第百十六話「双魄」
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六耳獼猴とは似て非なる。
自身の現象を突破し、キュリアスの甲板に舞い降りた存在を見てルドヴィカは少なからず驚きを覚えていた。
相手がゼデキア帝国となれば敵となるのは当然、半機械兵士しかしここに来て予想だにしなかった異質な者たちが現れたからである。
一人は色素の薄い髪を束ねることもせずに流し、死装束のような白衣と虚無的な気運を纏う女性。
もう一人は十代後半と思しき見た目の少女だ。水色と桃色が混じったかのような派手な髪を二つに束ねたどこか幼い雰囲気をしている。
二人ともタイプこそ違うが、紫色の瞳に褐色の肌、さらには蕃神族を思わせる長い耳という見慣れぬ姿だ。
「強い理気の持ち主がいるとは思っていたが……」
白衣の女性、エレミリヤ・クリューアは恐ろしく冷淡な瞳で値踏みするかのようにルドヴィカを見据える。
「想像以上に幼いな」
「あんたらは、一体……」
「……我らは……」
「ασασιχο!」
エレミリヤの言葉を遮るかのように前に出たのはもう一人の少女、ルサルカ・カルネリウス。瞳をキラキラさせて親し気な態度でルドヴィカに話しかけているが、彼女にその内容を認識することは出来なかった。
「は、はい?」
聞きなれぬ言語、どこかで聞いたことがあるような気がしなくもないが内容がわからないのならば聞いたことがないも同じこと、呆然とするルドヴィカをよそに、ルサルカの一方的な話が続く。
「αυοοτιχιαττυοοικ?,οτιχονα,αττακοιγιατνυοοιγιανιραυοακ」
そこまで話してようやく鳩が豆鉄砲を食ったような顔のルドヴィカに気付いたのか、ルサルカは申し訳なそうに頭を掻いた。
「あ、そっか、こっちの言葉は通じないんだっけ」
ようやく聞こえてきた聞きなれた言語に少なからず安心するルドヴィカであったが、相手が正体不明の存在であることに変わりないため、警戒を解くような真似はしない。
そんなルドヴィカとは対照的にルサルカの表情にあるのは友好的な笑顔である。
「おひさ!」
「おひ、は?」
予想だにしなかった言葉に、またしてもルドヴィカの表情が驚愕に歪んだ。『久しぶり』などと言う挨拶をするということはどこかで会ったことがあるはずなのだが、彼女のような目立つ見た目の知り合いは思い出せる限りで記憶にない。
そんな内心の動揺を知ってか知らずか、尚も話を続けるルサルカ。
「変わりないようで良かった。あの人、杏って人は?」
「ち、ちょっと待ちなさい!」
そこでようやく手を挙げてルサルカのマシンガントークを強引に制すると、ルドヴィカは混乱しながらも口を開く。
「あんたら何なのよ!? なんで杏のこと知ってるの!? と言うかルイズと会ったことがあるの?!」
「忘れたなんてひっどーい! 君や杏に会えるのをずっと楽しみにしてたんだよ?」
「なっ!? あ、あいつを杏って呼んで良いのはこのルイズだけよ!?」
どこか的外れな指摘をするルドヴィカの様子に、ここまで無言で二人のやり取りを見ていたエレミリヤが大きくため息をついた。
「……その辺りにしろルサルカ」
まるで心の奥底を冷やすかのような冷淡そのものな口調とともに前に進み出ると、冷ややかにルドヴィカを見詰める。
平均身長が高いエルメラ人の中にあってもルドヴィカの体格は頭一つ抜き出るほどのものだが、そんな彼女でも見下ろす必要がない程度の身長だ。
「会ったことがあるかないかなど今この状況下ではさしたる意味を持たない」
心底どうでも良さそうなエレミリヤの姿にルサルカは不満げに頬を膨らませたが、特段何も言うことはなく状況を見守る。
「重要なことはただ一つ」
まるで機械のごとき淡々とした声音ながらどこか酷薄さも感じる調子で言葉を紡ぐと、彼女はここに来た目的を口にした。
「アウグスタ・ルベルムを救出できるか否かということのみだ」
「……やっぱり、あんたたちの目的はあの女ってわけね」
ルドヴィカの確認に首肯で以て応じ、エレミリヤは慇懃な態度で頭を下げる。
