第十三話「六耳獼猴」
秋隆の放った理力剣をまともに喰らい消え失せた魔獣。もしこれが通用しないようならばいよいよ後がないわけだが、どうやらその心配は無用だったらしい。
「……終わりか?」
周囲に漂う理気に怪しい点は一切見受けられない。つまりどうにかこうにか危機を脱すること出来たと言うわけだ。
「……ふう」
標的が完全に沈黙したのを確認し、ようやく生き延びることが出来た実感が湧いてきたのか、ホッと一息つく秋隆。
結局最後までその正体はわからないままであったが勝ちは勝ち、とりあえずは喜ぶべきところであろう。
瞬間、周囲に漂い出す静謐な気運に肌を冷やすかのような濃い理気の気配、秋隆は慌てて居住まいを正した。
この感覚には覚えがある。否、ありすぎると言ったほうが良いかもしれない。
「異様な理気の流れを感知して急いで来てみましたけれど……」
いささか困った口調で戦場に現れたのは褐色の肌に鍛え抜かれた体躯、ルドヴィカ・ウォルキアと並んでも遜色のない露出過多な姿。
瀛洲寺凍子、秋隆の師匠たる仙道だ。
「杏一、これは一体何事ですの?」
凍子は先ほどまで魔獣のいたクレーターとそこに残る痕跡、疲弊した様子の一切ない秋隆、そしてその隣で剣呑な表情のまま立つルドヴィカを代わる代わる眺める。
「凍子、正直私にも何が何やらわかっていないのですが……」
「……話しを伺いましょう」
凍子に促される形で秋隆は魔獣との邂逅、襲撃、その顛末までの流れを簡単に説明した。
「……なるほど、だいたいのことはわかりました」
話しを最後まで聞き終えると、凍子は無表情のまま豊かな胸の下で腕を組む。
相変わらず表情からは一切感情らしきものを読み取ることは出来ないが、それでもなにやら困っているらしいことは見て取れた。
「それで、その魔獣の正体は?」
「それがよくわかりませんでした」
一応倒しはしたものの正体に関しては不明、正直に秋隆が白状すると凍子は微かに首を傾ける。
「わからなかった?」
「この世に生きる五仙五虫のいずれの性質にも当てはまらない未知の存在です」
五仙五虫、すなわち天、地、人、神、鬼の五種類の仙人と鱗虫、羽虫、裸虫、毛虫、甲虫の五虫。
この場合の虫とは動物のことであり、蝶々やクワガタ虫など令和における虫は甲虫のカテゴリーに含まれ、その長は長く生きた亀、つまり霊亀と呼ばれる存在だ。
ちなみに人間はこの範疇の中では裸虫に含まれ、その長となるのは高い徳を備えた人間、聖人である。
「見た目は人間に近かったのですが六つの耳を備えた正体不明の怪物でした」
六つの耳と聞いて凍子はわずかながら両目を広げた。
秋隆とルドヴィカを襲ったあの魔獣は一応毛のある生物、毛虫に部類されるであろう炎の鬼紋獣とは違い正真正銘本物の分類不可の魔獣なのである。
「六つの耳に人間に近い姿、ですか」
しばしの沈黙の後、凍子は思考をまとめたのか微かに顎を下げ、口を開いた。
「六つの耳を備えた猿、六耳彌猴、とでも仮称しておくことにしましょう」
六耳彌猴、聞くだけで何とも言えない不穏な感覚が背中を貫く。名前だけで魔獣の恐ろしげな息吹を感じ取れそうだ。
「それにしても杏一、よく倒せましたわね」
ちらっと地面に残る痕跡を一瞥し、秋隆に視線を向ける。
「話を聞くに不完全とは言え不死身の相手、まだ能力を扱えるようになって日の浅い卿にしてはよくやりましたわね」
「ああ、ここにいるルイズ、ルドヴィカ・ウォルキアの協力あってのものです」
最年少の神官将たる少女、もし秋隆が一人で戦った場合もっと討滅に時間がかかったかもしれない。
