じられないほど正確だ。
「……まあ、それでもわたくしの生命を奪うどころか傷一つつけることすら不可能でしょうけど……」
集中砲火を受ける凍子であったが、涼しい顔で誅仙剣を一閃、閃光を跳ね返す。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
弾かれた閃光は地上にいる鬼紋獣に命中、そのまま複数体吹き飛ばした。
「……苦労して降りてもその先は大軍の包囲網の中、か」
どうにか着地することは出来たものの、秋隆の言う通りここは鬼紋獣の包囲の中。虎口にいることには変わりないだろう。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
咆哮とともにどこからともなく飛来する属性閃光。完全に死角からの一撃のため本来ならば防ぐ手立てはない。
しかし秋隆は理気による知覚のみで攻撃を予測すると青い蓮の花を空中に召喚、攻撃を吸収した。
「……中々の動きですわね」
誅仙剣を振るって凍子が前衛を崩せば、先ほど秋隆に閃光を放った鬼紋獣がその姿を現す。
コーポラル級以上の気配に、身体の周囲が微かに歪みオーロラのように見えるほどの理気、その姿はまさに精鋭と呼ぶべき威容だ。
「あれが話に聞く鬼紋獣の最高位、オーロラベレク、と見てよろしくて?」
無感情に誅仙剣を構え直しながら放たれた凍子の問いかけに対して、秋隆はすぐさま頷いて見せる。
「……恐らく」
三種確認されている鬼紋獣の中でも最高位に位置するオーロラベレク。その身に纏う気配は見る者全てに畏怖を感じさせるほどのものだ。
並の神官将では太刀打ちすら難しいほどの気運を纏う怪物が複数体並んでいる。
「たしかにあれはオーロラ級、しかし今はそれよりも……」
険しい表情でオーロラ級を従えるような位置にいる鬼紋獣へと視線を向ける秋隆。
全体的なシルエットはベレク級を始めとする鬼紋獣共通のものだ。
しかしその全身は鈍色の鎧のようなもので固められ、鎧武者のような印象を受ける。
そしてその身から発するはオーロラ級など比べるまでもないほど強い気配、それなりの神官将でも撃退するのが関の山かもしれない。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
そんな鬼紋獣が視界に入る限り十数体、まさに魔境と呼ぶべき光景だ。
「あのような鬼紋獣、誰も見たことがないのでは?」
秋隆の知る限り、鬼紋獣はベレク級、コーポラル級、オーロラ級の三種類、あのような存在がいるなど聞いたこともない。
「恐らくは鬼紋王の結界の中にのみ生息するのでしょう」
次々と襲い掛かる鬼紋獣を作業的にいなしつつ、凍子は推察を続ける。
「あるいは鬼紋王の直衛、親衛隊のような役割を持つ鬼紋獣なのかもしれませんわね」
「……直衛ベレク、とでも呼ぶのでしょうか……」
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
瞬間新種、ガーディアン級がその口腔に光をチャージ、即座に属性閃光を放った。
すぐさま秋隆は青い蓮の花でこれを無力化したが、あろうことかガーディアン級は続けざまに二発目の発射準備に入る。
「っ! なんて速さだ!」
これまで属性閃光を使用してきた鬼紋獣はチャージにそれなりの時間を必要としたが、ガーディアン級はこれを短縮化したばかりか、ある程度の連射すらも可能らしい。
「威力に関しても、スペックに関してもオーロラ級を凌ぐと考えてしかるべきですね」
ガーディアン級の放った二発目の属性閃光を誅仙剣で弾き、凍子は頭を振って見せた。
「そうは言っても封神霊廟を踏破した卿の敵ではありませんわ」
「……まあ、それはそうかもしれませんが……」
凍子の言葉に秋隆が軽口でもって返したその刹那、複数のガーディアン級が口腔にエネルギーを集める。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
直後、あちこちから聞こえる咆哮、どうやらこの攻撃で秋隆を倒すつもりのようだ。
「右からも来ますわよ? 数は、500前後」
これに呼応するような形で右側からもせまる属性閃光、あまりの量に周囲が真昼のように白く染まる。
「……対処します」
しかしこの程度で止まる秋隆ではない、理気を集中させるとその足元から無数の幹が伸び、彼を中心核とした巨大な樹木を形成した。
その大樹は属性閃光を吸収すると理気に変換、これを養分として素晴らしい大輪の桜を咲かせる。
「さて、この大軍、卿ならばどう捌きますの?」
