第百十話「桔梗城凱旋」
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内管領のおしごと。
凍子の起こした時空捻転現象により桔梗城に凱旋した一行。
身体に纏わりついていた雪を落として本丸御殿に立ち入ると、奥の方からいくつかの足音が聞こえた。
ほどなくして現れたのは桔梗城の留守番組たるアズ、綾音、ルドヴィカ、豊輝の四名。
何となく予測していたことではあるが、怠け者ことアイオナの姿はない。
「お帰りなさいなのですご主人様」
「無事の凱旋、心よりお喜び申し上げます」
玄関先に正座して静々とした動作で頭を下げるアズと綾音二人を見て、秋隆は微かに頬を緩める。
鬼紋王との死闘を勝ち抜き、無事帰還できたことに対する実感が今更ながら湧き上がってきたのだ。
「アズ、綾音、留守番大義であった」
いそいそと立ち上がりこちらに両手を差し出すアズに先ほどまで着ていた羽織を託し、廊下に上がる。
「ふん、一応無事に帰って来ることはできたみたいね」
廊下の中央で偉そうに腕を組みつつ微かに鼻を鳴らすルドヴィカ。
「で? 念のため聞いとくけど、鬼紋王は倒したのでしょうね?」
「無論だとも、中々厳しい戦いであったがな」
秋隆の言葉にルドヴィカの纏う気運が少なからず穏やかなものへと変わった。
どうやら戦勝の報告を聞いて、張りつめていたものが緩んだらしい。
「ルイズ、もしや私のことを心配してくれていたのか?」
直球ストレートに放たれた秋隆の質問を受け、ルドヴィカの頬が一気に紅潮する。
「なっ! べ、別に心配なんてしてないんだから!」
先程より彼女の振る舞いは尊大そのもの、秋隆のことなど気にしていないと言わんばかりの態度であった。
しかしこうして出迎えに出てきた時点で少なからず彼のことを心配していたのは明白だ。
「素直じゃないねえ……」
クスクス笑いながら今度は豊輝が秋隆の前に進み出る。
「尚左、留守中何か変わったことはあったか?」
「いんや、すこぶる平和なもんさ。天守閣で昼寝してたアイオナの嬢ちゃんが猫にひっかかれたりはしたが、それくらいは変わったことに入んないだろ?」
「……何をやっているのやら……」
呆れたように短い嘆息を漏らす秋隆。あの少女は自由になってもやることは拘束されていた時と変わらないらしい。
「それで杏? さっきから気になってたんだけど……?」
肩越に秋隆の後方へ目を向けるルドヴィカの視線を追ってみると、そこにいるのは真紅の仙女。
「ああ、彼女の名前は……」
秋隆が向き直って紹介しようとすると、彼女は隙のない動作で優雅に一礼をして見せた。
「岱與山赫梨、杏一郎殿の師父凍子とは姉妹弟子の間柄だ」
「凍子の?」
少なからず驚いたらしくルドヴィカの無遠慮な視線が赫梨の全身に突き刺さる。
「ルドヴィカ。そうジロジロと人を見るものではありませんわよ?」
「うっ! そ、それもそうね……」
凍子の注意を受けて申し訳なそうに引き下がるルドヴィカであったが、一方の赫梨は牙を剥くがごとき壮絶な笑みを浮かべた。
「構わぬよ、新参者が気になる気持ちもわかる」
堂々たる立ち居振る舞い、どうやら彼女も凍子同様人に見られることに関して思うところはないらしい。
「それで杏一、この後はどうするつもりですの?」
「皆疲れているだろうから、ひとまず評定は明日に回して、今日は休むこととしよう」
実際に鬼紋王と戦った秋隆たちは言うに及ばず、留守番組も城主不在の間四六時中気を張っていたのだからこの後何か予定を入れるのは酷と言うもの。
今日一日くらいは休みにして、英気を養ってもらった方が良いだろう。
「お湯殿の準備は出来ているのです」
廊下の果てを一瞥し、アズはすぐさま秋隆の前に立った。
「みなさんには私から申し伝えておくので、まずは温まりくださいませなのです」
「ああ、そうさせてもらうとしよう」
理気のおかげで身体が冷え切っていると言ことはないが、雪と氷の支配するツェリからの帰還。湯船につかって心を落ち着けるのも良いだろう。
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秋隆が湯殿に引っ込んだ後、抜き足忍び足で本丸御殿を進む影。
褐色の肌にド派手な化粧、さらには恐ろしく露出過多な服装、ルドヴィカ・ウォルキアだ。
本丸御殿は政務を執り行う表と城主たる秋隆の生活空間たる中奥の二つから構成される。
現在彼女がいるのは中奥、すなわち秋隆が現在汗を流している湯殿のある区画だ。
「……(そう、これは杏のためを思ってのことで、け、決して疚しい企みじゃ……)」
何か後ろめたいことでもあるのか、心の中でそのような言い訳しつつ先へと進むルドヴィカであったが、その背中に何者かかが近づく。
「おや? このような場所で奇遇ですね」
「っ!」
いきなり後ろから声を掛けられたため飛び上がらんばかりに驚くルドヴィカ。
激しく脈動する胸を押さえつつ振り向くと、そこにいたのは先ほど別れたばかりの少女であった。
「……く、久坂綾音!?」
「もうとっくに二の丸御殿に戻ったものと思っていましたが、ここで何を?」
雨戸も締め切られ、今や灯明の灯りしかない薄暗い空間でこちらを見詰める綾音の瞳は不審者を見るものだが、そんなものにひるむルドヴィカではない。
「あ、あんたこそ何してんのよ!」
爬虫類のごとき鋭い瞳に臆することなく、むしろ正面から睨み返し、反撃を試みる。
