第百十一話「金色の仙女」
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三霊聖母最後の一人。
六つ並んだ灯篭に、どこまでも続く床張りの空間、部屋の中央には六つの捻じれた松、秋隆は気が付くとそんな不可思議な空間にいた。
彼の中にある記憶によると、鬼紋王を倒して桔梗城に凱旋して以降はどこにもいかず本丸御殿にいたはずである。
より正確に言うならば秋隆の父匠隆のことについて考えるのは後に回し、戦の疲れを癒すために布団に潜ったというのが最後の記憶だ。
とは言え、このような状況にあっても今更慌てるような秋隆ではない。
随分肝が据わってきたという以前に、ここは見覚えのある空間だからである。
「前にもこんなことがあったな」
そう、ここは岱與山赫梨と初めて出会った場所、秋隆自身の心象世界だ。
「……いるな?」
秋隆の言葉に彼のすぐ後ろで微かに影が動く。
この場所は心の中にある世界のため、本来家主たる秋隆以外の人間は存在しえないはずだ。
しかし、全く例外がない話しと言うわけでもないため、必要以上に驚くことはしない。
「やあ、こうして会うのは初めてになるかな?」
慎重な動作で秋隆が振り向くと、心象世界の間借り人たる少女は優雅な動作で頭を下げる。
ツインテールに纏められた黄金の髪に、その身に纏うのはエルメラ風のシャツとスカートと言う服装。
見た目からして十代前半と思しき姿のため、まるで令和の世界における中学生のような印象の少女だ。
しかし瞳の奥には凍子や赫梨同様深い英知に裏付けされた意思が宿り、全身に纏う理気もまた極限まで極められたもの、見た目こそ幼いがもしそれで油断するのならばそれは愚か者の所業と言って良い。
そんな少女を前にして、秋隆はその場に膝を着くとすぐさま頭を下げる。
「……こうしてあなたとこの地で会うことになることは、予想しておりました」
思いがけない言葉、これを受け少女の瞳にある種見た目通りと呼ぶべき好奇の光が宿った。
「お? その顔、もしかして私が誰なのかわかってる感じかな?」
「坎宮斗母正神」
少女の問いかけに間髪入れず答えを述べると、秋隆は直後に言葉を付け加える。
「凍子や赫梨殿の姉弟子、ですね」
「うん、話が早くて助かるよ」
にこやかな笑みを浮かべつつ、満足そうに頷いて見せる少女こと、坎宮斗母正神。
つい昨日秋隆はツェリにおいて鬼紋王を倒し、その力の源となっていた紋章を体内に取り込んだ。
現在に至るまで詳細は不明ながらもこの紋章には鬼紋王の素体となった者の魂魄が宿っているらしく、これを吸収することは素体の意識を自身の内面に受け入れることに等しい。
そして前に紋章を取り込んだ際は炎の鬼紋王となっていた岱與山赫梨が心象世界にいたのである。今回も遅かれ早かれここで素体となっていた人物と対面するだろうと予想していたのだ。
「それで、君も私と同じ截教ってことで良いのかな? 凍子や赫梨のことも知ってるっぽいし」
こちらと視線を合わせるためにその場で正座し、坎宮斗母正神は前かがみになりながら秋隆の瞳をのぞき込む。
「申し遅れました。私は久坂杏一郎秋隆、瀛州寺凍子は私の師匠です」
「へえ凍子の!」
覚えのある名前を聞いたためか、嬉しそうに反応する坎宮斗母正神。
「私の弟子も殷の太師やったりしてちょっとしたもんだったけど、君も相当修行を積んだみたいだね」
「……師父の教育の賜物です」
尊大になることはせずに謙虚に秋隆が頭を下げると、これに応じる形で坎宮斗母正神もまた静かに目を伏せた。
「私の本名は方丈川瑪瑙、截教仙女としては金霊聖母って名前もあるけど、君は凍子の弟子だし、本名で呼んでもらっても構わないよ」
