第十四話「鬼紋獣の母体」
白い光のドームを抜けて二人がたどり着いた場所は蓬莱山、凍子の本拠地であった。
「随分久しぶりな気がしますね」
蓬莱山にある洞府に足を踏み入れると秋隆は微かに嘆息を漏らす。
エルメラ神聖国に行ってからずっと気を張りっぱなしであったが、古巣に戻ってきたことでようやく一息つけそうだ。
「あの技、確か時空捻転でしたか? どこでも行けるのですか?」
あの白い光のドームは強い理気により空間を歪めた際に現れる現象。これを時空捻転現象と呼び、凍子のような卓越した理気の使い手はこれを用いて長距離であろうと瞬時に移動することを可能とする。
その裏でごっそり理気が動いているのは想像に難くはないが、それを差し引いてもとんでもなく有用な技だ。
「場所を正確にイメージする必要はありますけど理論上はどこでも、それこそ月の裏側にだっていけるはずですわよ?」
秋隆の疑念にすぐさま凍子は応じる。実際に月の裏側まで行くとなれば長距離移動する以外にも色々問題が出てきそうなものだが、要はそれくらいのことが出来る技術と言うことだ。
「……卿が面接を受けている間に、わたくしはゼデキア内の各地域、アルビオン地方やルキア地方など、この世界のあちこちを渡り歩いてきました」
軽く咳払いをしてから話し始める凍子。大聖堂の前で別れる際、情報を集めると言っていたが、どうやら時空捻転現象を最大限利用してありとあらゆる場所を調査してきたらしい。
「それはつまり、世界一周してきたということでしょうか?」
「一周、とは言い切れませんわね。主だったる街を中心にその周辺、と言ったところでしょうか?」
涼しい顔をしてとんでもないことを言い出す凍子の姿に秋隆の背中がひんやりとし始める。
「私がカークス神官長と対面してから先ほど合流するまで、せいぜい七、八時間程度しかなかったと思うのですが……」
「それだけあれば世界をめぐり、必要な情報を得るのは容易きこと、截教に不可能はありません」
ここまで来るとツッコミをすること自体が陳腐に思えてくるから不思議なものだ。
時空捻転現象を用いたとしてもそんな短時間で調査をするとなれば相当無駄なく動く必要がある。
どうやら、秋隆の師父と言うのは戦うばかりでなく情報を集めることもこなせるらしい。
「……いかがでしたか?」
これ以上ツッコミを入れていては話を前に進めることが出来ない。そう判断し、秋隆は下手に口出しせずにそのまま話しの流れに身を任せることにした。
「どこに行っても混沌だらけ、世界が歪むというのも頷けるというものですわね」
『混沌だらけ』、その言葉に秋隆はうっすらと目を細める。
エルメラとゼデキアの戦争に鬼紋獣による厄災、ウォルキアとエテメンアンキにしか行っていない秋隆でもその混迷具合はよくわかっているのだから、世界中を巡った凍子はそれをより顕著に感じていてもおかしくはない。
「……何か、手がかりのようなものは?」
エテメンアンキ大聖堂に向かう前に凍子が言っていた『世界が歪む』と言う現象。
理気の流れが乱れ正常に働くなるとこのようなことが起こるらしいが、世界各地を調査してみて、何か得られるものはあったのだろうか?
「……依然不明のままです」
かなりの労力を費やしておいて戦果はなし、凍子ほどの存在でも簡単には探れないとなるとこの問題は相当根が深いと見るべきか……。
「そちらは順調のようですわね」
じっと秋隆の目を覗き込むようにして凍子は静かな口調で問いかけた。
「とりあえず、第一の目的は達成できました」
師父から一切目を逸らすことはせずに首肯して見せる秋隆。
神官将の内定、ルドヴィカとの関係性は若干気になるところであるものの、とりあえず順調に進んでいると言っても問題ないだろう。
「この次は、どうするつもりですの?」
「とりあえず当面は神官将として為すべきことを果たすつもりです」
神官将の使命は人々の脅威となる厄災、鬼紋獣を倒して安全な暮らしを保障すること、本来ならばそれこそが目的であり、魔獣退治は目的を果たすための謂わば手段だ。
しかし秋隆の場合は鬼紋獣と戦うことこそが求めるところ、すなわち目的と手段が逆転していると言える。
「以前も訊いたかもしれませんが、卿は神官将になってエルメラ内で出世することを第一目標としていると言うわけではありませんわよね?」
じっと秋隆の瞳を正面から覗き込む凍子。エテメンアンキ大聖堂に行く前同様、彼の内面を推し量るかのような鋭い視線だ。
故に秋隆もまた彼女の視線から一度として目を逸らすことはなく、むしろ睨み返すくらいの気構えでこれに応じる。
「そんなものは二の次です。鬼紋獣と関わるならば神官将であることが一番都合が良いと言うだけです」
鬼紋獣、そしてかの存在の額に輝く紋章を初めて見た瞬間に覚えた強烈な既視感、まるで頭の中を掻き回されるかのような感覚。
