第十一話「白煙」
叙任式の説明が終わり、アズに見送られて大聖堂を出るころにはもう夕方となっていた。
いつまでも師父を待たせるわけにはいかない故、こちらも急がねばならないだろう。
大通りに出るや否や秋隆はすさまじい速度で走り、待ち合わせ場所に指定されている郊外に向かった。
その速度たるやとんでもないものであり、大都会から周囲に墓場とススキ野原しかない寂れた郊外までものの一時間足らずというのだから驚異的と言わざるを得ない所行であろう。
「……(凍子はまだ来てないらしい)」
きょろきょろと周りを見渡してみて、自身の師父がいないことを確認してほっと一息。どうやら師父を待たせることはせずに済んだようだ。
さて、相当急いでここまで来たため秋隆の呼吸は乱れ、髪にも微かに汗が滲んでいる。少しばかり居住まいを正しておいた方が良い、そう考え懐から小さな鏡を取り出すと鉢金を外した。
「ん?」
鏡に写るのは現実における自分自身の姿、封神霊廟にいた頃の地味なサラリーマンのものではなく十代半ばと言った塩梅の少年。
赤い瞳に黒い髪、エルメラ人とは違う神州人らしい容姿である。
気になるのは己の額、普段鉢金で隠されているその部位に特徴的な傷跡が刻まれていた。
「……(なんだ、これは……?)」
バツ印、あるいはXのような形をした傷跡、相当酷い傷によるものなのか、くっきりと残っている。
何となく長く見ていると傷を負ったわけでもないのに、額から血が流れてきそうだ。
「待ちなさい、久坂杏一郎!」
静寂を引き裂くようなすさまじい声に秋隆は思わず身体を震わせる。
慌てて鉢金を締め直してすぐさま声の方向に視線を向けてみれば、そこには先ほど知り合ったばかりの人間が立っていた。
「ルドヴィカ・ウォルキアか」
毳々しい髪色に顔料をべったり塗ったかのような化粧、下着もあらわなその姿、間違いなくルドヴィカ・ウォルキア。
現在彼女は全身から滝のように汗を流しており、全力疾走でもしてきたのか呼吸も非常に荒い。
「ようやく、追いついたわよ……」
見たところ大聖堂から秋隆を追いかけてきたらしいが、かなりの速度でそれなりの距離を走っていたにもかかわらず何だかんだで追いついてくるあたりはさすがというべきか。
「こんな所まで追いかけてきて、何の用だ?」
「大聖堂で言ってたでしょ、あんた今からこのルイズと勝負しなさい」
「勝負?」
そういえばそのようなことも言っていたような気がする。
秋隆としてはそんなつもりは毛頭ないのだが、ルドヴィカは勝負したくてたまらないらしい。
「ふむ、盤双六でもするか?」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
瞬間、ルドヴィカは両手を伸ばして腰に帯びていた二振りの刀を引き抜いた。
「あんたとルイズ、どっちが強いか白黒はっきりつけんのよ」
見る限りルドヴィカの持つ刀は真剣、しかも青白い光に静謐な冷気を纏うあたり相当名のある名刀と見て間違いない。
そんな武器を持ち出すあたり彼女が本気で決着をつけたがっているのがわかる。
「先ほども言ったがそんなことに何の意味がある? 我々は同じ神官将、同僚ではないか」
「それが気に食わないって言ってんのよ」
あくまで話し合いで決着をつけようとする秋隆に対してルドヴィカの姿勢は攻撃的なものだ。
「気に食わない?」
「ルイズは物心ついた時からお母さまの命令でガーラ・クリシアのとこで修行させられたのよ」
ガーラ・クリシアと言えば南の大神官であり、ルドヴィカを推薦した人物。
何故実母たるシャダではなく彼女が推薦をしたのか謎だったが、ルドヴィカの師匠だったが故のことらしい。
「鬼紋獣、しかも最上位のオーロラベレク級と戦わさせられたことだってあるし、死にかけたのも一度や二度の話じゃないわ!」
激するルドヴィカの姿を見るに、ガーラの修行はよほど過酷なものであったのだろう。
おまけに未熟な状態で鬼紋獣と戦わされるとあっては、命がいくつあっても足りないかもしれない。
「わかる? 神官将っていうのはそんだけやってようやく届くか届かないかっていう場所なの!」
そこまでルドヴィカの怒声を聞いてようやく秋隆もなぜ彼女が自分を敵視するのか理解した。
「そこに来てあんたは何? 超能力者ですらないぽっと出の男が神官将なんて、なんの悪い冗談よ!」