金霊聖母方丈川瑪瑙、火霊聖母こと岱與山赫梨同様本名とは別に仙女としての名前もあるらしい。
「では瑪瑙殿、訊ねたいことがあります」
洗練された動作で正座すると、秋隆は正面から瑪瑙の赤い瞳を見据える。
「ここは、私の意識の中ですね?」
「うん、君に倒された後ここに取り込まれたのが前回までのあらすじってわけ」
後頭部を掻きながら軽い調子で告げる瑪瑙。どうやら秋隆が推測した通り、ツェリに現われた鬼紋王の素体となっていたのは彼女で間違いないようだ。
「正直居心地も悪くないからしばらくいても良いんだけど、そんなことやってるほど世界は甘くないみたいだね」
「ご存知なのですか?」
「こう見えても三霊聖母って呼ばれてたくらいだから、ここにいても理気の流れがひどく乱れていることくらいはわかるよ」
瑪瑙の指摘に秋隆は深く頷いて見せる。理気の流れが乱れることは、これに支えられた世界も不安定になるということだ。
これを放置していればやがて世界は立ち行かなくなり、終焉、すなわち世の終わりが訪れる。
「瑪瑙殿には、こうなった理由に心当たりはありますか?」
「……そうだね、全くないってわけでもないかな?」
しばらくの間沈思黙考して考えをまとめると、瑪瑙は口を開いた。
「君は闡截の大乱についてどこまで聞いてる?」
「截教と闡教が激突した仙界を二分する戦だったと聞いています」
七千年前、仙道同士で激突したまさに大乱と呼ぶべき戦争。
岱與山赫梨の話によると、世界を支える新生神を選別するための戦いだったとのことだが、その詳しい顛末について秋隆は知らされていない。
「うん、凍子はしっかり教えてるみたいだね」
当時のことを思い返しているのか、瑪瑙の表情に少しばかり険しいものが滲む。
「……実はあの大乱の時期も、ここまでじゃないながら理気の流れがおかしかったんだ」
「な、なんですって!?」
瑪瑙から聞かされた真実に思わず目を見開く秋隆。本来起こりえない異常事態が一度ならず二度までも起きていたとなれば、驚くのも無理はない。
「しかし、凍子も赫梨殿もなにも……」
「私以外だとこのことを知ってるのは僕たちの師匠、通天教主様くらいかな? 多分凍子たちですら知らないと思うよ?」
つまり截教首脳の中でもごく一部の者しか知らないような情報。ここまで重要なことが知られていないのは恐らく理気の流れがおかしことに気付けるほどの人間が稀なことも関係しているのかもしれない。
「では七千年前の大乱時に起きたことが、また今起きているということですか?」
生唾を飲み込み、肝心なことを訊ねてみると、瑪瑙は少しばかり首を傾げて見せた。
「うーん、それについては話が逆かもね」
「逆、ですか?」
「そそ、大乱が起きたから理気の流れがおかしくなったんじゃなくて、理気の流れがおかしくなったから大乱が起きたって言うべきかな?」
もう驚くことはないと思っていたが、衝撃的な内容に秋隆は目を見開く。
つまり、闡截の大乱で瑪瑙や赫梨を含む多くの者たち、人ならざる人、仙ならざる仙が神に封じられたのは理気の流れを元に戻し、世界を救うためだったというのだ。
赫梨も何故新生神を選別するに至ったのかについて言及しなかったが、恐らく截教の者も闡教の者も闡截の大乱の意義は知りつつも、その原因となった理気の乱れについては教えられていなかったのであろう。
「……なるほど、そういうことでしたか……」
長い沈黙の後、ようやく落ち着きを取り戻し、努めて冷静な声でそう呟く秋隆。
無論、先ほどの衝撃からは未だ抜け切れてはおらず、心臓は早鐘を打ったかのように脈動し、呼吸も荒い。
