第百九話「儀同三司殿の昇格」
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正三位准大臣→従二位内大臣
「やりましたわね杏一」
鬼紋王が消滅し、秋隆がもとの姿に戻るとともに微かに目を細める凍子。無表情を装ってこそいるが、口元は緩みその瞳の奥にはくっきりと喜色が浮かんでいる。
「あれを倒すとは、見事な手並みだ」
感情がわかりにくい凍子とは異なり、牙を剥くような笑みを見せつつ赫梨は一瞬のうちに距離を詰めると、秋隆の背中を叩いた。
「っ!」
まるで炎で出来た掌に叩かれるかのような感覚、しかし不思議と不快感はなく、むしろ心地よいくらいである。
「少しばかり、肝を冷やしましたがね……」
周囲にいた鬼紋王の複製は全て消え、今やこの結界内で生きているのは秋隆たちのみだ。
「……やはり、現れるか……」
秋隆の視線の先にあるのは微かに脈動する光の球。鬼紋王の額に浮かんでいた紋章を持つ金色の光玉である。
細部のデザインこそ違えど、以前赫梨が素体となっていた鬼紋王を倒した際に現れたものと同じ類のもの、秋隆は一瞬の逡巡の後にこれに手を伸ばした。
直後、眩しい光が空間を満たす。同時に秋隆の脳裏に忘れていた過去の記憶が浮かび上がってきた。
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帝との謁見を終えた我々は高く登った太陽の光を背に大内裏の道を歩いていた。
知行地が遠い喜三郎と藤法師の二人はすでに都を出立しており、現在私の側には尚千代しかいない。
「とうとう、来るべき時が来ちまったってことかねえ」
大内裏を行き交う人々を眺めながらそんなことをぽつりと呟く尚千代。見慣れた糸のように細い目の奥で小さな瞳が揺れている。
「……四道将軍の務めは陛下の手足となって国土と民草を守ること、左府殿の判断は何も間違ってはいない」
心を鎮め、教本通りと言うべき持論を口にしてみるがそれでも私の中にある不安を隠し通すことは出来ず、言葉の端々が震えるのを抑えることは出来なかった。
そして、そのような隙を見逃す尚千代ではない。しばしの沈黙の後、微かに首を振って見せる。
「無理は禁物ってもんだぜ? 結局そうは言ってみても、頭中将殿だって簡単には割り切れてないんじゃないかい?」
「それは、まあ……」
その通りと続けようとして、私はすぐさま口を閉ざした。仮にそれが本音だとしてもこのような場所で不用意に口にするような内容ではない。
そんな様子の私を見て、尚千代は肺腑から息を出し切るのではないかと思うほどに深いため息を吐く。
「私は、当主就任ってのはもっとめでたいもんだと思ってたさ」
一瞬大内裏北東に位置する庁舎、左兵衛府の方向を一瞥し、言葉を続ける尚千代。
「けど、こうして現実味を帯びてくると、あまりの重さに押しつぶされそうだ」
「尚千代……」
菊宮左大臣殿、否神州皇陛下が我々にあのような下知を下されたのは我らの父、四道将軍たちがより危険な任務に従事することになったと言うことだ。
そして、当主に生命の危機があるが故にいつ家督を継いでも良いように準備をしておけと言うことでもある。
「従五位下左兵衛権佐の官位ですらこんなに重いんだぜ? 正三位の鎌倉大納言や左兵衛督なんかはもっと……」
尚千代が言葉を続けようとしたその刹那、我々の前に複数台の牛車が止まった。
「……奇遇でおじゃるな」
中から出てきたのは衣冠装束に身を固めた上流貴族、狐を思わせる恐ろしく鋭い瞳にその身に纏う怜悧冷徹な冷やかな気運、清濁併せ呑む策謀家と呼ぶべき公卿である。
私にとっても尚千代にとっても非常に良く見知った人物、すぐさま我々は平伏した。
「っ!」
「こ、これは右府殿!」
翠明院一陽、正二位右大臣の地位にいる方であり、朝廷内では菊宮左大臣殿に次ぐ権威を持つ。
「久方ぶりの京、懐かしかろう?」
翠明院右大臣殿の言葉に私と尚千代は地面に頭を擦り付けんばかりに深々と頭を下げた。
「は、ははっ!」
「こうして再び上京出来ましたこと、光栄に思います」
しばし我々の頭上を眺めていた右大臣殿だったが、やがて笏を懐に仕舞い込み両手を叩く。