そう、ルドヴィカがなぜここまで秋隆を敵視していたかというと、大した修行もしていないであろう人間が自分と同じ神官将になることが許せなかったからである。
ガーラがルドヴィカに課した修業がどれほどのものかはわからないが、それこそ生きるか死ぬかのものであろうことは間違いない。
そんな修行を経てようやく十分な実力を養ったにもかかわらず、理気も使えない男性、超能力者ですらない人間が、いかなる理由からか自分と同じ神官将に叙任されるというではないか。
そんなことがあっては文句の一つくらいつけたくなるというのも理解できる話だ。
もっともそれは秋隆が本当に実力不足であった場合のみ適応される話であるのだが……。
「な、何笑ってんのよ!」
秋隆の顔を見てまたしてもルドヴィカは激する。彼女の話を最後まで聞いた秋隆は、穏やか笑みを浮かべていたからだ。
「いや、すまない、ようやくそなたが内面をさらしてくれたのが嬉しくてな」
何故ここまで自分が敵視されているのかわからず不安を抱えていたのだが、それが晴れたこと、しかも他ならぬルドヴィカの手で晴らされたことが嬉しいのである。
ともあれ誤解については晴らしておこうと、秋隆は笑みを絶やし正面からルドヴィカを見据えた。
「さて、ずいぶんな言われ方だが重大な間違いが一つある」
瞬間、秋隆は理気を集中、周囲の石を空中に浮かべて見せる。
「っ! あんた、それ……」
「ぽっと出ではあるかもしれないが超能力者でないということはない」
信じられないようなものを見たとばかりにルドヴィカは目を見開いた。
「ちっ! どんな卑怯な手品を使ってるの?」
「手品など使う必要はない。ただ理気を用いてこの石を浮かばせたいと思っただけだ」
秋隆の言葉に悔しそうに顔をゆがめるルドヴィカ。これまで男性の超能力者はいなかったのだからにわかに信じられないのも無理はない。
とは言え、このようなものを見せつけられては能力を認めざるを得ないだろう。
「ふ、ふん、理法念力なんて理気を使える人間なら誰だって使えるのよ」
一応ルドヴィカも秋隆が超能力者の端くれであることを認めたようだ。
しかしここまで来た以上、彼女もおいそれと引き下がることは出来ない。一旦刀を腰に収めると両手の掌にそれぞれ理気を集中させる。
収束させたその理気は相当高密度なのか、左手の周辺には不可視の力が渦巻き、熱気から空間も歪んで見えるほどだ。
直後彼女の左手の理気が小さな爆発音とともに発火、握りこぶし程度の大きさをした火の玉を形成する。
「理気による自然現象の再現、『属性術』、そして攻撃への転用、『属性攻撃』……」
属性術、単体では形なきエネルギーたる理気を形ある属性に変える技術。すなわち自然界に存在する五行、風、火、水、雷、土、これらを理気を用いて作り出すというわけだ。
秋隆にとってはそれなりに見慣れた術、得意げなルドヴィカの様子を見るに実際のところ相当難易度の高い技術と考えて間違いない。
「で、こんなの見たことある?」
ルドヴィカが右手をかざすと、空気中の大気が収束、右掌の中で真水が渦を巻く。
左手に炎、右手に水という二属性の力を同時に抱えた状態だ。
「ほう、二つ同時に使えるのか」
「神官将の中の神官将、五清将目指すんならこんくらい出来て当然、問題はこっからよ」
にやっとルドヴィカが笑みを浮かべると、両手の属性が一体化、すさまじい理気が周囲に立ち込める。
「ふむ、属性を組み合わせたのか……」
腕を組んでこちらを見下ろすルドヴィカの周りに漂うのは煙のような白い霧、しかしそれはただの霧ではない。
大気中に霧散することもなければ、濃度が薄まることもない、間違いなくルドヴィカの意思でその場に存在しているのだ。
「二つ以上の属性を同時に使う『現象術』、そして攻撃の転用技術『現象攻撃』、どう? あんたじゃ一生かけてもひねり出せないような理気でしょう?」
「……(なるほど、消耗する量は単純に属性を操る以上のものか……)」
表面上平静を装うルドヴィカだったが、その表情には僅かながら疲労のようなものが見える。
現象術は二つの属性を同時に出現させて操っているに等しい行為、単純計算で倍以上の理気を必要とするのかもしれない。
「……(まあ、現象術なら私も使えるのだがな)」