あの魔獣が秋隆の失われた記憶に関わる存在であることは明白、ならばこのまま戦い続ければいずれ何かの弾みで自分の記憶も戻るかもしれない。
秋隆の中にあるのは結局のところそのような希望的な観測、それ以上でもそれ以下でもない推論だ。
しかし同時にアズやルドヴィカといった幼な子が鬼紋獣のような脅威にに晒される世界を是としたくないと言う、ある種、神官将らしい気持ちもまた存在する。
つまり目的と手段が逆転こそしているものの、秋隆もまた十分に神官将としての資質を備えていると言うわけだ。
「……卿はあの魔獣、鬼紋獣とは何だと思いますの?」
秋隆のそんな内面を察したのか、凍子はそのような問いを投げかける。大陸中を渡り歩いた結果、秋隆よりも如実に鬼紋獣の脅威を見てきたのかその口調はやや硬い。
「私にもその正体はわかりません。ただ、間違いなくあれは私の失われた記憶の中に存在する魔獣かと思われます」
「……詳しく」
凍子に請われる形でウォルキアでの鬼紋獣との一戦、そしてその時に感じた既視感のことを話す秋隆。
相変わらず凍子の表情は一切変わらないが、話しを聞く内に唇を引き結び何やら考え込み始めた。
「凍子は、何か知っているのですか?」
ウォルキアでの戦いや、神官将を目指した理由など全ての事情を話し終えると秋隆は凍子に視線を向ける。
「詳しいことはわたくしにもわかりません。ただあれは本来この世界に元からいた魔獣ではありませんの」
凍子の口にした新事実に動揺し、目を見開く秋隆。鬼紋獣が古くから認知されていた存在ではないという言葉に少なからず衝撃を受けたのだ。
「では、蕃神族と同じ、と言うわけですか?」
「ええ、連中に関しては凡そ四千年前、神州が滅びる前後に確認され始めたと言うことですわ」
すなわち鬼紋獣がこの世界で確認され始めたのは秋隆が封神霊廟に入るか入らないかと言った塩梅の時期のことであろう。
「その前にそれらしき存在は全くいなかったということですか?」
ようやく動揺から立ち直りだした秋隆の質問に対して、凍子は何かを思い出すかのようにしばし考え込んでいたが、すぐさま頷いて見せた。
「ええ、地より湧いたか天より降ってきたか、それこそいきなり現れたとしか思えませんわね」
「ふむ、鬼紋獣が確認されだしたあたりの時期で何か他に気になることはありませんか?」
「申し訳ございませんが、杏一が封神霊廟に入ってからはそちらの管理をするのに手いっぱいで俗世のことはほとんど見てはいませんでしたし、気になることと言われても……」
そこまで話して凍子は微かに首を傾げると、古い時代に得た歴史的な知識ではなくつい最近耳にした情報を口にする。
「……ただ、旅の途中不思議な噂を聞きましたわね」
「噂、ですか?」
「ええ、鬼紋獣には発生源となる存在、謂わば鬼紋獣の王と呼ぶべき存在がいるとか……」
鬼紋獣の発生源にして王『鬼紋王』、凍子の聞いた話によれば鬼紋獣たちは六体存在する王が生み出した眷属であり、それぞれの王が滅びない限り無尽蔵に出現し続けるとのことだ。
「不自然な話しではありませんが、その話しどこで?」
「ゼデキア帝国帝都ノスフェラにて、あちらでも鬼紋獣の被害は甚大なようですわ」
ゼデキア帝国、確かエルメラ神聖国に敵対する大国であり、島国であるエルメラとは異なり五大洲西側の大陸を支配する国である。
秋隆はまだ行ったことがないのだがどうやらエルメラに現れるのと種類こそ違うものの、大陸にも鬼紋獣は現れるようだ。
凍子の噂通りであるならばエルメラにいるのとは異なる鬼紋獣の王、鬼紋王がいて、己の眷属たる鬼紋獣を生み出しているのかもしれない。
「……記憶を取り戻すためにはいずれゼデキアに行き、大陸の鬼紋獣とも戦わねばならないのでしょう」
鬼紋獣は秋隆の失われた記憶に関わる唯一の手掛かり、このまま進むというのならば一戦は避けられないだろう。
「では杏一、神官将の叙任まで三日あるのでしたら、それまで蓬莱山で理気の修行をしなさい」
いつもと変わらぬ凍子の冷ややかな声。すぐさま彼女の考えていることを察し、頷いて見せた。
「戦闘が増えることが予想される以上、戦う術を磨くのは急務、と言うことですね?」
神官将は鬼紋獣と戦うことが仕事であるため、当然戦いの場に出る機会が多いのは考えるまでもなく明白である。
神官将として相手をするのは以前草の差金で戦ったものたちよりも遥かに格上となる鬼紋獣なのだ。
そんな強力なものたちと戦うとなれば、それらと渡り合えるだけの実力を身に付けるのは当然であろう。
「わかっているのならば結構、さっそく始めても構いませんわね?」
「望むところです」
素直に頭を下げる秋隆の姿を見て、一瞬だけ凍子の瞳に不思議な光が宿った。しかしそれもほんのわずかな時間のこと、すぐさまいつもの無表情、クールなポーカーフェイスに戻る。
「……それでは三日間、卿に修行を与えることといたします」
「よろしくお願いします」