まず間違いなく秋隆よりも若いにも関わらず、すでにひとかどの超能力者、凄まじい才能だ。
見た目を考えると大体十代後半くらい、ならば後数年経ち成人すれば想像を絶する実力になるであろう。
しかし奇妙なことに、凍子の纏う気配が秋隆の言葉、『協力』という単語を受けて微かに険しいものに変化した。僅かながら秋隆の行動を咎めるような、そんな気運である。
「……杏一、こんな幼気な少女を危険極まりない死闘に付き合わせたのですか?」
「幼気? 確かに私や凍子から見ればそうかもしれませんが、人間としては……ん?」
十代後半となればある程度整いだすくらいの年代、そう続けようとしておかしなことに気づいた。
先ほどまですぐ近くに立っていたはずのルドヴィカの姿がどこにも見えないのである。
「ルイズ? いったいどこに……?」
キョロキョロとあたりを見渡してみるが彼女の大柄な姿はどこにも見えなかった。
「ここにいるけど」
「え?」
すぐ近くから聞こえた鈴を転がすような可愛らしい声、慌てて下を見るとそこにいたのはルドヴィカとは似ても似つかぬ少女、小学生高学年程度の見た目。
否、似ても似つかないとは言いすぎかもしれない。身長は五尺六寸(168センチ)程度の秋隆の腰のあたりの身長ということ、大体120~130程度と見ても良いだろうか?
エルメラ人らしい褐色の肌にどことなくシャダ・ウォルキアを思わせる艶やかな髪、着ている衣服は太ももくらいの丈のあるホットパンツに胸元を隠すチューブトップ、その上から金糸銀糸に飾られた上着を纏い、二振りの刀を背負うと言う露出の高いものである。
その目つきはやや鋭く、気の強さがその見た目に如実に表れたかのような少女、こちらを見上げるその鋭く攻撃的な目を見ているうちに、秋隆の頭の中に同じ目を持つ一人のマンバ少女の姿が浮かび上がった。
「る、ルイズ、なのか?」
「他に誰に見えんのよ」
ふんっとそっぽを向いて吐き捨てるようにそう呟く少女。声も見た目も何もかも違うが、なんとなく面影らしきものが見て取れる。
先ほどまでの鍛え抜かれた神官将らしい四肢ではなく、幼子らしいほっそりとした腕に筋肉らしきものがないイカ腹、露出の多さに目をつむればあらゆる意味で少女らしい姿。
しかしよくよく見ればその上着はルドヴィカが腰に巻いていたもの、おまけに背中に背負った刀は戦闘に使っていたものだ。
「まさか、では先ほどのあの姿は……」
「あれはルイズのもう一つの姿、理気で巨大化してああいう格好になってたの」
「そ、そうなると、そちらの姿が……?」
「本当の姿、んなこといちいち訊いてこないでよ!」
慌てた様子で放たれた秋隆の問いかけにやや不満そうに応じるルドヴィカ。
とは言え、こちらの姿がルドヴィカの正体ならばこれまで見てきた外見らしからぬ幼い言動、全てに辻褄が合うかもしれない。
「何故、あのような姿に……?」
「……ウォルキアの奴ら、どいつもこいつもルイズのこと舐めてくんのよ」
そのときのことを思い出したのか、ルドヴィカは憎々しげに表情を歪める。
「それでああいう姿になったら誰も逆らってこなくなったの」
「なるほど、そういうことか……」
確かにルドヴィカの才能は信じられないほど高い、しかし見た目は人畜無害な幼女そのものだ。
おまけにシャダの影響力がほとんどない南方クリシアに送られたというのならその見た目のせいで軽く見られることもあっただろう。
その実力に関しては神官将と遜色ないにも関わらず、だ。
「最年少の神官将か」
その名前の裏でどれほどの扱いに耐え忍んできたのだろうか? そしてその結果本来の姿を隠しているのはどれほどの苦痛と孤独であっただろうか?