桜の木を突き抜ける形で外に飛び出してきた秋隆に軽い調子で尋ねる凍子。
言外に『この程度どうとでもなるだろう?』と言わんばかりの態度だ。
「……そうですね」
一瞬だけ首を傾げると、秋隆は鼈甲霊亀を鞘に納め、祈るように両手を合わせる。
「現象攻撃で一掃してみます」
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
何かしようとしていることに気付いたのか、咆哮とともに秋隆に殺到する鬼紋獣、しかし最早すべては遅い。
瞬間、秋隆は足元から夥しい量の幹を出現させた。否、厳密に言えば彼の足元からだけではない。
「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
目に見える範囲ほぼ全ての地面から幹が伸び、樹木への急成長を始めている。
そしてその場にいた鬼紋獣は一体の例外なくこの樹木の氾濫に巻き込まれた。
凄まじい速度で伸びる植物たちは鬼紋獣を巻き込んで尚も生育を続ける。
やがてその地に広大な樹海が出来上がる頃には、あれほどいた鬼紋獣は誰一人逃げることすらかなわず植物に押しつぶされ、全滅していた。
「……ふう」
軽く嘆息を漏らすと秋隆は自分の作り上げた樹海の中心地点で軽く身体を伸ばす。
「さすがはわたくしの弟子、ですわね」
一瞬にして荒涼たる大地に出現した樹海、天高く伸びる木々を見上げながら凍子は心からの賛辞を口にした。
「卿のおかげでこのあたりの鬼紋獣は全滅したみたいですわ」
最早周辺には何の気配もない。この空間にどの程度の鬼紋獣がいるのかわからないが、直近の敵に関して言えば全て狩りつくしたらしい。
「しかしここは鬼紋王の庭、油断は許されないでしょうね」
「当然ですわ」
ここは鬼紋獣の発生源たる空間、今この瞬間無尽蔵に敵が現れたとしても何ら不思議ではないし、むしろそれが当然と考えねばならないほどの危険地帯。
どれだけ用心深く行動してもそれでしすぎるということはないだろう。
「……とりあえず当面の危機も去りましたし、今後のためにも姉弟子と合流することとしましょう」
凍子はやや硬い口調でそのようなこと言うと誅仙剣を地面に突き刺し、居住まいを正した。
「岱與山赫梨殿ですね。どうされるおつもりですか?」
「わが師、通天教主様が截教の仙道にしか聞こえない音を出す宝貝を作っていました。これを利用いたします」
聞きなれない単語を発した凍子に秋隆は顔を上げると微かに首を傾げて見せる。
「宝貝、それはどういったものなのですか?」
「強力な力を宿した道具ですわ。少しお待ちなさい」
凍子が右手を掲げると誅仙剣が現れた時と同じく一瞬だけ空間が歪み、その手の中に一つの鼓が現れた。
見た目としては特殊な部分はない。取っ手の取り付けられた団扇程度の大きさの枠に獣皮と思われるものが張られ、これを固定する紐が枠に沿って縫い付けられている以外は装飾らしい装飾もないシンプルな品である。
しかし全体からは肌を冷やすほど強い理気が溢れ、ずっと見ていると寒気のようなものを禁じえなくなるほどだ。
「それがその……」
「宝貝です。正確にはその一種、漁鼓と呼ぶものですわ」
手の中に現れた宝貝を確認し微かに頷く凍子。いつの間にか彼女の左手にはこれを叩くためのものと思しき撥が握られている。
「それを使うと岱與山赫梨殿が?」
「来るかどうかは不明ですけれど、この空間にいる以上聞こえはするでしょうね」
何度か軽く鼓を叩いて調子を確認すると、いよいよと言わんばかりに凍子は頷いた。
「……叩きますわよ?」
直後空間全体に響き渡る不思議な音、大音量というわけでもない、むしろ鼓としては小さめな音、だが地の果てにまで届きそうな力のこもった音色である。
しばしの間、漁鼓を叩いていた凍子であったが、剣呑な気配を感じてその手を止めた。
続いて二人のいる場所のすぐ近く、距離にしておよそ700メートルほど先に理気が収束、そのまま光のドームを形成する。
「時空捻転現象……!」
「この気配、やはり……!」
秋隆と凍子の二人が見守る中、空間の捻じれは徐々に広がり、周囲を真昼のように照らした。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
瞬間聞こえてきたのはすさまじい雄たけび、ガーディアン級など比較にならないほどに強い鬼紋獣の気配に秋隆は鼈甲霊亀を反射的に引き抜く。
「っ! いけないっ!」
空間を歪め、『それ』が現れた直後、周囲は凄まじい爆炎とともに灰燼に帰した。




