第百二十話「雪原都市」
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任務完了
「とりあえず危機の一角は去ったけど……」
悩ましげにそう呟くアイオナの視線の先にあるのは遥か彼方の水平線。海上で蠢く無数の影、鬼紋獣たちだ。
「……あれをどうにか出来ない限りまだまだ安心は出来そうにないわね」
鬼紋獣たちは相手がエルメラだろうがゼデキアだろうが仕掛けてくる天災と呼ぶべき存在、エレミリヤが退いたならばこちらに来る可能性は高い。
面倒そうに刀を振り上げるアイオナだったが、すぐ隣に立つ綾音は微かに首を振る。
「いえ、これ以上の戦いは起こりません」
「え?」
綾音が何を言っているのかわからずアイオナが聞き返したその刹那、鬼紋獣たちがこちらに来ることなくいずこかへと去って行った。
「退いた?」
すぐさま理気を用いて認識範囲を広めるアイオナ。しかし最早この辺りに鬼紋獣の気配はなく、ただ青い海が広がるばかりである。
思わず綾音を見れば彼女は刀を鞘に戻して持ち場へ向かうところであった。
「……さて、もうエメルス港も間近、気を引き締めて行きましょう」
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北方の地エメルス、その玄関口たるエメルス港。上陸早々港内の軍事施設にアウグスタら反逆者を収監後、一行は束の間体を休めるべく施設内の会議室に参集した。
「みなさんお疲れ様でした」
死闘を終えて疲れ切った様子で椅子に座る理気使い達を前に此度の指揮官、尸道草が頭を下げる。
「こうしてエメルス港にまでたどり着くことが出来たのもみなさんのおかげです。本当にありがとうございます」
「……完全に満足のいく結果、とは言えぬがな」
ため息をつきながら立ち上がると、秋隆はカーテンを捲り、庁舎の外側に視線を向けた。
現在秋隆らがいる軍事施設は港湾のすぐ近くに存在するため、この部屋から軍港の様子が良く見える。
港には一行をここまで運んできた船、キュリアスも停泊しているのだがその姿たるやあちこち焼け焦げ、船体にも大穴が開いているという惨憺たるものだ。
「……せっかくの新造船が台無しだな」
「いえ、あれほどの激戦を経たにも関わらず、この程度で済んで幸運と言えます」
疲れたようにそう呟くと、会議室に居並ぶ面々を見渡す草。
「これだけの戦力だったからこそ、成しえたことです」
ゼデキアの半機械旅団に双魄将、本来ならばこれを迎撃するだけでも命を賭けねばならないところであろう。
そこへ来て彼女らを撃退したばかりか、船も守り抜き、アウグスタらの護送まで成功させたことを思うと確かにこれ以上ない成果と言えるかもしれない。
「……で? この後はどうするつもりなの?」
いささか疲れた様子のルドヴィカが発した言葉に会議室内にいた人間の視線が一斉に草へと向けられた。この辺りのことは秋隆も気にかかっていたことである。
「我らの任務は大霊峰の奥地、五光聖堂まで元宰相らを護送すること、当然同行することになるのだろう?」
「あ、それはですね」
秋隆の質問に草が答えようとしたその刹那、控えめなノックの後に会議室の扉が開かれた。
「相も変わらずのようですね」
音もなく会議室に入ってきたのは褐色の肌に小柄な体躯、修道服を思わせる質素な装束の少女。
見た目こそ幼いがその身に纏う理気は強壮そのものであり、この場にいる人間と遜色ない実力を備えていることがわかる。
「そなたは、クリスティア・カラレス」
五清将、幽炎将クリスティア・カラレスは部屋に入ると椅子に座ることはせず、秋隆のすぐ前に立った。
「久しぶりですね亀、総長となっても変わらぬ忠勤、反逆者とは格が違うようで少しばかり安心しました」
「……亀?」