「しかしそうなるといよいよ原因がわからなくなるのですが……」
先ほどの話で闡截の大乱とそれによる新生神の封神が理気の異常に端を発することはわかった。
しかし肝心の原因、何故理気が乱れたかについては不明なまま、そのことを指摘すると、瑪瑙は深いため息をつく。
「当時通天教主様もその原因を突き止めようとされてたみたいだけど、結果を知る前に私は倒されて封神されちゃったから、それ以上のことは知らないんだ」
「截教の門主ですら、原因がわからなかったというのですか?」
「少なくとも当時はね。今はどうか知らないけど……」
長く鬼紋王になっていた瑪瑙ではこの辺りの見識が限界らしい。これ以上の話を聞くのならば、直接金鰲島に行き通天教主に会う他ない。
しばしの沈黙の末、秋隆は乾いた唇を舐め再び口を開いた。
「……仮にですが、理気の流れを歪める何者かがいたとして、その目的は何でしょうか?」
「理気は世界を構成する力場そのもの、流れを乱すなんて百害あって一利なしだから、まともな神経でやることじゃないんだよね」
理気の流れを乱すことはすなわち世界を滅亡へと進ませること、彼女の言うように常人では思いつきもしない行為である。
「……もし理気の流れを歪めるような奴がいるとするならば、そいつは最早この世の者ではないと思う」
想像していなかった瑪瑙の言葉に秋隆ははっとしたように顔を上げた。
「この世の者では、ない……?」
「何か思い当たる節があるね?」
その様子を見て尋常ではないものを感じたらしい瑪瑙の言葉を受け、頭に浮かんだ単語を口にする。
「……六耳彌猴」
「六耳彌猴?」
効きなれぬ単語にキョトンとする瑪瑙に秋隆はエテメンアンキ郊外での戦いから、クリンゲルヴァルドにおける蕃神の変異までを事細かに話した。
「……興味深い話だね」
一通り説明を聞き終えた瑪瑙の表情は当惑しつつもどこか晴れやかなもの。六耳彌猴のことを知り、何らかの仮説を得たのであろうか?
「凍子ですら分類できないなら、君の仮説はあってると思う。つまり……」
「……この世界の存在ではない」
結論を先取りする形で秋隆が言葉を引き継ぐと、瑪瑙は軽く首肯して見せる。
「うん、私は直接見たことはないけど、多分その六耳彌猴、宇宙の混沌に属する生命、あるいは混沌の眷属そのものなのかもしれない」
「では、六耳彌猴を操る者が……」
「この件の主犯と言う可能性は高い、そんなのがいるならの話だけどね」
そういえば六耳彌猴、と言うよりも蕃神について細かいことを考えたことはなかった。
あれはエルメラ人の女性が何らかの処置を受けることで変異するそうだが、具体的にどのようにして変わるのかも把握していない。
この世界では比較的メジャーな技術、しかし六耳彌猴に関係する以上、自分が思う以上に、蕃神と言う種族はこの件に深くかかわっているのではないだろうか?
「……瑪瑙殿」
「それまで」
まだ言葉を交わそうとする秋隆であったが、瑪瑙は両手を挙げてこれを制する。
「どうやら、身体の準備が済んだみたい」
事もなさげにそのようなことを言う瑪瑙。同じ状況下にあった赫梨が身体を用意した際はもっと時間がかかったはずだ。
「ふふふ、赫梨も中々のものだと思うけど、私ほどじゃないってこと」
驚愕する秋隆を前に悪戯っぽくそう言うと、瑪瑙はその場で立ち上がる。よく見ればその身は徐々に透けてきており、今この瞬間にも消えてしまいそうだ。
「じゃあ杏一郎、続きは現実で、ね?」
最後に一度だけウィンクすると、瑪瑙の身体が空間に溶けるかのように消える。同時に空間全体を凄まじい光が満たし、秋隆の意識もまたその中に引っ張られていった。