「……皆の衆、二人は長旅でお疲れのようでおじゃる」
「え?」
「何を……」
慌てて顔を上げてみれば、牛車の影に潜んでいた従者たちがゾロゾロと出てくるところであった。
「少しばかり手助けしてさしあげるでおじゃる」
「い、いえ、我らは……」
私が何か言う前に複数人の従者が両手を掴み、半ば無理矢理牛車の一台に押し込める。
「ちょっ……」
「ささっ、左近大夫殿はこちらに……」
有無を言わさぬ圧力、結局我々は抵抗することも出来ずそのままいずこかへと連行されていった。
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時刻はすでに夜の八時、昼間とは打って変わって月の光のみが支配する闇の世界。
洛中にある右大臣殿の邸宅に連れて来られた私は尚千代と引き離され、そのまま饗宴に招かれることとなった。
数時間に及ぶ宴の後、通された場所は人気のない一室、蔀は締め切られており、部屋の四隅に存在する灯明のみが僅かな光を放っている。
下座に座ること数分、微かな足音とともに右大臣殿が入って来られたため、私はすぐさま頭を下げた。
「楽にするでおじゃる」
「ははっ!」
顔を上げてみれば上座に座りこちらを眺める冷たい目。今より遥かに幼ない時分、修行のために父上の命で京に留まっていた頃幾度となく見たものである。
あの頃から世の中ずいぶん変わってしまったが、右大臣殿はほとんど変わっていないらしい。
「あの、尚千代、いえ佐殿は……」
「かの者は我が娘、小陽が相手しているでおじゃる」
「掌侍殿が……?」
それ以上私の問いに言葉を重ねることなく、右大臣殿が外に目配せすれば、一人の従者が双六盤を持って現れた。
私と右大臣殿の間に置くと手早く駒を並べ、サイコロを用意する。
「京を出て二年、どの程度腕を上げたか、見せて貰おうか」
ここで断るわけにはいかない。軽く頭を下げる右大臣殿に倣い私も一礼し、サイコロを手に取った。
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「何故呼ばれたか理解出来ておるまいな」
数手進み黒、すなわち上手が圧倒的優位で進む中、ようやく右大臣殿が口を開いた。
「……はい」
何とか応戦しようと、私もサイコロを振り、切られていた駒の一つを盤上に戻したが、それ以上は何も出来ず右手を引っ込める。
そんな私の姿を冷淡に眺めつつ、右大臣殿は微かに顎を引いた。
「麿らはそなたの父、儀同三司を内大臣、合わせて従二位に据えようと考えている」
予想だにしなかった言葉に私は弾かれたような勢いで顔を上げる。
「っ! 右府殿、それは……」
「すでに帝より内々の承諾は受けている。来月には形になるでおじゃろうな」
既定路線かのように淡々と話す右大臣殿。四道将軍の極官は正三位大納言と各軍事部門の責任者、ただし筆頭の位置にいる久坂家のみ一つ上の儀同三司、すなわち准大臣となれるが、それも本来ならば大御所、隠居してからの栄典で名誉位階のようなものだ。
現役で活動する父上が武家の頭領たる公方様に代わり、准大臣として他の四道将軍を率いている現状が本来ならば異質と言える。
「……しかし、本来その役目は公方様の……」
「左近大夫」
私が口を開こうとすると、殊更大きな音を立ててサイコロを投じ、同時にこちらに鋭い視線を向ける右大臣殿。
「征夷大将軍とは何でおじゃろう?」
「……四道将軍を束ね、武家の頭領として天下万民を……」
「不正解」
盤上に並んでいた私の駒二つを切り、右大臣殿は深いため息をついた。
「古来より、国土を侵さんとする夷狄を征伐する将を征夷大将軍と呼ぶ。違うか?」
「ごもっともです」
征夷大将軍、公方様は四道将軍を率い、この国の軍事を担う全武家の頂点。それは確かにそうだが、本来は右大臣殿が言うように『夷』狄を『征』伐することを役目とする。
そう、本来はそのはずなのだが……。
「……そなたの手番でおじゃるぞ? 頭中将」
冷淡な声で先を促す右大臣殿、しかしその呼称に私は思わず顔を顰めた。
「右府殿、私の官職は左近衛将監、叙任されたのは従五位上になってからなので左近大夫なのですが……」
