第百十二話「新たな敵」
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元宰相の秘密部屋
窓から差し込むのどかな光にどこからか聞こえてくるスズメの鳴き声。どこにでもある夜明けのひと時だ。
「う、む……?」
顔を照らす朝日を右手で遮りつつ秋隆は両目を開き、ゆっくりと半身を起こす。
「……もう朝か」
鬼紋王の討伐と言う大業を成し遂げた翌日だというのに身体に残る疲労感はない。
「……(これも、理気によるものなのだろうか?)」
寝床から出ようとして、ふと違和感に気付いた。どうにも布団が狭い上にすぐ隣に暖かな塊がある。
隣を確認して見れば、掛布団は大きく膨らみ、秋隆以外の人間がこの中にいるのは明らかだ。
「な、なんだ?」
恐る恐るといった様子で掛布団をめくってみれば、そこにいたのは桔梗城では見慣れぬ少女。
黄金の髪にセーラー服を思わせるデザインのシャツ、チェック柄のミニスカートとどこか封神霊廟における女子中学生を彷彿とさせる見た目をしている。
現実では会ったことがない人物、しかし秋隆には見覚えのある少女だ。
「方丈川、瑪瑙殿?」
「お?」
名前を呼んだからではあるまいが少女、方丈川瑪瑙が小さな声とともに両目を開く。
「おはよう杏一郎、昨日ぶり、と言っても良いのかな?」
のんきな調子で体を起こしその場で伸びをして見せる瑪瑙。シャツが押し上げられ、細身な見た目に似合わぬ見耐え抜かれた腹筋が一瞬露わとなった。
「……おはようございます。色々と訊きたいことはあるのですがまず一つ……」
「何かな?」
「……一体いつ私の臥所に忍び込んだのですか?」
桔梗城主にして四道将軍、さらには総長の地位にある秋隆の警備は以前と比べてかなり厳重なものになっている。
交代制で城門を見張る兵士がいるのは当然のこととして、本丸御殿の出入り口にも番兵が立ち、秋隆の寝室たる御休息之間の前も旗本が交代で警備しているのだ。ここまで入り込むなど容易ではない。
「忍び込む必要なんてないよ」
険しい表情の秋隆とは対照的に瑪瑙の顔は悪戯がバレた少女のように無邪気なものだ。
「私は君の中にいたんだから、肉体を復元すれば必然的に君のすぐ近くに現れるってわけ」
つまり秋隆の魂魄に憑依する形で桔梗城にまで至り、彼が眠ってから復活したということらしい。
「……なるほど、大体わかりました」
言われて見れば同じ境遇の赫梨もそんな感じだったような気もする。無論、復元に至るまでの速度に関しては段違いだが……。
「とは言えここは男児の臥所、やむを得ない事情があるとはいえ婦女子が不用意に侵入するものではありません」
「わかってるわかってる。今後このようなことはしないって」
軽く肩をすくめると瑪瑙は布団を抜け出し、畳の上に立つ。
「城主殿には郎党の皆さんに僕のことを紹介して欲しいんだけど、どこで待ってれば良いかな?」
「……とりあえず黒書院近くの控えの間にいていただけますか? なんなら凍子たちに知らせて……」
「それには及びませんわ」
突如としてすぐ近くから聞こえた恐ろしく冷たい声に、秋隆は心臓を鷲掴みにされたかのように感じた。その肌は泡立ち、あまりの寒気に冷や汗が浮かび上がる。
「っ! 凍……」
「下がりなさい!」
秋隆が身を翻すや否や先ほどまで彼がいた場所に凍子が現れた。
すでに臨戦形態なのかその手には誅仙剣が握られ、瑪瑙の首元に切っ先を突きつけている。
「不埒者! ここを霊亀将久坂杏一郎の臥所と知っての無礼ですか!」
「……クールな見た目を裏切る熱血漢、相変わらずみたいだね凍子」
身の毛もよだつほどに強烈な殺気を向けられたにも関わらず、楽しそうに笑みを見せる瑪瑙。一方凍子は少しずつ冷静さを取り戻したらしく、目の前の少女が誰なのかを認識し、驚愕に目を見開いた。
「っ! 姉弟子!?」
「うん、一瞬私の顔を忘れるほどボケたのかと心配したよ?」
カラカラ嗤う瑪瑙を見て凍子はすぐさま誅仙剣を鞘に納めその場で膝を着く。
「あ、姉弟子、一体いつこちらに……?」
「つい昨晩、君の弟子が私のことを助けてくれたからね」
簡単すぎる説明にも関わらず凍子は何が起きたのかを察したらしく、微かに頷いて見せた。
「……おおよその事情はわかりました」
「よよ? 随分と察しがいいね」
「……つい昨日似たようなことがありましたので……」
凍子が言っているのはまず間違いなく赫梨のことであろう。
すでに彼女がどうやって復活したのか聞いているのならば、瑪瑙も同じような状態と考えるのが自然だ。
「……とにかく男児の私的空間に異性が立ち入るべきではありません」
「さっすが師弟、同じようなこと言うんだね」
楽しそうに含み笑いを漏らす瑪瑙であったが、二人の言葉に逆らうつもりはないらしい。
「では凍子、申し訳ありませんが……」
「ええ、もう一人の姉弟子同様、彼女のことはわたくしにお任せください」
秋隆が何か言う前にその意向を察し、素早く頷いて見せる凍子。
「では、時を見て桔梗城内の方々に紹介するといたします」
小さく指を鳴らして、凍子は時空捻転現象を発現させる。
「それじゃ杏一郎、またね」
見た目通りの無邪気な動作で両手を振り、瑪瑙は凍子とともに光のドームの中へと消えた。
「……朝から疲れたな」
軽く息を吐いて秋隆がその場に立つのとほぼ同時に何者かが襖を叩く。
「総長、失礼してもよろしいでしょうか」
