第十五話「叙任」
三日に及ぶ修行の後、秋隆は凍子に連れられ再びエテメンアンキに戻ってきた。
「杏一、わたくしは少し気になることがありますので一旦ウォルキアに戻ることとします」
ウォルキアと言えば二人がこの世界で最初に訪れた島で凍子が調査をしていた場所でもある。かの地に何か気になることでもあるのだろうか?
「ウォルキアに、ですか?」
「どうも見知った気配を感じます。最後に会ったのはもう七千年以上前のことなのですが……」
凍子自身何が何やらわかっていないのか微かに頭を振ると一度だけ悩ましげなため息を吐いた。
「……まあ、わたくしの勘違いと言う可能性が高いですし、正直気にするほどでもないのかもしれませんが……」
それでも念には念を入れて確認に行くとのこと、もっとも時空捻転現象が使えるならば、どれほど遠出しても大した問題にはならないだろう。
「では、杏一、次に卿と会う時は神官将になってから、身体には十分気をつけて下さい」
秋隆と挨拶を交わすと凍子は時空捻転現象を起こし、その場から消失した。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_
「おはようございます杏一郎様」
秋隆がたくさんの人で賑わう大聖堂内部のアトリウムに足を踏み入れると、すぐに見知った顔の侍従が近寄ってきた。
アズ・オグトール、ウォルキアで知り合って以降何かと縁のある少女である。
「おはようアズ、今日も君が世話をしてくれるのかな?」
「はいなのです。カークス様からしっかり仰せつかってるのです」
ぐっと両手を自身の胸の前で握りしめるいつもの動作を行うとアズはアトリウムを横断し、すぐ近くにある部屋の扉を開いた。
「ここが叙任式まで待ってもらう部屋なのです」
アズの言葉に頷くと、秋隆は彼女の開いた部屋の中へ歩を進める。
瞬間、あまりの光景に腰を抜かしそうになってしまった。
金銀の装飾で整えられた二十畳ほどの空間、部屋の中央には座り心地の良さそうな安楽椅子があり、繊細な装飾の施されたテーブルにも湯気が立つポットと温められたカップが置かれている。
おまけに奥には二つも扉があり、単なる待合室とは思えぬ豪華な部屋だ。
「ただ待つだけの部屋だというのに、豪華だな」
顔が写りそうなほどに磨き抜かれたテーブルを撫でながら、ほぼ思ったことをそのまま口に出す秋隆。
あまりの光景に呆れた様子の秋隆を見ながらアズは鼻息も荒く口を開く。
「神官将は全エルメラ人のあこがれの的、これくらいして当然なのです」
「……まだ何の手柄も立ててはいないのに、随分と気の早いことで……」
「……手柄なら、もう立ててるのです」
秋隆の耳にも入らないような声でそう呟くとアズは二つある扉の内、一つに手を掛けた。
「じゃあまずはこちらで儀式用の礼装にお着替えなのです」
どうやら扉の向こうにあるのは更衣室らしい。アズが扉を開くとともに秋隆は部屋の中を確認する。
「いや、それくらい一人で……」
更衣室に置かれた装束を一目見て、秋隆は天を仰いだ。
そこに置かれていたのは一人で着るにはあまりにも難易度が高い代物だったからである。
「……すまない、協力してくれ」
素早く身につけていた羽織袴とその下に着ていた和装を脱ぎ、衣紋掛けに掛けられていた白衣を手に取る秋隆。
そのまま白衣を身につけて帯を巻くと、鉢金を外し、すぐ近くに置かれていた垂纓冠を額に合わせるような形で被った。
「はいなのです」
秋隆の下知を受け、心得たとばかりにアズは用意されていた単を手にすると、白衣の上に重ね、恐ろしく手慣れた動作で下袴、袙、表袴、下襲等を順々に着付ける。
