第十七話「妖魔王」
そこに立っていたのは元老院議員にして妖魔王の地位にいる魔族、翠明院陽華。
先程までは遠目に見るだけだったため、あまりよく見れていなかったのだが、こうして近くで相対するとその異形の姿がよくわかる。
エルメラ人とも神州人とも、もっと言えば蕃神族とも違う海のように青い肌、艶やかな髪から覗くのは狐のフサフサとした三角の耳。
十二単の後ろからはゆらゆらと揺れる尻尾が九本、まさに妖怪と呼ぶべき異形の姿だ。
「何しに来たのよ、あんたはカオス・クロールの社長と話してれば良いでしょ?」
早速翠明院陽華に食ってかかるルドヴィカ。秋隆との遊戯に水を差されたためかイライラとした口調である。
反面、陽華の方は扇子を広げて口元を隠してはいるものの、余裕綽々と言わんばかりの表情だ。
「あのような三枚舌と話すよりもお主らのような人間と関わる方が実になるというものじゃ」
扇子を畳み、トントンと自分の肩を叩きながら肉食獣を思わせる細い瞳孔を持つ瞳を秋隆に向ける。
「初めまして、久坂杏一郎殿、妾は翠明院陽華、魔族の頭目、妖魔王をしておる」
名前を知られている以上自己紹介の必要はない。秋隆はすぐさまその場に立ち上がり、深々と頭を下げた。
「初めまして妖魔王殿、今後ともよろしくお願いします」
そんな秋隆の姿を見て、陽華は嬉しそうに喉の奥を鳴らす。
「くくく、そのような堅苦しい言葉遣いは不要じゃ、妾とお主は同胞じゃからのう。もっと気楽に妾の名を呼ぶが良い」
同胞と言う陽華の言葉に突如として秋隆の第六感が刺激された。知らず身体は強張り、背中には冷たい汗が浮かぶ。
「杏? 同胞ってどういう意味?」
キョトンとした様子で放たれたルドヴィカの質問に秋隆は首を傾げつつも、すぐさま答えて見せた。
「……同じ国の人間ということだ」
そう、本来ならばそのような意味で間違いないはずである。
秋隆も陽華も立場の違いこそあれど、エルメラ神聖国に属し、人々のために力を振るう役目を持つ人間、同胞と言う名称を使うのに相応しい。
しかし、どうにも陽華の言葉にはそれ以上の意味が込められているような気がしてならないのだ。
「ふふ、まあ今はそれで構わぬよ、杏一郎殿」
『今は』、含みのある言い方ではあるが、陽華としてもこれ以上何かを言うつもりはないらしい。
扇子を広げて口元を隠しつつ、悠然とした表情で秋隆とルドヴィカの対局を眺めている。
「それで翠明院殿は……」
油断なく盤上の戦況に気を向けつつ、秋隆はこちらの手元を注視する陽華に声をかけてみた。
直後、陽華の瞳が釣り上がり、背後の尻尾から妖気のようなものが漏れ始める。
一方でその顔には薄ら笑いのような表情を浮かべているため、単にイライラを表に出されるよりも遥かに不気味な姿だ。
どうも陽華の機嫌を損ねてしまったらしいが、原因がわからず秋隆は少なからず狼狽する。
そんな彼の姿を見て、陽華は微かに口元を歪めた。
「杏一郎殿、神官将ともあろう者が同胞たる妾の名前を名字で呼ぶのか?」
どうやら上の名前で呼ばれたことが不満だったらしい。秋隆としては知り合って間もない人間相手に、あまり馴れ馴れしい態度は取りたくなかったのだが、そうも言ってはいられないようである。
「……陽華殿は、このようなところに何をしに?」
秋隆が下の名前で呼んだ瞬間剣呑な気配を引っ込め、再び友好的な笑みを見せる陽華。親しげに話しかけて貰えるのが心底嬉しくて仕方ないような、そんな表情だ。
「先ほど申したであろう? お主らと話をしに来たのじゃ」
嬉しそうに何度か頷くと、陽華は会話をしている最中にも出番が巡り、何手か進んだ盤双六の局面に視線を向ける。
「相変わらず攻撃一辺倒の布陣、定跡を学ぶこともせず、ただ先へ先へ進むことばかり考えて趣きも風情もあったものではないのう……」
「うっさいわね」
手痛い指摘を受けて陽華を睨みつけるルドヴィカであったが、睨まれた側の魔族はどこ吹く風と言った様子で言葉を重ねた。
「そこへ来て杏一郎殿の布陣はどうじゃ? 堅牢にして重厚、古の双六打ち、翠明院一陽を思わせる見事な打ち方じゃ」
秋隆がまた慎重に駒を進めるのを見て陽華は微かに顎を上げる。
「まあ、ここまで棋力の差があっては、よほど上手く立ち回らねば杏一郎殿を双六で打倒するのは難しいじゃろうな」
「ちっ! 対局中に横から口出しすんのはマナー違反よ?」
駒を動かしつつ、吐き捨てるようにルドヴィカが言った言葉を受けて陽華は慌てて頭を下げた。
「おお、それは失礼をした。ではお主らの対局が終わるまで黙っていることとしよう」
陽華としても対局中に口を挟むことは気にしていたのか、近場に設えられていた椅子に座ると、口を閉ざし二人の決着を見守る。
とは言え、そもそも実力的に差がありすぎる二人。
五分ほど経過した後、ルドヴィカは両手を上げて負けを認めた。
「……こんな状況じゃ集中なんて出来たもんじゃないわ!」
終わってみれば秋隆の圧勝、陽華が先程言ったように敗因はただただ前に進むことに熱中した結果、敵に防御を固める隙を与えてしまったこと。
そして、先走り過ぎた駒は脆弱そのもの、各個撃破され何も出来ないまま負けたと言うわけである。
「ありがとうございました」
秋隆がルドヴィカに頭を下げると陽華は扇子を閉じ懐に仕舞い込んだ。
「まあ、杏一郎殿のような手練れを相手によくやった方じゃろうな」
「……んで? なんの話をするのよ?」
じろっとルドヴィカはイライラを隠そうともせずに陽華を睨みつける。
しかし眼力だけで生物を殺せそうな迫力のある相手を前にしても、陽華の表情は飄々としたものだ。
「そうじゃな、お主が妾と初めて会ったとき、恐怖のあまり失禁した話でも……」
「ちょっ! 杏の前で何を……!」
陽華の言葉に慌てて手を振るルドヴィカ。そんな姿を見て秋隆は先程から気になっていた疑問を口に出す。
「ルイズと陽華殿は知り合いなのか?」
初対面ではないと思っていたが、先程から見受けられる気安い雰囲気に、ある意味遠慮のないやり取り、相当親しい仲ではないだろうか?