「どうした?」
「失礼いたします」
襖を開けて入ってきたのは御休息之間の前を警備していた当直の旗本、江坂隆兼。中が騒がしかったため気にしていたようだ。
「ご無事でしょうか?」
「無論だ。そなたが気にすることは何一つとしてない」
申し訳なさそうな隆兼に笑みを見せる秋隆。彼の担当はあくまでも廊下から部屋に入ってくる者の対処、あのような規格外の侵入者まで任せるのは荷が重いだろう。
兵士が恭しく頭を下げるとともに秋隆の耳にまるで鶯が鳴くかのような甲高い音が聞こえた。
「誰か来たらしいな」
中奥の廊下は侵入者への対策のために歩けば音が鳴る廊下、鴬張りとなっている。そのためこの区間に入って来るものがいればすぐにわかるのだ。
「失礼いたしますっす!」
御休息之間に現れたのは早朝警備に就いていた旗本浦部秋紀、予想外のことでも起きたのか少なからず慌てている。
「朝早くに大変申し訳ございませんっす。エテメンアンキより特使が来られていますっす」
「特使?」
これまた穏やかとは言えない報告だ。わざわざこんな朝早くにエテメンアンキから、しかも総長の城に来るなどよほどの用件であろう。
「わかった。特使殿は黒書院に?」
「い、いえ、白書院です」
「……なるほど、誰が来たかわかった」
一瞬だけ唇を引き結ぶと、秋隆は身支度を整えるべく動き始めた。
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後刻わ狩衣ではなく衣冠装束に身を固めた秋隆が白書院に入ると下座に座った特使は恭しい調子で平伏した。
「総長殿にお会い出来ましたこと、身に余る光栄にて……」
「……挨拶は結構だ。陽華殿」
極めて平淡な秋隆の声に特使こと、妖魔王翠明院陽華は頭を上げるや否や面白くなさそうに唇を尖らせる。
「全く、この妾が平伏するなど滅多にあることではないというのに、少しはありがたいと思わぬのか?」
「そなたが私に気を遣う時は面倒なことに巻き込む時と相場が決まっている」
短く嘆息すると秋隆は広々とした白書院に一人座る陽華をまっすぐ見つめた。
「こんな朝早くにお忍びで来るほどだ。これまで以上に面倒なことが起きたのであろう?」
「……さすがは一代で総長にまで至った男、察しが良くて助かる」
そこまで話すと陽華は笑みを絶やし、真剣な表情で正面に目を向ける。それだけで先ほどまでの弛緩した空気は一気に張りつめ、思わず姿勢を正してしまいそうなほどの緊迫感が空間を支配した。
「話と言うのは他でもない。アウグスタ・ルベルムのことじゃ」
「元宰相殿の?」
アウグスタ・ルベルム、つい先日起きた四神官暗殺事件までは宰相の地位にいた人物だ。
現在は事件の首謀者、しかも中心人物の一人として拘束と取り調べを受けていると聞いている。
「左様、元宰相殿の邸宅じゃが、調査した結果地下にとんでもない空間があることが分かった」
「……地下室、と言うことか?」
相手は腹に一物も二物も含んでいるような悪徳政治家、その程度のことは驚くに値しないが、わざわざ陽華が来るような案件、そこに尋常ならざるものであるのは間違いない。
「地下室、と言っても良いがあれはそのような陳腐なものではない」
「陳腐? どういう意味だ?」
「広いのじゃよ、発見されてもう数日になるが未だ全容を掴めてはおらぬほどにな」
さすがの秋隆も陽華が何を言っているのかわからず、一瞬言葉を失った。
「……人員をケチった、などと言うわけではあるまいな?」
「無論じゃとも、禁軍の一個中隊にそれなりの有識者を揃えて事に臨んだが、それでもまだ把握出来てはおらぬ」
そこまで話すと陽華は懐から幾重にも折りたたまれた図面のようなものを取り出す。
「これは妾が受け取った最新の地下図面、いやさ地図じゃ」
「……拝見させていただこう」
陽華から図面を受け取ると、すぐさま目を通す秋隆。確かにそれは、確かに図面ではなく地図と呼んだ方が良さそうなものであった。
細かく枝分かれする通路に上へ下へと延びるいくつもの階段、小部屋もあれば大部屋もあるというまさに地下都市と言うべき構造である。
しかもこれほどの広さを誇りながらも地図上に書かれているのは調査が完了した場所のみというのだから末恐ろしい。
「数日掛けてこれじゃ、妾たちの足元にとんでもないものがあったものじゃな」
「これでは邸宅の地下に空間があるのではなく、地下空間の出入口に邸宅を立てたかのようだな」
邸宅の面積よりも遥かに広大な敷地に広がる空間、アウグスタ・ルベルムは何を考えてこのような場所を保有していたのだろうか?
「話はそれだけではない」
いつの間にやら扇子を取り出し、口元を隠しながら言葉を続ける陽華。
「……表層部に何者かが住んでいた形跡が見受けられた。しかもつい最近まで、な?」
「っ!」
「おまけに一人二人ではなくかなりの数、少なく見積もっても二個師団クラスと見て良い」
逆賊の管理する空間に潜んでいた正体不明の人員、それが行方不明というのは恐ろしく不吉だ。
その者たちがいかなる存在なのかは不明だが、こちらにとって益となる可能性は低いだろう。
「……嫌な予感がするな」
「うむ、お互いに警戒を強くした方が良さそうじゃ」
考えることは同じらしく、互いに頷きあう二人。どうやら鬼紋王を倒してもホッとする暇すらないらしい。
「……アウグスタ・ルベルムの護送、一筋縄ではいかなさそうだな」