「そうよ、何か言いたいことでもあんの?」
「いや、大凡の事情はわかった」
これ以上の事情を深く聞くべきではないだろう。それは彼女の内側にある傷を広げることになりかねないからだ。
しかしそうなるとひとつわからないことがある。
「だがなぜ今変化を解いた……?」
「ふんっ!」
正直に疑問を口にしたその刹那、ルドヴィカはいきなり秋隆の向こう脛を蹴飛ばした。
「痛っ! 急に何を……」
「うっさい鈍ちんっ! 言わなくても気づきなさいよ!」
瞬間ルドヴィカの身体に理気が集中したかと思うとその気配が大きく膨れ上がり形を成す。
理気が霧散すると彼女の身体は先ほどまでの、極めて攻撃的な気質を備えたマンバ少女のものへと変わっていた。
「ふん、やっぱ杏はルイズを見上げてる方がお似合いね」
着ていた上着を腰に巻き、双刀を帯びると腕を組んで二メートル越えの長身から秋隆を見下ろす。その目は相変わらず攻撃的なものだったがなんとなく友好的な色も備えていた。
「……まあ何でもいいがな」
おそらく六耳彌猴との戦いを通じて彼女なりに秋隆のことを信用してくれたのだろう。
「で、そっちの女は杏の何? 随分親しげだったけど?」
じっと相変わらず攻撃的な鋭い瞳で凍子を見つめるルドヴィカ。
「わたくしは凍子、瀛洲寺凍子、杏一の師匠です」
「師匠? あいつの?」
「ええ、何か問題でも?」
凍子が挑発的な言葉を放ったその刹那、二人の間を理気ではない謎の電撃が走り抜けた。
しばらくの間無言で見つめあう二人であったが先に折れたのはルドヴィカ、微かに鼻を鳴らすと目をそらす。
「……ない!」
「ならば結構、今後杏一と付き合っていくならばわたくしとも付き合うことになりますわね」
「付き……っ!」
どういうわけだかいきなり赤面するルドヴィカ。理気が発現していないにも関わらず周りの温度が上がりそうだ。
「ふ、ふん! あんたみたいな何考えてるかわかんない奴、可能な限り関わり合いになりたくはないわ!」
何歩が後退すると、ルドヴィカは鋭い瞳で秋隆を睨みつける。
「あんたもよ杏! 今日はあんたに譲ってあげたけど、あんなのちょっとルイズが本気を出せば一人でも倒せたんだからね!」
「なんにせよ、そなたが協力してくれたのは事実、ありがとうルイズ」
秋隆の言葉にルドヴィカが返事を返すことはなく、ただ軽く右手を上げると周囲に霧を放ち、いずこかへと消え失せた。
「……気も理気も強い娘のようですわね」
ルドヴィカが立ち去ったのち、凍子は微かに湿る地面を見つめる。
「しかし内側には年相応の弱さを秘めている。不安定な状態ですわ」
弱さ、こればかりはどれほど才能があったとしてもいきなりどうにかなるようなものでもない。
「……あまりあのような幼子には戦場に出てほしくないのですが……」
秋隆が言うようにあれぐらいの少女は令和の世界であるならば友達と遊びに行ったり、おしゃれについて話したりする年代、間違っても生命の危険がある場所にいるべきではないはずだ。
「卿が望もうが望むまいが関係ありません」
ルドヴィカの痕跡が残る地面から目を外すと凍子は秋隆を見つめる。
「それがこの世界の現状なのですから」
子供であろうとも場合によっては命の危機がある世界、かつて封神霊廟にいる際に数えきれないほど見てきた適者生存のみを是とする世界を思い出し、秋隆の表情に暗いものが過った。
「参りましょう、卿に話さねばならないことがいくつかあります」
凍子が右手を上げると、その場の理気が活性化し、周囲の空間がゆがみ始める。
「そして卿もわたくしに聞きたいことが、ありますわね?」
秋隆がうなずくとともに白い光のドームが発生し、二人は揃って別の場所に転移した。