果たして陽華からもたらされた答えは首肯、肯定の意思表示であった。
「うむ、何を隠そうこの娘に肉体を変化させる術を教えたのはこの妾じゃ」
当時のことを思い出しているのか、陽華は懐かしそうに目を細める。
「南方にある魔族の森に迷い込んできたときに出会い、他者を威圧する術を教えたのじゃ」
南方、ルドヴィカが修行したと言っていたクリシアのことだろうか?
ちらっとルドヴィカの方を見ると腕を組み、面白くなさそうにそっぽを向いている姿が目に入った。
「理気を用いて肉体を強化し、外見すらも変えるのは妾たち魔族の得意分野じゃからな」
「なるほど、あの術は魔族から学んだというわけか……」
得心言ったとばかりに何度か頷く秋隆を尻目に陽華はなおも続ける。
「まあ、人間にしては筋が良い、実力はすでに十分じゃし、順当に経験を積んでいけばあと五、六年程度で貫禄も出てきて、見た目を取り繕う必要もなくなるじゃろう」
「ふん、それはどうも」
ルドヴィカは実力も才能も本物、しかし幼い姿をしている以上どうしても見た目で侮ってくる者は出てくるものだ。
成長し、様々な経験を経て威厳を増していければ自然とそのような手合いは減っていくだろう。
「杏一郎殿は……」
しばらくふむふむと秋隆を観察していた陽華であったが、すぐさま破顔し両手を広げた。
「妾の助言は必要ないじゃろうな」
「はあ? こいつもルイズと同じで新米じゃない!」
ほぼ反射的に激するルドヴィカの姿を見て陽華はクスクスと笑みを漏らす。
「ふふふ、ルイズ殿、お主それは本気で言っておるのか?」
「うっ!」
射るような眼差しで正面から陽華に見つめられ、ルドヴィカは嫌々と言った様子で、微かに頬を紅潮させつつ口を開いた。
「……てるわよ」
「うん? なんじゃと?」
「認めてるって言ったのよ! こいつの実力は誰よりもこのルドヴィカ・ウォルキアがね!」
「ルイズ……」
あのルドヴィカの口から自分の実力を認める言葉が出てきたことに、しばし秋隆は何とも言えない感情を抱えたまま呆然とする。
「ふんっ! なによそのツラ……」
そんな秋隆の顔を一瞥すると、ルドヴィカは面白くなさそうに顔を逸らした。
その頬は依然として赤く染まっており、少なからず恥じらいのような感情を抱いていることがわかる。
「このルイズに認められたんだからもっと胸を張りなさいよね!」
「くくく、それで良いルイズ殿」
ルドヴィカが見せた年相応の初々しい様子を楽しげに観察していた陽華だったが、次の瞬間ニヤニヤとした笑みを絶やし、年長者らしい威厳のある声音で口を開いた。
「他者を認めることは、相応の実力を持つことの証、お主の格を上げる行為、雑魚には出来ぬことじゃよ」
真に力ある者、実力がある者と言うのは他者がどの程度の力を備えているのかを正確に見抜くもの。
だが自分の予想以上に強い者が現れた際、その実力を認めることが出来なければ、無意識に本来の力よりも低く見積もってしまう。
そうなってしまえば仮に勝てる戦いだったとしても予期せぬところで油断が生じ、命を失う結果となりかねない。
他者、しかも自分よりも遥かに強い存在の実力を認めることは強者の証なのだ。
さて、陽華としては手放しに褒めたつもりだったが、ルドヴィカは相変わらず横を向いたままである。
「ルイズ殿、せっかく褒めてやったのじゃから何か言ってみては?」
「うっさい! そんなこと言ってる暇があるならさっさと本題を話しなさい!」
いきなり飛んできた怒声に陽華は肩をすくめて見せた。
しかしキツめの言葉とは裏腹にルドヴィカの頬は赤く染まり、瞳は隠しきれない嬉色に揺れている。
もしこの場に秋隆と陽華がいなければ、子供らしく飛び跳ねて喜んでいたかもしれない。
「よかろう、お主らとの友誼もある程度深まってきたところじゃからな」
内心ほくそ笑みながら、ようやく陽華は二人の神官将を追ってきた理由を明かした。
「妾がここまで来たのはお主ら神官将にとって興味深き話題を提供するためじゃ」
神官将にとって興味深い話題と言うことで、秋隆とルドヴィカは陽華の言葉に耳を傾ける。
「鬼紋獣、その発生源と思しき場所の一つを特定したと妾が言うと、信じるか?」