クリスティアの発した言葉に綾音は一瞬だけ眉をひそめる。しかし彼女が何か言う前にドタドタと足音がしてまたしても何者かが会議室に入ってきた。
「よっ! オレ様もいるぜ?」
続いて入室したのは全身を鎧で固め、背中に二振りの斧を背負った鬼女。闘鬼将椿鬼、彼女もまた五清将の一人である。
騒がしい巨女の登場に、気だるげな様子で息を吐くアイオナ。
「……こんな場所で五清将が全員揃うだなんて、戦力の無駄遣いをしている気がするわね」
天威将尸道草、稀黒将アイオナ・イグナウス、闘鬼将椿鬼、幽炎将クリスティア・カラレス、そして霊亀将久坂秋隆。
アイオナの言う通り、確かにこれだけの戦力が揃えば一国の軍勢であろうとも正面から打破できるかもしれない。
室内に立ち込める理気の気配が強まる中、ルドヴィカが退屈そうに鼻を鳴らした。
「それで結局何しに来たの? アイオナに同意すんのは癪だけど、現状ここまで戦力を集中させられる余裕はないはずだけど」
「そうだな、クリスティア・カラレス、そなたはトルキオでクリンゲルヴァルドの復興を担当していると聞いていたのだが……」
秋隆の問いを受け、クリスティアの瞳が微かに鋭さを帯びる。
「……別に私がいなければ作業が進まないというわけではありません。主だった仕事が終わったので後のことを任せてここまで来たというだけです」
「そうだったのか、恐ろしく仕事が早いな」
「どこぞの亀がもう少し手心を加えてくださればもっと早くに終わったかもしれませんね」
痛いところを突かれたとばかりに苦笑する秋隆から目を逸らし、クリスティアは部屋の片隅でこちらの様子を見ている綾音に視線を向けた。
「そちらにいる方は? 初めてお会いする方ですが……」
「ああ、彼女は……」
秋隆が名前を告げようとした瞬間、淑やかな動きで席を立ち、そのまま頭を下げる綾音。
「久坂綾音と申します。久坂杏一郎様の妹です」
「……妹?」
彼女を一目見た瞬間、クリスティアの表情が怪訝そうなものへと変わる。
「クリスティア・カラレス、彼女は……」
「別に見た目など気にしていません」
外見について言及しようとした秋隆に首を振り、幼い見た目に似つかわしくない恐ろしく鋭い瞳が綾音を捉えた。
「当人が妹と主張するならば妹なのでしょう。それよりも……」
しばしの間綾音を見詰めていたクリスティアだったが、やがて小さく首を傾げる。
「……遠いようでいて近い、近しくもあり遠くもある」
「なんの話だ?」
「……いえ、何でもありません」
どうやらこれ以上綾音に関する話をするつもりはないようだ。
何ごとかを反芻するように一瞬だけ瞑目すると、クリスティアはニコリともせずに綾音に向かって頭を下げる。
「幽炎将クリスティア・カラレス、貴女の兄、久坂杏一郎殿同様、五清将を仰せつかっています」
どこかピリピリした空気、綾音とクリスティアの鋭い視線が空気中でぶつかり、部屋の空気が一気に張り詰めたものへと変わった。
そんな空気をものともせず、椿鬼は牙を剥くような壮絶な笑顔を浮かべながら、一歩前に進み出る。
「オレ様は闘鬼将椿鬼、そっちにいる色男の以下同文さ」
「……色男、ですか。なるほど」
がはは、と豪放に笑い声を上げる巨女を見て、どういうわけだか綾音の瞳に穏やかな光が宿った。
「闘鬼将と申されましたか、どうやら貴方の審美眼は確かなようですね」
基本的に身内以外の人間を褒めることがない綾音による手放しの賞賛に秋隆とルドヴィカの二人は意外そうに顔を見合わせる。
「はは、そいつはどうも」
一方綾音と会ったことのない椿鬼は特段珍しいこととも認識しておらず、少しばかり恥ずかしそうに頭を掻くのみであった。
そんな椿鬼を遠慮がちながらも抜け目なく、上から下まで観察し、然る後一つ頷く綾音。
「……血筋的にも申し分なし、これは、十分候補となりうるかもしれませんね」