ルドヴィカに気付かれないように左手の中に土属性と水属性の理気を集め、これを一体化させる秋隆。
意識を集中して形を形成、小さな植物の種を出現させた。
「思い知った? なら今すぐカークスんとこに行って叙任辞退を……っ!」
得意そうに霧を操作していたルドヴィカだったが、突如感じた殺気に身体を強張らせる。
「ααααααααααααααααααααααχ!!」
身の毛もよだつ咆哮とともに空中から飛来する巨大な影、それは誰も見たことがない魔獣であった。
手と足がそれぞれ二つずつあり、二足歩行するという点で全体的な造形そのものは人間のものに近いといえるだろう。
だが、3メートルはあろうかというその巨体に纏うものは腰のあたりにまとわりつくようなぼろ布程度であり、血走った黄金の瞳にも剣のような犬歯が覗く口にもおよそ人間らしい知性は感じられない。
太い血管の蠢く筋肉質な四肢に、妊婦のように肥大化した腹部と胸、さらには金属のごとき硬質化した黒い肌と見るだけで怖気を感じずにはいられない見た目だ。
最も特徴的なのはその耳、エルフのようにとがったものが左右に三つずつ、合計六つも存在する。
「な、なんなのこいつ!?」
予想外の侵入者に慌てふためくルドヴィカ。対して秋隆の方は冷静そのものだ。
「恐らくだが、鬼紋獣ではない」
「ちっ! そんなの見ればわかるわよ!」
鬼紋獣に共通する額の紋章がないあたり、今目の前にいるのは全く関係ない新種の魔獣、その結論に関してはルドヴィカも瞬時に思い至ったらしい。
「そうか、なら重要なことは……」
「οοοοοοοοοοοοοοοοοοουοκγ!!」
瞬間、巨大な腕を振り上げて二人に襲い掛かる魔獣。
「っ!」
「こやつが敵意をむき出しにしているということだ」
かなり際どいタイミングではあったがルドヴィカも秋隆も身を翻し、魔獣の攻撃を回避する。
「ふん、なんだか知らないけど、ちょうどいいタイミングじゃない」
何か思いついたのか、ルドヴィカは双刀を引き抜くと魔獣に視線を向けた。
「久坂、こいつを先に倒した方が格上だから」
「正気か? このような存在を前にして本気でそんな賭けを……」
データのない未知の怪物を前にしてそのようなゲームを持ちかけるのはあまりにも危険すぎる。
そんな秋隆の姿にルドヴィカは嘲笑の笑みを浮かべた。
「何? ビビってるわけ? ビビるならルイズの『現象攻撃』を見てからにして欲しいわね!」
話をする時間も惜しいとばかりにルドヴィカは理気を集中、全身から霧を放ち魔獣に浴びせかけた。
「失せな!」
「αααααααααααααααααααααικγ!!」
霧に触れるや否や発火、炎上する魔獣。断末魔の悲鳴を上げてもだえ苦しむ。
「……(蒸気が高温、なのではなく蒸気そのものに炎属性が付与してあるのか)」
おまけに霧は魔獣に吹き飛ばされることなく、まるで縄のようにその身に絡みついており、逃れることはおろか吹き飛ばすことすら出来そうにない。
総じて全く容赦というものを感じさせない、恐ろしい技だ。
続いて火が消えると魔獣を巻き込む形で霧ごと凍結、巨大な氷の柱を形作る。
「ふん、ルイズに盾突いた末路、いい気味ね」
とどめを刺そうと双刀をクルクル回しながら氷に近づくルドヴィカ。その瞬間秋隆の第六感が警告を発した。
「っ! 危ないルドヴィカ!」
「は?」
刹那、氷が粉々に砕け散り、ルドヴィカ目掛けて赤黒い閃光が走る。
瞬時に空気を焦がす閃光、直撃でもしようものなら骨すら残らず蒸発するのは明白だ。
とっさに地面を転がるようにして攻撃をかわすルドヴィカであったが、よほどギリギリだったのかその表情には焦りが見える。
続いて氷から出てきた魔獣は先ほどルドヴィカによって焼かれた肌も完全に修復させており、その威圧感も一切衰えていない。
「ααααααααααααααααααααακγ!!」
咆哮とともに口の中に理気を集める魔獣。たまらず秋隆は警告を発した。
「もう一撃来るぞ!」
「っ!」
不意を突かれる形となったルドヴィカに攻撃を躱す術はない。その表情にくっきりと死相がにじむ。
「ιαιαιαιαιαιαιαιαιαιαιαιανις!!」
高速で放たれた二発目の閃光は一瞬にしてルドヴィカを飲み込んでしまった。