最後に黒色の袍を被せ、石帯を締めると最後に平緒を下げることで一通りの着付けは完了した。
「これでばっちりなのです。男前が上がったのです」
時間にするとほんの十分程度であろうか? 仕事をし終えるとアズは満足そうに笑みを浮かべる。
現在秋隆の姿は束帯、すなわち万人が平安時代の公家と聞いた時にまず頭に浮かべる姿となっていた。
長い嬰を後ろから垂らした垂纓冠に黒袍、さらには二重の袴、ご丁寧に懐には檜扇と懐紙、笏まで入れられている。
「……(束帯装束か、このような形で着ることになろうとはな)」
「魔族の人が祭典用に着る服なのですけど、杏一郎様にもよく似合ってるのです」
その姿に見惚れるように目を細めていたアズの言葉を聞いて秋隆は内心苦笑した。
「……(まあ、本来は平安時代の公家が着る装束だからな)」
しかも黒い袍となれば本来相当な地位にいる人間でなければ着ることすら許されないような代物。
そんな格式高い装束を神州と言う国がなくなってから着ることになったと考えると、どんな表情をすれば良いのかわからないと言うものである。
ともあれ、今はそんなことよりも目の前のこと、待合室に戻ると秋隆は装束の形を崩さぬように慎重な動作で安楽椅子に腰掛けた。
「お茶なんていかがです?」
いつの間に淹れていたのか琥珀色の液体で満たされたカップを秋隆に差し出すアズ。
「ああ、ありがとう」
装束に溢そうものならば事である。秋隆は慎重にカップを受け取ると一口啜った。
「噂では杏一郎様はエテメンアンキ南方、桔梗湖畔にある桔梗城を貰えるって話なのです」
城を貰えると言う言葉を聞いて、危うくカップを落としそうになる秋隆だったが、何とか堪え、テーブルの上に置く。
「城、に住むのか? 私は……」
「はいなのです。あそこは自然も多くて良い場所なのです」
問題はそこではなく、そんな大それたものを貰えると言うところなのだが、アズは全く気づいていないらしい。
「別にそこまでする必要はないのだが……」
「年収にして金貨二万枚もらえるのだから、それくらいするべきなのです」
二万枚と聞いてまたしても秋隆は腰を抜かしそうになった。エルメラの貨幣価値を令和の日本円に換算すればおよそ二億円、とんでもない金額である。
いよいよもって神官将と言う職の凄さを思い知らされ、秋隆は思わずため息を吐いた。
「……やれやれ、どこぞの大物野球選手並みの年俸だな」
「めじや……ってなんなのです?」
「何でもない。可能ならば忘れてくれ」
そこまで話して何者かが扉を叩く音が聞こえてきたため、秋隆は顔を開け上げる。
「はい」
「失礼するわよ」
一応はノックしたものの無遠慮な動作で部屋に入ってきたのは秋隆もよく知る人物。
毳毳しい長髪に攻撃的なマンバメイクの女性、ルドヴィカ・ウォルキアであった。
「へえ、しっかりキメてきてんじゃん」
ジロジロと秋隆の姿を上から下まで眺めるとニヤッと笑みを浮かべるルドヴィカ。
「馬子にも衣装ってとこかしら?」
「それはどうも、そなたは着替えないのか?」
ルドヴィカの着ている服は布面積の少ない下着のような服に上着を腰に巻き付けると言ういつもの露出過多な服装。
さすがに双刀は帯びていないものの、これから儀式を受けるとは思えぬような姿である。
「まあね、神官将には衣装の規定がないのよ」
つまり正式な場に出る時であってもどんな服を着ても良いと言うこと、極端な話し全裸であっても問題にならないと言うことだ。
「そうなのか? ではこの服は誰が……」
礼装を着る必要がないなら、今秋隆が着ているような服を用意する意味はない。
にも関わらずわざわざ用意したのはどう言う理由からなのだろうか?