何やらぶつぶつと独り言を言う綾音に怪しい気配を感じ、秋隆は彼女のすぐ側まで近寄る。
「……綾音、何を一人でぶつくさ言っている?」
「っ!」
秋隆の言葉に弾かれたかのように一瞬身体を震わせる綾音。どうやら彼がすぐ近くにまで来ていることにも気づいていなかったらしい。
「い、いえ、何でもありません。兄上様」
「あ、あの、そろそろよろしいでしょうか?」
少なからず困惑した様子で口を開いた草を見て、秋隆は今どう言う状況であったのかを思い出した。
「ああ、まだ説明の途中だったか」
直近ですべきことはこの後自分含めたキュリアス乗船組がどのような行動をすべきなのかを確認すること。綾音の発言が全く気にならないと言うわけではないが、今優先すべきことではないだろう。
「すまない草、話しを続けてくれ」
「は、はい、この後五光聖堂まで元宰相を護送する任務はクリスティアさんと椿鬼さんに引き継いでいただき、久坂さんたちは近海の哨戒をしつつエテメンアンキに戻って欲しいとのことです」
草の言葉を補足する形でクリスティアも一つ頷くと、静かに口を開いた。
「五光聖堂までの道は険峻そのもの、この先は人数を押さえての輸送となります」
「そう、ようやく面倒な任務から解放されるってわけね」
肩の荷が降りたとばかりに軽く身体を伸ばす仕草をするアイオナを見て、椿鬼が片目を瞑って見せる。
「まあな、こっからはオレ様たちの仕事ってわけだ」
とりあえず陽華から託された指令は完了、襲撃してきた勢力を討滅、あるいは拘束することは出来なかったがそれでもアウグスタ・ルベルム始め政治犯の救出そのものは阻止できたため、十分仕事は果たしたと言っても良いはずだ。
しかしそんな中にあっても秋隆の表情は晴れず、何やら考えこんでいる。
「杏? なんか気になることでもあるの?」
堪らずルドヴィカが尋ねてみれば、すぐさま秋隆は口を開いた。
「いや、双魄将、エレミリヤ・クリューアらのことを考えていた」
双魄将と言う言葉にルドヴィカもまた目を伏せる。
ゼデキアの尖兵としてキュリアスに乗り込んできた正体不明の存在、その理由は定かではないが秋隆やルドヴィカのことをよく知る言動、間違いなく只者ではない。
「……あいつらが誰であってもこっちに仕掛けてくるって言うなら戦うしかないでしょ」
「そうだな……」
一応今回は勝てたと言っても良い結果だが、彼女らがこの先大人しくしている保証はないどころか、積極的に攻めてくる可能性すらあるのだ。今後より一層の警戒が必要となるだろう。
「勝手の兜の緒を締めよ、か」
「……亀」
そこで足音もなくクリスティアが秋隆に近づき、何やら握り拳を差し出してきた。
「クリスティア?」
「お前の呼び出した桜の木を処分しましたが、ミディアン・ヴァルナーの遺体は見つかりませんでした」
「っ!」
彼女の言葉に思わず絶句する秋隆。あの戦いでミディアンは確かに樹木の中に封じ、魂魄を理気に変換したはずである。
残るは肉体のみで、こちらはそのまま朽ち果てる運命にあったはずだが、さほど時間が経っていないためまだ樹木の中に存在するのが自然だ。
「代わりにこれが……」
開かれたクリスティアの右手に載せられていたのは蝶を模ったシンプルな形状のピアス。間違いなくミディアンが身につけていたヘソピアスである。
「魂魄だけでなく肉体も理気に変換されてこのピアス以外消滅したか、あるいは……」
「まだどこかで生きているか」
クリスティアの言葉を引き継ぐ形で結論を口にする秋隆。双魄将のこともそうだが、どうやら指令を果たしても尚、当面気を抜くことは出来ないようだ。
「……(双魄将にゼデキア、一体何が起きている?)」
秋隆の中に生まれた疑念に答えられる者は、少なくとも今はどこにもいない。