「お初にお目にかかる。ウォルキアのお姫様、私はエレミリヤ・クリューア、隣にいるのが……」
「ルサルカ・カルネリウス、よろー」
「……知ってると思うけど、ルドヴィカ・ウォルキアよ」
エレミリヤの隣でひらひらと両手を振るルサルカを一瞥すると、ルドヴィカは微かに眉根を寄せた。
「それであんたたちは結局何なの?」
蕃神族のようでありながら違和感の残る見た目に異質極まりない紫の瞳、なによりその身に纏う理気は明らかに尋常ならざるものである。
警戒心を隠そうともしないルドヴィカから一度として目を逸らすことはせずにエレミリヤの口が動いた。
「……双魄将、我らを始めて定義づけした者はそう呼んでいた」
「双魄将?」
聞き覚えのない単語に思わず戸惑いの言葉を漏らすルドヴィカ。どうやら彼女らはエルメラ人でも蕃神族でも、ゼデキア人でもない完全な未確認生命らしい。
言葉が通じるという点で同じ正体不明の生物、六耳彌猴よりは話が出来そうだが、こちらに敵対的な立場をとる時点で一戦は避けようもないだろう。
「これ以上のことをお前たちが知る必要はない」
もう話すことはないとばかりにルドヴィカから顔を背けると、エレミリヤは船内に続く昇降口へと顔を向けた。このまま内部に侵入し、アウグスタを救出するつもりなのは明白である。
無論、このままむざむざとアウグスタのいる場所に行かせるようなルドヴィカではない。
「待ちなさいっ!」
弾かれたように顔を上げるや否や二種の理気を混成、霧へと変えてエレミリヤに浴びせかけた。
なんらかの防御をせねば触れるだけで即座に燃滅するルドヴィカの現象、しかしエレミリヤは振り返ることすらせず全身から理気を放出し、これを無力化する。
「っ! まさか……!」
「その霧いささか厄介だな」
平淡な声ながらもどこか感心したような感情を滲ませるエレミリヤ。ルドヴィカのいる場所からでは彼女の顔を見ることは出来ないが、微かに上がった口元には僅かながら喜色が浮かんでいた。
「ルサルカここは任せる」
「おけまるー、アウナントカさんによろしくー」
ロリポップキャンディーを齧りながらルサルカが前に出るとともにエレミリヤは足音一つ立てずに昇降口へ向かう。
「行かせると思うの?」
双刀を引き抜きその切っ先をエレミリヤに向けるルドヴィカであったが、彼女の返答は冷たい。
「お前の相手は私ではない」
「そゆこと」
短い返答ともにルサルカはロリポップキャンディーを振り上げ、ルドヴィカに襲い掛かった。
風を切る冷たい音に尋常ではない濃厚な理気を放出するロリポップキャンディー、まともに受ければどのような結果となるか分かったものではない。
双刀に理気硬化をかけるとともに、軌跡を即座に先読みしルドヴィカはこれを防御する。二人の得物が接触したその瞬間、鋼鉄と鋼鉄が激突したかのような音が周囲に響いた。
「ぐっ!」
見た目からは想像もつかないほどに重い一撃、もしも侮って防御しなかった場合、真っ二つにされていたかもしれない。
「からの……」
二人が切り結んだ直後、ルサルカの口元に理気の光が収束する。
「っ!」
「どっかーん!」
続いてルドヴィカ目掛けて至近距離から吐き出されたのは赤黒い光を帯びた理気の閃光、あまりの威力に周囲の空気は焼け付き、甲板の一部が融解した。
「っ! やって、くれんじゃないの……!」
しかし完全に不意を突いて放たれた一撃にも関わらずルドヴィカの身は無傷、咄嗟に全身から理気を宿した霧を放ち、攻撃を逸らしたのである。
そのまま返す形で双刀を振るったが、ルサルカは大きく跳躍して回避、距離を開いた。
「ふふん、さすがにやるじゃん」
得意げに胸を張り、ギザギザの歯でロリポップキャンディーを齧るルサルカ。嵐のような攻防を演じたにも関わらずその姿に一切の疲労はない。
対するルドヴィカの表情には険しいものが浮かんでいる。無論相手の力に焦りを感じているわけでも、どこかにダメージを負ったというわけでもない。
「……(あの技、六耳彌猴の……?)」
そう、先ほどルサルカが放ったあの閃光、あれは六耳彌猴固有の技だ。
ルドヴィカはおろか六耳獼猴と交戦経験がある神官将すら使い方がわからぬあの攻撃を何故ルサルカは使用できるのだろうか?