「そなたも従五位上になって久しい、と帝ならばお考えでおじゃろうな」
「っ!」
父上同様、私の位階を上げるための根回しも全て終わらせていると言外に告げられ、思わず言葉に詰まる。
「話を戻すが、そなたは今の公方がその地位その役目に相応しい仕事をしていると思っているのか?」
「それは……」
右大臣殿の質問は核心を突いたものだ。恐らくこの話しをするために私を邸宅に引き込んだのであろう。
額に汗を浮かべつつ、どう答えるべきか必死になって頭を回転させていれば、右大臣殿は盤上に視線を落とした。
「迷いは禁物、局面にもそなたの内情が現れておる」
「うっ!」
見れば十五ある私の駒のうち十三個までが切られ、反対に右大臣殿の駒は十二個、内地に入っている。
「……言わずとも良い、務めを儀同三司殿に丸投げし、一方で権威は存分に振るおうとする。この末世にあって公方として有るまじき無法」
ほぼ完璧に考えていたことを言語化され、私は反駁すら出来ずに口を閉ざした。
「協力してくれるな?」
「……父上を、説得するのですね?」
前例なき現役四道将軍の准大臣叙任すらも渋った父上、ここに来て従二位と内大臣、とても受けるとは思えない。
これをどうにかするため、私に話しをつけさせようとしているのだろう。
「話しは以上、今宵はゆっくりしていくが良い」
「う、右府殿!」
そのまま座を立ち、部屋を出ようとする右大臣殿に声を掛けるがこれ以上話しをするつもりはないらしく、うっすら笑みを浮かべるのみ。
「すでに局面は決しておる。多少は腕を上げたらしいが、まだまだ麿の敵ではない」
右大臣殿の視線の先にあるのは、圧倒的な実力差を見せつけられた双六盤、ここからひっくり返すことは少なくとも今の私には出来そうにない。
しかし今右大臣殿が言っているのは双六のことではなく、政治的な能力のことだ。
父上の内大臣叙任と私の昇進、これを覆すことは出来ないと言いたいのだろう。
「それとも、最後まで打つでおじゃるか?」
「い、いえ、滅相もございません」
「ならば良い、そなたの忠勤ぶりは帝も高く評価しておられる。今後とも励むが良い」
それだけ告げると右大臣殿は軽く顎を引くと、そのまま部屋を後にした。
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「……杏一?」
記憶の想起が終わると、そこは鬼紋王の結界ではなく、通常空間。
こちらを心配そうに眺める凍子に向かって、秋隆は静かに頷いて見せた。
「いくつか、記憶が戻りました」
軽く深呼吸してから、この場にいる二人の四道将軍、東香と文良に顔を向ける。
「……父上の内大臣叙任」
相変わらず聞くだけでも居住まいを正したくなるような重い単語。そこについては記憶を失っていても変わらないらしい。
「そうか、そのことを思い出したのか」
やや緊張した声音の東香に向かって、申し訳なそうに微笑む秋隆。
「まだ、そこまで至った事象について正確には思い出せてはおらぬがな」
相変わらず記憶は不完全そのものだが、ある程度予測することくらいは出来る。
本来四道将軍を束ねる役割を持つ武家の頭領、征夷大将軍がどういう理由からか務めを放棄し、代わりに秋隆の父たる久坂匠隆がその役割を果たしていた。
そこに朝廷からもお墨付きを与え、より手広く行動出来るようにするための従二位内大臣、と言うわけである。
しかしまだわからない。何故要職である征夷大将軍が務めを放棄し、匠隆が四道将軍のまとめ役をする羽目になったのか。
おまけに四道将軍、しかも当主の地位にいる現役が大納言以上の地位、准大臣になるなど異例中の異例。にも関わらず、さらに内大臣に昇進したと言うのだ。
そこまでしなければならない何らかの事情があったと言うのだろうか?
「杏一殿、考えるのは一旦桔梗城に戻ってからにした方が良いのではないか?」
赫梨の言葉はもっとも、このような場所にいつまでも留まっているようなものではない。
「……そうですね」
今回思い出したことを考えるのならば、落ち着いた場所の方が良いだろう。
「では、私にお任せくださいませ」
凍子の言葉とともに時空捻転現象が発生、秋隆たちは桔梗城へと帰還した。