「アズ、知ってるか?」
秋隆の問いにアズは首を振って見せる。どうやら彼女も上役から秋隆の着付けをするように言われていただけであり、誰が用意したのかまでは知らないらしい。
「あ、でも叙任式関連はカークス様とアウグスタ様が指揮してるって聞いてるのです」
「……なるほど、そうなると用意した人間も絞れそうだな」
神官長か宰相、あるいは彼女らの行動に追認を与えているであろう神聖王、恐らくこのうちの誰かが秋隆のために束帯を設えた。
全く意味のないことをするとは思えないが、意図がわからないと言うのはなんとも不気味である。
「……久坂様、大礼拝堂の方へお願いいたします」
待合室に二つある扉の内、開かれていない残り一つの扉が開いて若い神官が現れた。
どうやら考えるのはここまでらしい。謎は多いが、結論を出すのは儀式が終わってからにするべきだろう。
秋隆は一人頷くと鼈甲霊亀の代わりに儀礼用の飾太刀と魚袋を腰に帯び、扉を抜けて大礼拝堂へ向かった。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_
大礼拝堂にはすでに大勢の人が集まっており、その時を今か今かと待ち侘びていた。
赤い絨毯の敷き詰められた床に座り、しばらく平伏する秋隆とルドヴィカ。
場所は大礼拝堂の最深部に近い場所、二人の前には神官しか立ち入りの許されない壇があり、その奥には大神官が座る聖座が見える。
しばらくして、その聖座に何者かが腰掛けたが、相当体力的に無理をしているのか、息も荒く動きもひどく緩慢だ。
「神聖王ハクア陛下である」
宰相、アウグスタ・ルベルムの言葉に聖座に座った人物、神聖王ハクアは重苦しい口調で口を開く。
「その方ら面を上げよ」
平伏していた頭を上げ、秋隆はそこで初めてエルメラ神聖国の王、神聖王の顔を正面から見た。
「……(あれが神聖王か)」
まず目を引くのはその顔色の悪さであろう。エルメラ人らしい褐色の肌をしているが、これまで見てきた誰よりも肌艶が悪く、目の下に深く刻まれた隈のせいで病弱な印象を受けてしまう。
一応エルム教団のトップでエルメラ神聖国の王と言う立場上立派な装いをしており、威厳こそ感じられるが、その体躯も貧弱そのもの、荒い息から察するにこうして椅子に座っていることすら無理をしているのかもしれない。
しかし落ち窪んだ眼窩の向こうに見える瞳は遥かな年月を刻んだ大樹を思わせる威圧感を宿しており、神刀のごとき鋭い気運を纏うまさに傑物と呼ぶに相応しいものだ。
なんとも言えない違和感に首を傾げる秋隆だったが、いよいよハクアが微かに震える右手を前に出し、青白い唇を開いたために思考を中断、儀式に意識を戻す。
「久坂杏一郎、その方を神官将に任命する)」
弱々しい見た目とは裏腹に放たれた言葉は想像以上に力が宿ったものであった。しゃがれた老人らしい声を想定していたためか秋隆も一瞬虚をつかれたように目を見開く。
しかし今は儀式の真っ最中、すぐさま再び気を張り、事前に定められていた通り恭しい所作で頭を下げた。
「謹んでお受けいたします」
秋隆の様子を見て微かに頷くとハクアは右手をルドヴィカに向ける。
「ルドヴィカ・ウォルキア、その方を神官将に任命する」
「謹んでお受けいたします」
叙任は成された。ハクアは満足そうに息を吐くと、すぐ近くにいた侍従の手を借りて聖座から立ち上がる。
「その方らの働きぶりに期待する」
「……(もう帰るのか)」
侍従の肩を借りるようにして大礼拝堂を後にするハクア。彼女が一体いくつなのかはわからないが加齢によるものとは明らかに違う、病的なまでの衰弱ぶりに秋隆は微かに首を傾げた。
確かに見た目は相当衰弱しているように見えるが、その目の奥にも言葉にも秋隆の知る古代の皇と同じく為政者特有の力強い意志が宿っている。
にも関わらずその身に纏うは瞳の奥に宿る気運と対照的な、老人特有の虚無的なものだ。
これではまるで意図的に老いて弱体化した演技をしているかのような……?
「ではこれより先は神官長、カークス・トルキオが進めさせていただきます」
そんな秋隆の疑念を他所に叙任式は進んでいく。神官長カークスの合図で、貴賓席にいた二人の大神官が立ち上がり、秋隆とルドヴィカの前に立った。
「大神官シャダ・ウォルキア、新たなる神官将久坂杏一郎に祝福を授けます」
「大神官ガーラ・クリシア、新たなる神官将ルドヴィカ・ウォルキアに祝福を授けます」
どうやら祝福を与えるのは神官将に推薦した大神官らしい。
同じ言葉で二人の大神官が平伏する二人の神官将に祝福を与えると、周囲を淡い、虹色の光が包み込む。
その光が天に昇り、大礼拝堂内を照らすのを確認し、カークスは右手を振り上げた。
「新たな神官将の誕生を主上もご照覧あれ、その道の先に平安があらんことを……!」