「せっかくまた会えたんだし、も少し楽しんでってよ」
「生憎杏の奴に余計な面倒を押し付けたくないのよ!」
「ふうん、つまり杏はエレちんが行った先にいるってこと?」
ルサルカの軽口にルドヴィカが応じた瞬間、周囲の空気が張りつめ理気の流れが激しいものへと変じる。
「っ!」
まるで虎の住処に足を踏み入れたかのような危険な感覚にルドヴィカの表情が強張った。
「……ルーも行きたくなってきた」
牙を見せるような笑みをルサルカが見せるとともに、理気が物質化して彼女の周りに甘い匂いの液体が渦巻く。
「これなら、どうだあ!」
タクトを振るかのようにロリポップキャンディーを振るうとともに液体がルドヴィカに襲い掛かった。
現象の正体はわからないものの、攻撃である以上当たればこちらにとって不都合なことが起きるのは間違いない。
ルドヴィカが霧を放出して防御しようとしたその刹那、床の隙間から粘着質な水が沸き上がりルサルカの液体を空間に固定する。
「はい!?」
「アイオナ……!」
驚愕するルサルカに呆然とするルドヴィカ。二人の前にゆったりとした動作で現れたのはこの船にいる三人目の五清将アイオナ・イグナウス。普段は怠け者で知られる彼女だが、いつにも増して真面目な表情だ。
「……下がりなさい、ルドヴィカ」
いつもの姿からは想像もつかないような有無を言わさぬ態度、ルドヴィカが何も言わないでいると、彼女はルサルカから目を逸らさず言葉を付け足す。
「あなたはさっきから現象攻撃を使いすぎて疲弊しているのでしょう? ここは私に代わりなさい」
「……っ!」
キュリアスの甲板に迫る融機兵士を迎撃するために常に霧を張っていたことだ。彼女が隠していた理気の消耗をアイオナは一目で見抜いたらしい。
「……悔しいけど、あんたの言う通りかもしれないわね」
「なら一旦後退して艦橋に詰めていなさいな。ここは私が受け持つから」
一瞬だけ表情を歪めるルドヴィカであったが、消耗した身でこれ以上ここにいても足手まといにしかならないだろう。アイオナに向かって軽く頭を下げ、足早に船内へと向かった。
「……さて」
ルドヴィカの姿が甲板から消えたことを確認するとともに、アイオナは手に持っていた黒い傘で何度か地面を叩く。
「貴女が誰かは知らないけど、敵である以上容赦はしないわ」
「むー、ルーとルドちんの再会に水を差して、そっちは一体誰なのさ!」
「アイオナ・イグナウス、五清将の一人、それから……」
そこで言葉を区切り、一度だけ嘆息を漏らすと、アイオナは微かに目を細めた。
「稀黒将の名前ももらっているわ」
アイオナの自己紹介が終わると、ルサルカはロリポップキャンディーを天高く掲げる。
「ルーはルサルカ・カルネリウス」
「ルサ、ルカ?」
何か気になることがあるのか、微かに首を傾げるアイオナであったが今は呑気に考え事をしている場合ではない。どうしてもやるならば彼女をどうにかしてからするべきだ。
「……まあいいわ、仕事に時間をかけるのは嫌いなの。さっさと……」
刹那、アイオナの持っていた傘が開き彼女の姿が一瞬だけ隠れる。
「……決めさせてもらうわ」
まるで黒い風、いつの間にやら刀を握っていたアイオナは傘の隙間から飛び出すや否やルサルカとの距離を瞬時に詰め、その凶刃を煌かせた。