城主の親族たる綾音はルドヴィカたちとは異なり中奥に居住空間があるが、秋隆の座所とは離れており、特段用事がなければ近づく必要はない。
それを知っているからこその反撃に、果たして綾音の表情が変わった。
「こ、此方はここで兄上様の警備です」
普段の綾音ならばまず吐かないであろう苦し過ぎる言い訳に、はてなと疑問符を浮かべるルドヴィカ。どうやら後ろめたい企てをしていたのは彼女も同じだったらしい。
「はあ? そんなことを杏があんたに頼んだの?」
「た、頼まれる前に動くのが出来る妹の条件と言うものです」
「つまり無断でやってるってことじゃない!」
容赦ないルドヴィカの追及に、綾音の表情が強張る。
しかし彼女もまた数多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の猛者、追い込まれつつも起死回生となる一手を用意していた。
「こ、此方のことよりもルドヴィカ・ウォルキア、そちらはどうなのですか?」
「へ?」
「兄上様の身内たる此方が中奥にいても不自然ではありませんが、そなたは違います!」
蛇というものは五体満足よりも手負いの方が攻撃的になるのと同じく、追い込まれた綾音の言葉は理気を含んだ恐ろしく鋭いものである。
攻撃性の面では他の追随を許さないルドヴィカですら押され、悔しそうに歯ぎしりするほどだ。
「此方の兄上、いえ四道将軍を相手に、よもや不埒なことなど考えてはいませんね?」
「か、考えてるわけないでしょうが!? ルイズがここまで来たのは杏の身の安全を確保するためよ!」
「問題ありません。その仕事は兄上様の妹であるこの此方にお任せを……」
「……まさかとは思うけど、あんたがその不埒なこと考えてないわよね?」
綾音の圧迫が弱まった一瞬を突いて投げつけられたルドヴィカの言葉。効果的な結果を期待して放ったわけではなく、苦し紛れの一言である。
「なっ!」
しかし綾音には効果絶大だったらしく、顔を真っ赤にしたうえ、よろよろと後ろに後退した。
「こ、根拠のない中傷はお控えください!」
即座に怒声を上げる綾音に対して、ルドヴィカはその反応から何かを察したらしく微かに眉根を寄せる。
「……(こ、こいつ……!)」
以前より気になっていたことだが、綾音が秋隆に向ける好意は兄に対するそれを遥かに上回るものだ。
特に時折見せるある種異常にも見える献身、期待、これはどちらかと言うと恋人か婚約者の感情に近いのではないか?
「……前から訊きたかったんだけど、あんたは杏のこと……」
「そ、そこまでなのです!」
いよいよルドヴィカが核心に迫ることを聞こうとしたその刹那、薄暗い廊下に三人目となる声が響き渡る。
興奮していた綾音も思わずといった様子で一つの名前を呟いた。
「アズ・オグトール……」
彼女の言う通り侃々諤々の口論の場に現れたのは秋隆に仕える侍従、アズ・オグトール。ぐっとスカートの裾を握りながら二人に近づく。
「こ、これ以上の内輪揉め、看過するわけにはいかないのです!」
普段大人しいを通り越して気弱な印象すらも受けるアズの放った叱責の言葉にルドヴィカは少なからず面食らったが、彼女が慌てたのはアズが予想外の行動に出ただけではない。
その言葉がなんとなく自身のお目付け役、東山躑躅を彷彿させるものであったからだ。
とは言え、ここまで来て大人しく引き下がるわけにも行かない。額から汗を流しつつも、すぐさまルドヴィカは反駁を始める。
「あ、あんたなんの権限があって……」
「わ、私は久坂家の内管領、か、家中の秩序を守る責務があるのです」
ぐうの音も出ないような正論に、ルドヴィカばかりか綾音すらも口を閉ざした。
そう、アズは久坂秋隆より直々に内管領、すなわち四道将軍家の家令を仰せつかった身である。
桔梗城全域はともかく少なくとも本丸御殿、中奥に関しては一切合切彼女の職掌なのだ。
「……興がそがれましたね」
永劫にも感じられる沈黙の果てに、綾音は一瞬だけ瞑目するとルドヴィカに背を向ける。
「アズ・オグトール、そなたの顔に免じて、ここは引かせていただきます」
それだけ呟くと、来たとき同様足音もなく自身に与えられた区画へと向かっていった。
「あ、あの……」
綾音が去って後、おずおずと言った様子でアズがルドヴィカに声をかければ、彼女は微かに鼻を鳴らす。
「……ふん、以下同文、よ」
恐ろしく険しい表情に鋭い眼光、機嫌が悪いのは間違いない。
しかし、アズの言葉に一応は納得したらしくルドヴィカもまた綾音同様その場を後にした。
自分よりも遥かに格上の二人が去り、アズはしばし放心したかのようにその場に立ちつくす。
「ほ、ほへええええええ、よ、よかったのですううう……」
やがて気が抜けたのか、ぐったりとへたり込みどうにも締まりのない鳴き声を上げるのであった。
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「……(少しばかり不安には思っていましたけれど、どうにかなったようですわね)」
薄暗い廊下の果て、気配はおろか理気すらも隠し、この騒動を終始眺める者がいた。
銀色の髪にルドヴィカ以上に露出過多な装束、秋隆の師父凍子である。
もしアズが難儀するようならば出ていくつもりであったが、それは杞憂に終わったらしい。
「……(アズ・オグトール、杏一の見る目は確かだったと言えそうですわね)」
一人ごちると凍子は一度だけ嘆息を漏らし、音もなくその場を後にした。




